妹を汚したクソ兄貴は嫌いだ

アサギリスタレ

妹を汚したクソ兄貴は嫌いだ

 ここ最近妹の様子がおかしい。

 俺の妹は中学二年生。高校生である俺よりいくつか年下だ。

 妹は中学生になってから急に様子がおかしくなった。表情に、どことなく暗い影を感じるのだ。

 妹が心配だった俺は、行動を起こすことにした。まずは原因の究明だ。

 浅慮かもしれないが、精神を乱す原因は人間関係もしくは仕事のプレッシャーである割合が高いはずだ。妹は学生でありバイトをしていないため、まず前者であろう。

 だから、学校で何かあったんじゃないかって思った。

 妹は習い事の類いも行っておらず、学校以外ではあまり外に出ず、家にいることが多い。つまるところ、学校くらいでしか人と接することがないからだ。――無論、引きこもり気質な妹をそれも個性だと頭では理解しつつも、外に出すことによりあるいは気分が晴れるんじゃないかと考え、どうにか外に出せないかと、妹が苦手とするスポーツは論外として、カラオケやら、流行りのスイーツやらに興味を持たせようと画策したりもしたが、どちらもお気に召さなかったらしく、今は手をこまねいている。

 そうやって、学校だと目星は付いたのだが、保護者ではないので学校に訊くことも出来ない。

 母に訊いてみてくれないかと頼んでも、「あまり波風は立てたくないのよね……」難色を示されてしまう。

 そんな母に、俺は思わず「それでも母親か」と言ってしまった。

 冷静になって思えば、養って貰っている立場で言う台詞ではないだろう。

 やってしまった。と後悔してもいる。

 俺はただ行き場のない怒りを母にぶつけただけだ。

 母だって完璧超人というわけではないのに。

 母はただ「ごめんね」とだけ返した。

 それから母親と、気まずくなってしまった。

 母親がそんな俺のことをどう思っているかは人生経験の乏しい俺には想像できないが、俺は気まずくて、それ以降、母親とあまり口が訊けなくなってしまった。

 正直なところ、元から母親に然程期待なんてしていなかった。――俺のこういうところが母親との溝を作ってしまうのかもしれない。

 母はなあなあで済ましてしまう気質なのだ。

 昔、クソ兄貴(侮蔑的な呼称なのにはもちろん訳がある)が友達のDSを盗った――クソ兄貴は借りたと主張してる――ときも、もつれることを恐れたのか、DS分の代金を払い、許してもらっていた。

 だから、母親に頼るのはもう諦めた。

 俺が動くしかない。

 ――何かないのか、俺に出来ることは。

 気が気じゃなかった。妹のために何か行動を起こしていないとどうにかなりそうで。

 だけれども。

 妙案が浮かばない。行動するにはどうしても保護者でない高校生という立場がネックとなる。

 たかが高校生にできることは限られている。

 思い知らされた。

 頭では分かってはいたつもりだったが、ここまでだとは。

 このままでは埒が明かない。

 事は一刻を争うのだ。

 考えたくはないが、リミットはある。妹が限界を迎えてしまう前に事を解決に導かなくてはならない。

 かといって、交流のない――妹は俺とは違う中学に通っているので、人脈も情報源もない。――妹の中学校の生徒を捕まえて訊くというわけにもいかない。最悪、不審者となってしまう。

 もはや、本人に訊くしかないだろう。

 手っ取り早い手段ではあるが、訊くことにより膠着状態と思われる今が悪い方向に進んでしまうのではないかという不安もあった。――いや、そんなのはそれらしい言い訳だ。それ以上に俺が臆病風に吹かれていたのだろう。妹の口から訊くのを恐れていたのだ。

