第6話「買い物デートのはずだった」

 日曜日、今日は瑠璃に連れられてちょっとした買い物デートに来ていた。誘われた時は自分が何をしでかしたかと身構えてしまったが、特に何もないと言われそれはそれで少し怖かった。

「あんたは私をなんだと思ってるのさ」

 瑠璃は私の反応に呆れて呟き、残念そうな表情で車を出した。私は免許を持っていないので、近場のお出かけには瑠璃の運転が必要不可欠である。何やら他にも資格を持っているようだが、私への当て付けだろうか。資格があるなら働けばいいのに。

「何って、私をいじめるヤバい奴」

 車内の音楽を選びながら、適当な悪態をついてやった。実際、ここ最近はどちらかというといじめられていた記憶が目立つし、嘘は言っていないと思う。

「何、いじめて欲しいの?」

 私の答えに瑠璃は憤ると、不意にアクセルとブレーキを煩雑に打ち始めた。当然車は揺れ、三半規管が攻撃の憂き目にあう。一応安全運転の範疇で動いてはいるが、酔いに弱い私にとってはすでに地獄のような責苦である。最悪吐く。

「待って、ごめ、本当に吐いちゃう」

 基本的に車の性能と瑠璃の運転技術であれば、滅多に酔うことはなく快適な移動時間なのだが、意図して揺らせばここまで酷いものになるのか。というか、最近吐かせに来る行為が多すぎないだろうか。実は本気で吐かせてみたいとか思っていそうだ。

「はいはい、黙って音楽聴きましょうね〜」

 瑠璃は私の反応に満足したのだろう、安全運転に戻ってけらけら笑いながらからかう。本当、そういうところがクズだっていうのに。

「それで、どこに何を買いに行くの」

 外を眺めながら聞いてみる。というのも、私と瑠璃はあまり一緒に買い物に行かないのだ。瑠璃は基本的にネット通販で済ませているし、私は私で仕事の帰りに買い物をしているので、二人で時間を合わせてっていうことがない。休日は何をしているのかというと、大体自宅で爛れた生活である。三大欲求を求めるままに貪ると言った感じだ。まあ、それはそれで幸せだし、いいんだけど。デートと思うと、それはそれで特別感があっていい。

「水着。これから暑くなるし、詩織のも見繕ってやろうと思って」

 それは、一緒に海やプールに行こうというお誘いと言うふうに解釈してしまっていいのだろうか。水着、水着か……。運転している瑠璃の姿と、自分を見比べる。やっぱりあまり気乗りしない。瑠璃の身体があまりに出来すぎていて、眼福である反面どうしても女として見比べては敗北感に苛まれるのである。

「任せときなよ。少なくとも、吐きそうにはならなくしてあげるから」

 からかうように話す瑠璃の言葉に、私はまた目を逸らす。あの時のぼやき、覚えてたのか。あんな一瞬のどうでもいい出来事、覚えてなくてもいいのに。

 そんなくだらないことを話しているうちに、デパートに到着した。以前に瑠璃と外出したのが手錠をつけての散歩だったのもあって、両手が自由なまま隣を歩くのが少し感慨深いものがある。

「瑠璃のセレクト、期待してるからね」

 プレッシャーをかけるように嫌味ったらしく言ってみるが、瑠璃はそんなもの感じないとでも言うように任せなと言って歩き出す。ついて歩くと、瑠璃はこちらに手を差し出す。何かと彼女の方を見ると、恥ずかしそうに顔を赤らめて呟いた。

「迷子になったら困るから、繋ぎな」

 普段はあんなに強引で可愛げもないのに、どうしてこう不意打ちのように可愛い姿を見せるのだろうか。気まぐれな猫のようだ。私はそれが面白くて、笑いながら彼女の手を取る。あまり感じない彼女の手と自分の手の交わる感触に、少しくすぐったくなってしまう。

「出来立てカップルのデートみたいだね」

 私の言葉に、瑠璃は答えずにそっぽを向いてしまった。本当、お互いに素直じゃないところは、類は友を呼ぶというかなんというか、結構似ている。

「あれ、ラピス様?」

 二人で店を歩いていると、こちらを指差して興奮気味に話す女性の姿に気づく。その言葉に、あちこちでざわつきが生まれて、なんだか不安に駆られてくる。なにか、私の知らないところで事態が深刻化しているような、そんな感覚。瑠璃の方を見ていると、引き攣った顔で冷や汗を浮かべている。

「瑠璃、何かした?」

 私もその様子に焦りながら瑠璃に問い詰めると、乾いた笑みと共にこちらを向く。

「私、変装してきた方が良かったかもしれない」

 瑠璃が呟いたのと同時だろうか、一斉に人だかりを構成し始める。ラピス様、ラピス様とよくわからない呼称で瑠璃に詰め寄ってはサインだのなんだのと迫っている。

「あの、私たち、プライベートなんですけど。ていうか、人違いじゃないですか」

 必死に瑠璃から群がるファンと思しき女性たちを引き剥がそうとするが、多勢に無勢、あっさりと弾かれては、瑠璃の元から引き剥がされるのは私の方だった。あっという間に人だかりの外に押し出され、そのまま姿勢を保てず崩れてしまう。

