第5話「馴れ初めとこれから」

 瑠璃の許可も得て、私は晴れて新規チームのリーダーとなった。とはいえ、重要な案件や事業に関わる大掛かりなものではなく、新人育成と人事的試運転を兼ねた小さなものなのだが。失敗前提の比較的自由に動けるものなので、私としてはとても助かる。

 チームメンバーはリーダーの私と同期の城戸くん、そして綾瀬さんを含めた新人数人。ひとまずの目標は私たちの旧チームリーダーから回される仕事を上手くこなしていくところからなので、個人的な感触としては今までと変わった要素はあまりない。新人たちを戦力としてカウントしているくらいだろう。

「頼まれた時はどうなるかと思ったけど、なんとかなりそうね」

 一週間動かしてみての感想は、その一言に尽きる。特別大きな問題はなく、各々の小さな問題に上手く立ち回ってなんとか回せていると言った感じだ。新人たちも、初めのうちは回される仕事に困惑したり、ミスが多かったが、トライアンドエラーを繰り返すうちに近頃はだいぶ慣れてきたようである。おかげで今日は金曜日だが、定時には余裕を持って帰れそうだ。

「詩織先輩、カラー付けてから以前にまして効率上がってますもんね。やっぱり違いますか」

 Dom/Subについても、私と城戸くんが当事者なのもあって比較的オープンに話すようになった。綾瀬さんの他に、Domの子が二人だったか。旧チームリーダーの計らいかもしれないが、このチームには他と比較してどちらかの人が多いように感じる。必然、そう言った話題も少なくない。

「詩織先輩のパートナーの話、聞きたいっす!」

「あ、私も!」

 厄介なことになってきた。あまり包み隠さず話すと、心配されるか私が変態だと思われるかに二分してしまう。なんとか話を逸らせないだろうか。困り果てて城戸くんに助けを求める視線を送る。

「馴れ初めの話でもしてやればいいんじゃないか。確か、あん時の人だろ」

 馴れ初めか。それだったら、まだ話せるかもしれない。あの時の瑠璃は、人前というのもあって比較的まともで綺麗なお姉さんみたいなイメージだったから。

「そうね、それで手を打とうかな」

 オフィスで話すのもアレだし、ちょうどお昼時なので、食堂に誘導する。あんまり大ごとにしたくないのだが、チームのほぼ全員で向かうものだから、結構異様な光景になってしまった。


 私と瑠璃の出会いは、去年のクリスマス、だから半年ほど前に遡る。城戸くんが数合わせでもいいからDom/Subの限定コンパに一緒に出て欲しいと誘われたのが全ての発端だ。男女それぞれDom/Subを二人ずつの計八人での合コンだった。

「悪い、柊。お前の分の代金は俺が払うから、適当に話したりして時間を潰してくれ」

 城戸くんは何度も私に頭を下げてはそんなことを言っていたが、私は別にいやいや参加するつもりではなかった。Subとして相性のいいDomに会えるなら願ってもないことだし、パートナーどころか一緒に過ごすような友人との予定も特になかった。一人で過ごすくらいなら、合コンに出た方が幾分もマシだろう。

「大丈夫だよ。別に合コンとか嫌いな訳じゃないし」

 もしかしたら、黙々と仕事をしている私の姿に、合コンのようなおおよそ真面目とはみられない活動は好まないと思っていたのかもしれないと、私はそう断った。城戸くんは案の定そう考えていたようで、そうだったのか、なんて驚いた顔で話すのが、少し面白かった。

「お、雄二くん。ということは君が柊さんだね、私は岡野真尋、Domだよ」

 よろしくね、と真尋さんは嬉しそうに話す。私は勢いに気圧されながらも、お辞儀で返した。

「まあ、席に座りなよ。もうみんな来てるよ」

 真尋さんに連れられて席に案内されると、私と城戸くんの席、そして真尋さんの席が開けられていた。男女、Dom/Subがわかりやすいように分けられている。自分の席は角だった。城戸くんは、その対角線だ。

「それじゃあ、揃ったことですし、一人ずつ立って自己紹介しましょうか」

 真尋さんはそのまま進行を始め、自分から名乗り始める。嫌いではないが、こういう場は結構緊張する。だから、今となってはその席にいた人の顔のほとんどを忘れてしまったし、名前もあんまり覚えていない。ただ、彼女のことだけは鮮明に記憶に焼き付いたのだ。