 覚悟を決めて、俺は妹に訊いてみた。


「最近、どうにも様子が変だぞ。何か学校でトラブルでもあったのか?」


 俺の直截な問い掛けに対し、妹は、びくりと震え、目を見開いた。

 まるで何かに怯えているようだった。

 尋常ではない反応をみて、俺は、何かしらのトラブルがあったのだという確信を得る。加えて、妹は確実に当事者であろうことも。


「そうなんだな……」


 すると妹は、直前の仕草を誤魔化すように、「……違うよ」ぎこちない笑みを浮かべ、首を振った。

 ――そんなわけあるか。

 激情で満たされた俺は、感情のままに声をあげそうになる。

 しかし今は話を訊く時だ。

 憎悪の感情を堪え、いつか怨敵に解き放つときに備え、心の奥底で、刃のように研ぎ澄ます。

 妹はゆっくりと口を開いた。


「……楽しいよ、学校は……」


 ――学校は。この言葉の意味をもっと深く考えればよかった。

 俺は妹のその返答に何かよっぽどなことがあって、何らかの事情があって言いづらいのではないかと、学校での人間関係に原因があると思い込んでしまっていた。

 やったのは、生徒か、教師か。

 いずれにせよ、俺は絶対に許さない。

 だから、


「お兄ちゃんに話してくれないか?」


 元凶を知りたい。

 けれども、俺は憎しみの感情を覆い隠し、いい兄貴を装い、真摯に妹に語りかけていた。

 端から見れば、今の俺は妹のためを思う優しい兄貴に見えるだろう。

 だが、それだけではない。溢れだしそうな激情を必死に堪えている。

 だから、俺の拳は固く握り締められていた。けれども身体の震えは誤魔化せそうにない。

 もしかすると、優しい妹は、犯人を庇うかもしれない。復讐心を表に出したら、妹に警戒されてしまうと思ったのだ。


「……」


 しかし、妹はそれっきり口を閉ざしてしまった。

 そうして妹の口から直接訊くのも失敗した。

 母に偉そうなこと言っておいて、俺は、ただ妹を気にかけてやることくらいしかできない。

 とてもやるせない気持ちになった。

 俺は所詮高校生の餓鬼で、できることもやれることも少ない。

 そして他に頼れる家族もいなかった。

 うちには父親はいない。母を捨て、別の女のところへ行ってしまったらしい。

 そんな父の血を色濃くひいたのか、何人もの女性と肉体関係を結び、挙げ句の果てに泣かせてきた(本人が自慢気に語っていた。)――クソ兄貴は、自業自得だの、俺の相手するには役不足だの、相手にばかり責任を押し付けている。所詮遊びだったのさと締め括るのはいつものこと。――という歴史を持つ、女遊びがド派手なクソ兄貴も頼りにならない。はなから頼る気もない。

 俺は、女性関係の派手さを自慢気に語るクソ兄貴が大嫌いだった。

 内情的にも誇れるものでもないだろうに。

 この前も「お前も女作る気はねえか。女はいいぞ。所詮いっときのオナホだと思って、たくさん作るのが特にいい。比較しがいもあっておもろいぞ。しかもあいつらはオナホよりかは断然質もいいんだ。童貞は惨めだ」とか言われたから、「妹がこんな状況なのに、そんな気になれるわけないだろうが!」と殴り付けるように言い返してやったら、全く怯まないどころか即座に「シスコンかよ。キモ」と嘲笑われた。

 ――お前の方がよっぽどキモい存在だ。

 俺はクソ野郎とはいえ、一応は血縁上の兄貴だからその言葉は飲み込んだ。

 弟に向かって、遠慮なくキモとか言えるクソ兄貴はおかしい。

 奴は血の繋がった家族に対してですら冷淡だ。

 だから俺にとって奴は、クソ兄貴なんだ。

 そういうことで、他の家族はこんなだから、俺が動くしかないというのに……。

 俺は無力だ。

 もし俺が大人だったら、もっと上手く立ち回ることができるのだろうか……。




 無力感に打ち拉がれる日々が続いた。

 妹の様子は、一向に改善せず、むしろ日を増すごとに悪くなっている。

 鏡を――生え始めた髭を剃るために――どうしてもみないといけないとはいえ、みるのが嫌になるくらい、俺の表情も段々と暗くなってしまっている。

 俺の送る日々は暗澹としていた。意識が常に妹への心配と元凶への憎悪で満たされ、飯は砂利でも食っているかのように不味く、話し言葉も録に聞き取れなくなった。

 何日かすると、とうとうクラスの友達にも指摘されてしまった。

 ――最近様子がおかしいぞ。

 ――痩せたか?

 ――どうしたんだ?

 と。

 かといって、クラスの友達に相談に乗って貰うことはしなかった。

 俺がクラスメイトを頼らなかったのは、いっときでも俺だけ、クラスメイトに相談して気を楽にするのは、妹に申し訳ない気がするというのもあるにはあるが、妹とこんなに近い距離にいる俺が何も出来ていないのに、クラスの友達が何かの役に立つとは到底思えなかったというのも大きい。どころか、ただただクラスメイトに余計な心配を掛けてしまうだろうとも思う。クラスメイトはクソ兄貴の言う『いっときのオナホ』ではない。一人一人が人間だ。

 俺はせめて妹に毎日のように話し掛けた。明るい表情を心掛けて。

 俺は自分が妹の味方だってことを伝えたかった。

 俺が少しでも妹の心の支えになってくれれば、それでよかった。

 いつしか妹から話してくれるそのときまで、積み重ねよう。

 今の俺にできることはそれくらいしかない。




 何日も待った。待って待って待ち続けた。

 それでもなかなか話してくれないから、ただ待っているだけでは、俺の方が折れてしまいそうだと思い、行動を起こす。

 たとえば、心のケアのために、色々考えた。リラックスするためには何がいいかを色々調べて実行してみたり、カウンセラーの真似事なんかもした。

 いずれも効果は微妙だったっぽいが、果たして――

 俺の妹への懸命な思いが伝わったのかもしれない。


「お兄ちゃん実は……」


 妹がようやく話してくれそうだ。


「ん? なんだ、言ってみてくれ」


 俺は逸る気持ちを抑えきれなかった。

 どんな手を使ってでも事態を解決に導いてやるという意気込みがあった。

 そしてもう一つ、内に籠った憎しみの感情をようやく吐き出せるという思いもあった。

 情けない話だが、俺は誰かも分からない元凶を憎むことで疲弊してしまってもいた。


「落ち着いて訊いてほしいんだけど、実はね……」


「ああ……」


 既に心の準備はできているつもりだったが、今までの調子や今の前置きから、とんでもなく重い話が来るのだと察して、さらに気を引き締める。

 そこで言葉が途切れてしまう。

 俺は妹の口から語られるのを待つ。

 しばらくして妹が再度口を開く――が、しかし、


「――っ!」


 妹が俺の背後を見て目を見開いた。


「どうした?」


 俺は、すぐさま振り向いた。

 ――だから、妹の目に怯えの色が浮かんでいたことや、身体の震えに気づけなかった。


「二人でこそこそ、何を話してる」


 現れ、そう言葉を発したのは、クソ兄貴だ。


「別に兄貴には関係ないだろ……」


 クソ兄貴への嫌悪感は最近、さらに強くなった。

 だからか、突き放すような声が出た。

 クソ兄貴は文句でも言おうとしたのか、すぐに口を開こうとした。――が、やめたらしく、心底怠そうに「やれやれ」と両肩を竦める。そして、これみよがしなため息をついた。


「まあどうでもいい」


「どうでもいいって何だよ」


 俺のことか、妹のことか。

 どちらにせよ、妹の大事なんだぞ、と言ってやりたかった。

 だが、言ったところで、クソ兄貴はわかってくれないだろう。

 クソ兄貴と言い合ったところで疲弊するだけだと身を持って知っている俺は、言いたいことは色々あったが、ぐっと堪えた。

 クソ兄貴は、そんな俺の顔を蔑みの眼差しで一瞥して、


「相変わらず、シスコンかよ。キモ」


 吐き捨てるようにそう言って、どこかへ行った。

 俺は呟いた。


「お前だって相変わらず、クソ兄貴じゃないかよ……」


 諦めにも似た言葉が漏れる。

 妹は自分の部屋に引っ込んでしまっていた。

 鍵をかけられてしまい、ノックしても返事がない。


「……」


 ドアに手を当て、項垂れる。

 せっかく話してくれそうだったのに……。

 ギリッと歯が鳴る。

 俺の胸中に蟠る暗い感情。そして、そこに新たに、

 ――妹もいい加減にしろよ。

 妹への怒りの感情が沸いてきてはっとした。

 このままでは妹にあたってしまいかねない。

 少しでも冷静になるために、外に出て走った。

 何も考えずに、ただただ走った。

 その夜の妹は「気分じゃない」とご飯も拒絶した。

