第10話 狼の鉤爪(5)
あの後、魔物除けの香炉はとても高級な物だからと使用を控えさせようとしたが。
「大丈夫ですよ!念のため5個くらい用意しときましたので!」
と、別方向でも気遣いを見せられ青空を見上げながら逃避するマリブとルジェだった。
シノアリスの魔物除けの香炉のおかげで魔物との接触はほぼなく、気が付けば夕暮れ前に“青の森”へと到着してしまった。
計算していた予定より1日半早い到着に、ルジェやマリブの目は達観、いや、もはや逃避していた。
夜は視界が狭くなることや灯など魔物に位置を教えることになるので、森の中へは入らずここで野宿となる。カシスが周囲を探り、丁度いい寝床を見つけ野宿の準備を始めた。
夕食もシノアリスが用意してくれたビーフシチューという肉や野菜が入ったスープとパンを振舞ってくれた。護衛などのときは常に魔物や盗賊からの襲撃に備えるため、片手などで済ませられる食事がほとんどだ。
だが、シノアリスの魔物除けの香炉により外でゆっくりとご飯が味わえることに感激した。
そして同時に、この天国を味わったら次の護衛依頼のとき比べては涙するんだろうなとマリブは思った。
日が完全に落ち、森は暗くなりパチパチと燃える焚火とランタンだけが周囲を照らす。
「そういえば、アリスちゃんは確か冒険は初めてなんだよね?」
「はい、でも色んな街は転々としてきました」
「前はどの街にいたの?」
「えっと、前の街は・・・」
ルジェとシノアリスの会話を聞きながら、カシスは木の幹に背を預け仮眠をし、マリブは周囲を警戒している。だが2人ともシノアリス達の会話には耳を傾けていた。
楽し気に話す中、ふとルジェは「じゃあ今の街もいつかは出ていくの?」とシノアリスに問えば是。
「私、色んな国を見てみたいんです。でももし次の都市に行くなら港町か獣人領に行ってみたいです」
港町はナストリアから一番近いのが港町シェルリングだが、船に乗るための通行証も高い上に船旅となると準備や手間もいる。
獣人領をあげたのは、唯一地図に載っているのと単純に彼らの生活に興味があるからだ。
獣人は、他の種族より五感に優れ力も人間より数倍優れている。
唯一人間に劣るとすれば魔道具や魔法、そしてスキルの存在。人間領では魔道具も魔法も日常的に溢れている、だがそれがないとどんな文化が発展しているのか。
獣人だけではない、多くの種族たちはどんな生活をし、どんな物を食べているのか、いつかシノアリスは触れて見てみたいと思っている。
ただ交流を断っている種族が多く所在が不明のため運の巡りあわせに頼るしかない。
「・・・」
「ルジェさん?」
「・・・・・ははッ」
シノアリスの言葉にルジェだけではない、狼の鉤爪の空気は張り詰めた。黙ったルジェにシノアリスは首を傾げるが、嘲笑うような笑い声がシノアリスの耳に届いた。
声の先へと振り向けば、先ほどまで目を閉じていたカシスが片手で顔を覆いながら肩を震わせていた。
そんなに可笑しな発言をしただろうかとシノアリスが疑問に思うも。
「馬鹿なガキだなと思っていたが、本当に世間知らずのお嬢様なんだな」
「世間知らずは否定できませんねぇ」
「教えてやるよ、人間領と獣人領は険悪な関係なんだよ」
この世界には多くの種族が存在する。だが、人間は他種族に嫌われていた。
その理由は過去の戦争から因果している。
土地を巡って、人は多くの種族と戦争をした。また他種族同士でも戦争をした。いまは終戦として協定を結んでいるが、過去の因果から人間を毛嫌いする種族は多い。
また敗退した種族たちは皆奴隷として今もなお苦しめられている。
ナストリア国でも、シノアリスは見たことがないが奴隷商なるお店も確かに存在する。
「お前みたいなガキが獣人領に入れば、直ぐに狩られるに決まってる」
「・・・・」
「人間は自分達がしたことなんぞ忘れてるんだろうな、だけど傷つけられた側の憎しみは簡単に消えない」
「カシスさんは獣人領に行かれたんですか?」
「・・・・まぁ、居たな」
「獣人に傷つけられたんですか?」
