第87話 さよなら、と少女は笑った(1)
「ふぅ、これなら納品日に間に合いそうだな」
ナストリアの商業ギルド支部にて、
オレーシャと同盟を結んだ所為か、王宮から魔道具の注文数が日々増えていた。
幸い急ぎの物は全てシノアリスに依頼し受注してくれたので、あとは魔道具の納品を待つばかり。
「しかしロゼッタはいつまで休暇なんだ」
正直スルガノフはシノアリスに対し距離をはかりかねているため、扱いにどうしても困ってしまう。
シノアリスの実力も素直な性格もスルガノフは好感しかないのだが毎度魔道具を卸すのに商業ギルドに訪れては、統括長室に通されることに若干嫌そうな顔をしている。
そもそもシノアリスが放浪の錬金術士であることは現在スルガノフとロゼッタのみしかしらない。
ロゼッタが不在の今、下手に他の受付嬢に対応をさせるわけにはいかない。
恐らく、いや直感だがシノアリスは、自身が放浪の錬金術士と自覚していないのではとスルガノフは思っている。
本人が自覚していないため、万が一シノアリスの情報が洩れてしまってはいままで隠してきた努力が水の泡となる。
ならば本人に自覚をさせて、とロゼッタとも話したがそれは却下となった。
直感のスキルを持つロゼッタの言葉なのでスルガノフはシノアリスが放浪の錬金術士だと分からないように密か処理を進めてきた。
もしバレてしまえばシノアリスがナストリアを去ってしまう可能性があるからという理由なのだが、悲しきことにスルガノフの努力はシノアリスには伝わっていない。
「ロゼッタ、早く帰ってきてくれ」
大の大人が情けないことを言っているかもしれないが、シノアリスが一番心を許し懐いているロゼッタがいるといないとは状況が変わってくる。
毎度ギルドマスターの部屋に通す度に、シノアリスの何故ここに案内されるんだ?と若干嫌そうな表情に少しずつ心が削られているので、切実に早く戻ってきてほしい。
スルガノフは窓から差し込む夕日を背に深くため息をついたのだった。
「失礼します、
「どうした?」
「シノアリスちゃんが受付に来ています」
噂をすれば、なんとやら。
いままさにその人物のことで頭を抱えていたが、シノアリスがやってきたということは魔道具が仕上がったのかとスルガノフはシノアリスの腕に感心をした。
すぐに此処に通すようにと受付嬢に指示を出し、デスクからシノアリスが受注した依頼書と報酬を準備する。しばらくしてノック音が響き、スルガノフは慌てて席に着き中に入るよう促した。
「失礼します」
「シノアリス嬢、いらっしゃい」
部屋に入ってきたのはシノアリス、ただ一人だった。
いつも傍にいる暁やくーちゃんの姿がないことに一瞬だけスルガノフを疑問に思ったが、仕事優先と切り替えたのかソファーに座るように促しながら用件を伺った。
「今日はどの魔道具の納品だろうか」
「依頼をすべて破棄させてください」
「・・・は?」
スルガノフは一瞬シノアリスの言葉を理解できなかった。
どうやら仕事のし過ぎで難聴かのしれないと耳をほじりながら、今一度シノアリスに問いかけた。
「依頼をすべて破棄させてください」
聞き間違いでも難聴でもなかった。
「え、ま、待ってくれ!依頼を破棄するということは強制失敗となるぞ!?」
「はい」
「君が受けた依頼も難易度が高い!すべてとなれば最低でも金貨六十五枚もの違約金が発生する!どうや--」
スルガノフの言葉を遮るようにガシャン、とテーブルに叩きつけられた麻袋。
「どうぞ、違約金です」
「はぁああ!?」
金属がぶつかったような鈍い音とテーブルに叩きつけた重量音からして恐らくあの麻袋には金貨が入っているのだろう。
違約金を払う、ということは本気で依頼を破棄するのだと実感させられた。
だが一体なぜとスルガノフはシノアリスの表情を見て、情けなくも青褪めた。
普段ロゼッタと接している場面をよく目にしている所為か、スルガノフの中でシノアリスは元気で明るい女の子という印象が強かった。