 それに落胆した俺は、

 ――明日になってからでいいか……。

 心労と連日の寝不足で、心身ともに磨耗しているのもあってか、そう考えてしまった。

 沈むように、浴槽に浸かり、眠りに就いた。




 その翌日。

 おかしい。早起きなはずの妹が今日はいつまで経っても起きてこなかった。

 それに昨日のこともある。

 俺は心配しすぎではないかと心の片隅で思いつつも、気が気ではなく、がむしゃらに駆けて妹の部屋に向かう。

 そして荒々しく、


「おい、寝ているのか」


 妹の部屋をノックする。何度も、何度も。

 けれども返事がない。

 鍵はかかっていなかった。

 余程深く眠り込んでいるのか、あるいは――。

 あるいは、ってなんだよ……。

 拳を固く握り締める。

 俺は震えていた。震えが止まらない。

 脳裏に浮かんだ可能性は最悪のものだ。

 妹の様子がおかしくなってからというものの、俺はいつそこへ至ってしまうのか不安で堪らなかった。

 メンタルのケアはしてきたつもりだ。それでも、妹の様子は一向に好転しなかった。

 どころか、むしろ――。

 俺は頭を振った。

 悪い方に考えすぎだ。


「しっかりしろ、冷静になれ……」


 と自分を落ち着かせるように唱えるものの、却って、平常ではいられなくなる。

 すぐにでも嫌な考えを否定したくなった。


「入るぞ」


 妹の部屋に入った俺は、


「え……?」


 硬直する。

 それを理解したくない。

 妹が、そんな。

 理解したくない。

 けれども理解してしまう。

 突き付けられたのはリアルだ。夢でも幻でもない。

 ――妹は首を吊って死んでいた。

 その表情はとても痛ましいものだった。

 愕然と俺は床に両膝をついた。


「どう、して……」


 後ろにクソ兄貴の気配がした。


「ああ、死んだのか。せっかくの高品質オナホがもったいねえな。こんな醜くなっちまって残念だ。当然俺はネクロフィリアではないんでな、死体じゃ犯せもしねえし」


 とクソ兄貴がどうでも良さそうに呟いたのが耳に入る。相当なことを言っている。

 俺は耳を疑った。

 だが振り向くと、クソ兄貴は確かにそこにいた。


「どういうことだ!」


 俺は声を荒げてクソ兄貴に詰めよった。

 そんな俺を一顧だにせず、


「熟れて食べ頃になった実を摘まんだだけのことさ」


 クソ兄貴は平然と言ってのける。

 キザったらしくて癪に障る言い方だった。

 その声、その顔で察した。何の後悔もしていない。

 そもそも悪いことをしたとは微塵も思っていないのだ。


「何を、言っている」


 クソ兄貴はやれやれと嘆息した。


「はあ? 分からないかねえ、これだから童貞はダメなんだ。経験が多いと悪食にも挑戦したくなるもんさ。美味しそうだったから食べた。それだけのことだ」


「……うそだろ」


 何を言っているのか、嫌でも分かってしまう。

 俺の呟きは自分の世界に浸っているクソ兄貴には聞こえなかったらしく、


「あれ、伝わらなかった? 童貞には難しかったかな? まあ簡単に言うと、セックスしたんだよ。セックス。これでも分からないなら辞書引いて調べな。……しっかし子供ができそうになったときは慌てたもんだぜ。ははっ。まっ、今となってはいい思い出だが。コイツは訴え出ることも出来ねえ馬鹿な奴だ。だからお前もチャレンジしてみれば良かったのにな。練習台には丁度良かっただろ。いや、お前と穴兄弟とか冗談じゃないからやっぱ今のなしだわ」


 理解ができないのはそんな風に語るクソ兄貴の存在だ。


「そんなものがヤリチンの一般論な訳ないだろうが! イカれてる!」


 オレの罵倒を訊いても、涼しい顔をしていたクソ兄貴は妹の亡骸を見て、


「近親もいいもんなんだなあ」


 遠い目でしみじみと言う。


「いつから……」


 クソ兄貴は顎に手を当てて、


「確か、こいつが中学なってからだな。夜這いして犯してやったのは。それからも何度かこっそりやってたよ……。ヤりたりないときに丁度使えた。身近に食える女がいると便利だな、しみじみ感じたよ」


