第72話 腕試し大会(7)

シノアリスが使用したリラクゼーションアロマは、リング内だけでなく会場にもその香りは伝わっていた。

そのため会場でもその香りにリラックスをし始める観客が増えていく。


「やだぁ、いい香り~」

「肩の力が自然と抜けていくなぁ~」


会場の観客からの声を聞きながら、セルザムは自身の鼻とシュティーナの鼻を布で覆いリングから離れるように身を引いた。


「これは、中々ヤバイ代物だな」

「恐ろしい子だわ」


周囲の様子を見まわしながら、リラクゼーションアロマの危険性にセルザムは眉間に皺を寄せた。

シュティーナもシノアリスの恐ろしさにうっすらと寒気を覚えたのか腕を擦る。

観客席にまで、リラクゼーションアロマの効果が届いているのであれば勿論それは暁達にも届いているのはずなのだが。


「いい香りだな」

「そうですね、でもくーには少しキツいのでシャットアウトします」

「おい、俺も入れろ」


元々温厚な性格である鬼人の暁からすれば、いい香り程度で済まされている。

またくーちゃんも今は擬人化しているが、元はネコなので鼻が大変効きすぎているようだ。そのため自身の周囲に簡易の結界を張ることでリラクゼーションアロマの匂いを防いでいた。

