第18話 いつか話そう、君が産まれてきた日の話を

 空が青い。

 よく晴れた日だ。

 今、自分は空と真正面から対峙している。

 というか、させられている。

「おやっさん」

 石動肇が師匠である平野平秋水を呼んだ。

「うん? どした?」

 寝転がった、というか、叩きつけられたコンクリートの床のせいで背中が痛い。


 記憶の糸を手繰る。

 

 出産で入院した妻に陣痛が来たと病院から電話が来た。

 仕事をほっぽりだして病院へ向かった。

 前夫との間にできた妻の連れ子も普段全寮制の私立学校に入れているが事前に立ち合い出産できるように特別の外出許可をもらった。

 病院の玄関前で子供たちを待っていると、やって来たのは……秋水だった。

「よう、久しぶり。久々にバトっていない?」

 などと言われ、否定すれば余計めんどくさいことになることは分かっていたので屋上で相手をすることになった。

 久々の手合わせだったが、思いのほか体が動いた。

 というより、自分でも気が付かなかった苛立ちを発散できた。

 その瞬間、秋水の背負い投げが決まった。


 受け身も完璧にこなしたので体へのダメージは軽いが何かが違う。

「石動」

 秋水は長い脚を折って石動の頭上にしゃがんで言った。

 その声は真面目だ。

「お前は親父として広く、強くなれ」

 その言葉に石動は涙が溢れた。


 父親になる前に父は死んだ石動にとって子供はどう接していいか分からなかった。

 天涯孤独の身だった。

 それがある紛争地域で会った傭兵によって一気に変わった。

 平野平秋水。

 別名、霧の巨人というあだ名を持つ男は石動を鉄を鍛錬する様に鍛え上げた。

 世界中の紛争や戦争を共にめぐる中で出会ったのがナターシャだ。

 亡国の王妃だったが夫である国王のDVや謀略なので神経をすり減らしていた。

 石動は彼女を救出した。

 同時に前夫の間にできた二人の子供も引き受けた。

 それは恐怖の始まりだった。

 子供のいない自分がいつ、何かの拍子で傷つけてしまうかもしれない。

 だから、いや、賢い子供たちは自ら志願して私立の全寮制の学校に入ることを石動に告げた。

 それがいじらしく、とても、申し訳ない気がした。


――お前は親父として広く、強くなれ

  

 秋水の言葉は石動の不安な背中を押した。

 それから、どうするべきかを示唆した。

 家族を愛しているのなら、全て愛せ。

 そのために強くなれ。

「大変だぞぉ、これから……母ちゃんは赤ちゃんで付きっ切りで赤ちゃんは昼だろうと夜中だろうとギャン泣きするし……だから、辛くなったらおいで。煙草が吸えて酒が飲めて馬鹿話が出来て、ちょっとばかり面倒ごとに首ツッコむが日常なんて忘れるよ」

「ありがとうございます……」

 と、秋水の短パンからスマートフォンの着信音が鳴った。

「はい?」

 しゃがんで石動の目を見ながら秋水が出た。

「ちょいまち、石動クンに代わるから……」

 嫌に派手にシールや小物のついた秋水のスマートフォンを受け取る。

『俺だ』

 その声に石動は息を文字通り、飲んだ。

 ポー・ストークスマン。

 いや、ジョン・ポー・ジャンク。

 裏社会で折り紙付きの射的の名手。

 暗闇の蝶。

 元々は妻のいた国の諜報部員だった。

『今、ある人物に都合をつけてもらい、この通話は誰にも傍受されてない』

 ポーの言葉に石動の脳裏に猪口直衛の影が見えた。

 元公安調査庁の人間で、それなりの人脈がある。

 実際、石動の養子を学校に入れられたのは猪口の助力があった。

 天涯孤独の石動肇の遠い親戚を名乗って身元の潔白を証明したのだ。

『時間がないので手短に言う。石動肇。ナターシャ王妃、および今いるお子も、これから生まれる子も傷つけたり泣くようなことがあれば容赦なくお前を殺す』

 通話が切れた。

 この言葉を聞いて今度は笑みが浮かんだ。

 その瞬間だ。

 爆発的な泣き声が屋上まで届く。

 今度は本当に石動は泣いた。

 そして、分娩室へと駆け出した。

 入れ替わるように秋水の息子、正行が屋上に出てきた。

「ごめん、親父。息子さんたちを連れ出せたんだけど、渋滞にはまっていさぁ」

「いいよ、いいよ……」

 立ち上がった秋水は手を振る。

「ねぇ、親父」

「何よ?」

「俺が産まれた時、親父は何を思ったの?」

 正行の言葉に父はシガレットケースからピースを取り出し口に咥え、火をつけた。

「俺は、当時、傭兵をしていたからなぁ……あー、でも、帰ってから母ちゃんに言われたなぁ」

「何て?」

「『あなたの好きに育てていいのよ』」

「で、今の俺はどうなの?」

 秋水は息子を見た。

「まぁまぁかなぁ?」

 

 一方、石動は子供たちと新たな命と妻に感謝して、あることを決めた。


 いつか、言葉を理解したとき、今日のことを話そう。

『お前が産まれてきた時、こんなにも愛されていた』

 ということを。

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