「私は三島瑠璃、Domの女です。好きなのは、攻略の難しいゲームと女です。よろしく」

 特別おかしいことをした訳じゃないし、やかましかったわけでもない。ただ、彼女の顔が、声が、立ち上がった時のシルエットが、私の視線を奪い尽くしたのである。面食いのつもりはなかったし、趣味も合わない、多分、何かが少しでも違えば私は彼女を嫌うだけで終わっていたと思う。いや、現に嫌いだと思っているんだけど、とにかく、私はその時には彼女に惚れていたのかもしれない。

「なに、私の顔になんかついてる。それとも、惚れちゃった?」

 瑠璃は初めから、自分の容姿の良さに気づいていたし、その上で人を弄ぶのが好きな自分にも自覚している、いわゆるクズだった。私も、その時すでにそう揶揄われていたのだから、間違いない。

「なんでもないですけど」

 私がそっけなく返すと、多分そういうところが瑠璃を燃やしたのかもしれない。ふうん、とどうでもよさそうに返すと、私の座る位置と自分の座る位置を変えて、無理矢理隣に座り始めた。

「あ、次の自己紹介、あんただよ」

 瑠璃の行動に困惑していると、気づけば自分の番だった。

「あ、私は、柊詩織です。Subです。働くのは好きなので、パートナーができても働き続けたいなって、思っています。よろしくお願いします」

 辿々しくなってしまったが、自己紹介を一通り終えて座り直す。が、隣からの視線が痛い。瑠璃は、じっと私の方を見ていた。

「働いていたいならさ、私と組もうよ。私、ヒモになりたいんだ」

 彼女の発言は、いまいちよく理解できなかった。いったい何を言っているんだろう。未知のものに触れるような目で見ていると、瑠璃は話を続けた。

「まあ、流石に身も蓋もないけど。仕事したいならすればいいし、私は頑張るあんたを褒めるよ」

 今日もさっきまで頑張ってたんでしょ、えらいじゃん。そう言って私の頭を撫でる瑠璃の手は、とても優しくて、私はあっさりと絆されてしまった。

「まあ、相性が良ければいいけど」

 私が渋々というか流されてというか、曖昧に返事をすると、瑠璃は急に笑い出す。

「決めるの早すぎでしょ。まだ始まったばっかなんだからさ、もっと周り見なよ」

 その指摘があまりに正論で、私は恥ずかしさのままに勢いで酒を煽る。この人といると、いやでも調子が崩されてしまう。そうだ、別の人、別の人と話そう。慌てて周りの話題に耳を傾ける。

 それからどれくらい時間が経ったろうか。意識がだいぶあやふやになってくる。さっきの酒が相当効いてきたらしい。頭が痛くなってきた。

「あーあー、大丈夫? フラフラだけど」

 瑠璃の声が頭に響く。大丈夫って、全然大丈夫じゃない。体が自分のものじゃなくなったかのような感覚に、近くにあった瑠璃の腕を掴む。

「——」

 もう誰が何を言ってるのかもわからなくなってきた。徐々に意識がぼやけ、結局、私は意識も保てないままに瑠璃に連れ帰ってもらったようだった。

 目を覚ますと、私は自宅のベッドだった。そして、隣には瑠璃の姿が。

「体の相性もいいし、これからよろしくね、詩織」

 頭痛が二日酔いのものか、受け止めきれない現状のものか、私はわからなかった。

「と言った感じよ」

 私がことの顛末を話すと、思いのほか重い雰囲気になっていた。自分でも思ったが、話しすぎたかもしれない。

「柊、あの後そんなことになってたのか」

 城戸くんの憐れむような視線が痛い。

「詩織先輩、その相手、本当に大丈夫なんですか」

 綾瀬さんの心配する視線も痛い。とにかく、皆の視線が一様に痛かった。もう誰にも話すまい。


「ちゃんといい人で大丈夫でしたって弁解したの?」

 今日会社であったことを報告しながら、瑠璃の体にすっぽり収まって、瑠璃の用意したご飯を彼女の器から一口一口餌付けされる。今日のご飯はオムライスだ。しかも、とろとろのやつ。瑠璃の料理は美味しい。瑠璃はめんどくさがりで手間なんてかけられないと言っているが、それでこれだけの味ならいっそ店でもやってみればいいのにと思う。いや、だめだ、この味は誰にも教えたくない。

「弁解する必要ある? 自分でもクズの自覚あるくせに」

 私は怒られることを理解していても、毒づかずにはいられない。瑠璃もそうだけど私もなかなかに性格が悪いと思う。まあ、お互い様だし、類は友を呼ぶということで。なんて、一人で結論を出していると、瑠璃は急にスプーンを私の喉の奥まで突っ込んできた。咄嗟に首を振って離すと、服にオムライスが溢れてしまう。寝巻きでよかった。スーツだったら明日大変なことになっていただろう。