「は?なんで俺が!」
「だって、断定して話すなんてご自身が体験されたからだと」
カシスは言葉を詰まらせた。
だがシノアリスは、気にせず言葉をつづけた。
「私は、噂は自身の目で確かめるまで気にしないことにしたんです」
もしカシスの言葉通り、シノアリスが獣人領に入り迫害を受けたのであれば彼女は2度と獣人領に足を踏み入れないだろう。
傷つけた側は傷つけられた側の気持ちを理解できない。それは被害者にしかわからない心理だろう。
でも、だからといって噂や先入観だけを信じて交流をしなければ何も分からないし発展もしないと思う。
「アリスちゃんは、獣人が怖いとか思わないの?」
「会ったこともない方を怖いかと聞かれましても、あ、でも1つだけ」
「・・・・なに?」
「夏場だと毛皮が暑そうだなぁ、って」
「「「・・・・」」」
ルジェとマリブ、カシスは3人が視線が交わる。
シノアリスは視線だけで会話する男達をスルーし、眠気で下がってくる瞼を擦った。昨日は緊張と興奮で眠れなかった所為で非常に眠い。
トートバッグから、この日のために調整した“改良・超絶安眠抱き枕”を取り出した。
この抱き枕は、どんな衝撃もまるで水に包まれるような軽さへと軽減される。つまり硬い土の上だろうが木の上だろうが、この枕をしたに敷けば極上のベッドになるという事だ。
この枕を思いついたのは前世の記憶、もとい地球にあった“ビーズクッション”から取り入れた世界で1つしかないシノアリスだけの枕だ。
地球の技術は凄い。
魔法とかないのに、食とか娯楽とかの追及、または執念が本当にすごい。
抱き枕に寄りかかり、にへらと間抜けた表情を晒すシノアリス。
先ほどまで張り詰めていたはずの空気は、いつの間にか消えていた。バツが悪そうなカシスにマリブとルジェは周囲を見回りしてくると言い森へと消えていく。
残されたのは焚火の見張り番をするカシスと半ば夢うつつのシノアリスだけ。
「・・・・おい」
「・・・ふがッ・・あい、なんでひょう」
「もし、お前の親友がお前を騙してたらどうする」
カシスの問いに、夢うつつなシノアリスはぼんやりと考える。
「・・・そりゃあ悲しいですねぇ」
「恨むか?」
「騙した内容にもよりますが、恨むだろうし悲しむでしょうね」
「・・・だったら」
「でもそれを他の人に強要はあまりしたくないですね」
自身が経験したから、絶対こうだと思うのは良い。でもそれをほかの人に強要はしたくない。
カシスもカシスで何か辛い思いをしたのだろう。
だからシノアリスにも共感してほしいのかもしれない。
シン、と沈黙がその場を包み込む。
再び襲い来る眠気と格闘しながらカシスの返答を待っていた。カシスもカシスで何かを考えているのか焚火から目を逸らさない。
ようやくカシスに口が開きかけた瞬間、それは起こった。
「!?な、んだ!?」
草陰から多くの魔物達が一斉に飛び出し、カシスの横を通り過ぎて逃げていく。
咄嗟にシノアリスが置いていた魔物除けの香炉をみるが、いまだ煙は途切れていない。カシスの横を通り過ぎて逃げていった魔物は、殆どがCランクや-Cランクの魔物ばかり。
不意にカシスはそこで違和感を感じた。
今まで香炉の匂いを避けて魔物は姿を出さなかった、だが香炉の中を通ってでも逃げたい何かが居たとしたら。
あの魔物達は魔物除けの香炉よりも恐ろしいものから逃げてきたのではないか、と。
ふ、と突然頭上が暗くなる。カシスは咄嗟にその場を離れれば、土を抉る衝撃音が響いた。慌てて距離をとればそこには大きな黒い杭が刺さっている。
ズシリ、と重い足音を立てて森の奥から現れた姿にカシスの背に冷や汗が流れた。
青の森に生息する木は、大体10m前後。それに近い巨体な体に真っ黒な毛並み。そして赤く光る4つの目に鎌状の鋏角が獲物を求めるように蠢いている。
「ブラックタランチュラ!?」
ブラックタランチュラ。
体長約8mはある巨大な蜘蛛の魔物、その皮は硬く剣や魔法さえ貫通させにくい。
その討伐の難しさからA級の魔物と指定されている。