同じく獣人であるカシスも無理矢理くーちゃんの結界に侵入するも同族だから気持ちが分かるのか、特に追い出したりはしなかった。

そして、この事態を引き起こしたシノアリスはというと。


「はぁ~、いい匂いだなぁ~」

「うーん、このままだと失格になっちゃうなぁ」


リラクゼーションアロマ効果により、未だマットの上で無防備に背を晒すヤルンデを見下ろし、傍に置いていたデストロイメイスへ視線を向けた。


「・・・これでリングの外に叩きだそうかな」


デストロイメイスを掴んで、シノアリスは立ち上がり練習がてら素振りをする。

正直人を叩いたことがないので感覚を掴むように、何度か素振りを繰り返しようやく感覚が掴めたのかシノアリスは良し!と意気込んだ。


「・・・あ?」


そんなシノアリスの足元で微睡んでいたヤルンデはリラクゼーションアロマの効果が薄れてきたのか、ふと我に返った。

そして今自身の状況に混乱していた。

何故、自分は寝転んでいるのだろうか。

試合はどうなった、とヤルンデは頭だけを起こして振り返ると同時に自身を覆う影に気付いた。


「せーの!」

「!!?」


そして視界に飛び込んできたデストロイメイスを振りかぶろうとしているシノアリスに、ヤルンデは慌ててその場を飛び退いた。

フルスイングしたデストロイメイスは、ヤルンデが敷いていたマットに当たる。

ドゴォンと細腕の少女が振った短杖が当たったとは思えないほどの激しい音にリラクゼーションアロマに微睡んでいた観客たちが我に返った。

またデストロイメイスが当たったマットは、真っ二つに裂け積み荷へと激突していた。


「ありゃ、外しちゃった」


静まり返る中、シノアリスの残念そうな声が響く。

その姿にヤルンデは激しく脈打つ心臓に冷や汗を掻きつつ、現状が全く把握できず恐怖と混乱に陥っていた。


「ふーっ・・・ふーっ・・・」


必死に自身を落ち着かせながら、記憶を掘り返してヤルンデは思い出した。

一発退場させてやろうと全力で突進したはずなのに、突如無力化され、尚且つ無防備に背中を見せる行動をしていたことに青褪める。


先ほどまで見下していたはずのシノアリスの存在が、まるで未知の猛獣と出会ったかのようにヤルンデは恐怖に支配された。

特攻をしようにも再び無力化されると思うと迂闊に動くことが出来ない。

これがパーティー戦であれば後方より魔法での支援で相手の様子を伺えるが、これは一対一の戦い。

もしまた突進して、再び無力化されればどうなる。だがあんな子供相手に降参するのはヤルンデのプライドが許せなかった。


一か八か賭けてみるか、とヤルンデは自身に言い聞かせ“強化”のスキルにて全身に闘気を行き渡しつつシノアリスの動きに警戒した。

ゴクリ、と会場から息をのむ音さえ聞こえるほど緊張が走る。


だがそんな相手の心情や会場の空気を知ってか知らないのか、シノアリスはデストロイメイスを握り締めつつ、どうしようかと困っていた。

そんな空気を観客は静かに見守る中、審査員の声が響いた。


「試合中失礼します、次の試合に間に合いませんためこれより制限時間をもうけさせていただきます」

「「!!」」


勝者への判定は、対戦相手が意識を失う。

またはリングから出てしまう、そして自らの降伏宣言で判定される内容だったがシノアリスとヤルンデの対戦時間が思ったよりも長引いたことからの変更となった。


「制限時間は十五分とさせていただきます」

「ちょっとまて!時間を過ぎたらどうなる!?」

「両者失格とさせていただきます」


シュティーナの言葉にヤルンデは大きく舌打ちを零した。

そして急なルール変更にシノアリスもまた困惑していた、これでは目的の景品が手に入らなくなる。

どうするべきかと思案するも、シュティーナの隣に受付で対応をしていたノイムルが姿を見せた。


「えー、なおここで敗退、または失格された方には努力賞をお渡しさせていただきます」

「はい!降参します!!」

「「「・・・え」」」


シノアリスは即座に挙手で降参を述べリングの外へ降りた。

あまりの素早さに、ヤルンデも観客もシュティーナ達さえもポカーンと間抜けな顔で時が止まってしまうが、いち早く我に返ったシュティーナは戸惑いながらも判定の声をあげた。