「……」


 感慨深そうに語るクソ兄貴を、俺はただ呆然と見詰めていた。

 するとクソ兄貴が俺を見て、


「というか、気付かなかったのかよ。――馬鹿じゃねえの? ソイツの顔に俺に犯されましたって書いてあっただろう? ははっ、まあ童貞だしな。観察眼がねえのか」


「もういい聞きたくない……」


「まったくもって最高のオナホだったぜ。失くすのは惜しいな」


 心底名残惜しそうに言うクソ兄貴。

 そんな顔をするな。


「お前、妹とも思ってなかったのかよ」


 間違いであってほしいが、クソ兄貴も妹と血の繋がった兄だ。


「え? 女なんて皆がオナホだろ? なに言ってんの?」


 その瞬間、生まれて初めての人への殺意を覚えた。

 コイツは皆に妹まで含めた。そして無理やり……。

 倫理観の欠如どころじゃない。

 もはやコイツは人間などではなく、人間の皮を被ったおぞましい生き物だ。

 今までもクソ兄貴には似たようなものを覚えていた。それは似たようなものでいて、似ていない。

 軽蔑はとうに通り越した。

 この煮えたぎるマグマのような憎悪はそれまでのものとは質がまったく違う。

 クソ兄貴の積み重なった業が俺にそれほどまでの感情を覚えさせた。

 もう二度とクソ兄貴に俺が口を利くことはない。会話をする気などとうに失っていた。

 俺はクソ兄貴を渾身の力でぶん殴った。そこには微塵も躊躇なんてない。殺す気すらあった。

 しかし、クソ兄貴はゴキブリ並みにしぶといのだ。


「ってえな!」


 クソ兄貴は切れた唇をハンカチで拭う。

 いや、それはハンカチではない。

 パンツだ。

 それも女物の。ティーンの女子が履くような。

 おそらく妹のパンツだ。

 持っていたパンツを間違えて出してしまったのかとかは、もはやどうでもよかった。


「死ね!」


 地獄の底から声を出して俺は怪物へと変貌した。

 もう俺は兄貴を殺すまで止まれない。




 クソ兄貴はパンツを口に詰めて死んでいる。

 俺が殺した。

 後悔はしていない。

 俺も死ぬことにした。

 そう決めてから俺は死んでいた。

 そこからは淡々と行動した。

 まずは妹に対して祈りを捧げた。

 完全に死んでいることも確認した。苦痛が無かったことを信じたい。

 かたかたかたとキーボードを叩く。事の顛末を文章にしてパソコンの目立つところに保存。SNSにもあげておく。

 その行動の意味はないかもしれない。けど、なんとなくやっておきたかった。

 クソ兄貴を家から放り出す。

 流石にそのままではまずいかとビニールシートを被せておく。

 二度とコイツにはうちの敷居は跨がせない。

 早朝から新聞配達の仕事に行き、留守である母親宛に置き手紙を書いた。

 クソ兄貴がどれだけのことをやったのかを俺は書き綴った。字がぐちゃぐちゃなのは俺の心境を表しているようだ。

 最後の締めくくりに、クソ兄貴について、奴は海にでも散骨しろ。葬式なんてやらなくていい。と俺の意向を伝えておく、どうするかは母親次第だ。

 俺は妹の部屋に戻る。

 改めて、妹の亡骸を見る。

 この死に様は年頃の娘にしては、あまりにも可哀想じゃないか。

 カーペットに垂れた体液はどうしようもないが、せめて妹を綺麗にしてやろうと思った。

 裸にして風呂で洗ってやった。そこまでしてでも、恥は残してやりたくなかった。

 そして制服を着せてやった。パジャマよりも、制服が相応しいだろうと思った。一番可愛い下着を選んでやった。

 着替えさせている間、死体とはいえ、疚しい気持ちは沸かなかった。

 実の妹にまで手を出すなんて、クソ兄貴はイカれてる。

 妹の壮絶な死に顔を見て、拳を固く握り、唇を血が出るほどに強く噛み締めた。

 クソ兄貴の言葉の数々が脳裏に浮かんで、やるせなくなった。


「――クソッ!!」


 吐き出される激情。

 反射的に打ち付けた拳が血に濡れる。

 既にクソ兄貴の不潔な血液で汚れていたから俺の血とクソ兄貴の血が混ざっただろう。

 血に染まった拳を呆然と見詰める。

