第88話 さよなら、と少女は笑った(2)
夜も更け、空がうっすらと明るく色づくころ。
真っ黒のローブを頭から被った小さな姿が、静かな表通りを横切っていく。誰もが寝静まり目覚めていない朝方の所為か足音が少しだけ響いた。
小さな存在がたどり着いた場所は広場だった。
普段であれば出店などで大勢の人で賑わっているが、この時間ではとくに何かがあるわけではない。
なにもない静寂に満ちたその場にて静かに佇む。ふわりと冷たい風がフードを揺らし、微かに見える白銀の髪が揺れた。
シノアリスは、誰もいない広場に静かに佇んでいた。
「最後にロゼッタさんにはお礼言いたかったのにな」
ポツリ、とつぶやかれた声が酷く寂し気なのは此処がシノアリスが初めてロゼッタと出会った場所でもあるからだ。
商業ギルドに行ったときもギリギリまで粘ってみたが、ロゼッタが姿を見せることはなかった。
夜もロゼッタが現れないかと待ってみたが、会えなかった。
ならせめて最後にロゼッタと出会った思い出の場所を記憶に焼き付けようと、こうして誰もいない朝方を狙ってやってきた。
ロゼッタとの出会いは、初めてこのナストリア国に訪れ道に迷い困り果てていた時だった。
困り果てるシノアリスを誰もが素通りしていく中、ロゼッタだけがシノアリスに声をかけてくれた。あの出会いがあったからこそ、シノアリスは多くの人と出会いとって楽しい時間を過ごすことができた。
本当にロゼッタには感謝をしていた。
だからこそ、最後にお礼を言いたかったのだ。
どれほど眺めていたのか、空が明るくなりはじめる。
記憶に焼き付けたのかシノアリスはその場から身を翻すも少し離れた先にいた三つの影にギクリと肩を揺らした。
だがよく見れば、見知った顔であったことにシノアリスは強張った肩の力を抜いた。
「・・・アリスちゃん」
「マリブさん、ルジェさん、カシスさん。お早いですね」
ダンジョンで別れたはずのカシス達が、獣人の姿のまま静かにシノアリスを見つめていた。
「もしかして変身薬をご所望ですか?」
「いや、違うよ」
マリブの言葉に予想が外れたことに驚きつつ、もしかして自分を探すため、元の姿に戻ったのだろうかと三人の姿を見つめる。
「暁やくーちゃんは一緒じゃないのか?」
「お二人には先に移動してもらってます」
マリブの問いかけにシノアリスは当たり障りのない返事を返す。普通に会話をしているだけのはずなのに、なぜか距離を感じてしまうのは気のせいなのか。
マリブが一歩踏み出せばシノアリスは、来ないでほしいと言わんばかりに首を横に振った。
「今回は皆さんを巻き込んでしまって、本当に申し訳ございません」
「お前の所為じゃねぇだろ」
「あぁ、そうだよ。元を返せば僕たちがアリスちゃん達を誘ったのが原因だ」
ルジェの言葉にシノアリスは違うと言わんばかりに激しく首を左右に振る。
「今回の首謀者は、ナストリア国の王様なんです」
「「「!?」」」
「先日の王宮のお誘いを断ったのが許せなかったみたいで」
ただでさえ放浪の錬金術士にも断られ、一般市民の小娘にまで断られたのが王族のプライドを刺激したのかもしれない。
あのときライナギンズのステータスを覗いたとき、シノアリスは怒りに支配されていたので彼の“すべて”をその眼で見た。
今回の計画を、あの眼は全て見抜いていた。首謀者も、今回の作戦に至ったのも、妖精の眼は全てシノアリスに教えてくれた。
妖精の眼は本当に恐ろしい。
この眼の力に、過去に妖精狩りという悲劇が起きたことにさえ納得が出来てしまう。
「だから巻き込んだのは私の方なんです」
ごめんなさい、と深く頭を下げるシノアリスに、カシス達は王族の強欲さに舌打ちを零した。
そして、コレからシノアリスが何をしようとしているのかも分かってしまった。
「此処を去るんだね」
「はい、暁さんの呪いを解きに行きます」
「・・・一緒には」
マリブの言葉にシノアリスは静かに首を振った。
カシスは一線を引くシノアリスに対し怒りと自身の力のなさに悔しさがこみ上げていた。ぶるぶると震える拳を握り締め、怒鳴りたくなる口をきつく噛み締める。