「黙ってなさいよ、ラピス様はあんたには相応しくないわ」

「彼女気取り? ふざけないでよ」

 言葉の節々に恨み節が混じり、棘が刺さるような感覚にそれ以上の抵抗が躊躇われる。相応しくないだとか、ふざけないでとか、どうしてそこまで言われなければならないのか。私だって、端から見合うような容姿なんて思っていない。だからって、部外者からそんな言われようは、流石に看過できない。

「私は——」

「ふざけんなクソ女ども」

 私が文句を言うより先に、瑠璃の怒声が響いた。

「聞いてれば人の女を言いたい放題。鏡見てから言え」

 声、雰囲気、眼力に、私は萎縮してしまい、立つこともできない。でも、理解している。この怒りは、私のために別の人に向けられているもので、私は今、守られているのだと。

「ファンか何か知らないけど、2度と私の前に現れるな。雑誌を前に稚拙な妄想でもしてろ」

 言いたいことを全部言い切ったのだろう、威圧感に負けて震えながら立ち尽くす彼女らを押しのけて、私の方へと歩み寄る。目の前まで来ると、しゃがみこんで手を差し出した。

「ごめん、私の不注意だった。立てる?」

 私は頷いて瑠璃の手を取り、立たせてもらう。もう、さっきの威圧感はすっかり姿をなくし、いつもの瑠璃に戻っていた。また瑠璃と手を繋ぐと、店の中を歩き始める。しかし、随分と大変な目にあった。それに、私の知らない瑠璃の素顔があるようだと言うことも、明るみに出た。

「で、ラピスって何、あの女たちはあんたのなんなの」

 歩きながら問い詰めると、瑠璃はそっぽを向いて口笛を吹く。はぐらかすつもりか。なんとか吐かせようとじっと見つめ続けていると、耐えかねたのかわかったよと口を開く。

「詩織が劣等感で死ぬかもしれないから言わなかったけど、たまにモデルに呼ばれてんの。そこでの名前がラピスで、人気になってるってわけ」

 本当に死ぬかと思った。そんな、私が仕事を頑張っている間に裏で稼いでいたのか。もう私の存在意義とはなんなのか問いたくなってくる。

「そんな顔しないでよ。私だってせがまれてやってるだけだし、ギャラは預金に全部入れて使ってないし」

 瑠璃は言い訳を重ねていく。でも、それはそれでどんどん悲しさと言うか、虚しさが込み上げてくる。

「つまり、追い出されてもお金のアテはあるんだもんね」

 つい感情のままに瑠璃に当たってしまう。そういうところも嫌だし、瑠璃から見ても嫌なんだろうなと思うと、不意に涙が込み上げてきそうになる。

「あんた、あれだけ怒った私を目の当たりにしても、まだそんなこと言うの?」

 瑠璃は私の顎を強引に掴んで目を合わせると真っ直ぐに貫くような視線に目を離せなくなる。

「私は、あんたと生きるつもりでいるよ。一生、手放すつもりはないんだけど」

 あんたはどうなの、と瑠璃は問い詰める。そんな、考えたくもない。きっと、瑠璃のいない日常なんて、空虚で、何も残らない。嫌だ、そんな日々を、私は生きたくない。

「私だって、一緒に生きたいよ。でも、私みたいな落ちこぼれ、いくらでも替えが利くでしょ」

 瑠璃は、きっと代わりなんていない。こんなに綺麗で、クズで、どうしようもなくて、身勝手で、そんな奴、何人もいてたまるか。でも、私みたいな取り柄もなければ綺麗でもない、ただ社会に混じっているだけの人間なんて、いくらでもいる。私は、どこにでもいる。

「知らないの? 私相手にそんなに歯向かう人間が、世界に何人いるってよ」

 瑠璃はグイッと私の顔に迫って話す。私が瑠璃をたった一人と思っているように、形はどうあれ瑠璃も私をたった一人と思っている。その事実を、瑠璃は痛いほどまっすぐと伝えてくる。

「分かったら泣くな、不貞腐れんな、私のSubでいることを誇れ」

 瑠璃の言葉に、私は涙を拭いて頷く。私は、瑠璃のSub。完璧で、誰も歯向かえない王様みたいな女の唯一の存在。ちょっとは、自分を誇れるだろうか。誇れるように、ならないと。

「あーあ、なんだか水着買うような気分とか流れとか全部なくなっちゃったね」

 瑠璃は残念そうに伸びをしながら呟く。確かに、なんだかこのまま全部終わったような感じだ。でも、私は終わらせない。瑠璃の手を引いて、こちらに顔を寄せる。

「詩織、何してっ——」

 私からする、初めての口付け。鬱屈な空気を、全部吹き飛ばしてやる。

「私の劣等感をどうにかするんでしょ。早く水着を選んでよ」 

 この誘いに、乗ってくれるだろうか。瑠璃は気分屋なので、ダメな時はとことんダメだし、こんなふうにわがままや甘えをして見せたこともあまりないので、どう出るか計りかねる。

「ま、まあ、詩織がそこまで求めるなら、せっかくだし選んでやるか」

 その反応は、予想外だった。顔を真っ赤にして、あからさまに照れながら快諾してくれる。むしろ違和感があるのだが、それはそれで可愛い一面ということにしておこう。

「変なの選んだら一緒にプールとか行かないからね」

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