第4話 なやみごと
「遅くなってしまって。すまなかったね」
魔女が店に戻ると、三人の婦人がいつものようにそれぞれの仕事をしていた。
「なあに、この三人のことです、お気になさらないで」
あの男の姿はなかったのである。
「客人は、あったかね」
「いつものお薬のお渡しが何人かと、何かご相談の様子の方がお二方。
どちらもまた明日でよろしいそうで、お帰りになりました」
報告を聞きながら魔女は、菓子を婦人たちに分けるのだった。先ほどまで話し合いをしていた医師の奥方が焼いて持たせてくれた。
「なにか?」
金平糖を匙ですくっていた断髪の婦人が心配そうな顔をしたのを、魔女は見逃さなかった。
「おひとりは、穏やかそうな紳士でしたが、もうひとりが」
「おや」
婦人はあの、赤毛の娘の名を告げて、
「その、あたくし、先日余計なひとことを言ってしまって」
「ああ、」
あの件か、と、魔女も思い当たった。
「気に病むことはないよ。いずれ知らされることであろう」
「けれど、先生からもうお伝えされているものと早合点しての失敗でした。
考えてみれば、もともとあまり人にはお話しにならなかったことでしたのに」
ませてきた娘たちが学校帰り、魔女に占いを頼みにくるのはいつものことだが、なかなか扱いが難しいのである。
* *
あの日、赤毛の娘は、学校友達といっしょに魔女を訪ねてきた。
友達が別室で、同級生の男子の心がはかりかねる、という相談を魔女に話している間、赤毛の娘は、婦人たちの話しかけに応じていた。
「いつも素敵な絵を描いているわね」
優しい声の婦人は、白髪交じりのまとめ髪だった。
「ありがとうございます。まだまだです」
娘はこの頃、母親を含め、自分を幼い頃から知る歳上の婦人と話すのが苦手だと思うようになっていた。なんだか噛み合わなくなる。
「昔から上手だったものね」
勘定場から話しかけてくるふくよかな婦人に笑顔で返すが、幼い頃と今と、自分としては違う心で絵筆を取っているのに、という気持ちが沸いてくるのだ。しかしそれをまだ自分の言葉でうまく伝えられない。
「新しい先生は、子供たちに好かれているようね」
言われて娘は、顔色を変えたが、隠せていると自分では思っていた。
「はい。小さな子たちは離れません」
そこに、断髪の婦人が、自分が持っているとても良い話を披露したそうな様子で割り込んだ。
「おめでたいこともあったんですものねえ」
そうそう。
ほかの婦人たちが、その『おめでたいこと』を呼び水に晴れやかな雰囲気となったことに、娘はぽかんとした。
「何でしょう?」
「ずっとお一人だったところ、ようやくご家族と暮らせるようになったんですの」
「ご家族」
先生は、長患いで都の病院で何年も過ごしていた許嫁と、ようやくいっしょになれる運びとなったのだという。
もともと引退する老画家より画塾を引き継いで、ここに来た。この一年は、許嫁の容態の不安を抱えながら、いつか、のためのふたりの家を整え、堪え忍びながら、絵の指導に打ち込んでいたのだと。
病は癒える。そう信じよう。そしてその時のために何かをするべきだ。老画家は、教師にそう勧めたのだという。
「魔女さま、ありがとうございます」
そこへ、相談を終えた友達が魔女とともに戻ってきた。
「では、お待たせしたね。どうぞ」
「……はい。でも、」
娘は小さな声で言った。
「ご相談したかったことが、……あの、
忘れてしまって」
「まあ」
「また今度、お願いします」
翌日の画塾で、同じ話が教師その人から伝えられた。
「長いあいだ、回復に向かっては、気力が落ちてまた悪くなる、を繰り返していたんだ。
ところが、この画塾のみんなの絵を見せたらとても喜んで、早くここに来たい、と、ぐんぐん回復していったんだよ。
僕からも、みんなに感謝しなければいけない」
病の容態がかかわるゆえ、あまり人には話さずにきた、とも話していた。
考えてみれば、この教師は最初から、町と都とを行き来しながらの暮らしだったのだ。子供たちはまわりの大人たちから、絵の先生なのだから、ご用事が都にもあるんでしょう、とだけ、聞かされていた。
娘はその時から筆が走らなくなり、今日まで変わらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます