第9話 狼の鉤爪(4)
翌朝、天候は晴天。
まさに冒険日和ともいえる天気に、シノアリスは高鳴る胸にとても興奮していた。正直昨日は準備や興奮で中々寝付けなかった。
だが興奮状態のシノアリスには眠気が全くない。
冒険者たるもの体調管理は必須なのだが、冒険者ではないシノアリスは特に問題を感じていなかった。
そろそろ約束の時間だと、トートバッグ状の鞄を肩に下げで出ようとした矢先にノックの音が飛び込んできた。
急な来客にシノアリスは驚いた。
この国でシノアリスを訪ねる人物はとても極僅かと限られている。
不思議そうに、ドアを開けれ目の前に立つ人物にシノアリスは驚きで目を見開いた。
「え、どうして・・・」
***
ナストリア国正門にて。
狼の鉤爪のマリブ、ルジェ、カシスは依頼主であるシノアリスの到着を待っていた。
「・・・おっせぇ」
「カシス、まだ約束の時間を過ぎてはいない」
「なっ!これは遠足じゃねぇぞ!」
冒険者にとっては、毎日が死と隣り合わせでの冒険だ。
時間も1秒だって間違えれば命とりとなる。だが、それは冒険者の体感であって冒険者ではないシノアリスには分からないことだ。
「カシス、俺たちの常日頃をシノアリス嬢に押し付けるな」
「・・・っち、なんでマリブはガキに甘すぎるんだよ」
ルジェはカシスとマリブのやり取りを見つめながら、昨日シノアリスとの接触を思い出した。
もしルジェもシノアリスと接触していなければ、カシスと同じように煩わしさや嫌悪を持っていたかもしれない。だが、彼女は冒険者の知識を知らない商人であることを彼は知った。
「カシス、マリブが甘いわけじゃない。彼女は冒険者じゃないんだ」
「それがなんだよ」
「極稀だが何度か商人の護衛を受けただろ、彼らは冒険者のような行動をしていたか?」
「・・・・っ」
「子供じみた反発は止めておけ」
まさかルジェからの叱咤に驚いたカシスは、バツが悪そうに2人に背を向けた。
マリブもまさかルジェがシノアリスを庇う発言をした事に驚いたのか、思わずジッと見つめてしまう。ルジェもマリブの視線に気が付いたのか昨日シノアリスと出会った事を簡潔に説明した。
「だが、あんな子供が一人で生活してるなんて。親御さんはどうしてるんだか」
「マリブは心配しすぎなんだよ、アリスちゃんは立派に働いているよ」
「そう、だが・・・ん?てかルジェ、シノアリス嬢と親しすぎじゃないか?」
「すみません!遅くなりました!」
待ち人の声に狼の鉤爪の視線が駆け寄ってくるシノアリスへと向けられる。
シノアリスは急いできたのか、苦し気に呼吸を繰り返しながら正門付近へやってきた。ヘロヘロのシノアリスにマリブは、水を差し出したり汗を拭いてあげるなど甲斐甲斐しく世話を焼いている。
これでは過保護な父親と冒険者デビューの娘の図ではないかと密かにこみ上げる笑いを必死に抑え込んでいた。
ようやく出発したシノアリス一向。
馬はシノアリスが乗りなれていない事を考慮され、ルジェと同乗することとなった。理由は戦闘時に真っ先にマリブやカシスが動くからだ。
「お荷物がちょこまか動かれて仕事の邪魔をされたら困るからな」
「カシス」
「・・・っち」
さすがにシノアリスでもわかる。
狼の鉤爪の一人、カシスから嫌われていることに。正直初対面でここまで嫌われるのも心外である。
一応こちらは雇い主なのですがと言いかけそうになるが、シノアリスは言葉を飲み込んだ。
言葉は悪いが正論なのだから仕方ない。
むしろシノアリスになにかあれば、責任を問われるのは狼の鉤爪だから。
「そういえば、アリスちゃんは錬金術士なんだよね」
「はい、私凄腕の錬金術士なんですよ!」
「いつから錬金術になろうと思ったの?」
錬金術士は魔法使いや騎士などに比べ、あまり子供には人気のない職種だ。こんな幼い子が錬金術士として商売をしていることに少しだけ興味があった。
「小さいころ、村に錬金術士のおばあちゃんがいたんです。彼女から錬金術を教えてもらって、それから興味が沸いて私も錬金術士になりたいって」
「へぇ、親御さんは反対しなかったの?」
「反対なんてありませんよー」
ほのぼのと周囲に花が咲くような会話をするルジェとシノアリス。
時折マリブも会話に入り、冒険道中とは思えない和みっぷりにカシスに額に青筋が浮かぶ。ようやく街道から外れれば、マリブ達は馬を走らせた。
乗り物は馬車とかばかりで馬に乗ったことのないシノアリスは、はじめは興奮していた。
が、乗りなれれば新たな危機がやってくる。
座骨が痛い。
座骨が鞍に擦れてゴリゴリする。マリブ達は痛くないのかと前方の二人は顔が見えない、また前に座るルジェも前髪で目元が隠れているので表情が読めない。
冒険者とは凄いんだな、とシノアリスは痛み座骨に半泣きになりながら、耐えたのだった。
馬を走らせ続け、昼時が近くなり始めたころ近くの河原でマリブ達は足を止めた。
特に魔物と遭遇することなく半分までの距離までたどり着けた。いつもであれば魔物などが現れ、進んでも数キロだと思っていたのに。
だが、最重要事項はシノアリスの安否である。
何事もなかったのなら、それでいい。マリブはここで休憩をしようと声をかけた。
ルジェもカシスも手慣れた手つきで馬から飛び降りる。ルジェの手を借りて降りたシノアリスは地面に足を付けた瞬間、打撲のような痛みがお尻を襲う。
「・・・・ア、リスちゃん、大丈夫?」
大丈夫です、と声を返したかったが今のシノアリスは生まれたての小鹿のようにプルプルと両足を震わせルジェの腕を掴んでいる。
思わずルジェが声をかけてしまうような醜態っぷりに、シノアリスは泣いた。物凄く泣いた。
とりあえず座らせようとマリブは外套用のローブをクッションにするよう丸めてシノアリスを座らせた。
「ご、ご迷惑をおかけします」
「いや、此方も少々配慮が足りなかったようです」
謝るマリブにシノアリスは慌てて否定した。馬で行くことは契約時にマリブ自身が言っていた上にシノアリスが乗馬の経験がないからルジェと同乗させてくれた。
寧ろとても配慮してもらっている、とシノアリスはマリブへ熱弁した。その思いが伝わったのかマリブの目尻も柔らかく緩んだ。
突如グゥ、と響いた音にシノアリスが音の先に目を向ければ、カシスが腹減ったと一言つぶやいた。
マリブはルジェに用意してもらった干し肉やパンで昼食にしようとしたが。
「あ!お弁当!!あります!」
「「・・・はい?」」
「ぶふっ!」
噴き出しているルジェに首を傾げつつも、シノアリスは腰につけているホルダーバッグから、いくつかの物を取り出した。
大きな包み紙を4つ、木のコップ、水袋を3つ。
手渡された包み紙は手に持つと、じんわりと暖かさが伝わってくる。マリブとカシスは互いに顔を見合わせつつも、包み紙を開けば出てきたそれはとても香ばしい香りを放った。
1つのパンを半分に切り、その間に野菜とソースが掛かっている。なにより1番香ばしさを放っているのはきつね色をした何か。
ジュルリ、と口の中いっぱいに涎が溢れ、マリブもカシスも夢中でかぶりついた。その瞬間2人は雷に打たれたかのように固まった。
美味い。
ただ、その一言が頭の中を埋め尽くした。
パンはふわふわと柔らかく、生の野菜なのに臭みもなくシャキシャキとした歯越えたと甘味が広がる。
またソースが甘辛くパンにも野菜にも相性がいい。
だが、なにより一番うまいのは中の肉だ。
最初は肉には見えなかったが、齧った途端ザクザクとした触感にじわりと溢れてくる肉汁。ミンチを丸めて焼いた料理なら知っているが、こんな肉料理を彼らは知らない。
バクバクとあっと言う間に二人は平らげた。
「飲みものはいかがですか?」
最後の一口を飲み込むのが惜しいのか、口に含んだまま頷くマリブとカシスにシノアリスは、マリブには緑茶を。カシスには果実水を注いだ。
どちらもルジェから聞いた2人が良く口にする飲み物だ。
「美味い!なんだあの食べ物は!初めて食べたぞ!!」
「あ、本当ですか?あれはカツサンドという食べ物なんですよ」
「美味しいね、特にこの肉についた衣がいいね」
ルジェは二人と違い、味わうようにカツサンドを食していた。マリブがルジェに1口だけくれないかと強請っているが、笑顔でスルーしている。
「おい」
「はい?」
「これ、どこで売ってたんだ」
「売ってないですよ、私の手作りです」
「「は?」」
「いやー、こんな美味しいご飯が3食も食べれるなんて、ずっとアリスちゃんの護衛をしたいよ」
「ルジェさん、お上手なんですね。私なんてまだまだ屋台のおっちゃんには負けますから」
「誰だよ、屋台のおっちゃん」
いまだにシノアリスの心を掴んではなさい、極上の串焼きを生み出す男。屋台のおっちゃん。
彼の串焼きを食べたら、カツサンドなど下の下に過ぎない。
以前クロコスネの串焼きを焼いてもらったが、外側はパリッ。だけど中身はコリコリ。淡白な味わいが香辛料によって時折舌を刺激し、極上のタレが淡白な味わいに濃厚さを出している。
彼の技術はエクストラスキル【ヘルプ】でも再現できない、その料理。
語るシノアリスに3人の男たちはゴクリ、と唾を飲む。
ただでさえカツサンドと聞いたことのない料理の美味さに驚いていたのに、シノアリスが絶品する料理が無性に食べたくなってきた。
この依頼が終われば、食べに行こうと3人は目を合わせて誓った。
「え?!あれ本気だったの!?」
昼食を食べ終えた矢先、シノアリスが3食とおやつを用意していることを知らされたマリブは驚いたようにシノアリスをみた。
やはり冗談だと思われていたのかとシノアリスは落ち込む。
ちなみに、ルジェは未だに面白いのか腹を抱えながら笑っていた。基本冒険者も護衛対象も、ご飯は自分たちの分は自分たちで賄うのが普通である。
まさか自分たちの為に態々食事を用意してくれるなど、ありはしない。
「やっぱりあの依頼書は冒険者さん達からすれば胡散臭かったんですね」
マリブの反応からして、異質であった依頼書にシノアリスはシュンと落ち込む。
だが、ルジュはそれが返って自分たちにはよかったと思っている。シノアリスの人柄もあるが、なにより彼らにとっては。
「・・・なぁ」
「どうした、カシス」
「さっきから周囲を警戒しているのに、魔物が全然現れねぇ」
見張りをしていたカシスの言葉にマリブとルジュの空気が一変する。
ここは設備された街道でもなければ街でもない。見晴らしの良い河原だろうと魔物達にも自分のサイクルがある。
だが街から出発して休憩しても一向に魔物と出くわさないことは、ハッキリ言って異質だ。
なにか異変が起きているのかと警戒する3人。
「あ、もしかしてこれのおかげですかね!」
そんな緊迫した空気を裂いたのはシノアリスだ。
手には琥珀色の香炉が乗っており、隙間から独特な香りの煙が上がっている。マリブとカシスは首を傾げていたが、ルジェはその正体に気付いたのか青褪めた。
「どうしたルジェ、顔色が悪いぞ」
「あれ、魔物除けだよ」
「は?」
“魔物除けの香炉”
その名の通り、人の嗅覚では清々しい香りだが魔物からすれば避けたくなるような香りであり品質や効果次第ではCランクの魔物も寄せ付けない。
勿論お値段張ります。
最低でも金貨50枚はします。
どうりで道中魔物に出くわさなかったはずです、食事中にも匂いに釣られて出てこなかったわけです。
だがシノアリスが持っている“魔物除けの香炉”は彼女が調合した魔道具なのでコストはかかっておりません。
戦慄しているマリブ達に、いまいち理解ができていないシノアリスはただ首を傾げるのだった。
****
本日の鑑定結果報告
・魔物除けの香炉
その名の通り、人の嗅覚では清々しい香りだが魔物からすれば避けたくなるような香りであり品質や効果次第ではCランクの魔物も寄せ付けない。
最低でも金貨50枚、Bランクになると白銀貨10枚は要ります。
ちなみに放浪の錬金術士の作品ですが、現在はあまり出回っていない。
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