第57話 不思議な夢 (1)
ふわり、ふわり。
まるで水中の中を漂うような心地よさを感じながら、シノアリスは深い深い眠りの底に沈んでいた。
遠くで誰かが呼んでいる声が聞こえる。
手を伸ばしたいのに、まるで全身がなにかに絡めとられているように動けず、ただ沈んでいく。
「 シノアリス 」
ふとそれはシノアリスにとって決して忘れることのない最愛の人の声が聞こえた。
その瞬間、深く沈み続けていた体が今度は浮き上がるように浮上していく。
ようやく重い瞼を開けたとき、シノアリスは周囲を見渡した。
あの声を探す様にゆっくりと。
「?ここは、どこ?」
一番最初に目に入ったのは本。
左右何処を見渡しても本だらけ。
奥には本棚があり、つい上まで見上げれば高い天井まで続く本棚が並んでいる。
いつぞやの図書館の大きさとは比べ物にならないくらいの莫大な本の量にシノアリスはポカンと呆けてしまう。
「え?え?ここ、本当にどこ?」
目覚める前の記憶を思い出そうとする。
だけどシノアリスの記憶は猪人族とスライムを見送った辺りで途切れている。
だが途切れる寸前、めまいと意識が遠のき慌てた暁やくーちゃんの声だけは思い出せた。
倒れたのであれば運ばれる先は治療院しか思いつかない、だが此処にはベッドや薬品の匂いはない。
あるのは本の匂いだけ。
「と、りあえず出口探そう」
きっと暁やくーちゃんが心配しているだろう。
シノアリスは倦怠感でふらつく体を叱咤しつつなんとか立ち上がり、広い本だらけの室内を歩き出した。
*
どれほど歩いたのか。
一歩一歩進んでいるはずなのに本の景色が一向に変わらない。
その所為なのか、本当に自分は前に進んでいるのかそんな不安にかけられる。
「・・・少し休憩しよ」
全く未知の場所にいる所為か、どうやら自身が思った以上に動揺している。
腰を下ろしたシノアリスは、落ち着かせるように深呼吸を繰り返すも、直ぐ傍にある一冊の本が視界に入った。
シノアリスは先々の国の図書館に頻繁に通っていたので、ふとした拍子で目に映った本は片っ端から手に取る癖がある所為か、気が付けば本を手に取っていた。
「えーっとなになに?“賢者 アキラの生涯”・・・え?これ、日本語?」
その本の題名は明らかにシノアリスの世界の言葉ではなく、前世の記憶にある地球の日本語であった。
前世の知識の影響なのか、最初は日本語で書かれていることに違和感を感じなかったので気付くのが遅れてしまった。
なぜ日本語で書かれた本が此処にあるのか、シノアリスは迷わず次のページを開く。
“賢者 アキラの生涯”
内容は地球で生活していた“
神田明は、平凡な一般市民だった。
特に優れた点や隠された力とかもなく、家族や友達想いな男であった。
だが成人式を目の前にして交通事故にあうも、彼はシノアリスの世界へと転移していたという。
彼の人生はまさに波乱万丈であり、時には裏切られ、時には大切な人と別れ、時には愛する人を失い絶望を味わった。
だが出会った人や仲間に助け支えられ、幸せな日々を過ごしたようだ。
でも故郷の地球に帰ることはできなかった。
「家族に会いたい、父さん、母さん・・・」
地球では自身が死んだのかも分からず、故郷に残してきた家族を賢者アキラは常に心配していた。
転移してから一度も、家族を忘れたことはない。
だけどこの世界で年を重ねていく事に段々と家族の顔や声が薄れていくことに、彼はもう二度と戻れないのだと悟った。
ならばせめて日本の文化を忘れないため一つの山奥にその文化を残した、そして賢者アキラは家族の元に戻ることができないままこの世を去った。
そこで賢者アキラの物語りは終わっていた。
「賢者アキラ・・・」
シノアリスは、残念なことに賢者アキラを詳しくは知らない。
だが商業ギルドや水運ギルドなどのギルド設立の発案は、とある賢者の助言から創設されたものだと何処かで聞いた気がする。
残るページには、きっと賢者アキラが残した偉業などが書かれているのだろうが、それよりもシノアリスが一番気になったのは“日本の文化を忘れないため一つの山奥にその文化を残した”ことだ。