彼らは性別がなく、生き物の腹に卵を寄生させて繁殖する恐ろしい魔物だ。
だが、ブラックタランチュラは基本湿気のある場所や薄暗い場所などを好むので森などには余り生息しない。
青の森では見かけることのない筈の魔物にカシスは青褪め、ふとシノアリスの存在を思い出す。
「おい!ガキ!生きてるか!」
先ほどブラックタランチュラが攻撃した場所の反対側に、シノアリスはいた。
持参した“改良・超絶安眠抱き枕”に頬を沈めて鼻提灯を作りながら安らかな顔で眠っていた。
「この緊急時に寝るな!アホ!!」
「ふぇい!!おひてまふ!」
カシスの怒鳴り声に慌てて顔をあげ、敬礼するシノアリス。だが眠さを表しているのかアホ毛が萎れている。ブラックタランチュラは無警戒なシノアリスに狙いを定めたのか大きな足を振り上げた。
咄嗟にカシスはシノアリスの傍に飛ぶように地を蹴り、首根っこを掴んでその場を離れる。
戻ってこないマリブやルジェも心配だが、いまの自身にはAランクのブラックタランチュラを討伐できる力はない。
なら彼ができるのは、シノアリスを逃がしナストリアの冒険者ギルドに応援を呼んでもらう事。
「カシスさん、あれは蜘蛛ですか?」
「あぁ、ブラックタランチュラだ。あれは俺でも討伐できねぇ。だからお前は」
「あれが珍味と称される蜘蛛なんですね!?」
「食うつもりか」
「屋台のおっちゃんが言ってました!蜘蛛は見た目は凄いが、珍味な味だと!」
「またか、屋台のおっちゃん」
ジュルリ、と涎を啜るシノアリスにカシスは一抹の不安が襲う。
これに応援を託して大丈夫なのか、と。
迫りくる気配にカシスはシノアリスを肩へと担ぎ、その場を飛び上がる。1秒差でジュワッと独特な匂いと土を焦がす強烈な酸にカシスは顔を歪めた。
この状態では捕まる可能性が高い。
担がれているシノアリスは暴れることなく大人しくしている。多分先ほどの酸の攻撃で萎縮している可能性もある。
「おい、ガキ」
「・・・ルプ・・・蜘蛛、討ば…あ、はい?なんですか?」
「俺がここで時間を稼ぐ。その間、お前はナストリアに戻って応援を呼んで来い」
「え、でも貴方一人では」
ポイ、と投げ捨てるようにシノアリスを放り投げれば、着地に失敗したのか「ごっぶぅッ!」と奇声が響いたが、カシスはブラックタランチュラから視線を逸らさない。
確かに人間1人でブラックタランチュラの足止めなど数秒で片が付くだろう。
「俺ら獣人を、そんじょそこらの人間と一緒にするな」
カシスの紫暗の瞳が濃く光る。
同時に目が、耳が、肌が変化する。真っ赤な毛並みが体中を覆い、人の肌が見えなくなる。指先は鋭い爪が生え、お尻には大きな尾が生えていた。
その姿は、どこかの街の図書館にて絵姿でみた獣人の姿そのものだった。
「ウォォォォォォン!!」
「ギシャァアアア!!」
吠えるカシスと威嚇するブラックタランチュラの声が森中に響きわたる。
振り上げられた足を避け、その場を飛び跳ねたカシスは目でも追いつけない速さでブラックタランチュラの視界を錯乱させる。
何度かカシスをとらえようと手足を伸ばすが、寸前でカシスは身をかわしてしまう。
ブラックタランチュラは確かに強いが、その巨体ゆえに動作がとても遅い。
獣人のカシスを捕まえるには、ブラックタランチュラの機動では追いつけない。
だが、ブラックタランチュラの意識を惹きつけるのは十分だった。
****
本日の鑑定結果報告
・ブラックタランチュラ
体長約8mはある巨大な蜘蛛の魔物、その皮は硬く剣や魔法さえ貫通させにくい。
その討伐の難しさからA級の魔物と指定されている。
彼らは性別がなく、生き物の腹に卵を寄生させて繁殖する恐ろしい魔物。
だが、ブラックタランチュラは基本湿気のある場所や薄暗い場所などを好むので森などには余り生息しない。
見た目はグロテスクだけど、意外と珍味。美食家の間では有名だったりする。
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