だが、いま目の前にいる少女は決して“元気で明るい”と言えないほど無表情だったのだ。
スルガノフはゆっくりと息を飲みこんだ。
そして此処に居ないロゼッタをひどく恨んだ。せめて此処にロゼッタが居ればシノアリスも少しは対応に変化していたに違いないだろう。
だがいない人間を頼っても致し方がない。
「シ、ノアリス嬢・・・」
「・・・」
「理由を、聞かせてくれない、だろうか?」
「早く違約金を数えてください」
バッサリと切り捨てられ、取り付く島もない。
思わずスルガノフは頭を抱えてしまう。
一体なにがあったというのか。
スルガノフは必死に頭の中にて情報を整理させた。シノアリスがスルガノフからの依頼を受けたのが五日前、それからは特に商業ギルドに訪れることや周囲でなにか大きなトラブルがあった話は耳にしていない。
ならこの五日間になにかあったということだ。
必死に情報を整理しているスルガノフは全く金貨に手を付けない様子にシノアリスは席を立ちあがった。
普段のスルガノフであれば、シノアリスが動いたことに気付くだろうが生憎パニックと情報整理にいっぱいだったのか直ぐに気付くことが出来なかった。
ようやくシノアリスが動いたときに気付いた時には、「すみませーん」とシノアリスが部屋から出て誰かに声をかけていた。
「あら、どうかしたの?」
「あの依頼失敗して違約金を支払いに来たのですが、
「まぁ、
「多分お疲れなのだと思うので、数えていただけますか?」
偶然廊下を歩いていた受付嬢に、シノアリスはいつの間にかテーブルから回収した金貨の入った袋を手渡した。
基本依頼失敗などの処理はすべて受付嬢が処理する内容だ。
ただシノアリスの受注処理はすべてロゼッタと
「ずいぶん大金だけど、大丈夫なの?」
「はい、大丈夫です!」
「分かったわ、じゃあ此方で処理をしておくわ」
その様子にスルガノフは咄嗟に止めようとした言葉を飲み込んだ。
此処で受付嬢の仕事に待ったをかければ疑惑が出てしまう。
「ロゼッタ!いますぐロゼッタを呼び戻すんだ!!」
シノアリスが去った後の商業ギルドでは、
*
夕焼け色に染まる空の下。
市場で出店を出している人たちは店じまいをするために器具を片付けていた。その中にはシノアリスが通い詰めている串焼き屋のおっちゃんの姿もあった。
「おっちゃーん!」
のぼりを片付けている最中、遠くから聞こえる聞きなれた声におっちゃんは振り返った。
両手を元気いっぱいに振りながら近づいてくるシノアリスに、おっちゃんは片手で挨拶を返す。
「なんだ、嬢ちゃん。今日はもう店じまいだぞ」
「うえぇえ!?そ、そんなぁ」
しょんぼり、とアホ毛と共に項垂れるシノアリス。
このナストリアで店を出してから、何度も通い詰めてくれる常連の少女をおっちゃんは少しだけ気に入っていた。
誰でも自分の料理を絶賛し好物だと公言する姿に好感をもたない料理人はいないだろう。
「明日も営業しているから、あの兄ちゃん達もつれて食いに来い」
項垂れるシノアリスの頭を分厚い掌でわしゃわしゃと掻きまわすように撫でながらおっちゃんは笑う。
普段のシノアリスであれば素直に頷いたであろう。
だけど一瞬だけ寂し気に苦笑した表情をおっちゃんは見逃さなかった。
「嬢ちゃん?」
「おっちゃん、ありがとう!また暁さんと食べに来るね!!」
だけどすぐに満面の笑みを浮かべたシノアリスは、おっちゃんの手から頭を除けて走り出した。
一瞬だけ引き留めようと声を出しかけたが、シノアリスはバイバイと元気におっちゃんに手を振りながら去っていく。
その後ろ姿が、少しだけ寂しげに見えたのはおっちゃんの気のせいだったのか。
答えは分からないまま、少しだけモヤっとしつつも、おっちゃんは店仕舞いに止めていた手を再開させた。
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