「瑠璃、吐かせるつもり?」

 私が瑠璃の方を見上げると、彼女もまたこちらをじっと見ていた。案の定怒っているようで、少し上がっている口角がむしろ怖い。

「ごめん、吐きたいのかと思って」

 目が明らかに笑っていない。このままでは私が謝るまで続きそうだ。

「ごめんなさい。週明けに釈明します」

 結局、私の負けであった。しかし瑠璃は満足していないようで、次の一口が運ばれてこない。不思議そうに再び見上げると、今度こそちゃんとした笑顔でこちらを向いている。これはこれで怖い。というか、嫌な予感しかしない。何かひどい嫌がらせでも思いついたような顔だ。

「詩織はさ、こぼしちゃった食べ物も、ちゃんとお片付けできるよね。自分で」

 倒置法で強調された自分でという言葉の意味に気づき、私は表情を歪めてしまう。床にまで溢れているわけではないし、可能ではあるが、尊厳というか、なんというか、大事なものを失う気がする。いや、既に失っているような気がしないでもないけど。

 私は小さく頷き、瑠璃からスプーンをもらおうとするが、そんな甘っちょろいことは許さないと言わんばかりに天高く掲げられてしまった。手ですか。しかたない、てで掬って食べよう。寝巻きに溢れたそれを、恐る恐る取っては口に運ぶ。ちゃんと同じ味のはずなのに、どことなく、食べ物ではないような、不思議な感覚が残る。きっとそれは、お仕置きや躾の背徳感みたいなもので、どうしようもなく不健全なものだ。

「よくできました。えらいえらい」

 こう見えて瑠璃は、やることがえげつない割にケアは怠らない。頭を撫でくりまわして、ギュッと抱きしめて、言葉でちゃんと褒めて、キスまでしてくれる。ちょっと過保護な気もするけど。でも、悪い気はしないし、むしろ気持ちいい、なんて、本人には絶対言えないけど。

「詩織、一つだけ言いたいことがあるんだけど」

 ケアを終え、残ったご飯も食べ終えると、食器を片付けながら瑠璃は話す。言いたいことって、普段から言いたい放題のようないもするけど、なんだろうと耳を傾ける。

「セーフワード、いい加減に変えたら」

 瑠璃の言葉に、私は硬直してしまう。思い当たる節というか、まさに考えるべき課題であると自覚もしていることだ。主に私はそのせいで瑠璃との主従に不和を生じさせてしまっている。

「出てって、なんて、あんた絶対言えないでしょ。流石にもう自覚してるよね」

 耳が痛い。果てしなく不本意であるし、絶対に認めたくないと意地を張りたいくらいだが、流石に私も自覚している。私は、間違いなく瑠璃に依存しているし、セーフワードとしてでも、出てってとは、言えなくなっていた。この単語に設定した時は、もっと自分のことを、瑠璃への想いを理解しておらず、いつでも言えるとたかを括っていたが、先日はっきりしてしまった。どれほどのお仕置きを用意しても、どれほどの不安を掻き立てられても、私はそのワードを口に出せなかった。今でも思う、ワードが違えば、私は手錠散歩の時点で口にできていたかもしれない、あるいは、拘束状態で待てをされるとわかったときには、言えたかもしれない。そう思った時点で、今のセーフワードは機能していないのである。

「もっと安易に考えなよ、無理とかでいいんじゃない。あんた普段言わないし、出てってよりはバランスよく機能するでしょ」

 瑠璃の言っていることは正しい。やはり、変えるべきだろうか。

「それとも、アレも良かったの?」

 瑠璃の問いに、慌てて首を振る。本当にやめて欲しい。心臓に悪い。

「じゃあ、考えておいて。自分のためだからね。傷つけられて悦ぶのと、壊されてダメになるのは、違うから」

 真剣な瑠璃の表情に、私も真剣に考える。限界になった時に出せる、ちょうどいい言葉。

「瑠璃、助けて。とかかな」

 普段は絶対に言わないけど、極限状態なら、きっと私は瑠璃に助けを乞う。なら、きっとこれが正しいセーフワードじゃないだろうか。流石に、普段は恥ずかしくて万が一にも言わないけど。それくらいのほうがいいだろう。私の答えを聞いた瑠璃はというと、頭を抱えて震えていた。なにか、間違えただろうか。不安そうに見つめていると、瑠璃は勢いよく迫り、顎を持ち上げられる。

「あんたさ、本当、私を誘ってんの?」

 そう言いながら赤くしている瑠璃の頬を見て理解する。多分今日は、眠れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る