「じょ、場外によりヤルンデ選手の勝利とします!」

「・・・ふ、ふざけんじゃねぇ!こんな勝利があってたまるか!」


その結末にヤルンデは納得が出来なかった。

ヤルンデは荒々しい足取りでシノアリスへ近づこうとするが、それを遮るかのように暁はシノアリスの前に現れ、そっと自身の背に隠した。


「・・・なんのつもりだ?」

「試合は終わったのだろう?そんなに怒りを露わにした状態でシノアリスになにをするつもりだ」

「テメェに関係ねぇだろ!すっこんでろ!!」


声を荒げるヤルンデに、明らかにシノアリスに害をなすのだと判断した暁の視線が鋭くなる。

一足遅れてくーちゃんはシノアリスの横に、カシスも暁の隣へと並んだ。

流石にニ対一では分が悪い、と判断したのかヤルンデは大きく舌打ちを零した。


「・・・お前はそのガキの保護者か?」

相棒パートナーだ」

「ならこの屈辱はテメェに償ってもらう、覚悟しておけ」


リングに唾を吐き捨てヤルンデは未だ怒り心頭に発した状態でリングを降りて去っていった。

その場の雰囲気に、ようやくシノアリスは自分がとてつもなくやらかした事に気付いた。


「・・・あの、私凄く失礼なことしちゃったんですか?」

「あぁ、おもいっきりな」

「おぉう」


カシスの肯定にシノアリスは申し訳なさそうな呻き声を漏らした。

戦いの場で見下していた相手に無力化され、自身のプライドをかけて戦おうとした瞬間逃げられたとなれば、戦士としてこれ以上にない屈辱だろう。


だが、シノアリスは冒険者ではない。

戦士のプライドなど言われても、理解は出来ないだろう。

此処で注意したとしても、シノアリスの本職は錬金術士だ、きっと説明しても理解できないだろうとカシスは思っていた。

だから肯定はすれど何がいけなかったのかまでは教えるつもりもなかった。


カシスの思考通り、シノアリスは何が原因でヤルンデがあそこまで怒っているのか分からなかった。

だが結果的に、自身の所為で暁に被害が行ってしまった事に申し訳なさを感じ、しおしおとアホ毛を萎ませながら暁に謝った。


「暁さん、ごめんなさい。私の所為でとばっちりを」

「心配するな、シノアリスの分まで俺が戦うよ」

「・・・ごめんなさい」


暁もシノアリスの何が原因でヤルンデが怒り心頭なのか分かっているのだろう。

シノアリスはただ申し訳なさに俯き、謝罪することしかできなかった。


萎れたアホ毛に暁は、オロオロと困ったように手をさ迷わせる。暁はシノアリスがそこまで深く気を負いをする必要はないと思っていた。

暁もまた、シノアリスは冒険者ではないので男のプライドなど分からないだろう。

だから、暁はシノアリスの分まで戦うと告げたのだ。

でもシノアリスにはその思いが伝わっていないのか、落ち込む姿に暁はどう声をかけていいのか困っり果てオロオロし続けた。

その光景を静かに傍観していたくーちゃんは、そっとシノアリスの手を握りしめる。


「ごしゅじんさま、安心してください」

「・・・くーちゃん?」

「あんな些細な事で怒るような小さいプライドなど、このくーが噛み砕いてさしあげますにゃ!」


笑顔で毒を吐くくーちゃんに、男のプライドを“些細”や“小さい”と言われ心が少しだけ痛む暁とカシス。

だが、くーちゃんの励ましに少しだけ安堵したのかシノアリスは弱弱しく笑みを返した。

その弱弱しい笑みをみたくーちゃんの脳内ではヤルンデの存在は即抹殺対象へと切り替わった瞬間でもあった。



「では、第二試合に移ります!」


シュティーナの試合再開の声に全員が振り返る。

そして次の対戦選手で呼ばれたのがカシスとくーちゃんであった。


「ごしゅじんさま!くーはがんばりますね!」

「うん、くーちゃん頑張ってね」


シノアリスの声援にくーちゃんは愛らしい笑顔を全開にさせながら、カシスと共にリングへと向かう。

途中カシスが足を止め、シノアリスの方を振り返った。

ジッと見つめる視線に、どうかしたのだろうかとシノアリスは不思議そうに首を傾げるも。


「お前、どっちが欲しいんだ」

「?」

「だから首飾りと化粧水、どっちが欲しいんだ?」

「??」


カシスの突然の言葉に、シノアリスの頭には沢山の疑問符が浮かぶ。

何故いきなりそんなことを聞いてくるのか、まったくシノアリスは理解できなかったからだ。

だが、シノアリスの反応を見たカシスは何処か納得したようにため息をついた。


「・・・まぁ、そうだろうと思ったよ」


呆れたような、バカにするような一言をつぶやき、カシスはリングへと上がった。

シノアリスは全く意味が理解できず、思わず暁へと問いかけるように視線を投げるも、暁もよく分からないのか二人して首を傾げたのだった。







とある会場の裏方にて。

腕試し大会のイベントを手伝っていたナストリア出身の若者二人組は、この大会の景品商品を眺めつつ感嘆の息を吐いた。


「それにしても景品がハクマイルミスの涙やハハクマイの花なんて、オレーシャの流通は凄いな」

「先輩、そんなに凄いんですか?」

「お前しらねぇのか?ハクマイルミスの涙は“ハクマイルミス”という魚の魔物から採取できる液体で、これが耐熱効果だけでなく肌も綺麗になるから貴族の間でも高額取引されてるんだぞ」

「ひぇ」

「そして、ハハクマイの花は光属性の魔素が多い場所にしか咲かない特殊な花だ、こいつは光属性の魔素が強いのか魔物除けとして最適なんだぞ」

「ひぇええ!?」

「まぁ、見た目が可愛いから女性への贈り物としても人気が高いんだ」

「先輩物知りなんですね!凄いっす!!」

「ふふん、まぁな!」


後輩にここまで褒め称えられて気分が上昇しているのか、鼻を鳴らしながら胸をはる。


「おーい!ちょっとこっちも手伝ってくれ!!」

「「ういーす!」」


が、指示する声に二人は慌ててその場を離れたのであった。





****

本日の鑑定結果報告


・ハクマイルミスの涙

南部にのみ生息する“ハクマイルミス”という魚の魔物から採取できる液体。

主に化粧水として使用されることが多い。

だがその化粧水には耐熱効果があり、一定時間火山周囲でも活動することができるので冒険者も良く購入している。

日焼け、シミそばかす予防にもなるので女性には大人気のため、中々手に入りづらいらしい。


・ハハクマイの花

北部に生息する“ハハクマイ”という花を加工し作られた首飾り。

幸福の象徴とされ、光属性の魔素が多い場所にしか生息しない。魔物除けの効果がありCランクの魔物には避けられる。

また呪詛や呪いなどを軽減させる効果があり、とても貴重。



***

最後までお読みいただきありがとうございます。

数ある小説の中からこの小説をお読み頂き、とても嬉しいです。

少しでも本作品を面白い、続きが気になると思って頂ければ嬉しいです(*'ω'*)

更新頻度はそこまで早くはありませんが、主人公ともども暖かく見守っていただけると嬉しいです。


くーちゃんも暁も“ハクマイ”というワードにしか反応していないので、実物がどんなものか知りません笑

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