幕間「城戸くんとパートナーの休日」

「雄二さん、もうお昼ですよ。起きてください」

 鈴を転がすような愛らしい声に、俺はゆっくりと目を覚ます。なんて幸せな朝だろう。毎朝通い妻のように俺の部屋に来てはこうして尽くしてくれるのだから、ずいぶんいい子である。ベッドの横で俺の顔を覗き込む彼女の頭を、優しく撫でてやると、照れ臭そうに目を瞑りながらも、嬉しそうに笑った。

「おはよう、桜。毎朝早起きでえらいよお前は」

 今日は土曜日、休日という甘美な響きに俺は微睡む。元々俺は早起きが大の苦手だ。休日くらい、のんびり寝ていてもいいだろう。

「もうお昼ですってば。流石にだらしないですよ」

 桜の再三の指摘に飛び起きる。時計を見ると、針は二本揃って頂上付近を示している。なんということだ、確かにこれでは怠惰が過ぎる。いかんいかんとベッドを抜けて、いざ食卓へ。

「本当、桜は献身的で助かるよ」

 テーブルには卵スープにポーチドエッグ、ベーコン、トーストと洋風な料理が並んでいる。桜は凝り性で、結構手間というものが好きらしい。夜通し煮込んで口で溶けるような柔らかさの角煮を作ってきたこともあった。また食べたいが、それで寝不足になるのも困るので、あくまで料理は桜の気分に任せている。

「雄二さん、私と出会う前はどうやって生きてたんですか……?」

 俺が料理を頂きながらこぼした感謝に、桜は喜びよりも先に心配が先行したようだった。確かに、朝起こしてもらって、料理をいただいて、仕事中の家事も任せてしまっている。正直今の自分が独り身に戻ったらまず間違いなく生活水準が後退する。

「本当、どうやって生きてたんだか。ありがとう、桜」

 苦笑いしながらも、素直に感謝の言葉を送る。他の組がどうなのかはわからないが、俺はかなり甘い方だと思う。というより、桜が献身的すぎてお仕置きのしようがないし、むしろ俺の不摂生が矯正されている節もあって褒めちぎりたいのである。自然、基本的に二人でいる時間が甘ったるいものになるのだが、それも悪くない。

「私は、雄二さんの助けになるなら、それで幸せですから」

 桜は首元のカラーを触りながら話す。春、ちょうど桜が満開になる頃に渡した、桜色のカラー。狙いすぎだと笑われたが、それでもとても似合っていてよかったし、桜も満更でもなさそうだった。今もこうして付けてくれているし、嬉しい限りだ。

「でも、たまにふと思うんです」

 気まずそうに切り出す桜に、胸がざわつく。何を切り出されるのだろう。拒絶? 俺が、何かまずいことをしてしまっただろうか。普段のだらしなさに嫌気がさしたとか? 恐る恐る、桜に何かと尋ねる。

「いえ、そんなに思い詰めることじゃないんですけど、その、笑わないでくださいよ?」

 桜はそういって答えを焦らす。笑わないと約束すると、いずれ決心したようで、ゆっくりと口を開いた。

「雄二さんは、えっちな気持ちになったり、お仕置きしたくなったり、しないのかなって」

 それは、予想の斜め上をいく答えだった。そして、俺の答えはというと、正直な話性欲はある。それも、多分人並み以上にあるんじゃないだろうか。お仕置きはというと、必要もないのにするのはいかがなものかとは思うが、したいかしたくないかでいうと、やはりしたいのであった。Domの本能だと言い訳もできるが、それでも俺の本心であることには違いない。

「ないわけじゃないけど、わざわざ桜にどうにかしてもらうようなことじゃないよ」

 誤魔化すための言葉を選んだが、それでも本心だ。俺は桜を傷つけたいわけじゃないし、欲の吐口なんてもってのほかだ。桜は尽くしたいだけ尽くして、俺は褒めたいだけ褒める。信頼の上に成り立つ、立派なDomとSubのパートナー的な関係だろう。しかし、桜はそうは思っていないようで、俺の答えに余計表情を曇らせてしまった。

「それは、私に魅力がないからですか。私はお手伝いさんで、パートナーじゃない、ですか」

「違う、俺は桜をパートナーだと思ってる」

 悲痛な訴えに、俺は必死に否定するが、桜はその表情を変えない。どうすればいいのだろう。俺は、桜を大事にしたいだけなのに。というか、なぜそんなに不安がっているのだろう。

「もしかして桜、お前が、されたいのか?」

 まさかと思いながら、桜に問いかける。そして、答えは明らかだった。桜は黙り込むが、頬はゆっくりと朱に染まっていき、最後には小さく頷いた。それもまた、Subの性なのだろう。互いに相手の持つ欲求を勘違いして、押さえ込んでいたようだが、それは間違っていたらしい。