 血を分けあった兄弟なのにどうしてだ……。

 クソ兄貴はどうしようもないクズだった。

 俺も妹を救うことが出来なかったクズだ。

 俺が、誰にも頼らずにいたのは、本当のところは『妹の問題を解決するのは俺だ』といった、願望があったからなのだ。

 今さら、それを認識した。


『シスコンかよ。キモ』


 クソ兄貴も言っていた。


「マジで俺シスコンだったのかもな……」


 吐き出すと、妙な納得があった。

 俺は妹に偏愛的だったのだ。というよりも、家族で妹しか好きになれなかったのかもしれない。

 ……もしかすると、俺の方がクソ兄貴よりよほど気持ち悪い存在なのかもしれないな。

 だって、クソ兄貴が穢した身体を俺が清めてやろうという考えまで浮かんできたのだ。屍姦とか、俺もまともじゃない。


『そんなことないよ』


 妹の声が聴こえた。

 俯いていた顔を上げると、目の前に妹がいた。

 しかし妹は死んでしまった、これは全て俺の妄想なのだ。

 あくまで俺の妄想だからか、俺の知識にある幽霊の姿となった妹が柔らかく微笑んでいる。


「……はは」


 乾いた笑いが出た。

 ――こんなの、あまりにも都合がよすぎる。


「どうしようもねえな……」


 俺は自分自身を嘲笑った。

 妄想で創りあげた妹に慰めてもらうなんて、これじゃあ、妹をレイプしたクソ兄貴と一緒じゃないか。

 俺は傍で眠っている妹の手をぎゅっと握った。

 温もりはなく、冷たかった。


「なあ、寒いだろう……」


 少しでも温めてやりたくて、抱いてやった。


「……ごめん、ごめんな……」


 クズな兄たちで。




 妹と別れを済ませた俺は、死ぬ前に、妹の遺書を見付けた。

 涙で滲んだ字が痛々しい。

 遺書というよりは日記だ。

 開かれていた最後に書いたであろうページには、俺に宛てたメッセージもあった。


『生きて、――お兄ちゃん。』


 目に止まったのはその一文。

 妹はこんな俺に生きろというのか……。




 日記には他に、主に鬼兄(クソ兄貴)に対する謝罪と怨嗟の言葉が書かれていた。それも毎日のようにだ。

 地獄と題された最初の日なんか悲惨で目も当てられなかった。

 本をあまり読まず、読解力なんて無いに等しいであろう俺にすら、妹の心がだんだんと壊されていっていくのが読み取れた。

 行為が事細かに書かれているのは、妹の最後の抵抗だろうか。

 捲るたびに俺は悔しくて、苦しくて……。




 そろそろ母親が帰ってくる頃合いだった。

 クソ兄貴の遺体が発見されたらしく、外が騒がしい。

 すぐに、ドアが激しく叩かれ、チャイムが何度も押される。怒鳴るような呼び声が聞こえる。

 そして、サイレンの音がすぐ近くまで来ていた。

 どちらにせよ、終わりのときが来たのだ。

 やがて、外の世界の音は聴こえなくなった。

 俺は――、


「ごめんな。お前の願い叶えられそうにない」


 一度、虚空に微笑みを向けた。

 妹がそこで最期まで見守ってくれている。

 人を殺し、怪物へと成り果てた俺を終わらすのは決定事項だったのだ。

 今も狂気が俺を蝕もうとしている。既に侵食されているのかもしれないが、もはや判断が付かなくなっている。

 そんな俺が生き永らえることこそ、妹に申し訳が立たなくなる。

 そうして、事の顛末を記した文面に一言だけ付け加えた。

 ――妹を汚したクソ兄貴は嫌いだ。




 最後に迎えるのはどうしようもない結末だった。

 妹は死に、クソ兄貴も死んだ。そして俺も死ぬ。

 母親を一人残すことに葛藤はなかった。

 怪物の俺には妹のもとにたどり着く資格もないだろう。それは仕方のないことだ。

 もし叶うならば、妹の受けた苦しみを全て肩代わりしてやりたい。そして妹に真の幸せを与えてやりたい。

 そう願いながら、俺は地獄へと旅立った。

 牛頭馬頭が俺を待っている。

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