シノリスは黙々とページを捲り、賢者アキラが残した文化を探しだした。
すぐにその項目を見つけたのか彼が残した文化を目に通す。
賢者アキラが残した文化、それはその山に桜の木を、文字を、母が趣味でしていた機織りを、作物の育て方など。
「これ、もしかして暁さんの故郷じゃないかな」
時折見かける地球の文化、そして暁たちが受け継いだ字が日本語だった理由に納得できる。
やはりこの世界に地球人が来ていたのだ。
だが異世界転移とはどういうことだろう。
次のページを捲れば賢者アキラが残したのであろう、元の世界に戻る方法についての可能性などが隅々まで書かれている。
つい続きが気になりシノアリスは次のページを捲ろうとした矢先。
本とシノアリスに影がかかった。
「あれ?こんなところにお客さんなんて珍しいね」
振ってきた声にシノアリスは思わず顔をあげれば、髪も肌も衣服も全てが純白で唯一瞳の色が紅い少年が腰を若干曲げて此方を見つめていた。
「おぎゃぁああ!!?」
突然目の前に人が現れ驚いたシノアリスは、何かが産まれたような悲鳴を上げ持っていた本を放り投げ慌てて後ろに下がった。
その様子に少年は最初はキョトンとしていたが、次第に声に出して笑いだした。
「あははは!ごめんね?驚かせるつもりはなかったんだ」
「え、あ、その・・・ご、ごめんなさい。私も集中してたから気付かなくて」
「気にしないで、それより立てる?」
気遣うように手を伸ばされ、シノアリスはお礼を言いながら少年の手を取り立ち上がろうとするが足に力が入らない。
先ほどの驚きで腰が抜けてしまったようだ。
恥ずかしさに焦りを見せるが少年は何かに気づいたようにシノアリスの顔を覗き込んだ。
「あれ?キミ、魔力が枯渇寸前だね」
「魔力、枯渇?」
魔力枯渇は、自身の魔力が底をついている状態を示す。
軽度で倦怠感や眩暈を感じ、重度の時は意識を失う。
では先ほどの倦怠感や腰が抜けたのも魔力枯渇が原因だったのかとシノアリスは何処か納得する。
もしかすると
基本魔力は自然回復する者である。
それを速めるのが魔力回復薬、だがあまり飲みすぎると吐き気など副作用に襲われるが緊急時にはとても役に立つ。
だが生憎シノアリスはホルダーバッグを身に着けていない。
自然回復するのを待つしかないことに肩を落とした。
「はい、これ」
「へ?」
突然、目の前に差し出されたのは純白の綺麗な花。
花弁には蜜が滴っているのか黄金色の蜜が数滴ついている。
「これを舐めたら気分は良くなるよ」
いつの間に花を持ち出したのか、シノアリスが疑問に思うより先に少年は花を押し付ける。
シノアリスは戸惑いながらも言われるがまま花弁の蜜をペロリと舐めれば、グンと体の奥底から魔力が吹き溢れる感覚に陥った。
「・・え?」
そして先ほどまで力の入らず座り込んでいた足は、いつの間にか立っていた。
花の蜜を一粒舐めただけで一気に魔力が回復するなんて、こんな花をシノアリスは知らない。
「どう?少しは良くなった?」
「す、こしどころか全快だよ」
一体この花にはどれほどの魔力が込められているのか。
錬金術士として鑑定し調べたくなる衝動を抑えながら、お礼を言おうと顔をあげれば少年はシノアリスと変わらない身長だったため直ぐに視線が絡んだ。
「へぇ、これが“青”なのか」
一瞬何を言っているんだと思ったが、シノアリスの眼をじっと見ているので瞳の色を言っているのだと理解する。
「貴方の眼も、綺麗な紅色だね」
「・・・」
まさか自分の眼の色を言われると思わなかったのか、キョトンとする少年。
だが直ぐに満面の笑みを浮かべた。
****
本日の鑑定結果報告
・賢者 アキラ
大昔、とても名のある賢者のようだがその記録が残されていないので、全て謎に包まれている。
暁の故郷に住んでいたらしい。
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