「あ、あの、私はその、すごくマニアックなのをして欲しいとか、いつもえっちなことをして欲しいとか、そういうのじゃなくて、雄二さんの愛を、もっと感じたいんです」

 俺が黙り込んだのを見て引かれたと思ったのか、慌てて弁解を始める。その様子がおかしくて、つい笑ってしまった。

「大丈夫だよ。俺も、同じようなもんだから」

 そっと抱き寄せて、背中を叩いてやる。俺の一回りも二回りも、三回りも小さな身体。多分、あどけなさの残った桜の容姿や純粋な性格に、引け目があったのだろう。しかし、どうやら遠慮は必要なかったらしい。

「よかった。一緒だったんですね」

 背中に回される、小さな彼女の腕。少しくすぐったくて、背中を丸めてしまう。

「さて、そうと決まれば、と行きたいところなんだが、ちょっとだけお預けな」

 優しく桜から離れて、ノートとペンを持ってくる。椅子に座って桜を膝に乗せ、ノートを開く。

「二人の理想のすり合わせをしよう。俺は桜を傷つけたくないし、桜も、辛いのは嫌だろ」

 俺の説明に、桜は頷く。すり合わせはカラーを渡したときに一度やっていたが、ディープというか、なんというか、そういった話は互いに奥手だったがためか、してこなかったのだ。二人揃って初心である。仕方ないだろう、初めてなんだから。

「桜は、俺にどうされたいんだ?」

 恐る恐る桜に問うと、聞き方が悪かったのだろう、また顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。

「その聞き方、なんだか恥ずかしいです」

 それもそうか。とはいえ、なんと聞けばいいのだろう。話が話なので、そもそも恥ずかしい問いになることは避けられないと思うのだが。

「俺から、話そうか?」

 自分から話すよりも、人に続いて話す方が話しやすいという話をどこかで聞いたことがあったのを思い出し、提案する。桜も頷いて賛成してくれる。これで話が前に進む。進む、のだが、さてなんと言うべきか。正直してみたいことは山ほどあるのだが、引かれないか心配だし、なかなか切り出しづらい。結局、沈黙が続いてしまう。

「私は、もっと雄二さんに束縛とか、されたいです」

 その空気が焦ったくなってしまったのか、桜が閉ざしていた口をついに開いた。

「私だって大人ですし、パートナーなんですから、ずっとここに閉じ込められたいんですよ」

 何かと思えば、それは大胆な同棲希望であった。照れ臭そうに、それでも頑張って見栄を張る姿に、口角が自然と上がってしまう。

「勝手に外に出られないように、鎖で繋いでも平気か?」

 冗談めかして話すが、実を言うと半分くらい本気だったりする。本当は通い妻の状態がもどかしかったのだ。自分の元を離れないで欲しいと、身勝手な願望を抱いていた。

「いいですよ。ずっとここにいますから」

 そんな俺の本音を知ってか知らずか、桜は自信満々に答える。思っていたより桜は強くて、そして、熱心に俺を好いてくれているようで、たまらなく嬉しい。

「カラーとは別の、ペット用の首輪とか、付けてやりたい」

 桜はいいですねと頷く。

「あと、出かけるときも、俺以外と会話してほしくない」

 わかりましたと、桜は受け入れる。

「お仕置きは、俺が仕事している間、家事以外はずっとstay、とか」

 何もできなくなっちゃいますねと、桜は笑う。

 桜は、全部全部、受け入れてしまう。平気なのか、心配になってくる。

「やっぱり雄二さんは優しいですね」

 ふと桜は感慨深そうに的外れなことを言う。監禁していたいと吐露したも同然のことを言ったのに、どこが優しいのだろうかと、首を傾げる。

「だって、絶対に私を傷つけないんですもん。ずーっと、独り占めして優しくしたいって、言ってるようなものですよ」

 桜の話に、今度は俺が顔を赤くする番だった。まさか、意識して言っているつもりはなかったが、きっとその通りで、さっきの願望の裏返しは、そういうことだった。

「もちろん、私は雄二さんのSubですから、いっぱい独り占めして欲しいです。だから、全部受け入れます」

 そう言って桜は俺の頬を両手で抱えると、必死に上を向いて目を瞑る。本当、かわいい奴だ。俺はその意図を汲んで、優しい口付けを落とす。

「俺の自宅に移ってくれ。桜」

 ノートに契約事項を増やし、桜に提言する。

「もちろんです、雄二さん」

 と、なんやかんやで、俺たちは同棲することになった。出会いから数えて半年である。まったく、詩織のことを笑えないな。

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