その様子に気付いていたマリブもルジェも何も言わない。
だが、せめて最後に言葉を交わしてほしいと思ったのかカシスの背を強く押した。
「ッ!」
押された衝撃で数歩シノアリスへと近づく。
だけどシノアリスは押し飛ばされ近づくカシスに下がることも逃げる様子もないまま、ジッとカシスを見つめている。
真っ直ぐに見つめる眼差しに、ようやっと腹が決まったのかカシスは静かにシノアリスの前へと歩み寄った。
「宛ては、あるのか?」
「はい、いくつか目星はついてます」
「どこかまでは聞かねぇ、聞いても言わないつもりだろ」
「・・・えへへ」
例えカシス達の人柄を知っていても、下手に情報を漏らすことはできない。
申し訳なさそうに頬を掻くシノアリスにカシスは、それ以上追及することはせず懐から小さな首飾りを取り出した。
反対の手でシノアリスの手を掴み、無理矢理その手に握らせる。
「これ・・・」
無理やり握らされたそれは小さな首飾りだった。
シノアリスはその首飾りにひどく見おぼえがあった。それは、以前オレーシャの腕試し大会の景品であったハハクマイの花の首飾り。
あのとき、努力賞がシノアリスの目的の品と異なりショックのあまり気絶をしてしまったので、結局試合も優勝者もなにもかもみていなかった。
だがカシスがこの景品を持っているということは、どうやらカシスは腕試し大会で準優勝したのだろう。
「お前にやる」
「・・・でも」
「それには、呪詛や呪いなどを軽減させる効果がある」
暁の呪詛軽減に役立つはずだ、と告げるカシスにシノアリスは目を見開いた。
カシスの心遣いに、シノアリスは深く頭を下げ感謝の言葉を口にする。
「ありがとうございます、カシスさん」
うっすらと頬を染め、大事そうに首飾りを握り微笑むシノアリス。
不意に冷たい風が強く二人の間を吹き抜けた。
咄嗟にシノアリスは目を閉じるも、フードはふわりと風で揺れ白銀の髪と一緒に後ろへと下がる。日が昇り始め陽の光がシノアリスの髪と反射し、カシスは少しだけ眩し気に目を細めた。
ふと頬に張り付いている髪に、カシスは静かに手を伸ばした。
人の手ではない、獣人の手には鋭い爪がある。
その爪は子供や女の柔らかな皮膚を簡単に引き裂いてしまう。もしここに大勢の人がこの光景を観ていたら、きっと悲鳴を上げ直ぐにカシスを取り押さえ、シノアリスを保護するだろう。
遠巻きに畏怖し怯え逃げ出し、ときには集団で威圧し力で押さえつける。
それがカシスが見てきた人間だ。
「・・・」
だけどシノアリスはその手に驚くことも避けることも逃げることもなく静かに佇んでいた。
カシスがシノアリスを無意味に傷付けはしない、と信頼しているのか、その瞳は真っ直ぐに見つめている。
信頼はしてるのに信用はしてくれないのかと心の中で呟きつつ、頬に張り付いていた白銀の髪をそっと爪で傷つけないよう優しく払う。
「道中、気をつけろよ」
「はい、カシスさんもどうかお元気で」
陽が空へと上り、少しずつ街に人の気配が増え始め、それに気づいたのか再度感謝の言葉を述べ、後方にいるマリブ達へとありがとうの意味を込め深々と礼をする。
顔をあげたシノアリスはカシスを見上げて、さよなら、と笑った。
カシスがずっとみていたあの間抜けな顔で。
ホルダーバックから取り出した転移の灯を使い、シノアリスは静かにその場から姿を消した。
シノアリスが消えたその場を、カシスはただ静かに見つめていた。
もうなにもないはずの空間へと手を伸ばす空を切る。
「 」
呟いたはずの言葉は、音になることなく消えていく。
その日、ナストリア国にて狼の遠吠えが響いた。
どこか悲し気な遠吠えは、まるで泣いているかのようだったと町の人は語る。だけどナストリア国を去ったシノアリスの元に、その遠吠えの声が届くことなかった。
シノアリスがナストリア国から出ていった数日後、放浪の錬金術士がナストリア国から去ったという噂が国中に伝わった。
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