第3話 知らない町

「まだ見つからないのか」

 犬の声を聞き、俺は目が覚めた。しまった。寝息が聞こえていただろうか。ちらと犬の顔を見たが、犬は正面を見て歩き続けていた。どうやら気づいていないらしい。俺は胸をなでおろすと、また背伸びして辺りを見渡した。ご主人の家らしきものは見当たらない。というか、この周辺一帯の建物はおんぼろな木でできた建物しかない。ご主人の住む町か疑わしくなってきた。

「いや、見つからない。いったいどこにあるんだか」

「なあ、お前の家ってここの近くなのか」

「そのはずだ。だが、心配だから一応聞かせてくれ。ここの町は何て名前なんだ?」

「確か、アドラという名称だ。それがどうした」

 アドラ? 変な名前の町だな。ということはやはりここはご主人の実家のある町ではないということか。やれやれ。どうしたものか。家がこの近くにないとこの犬が知ったらどんなに怒るだろうか。

 俺は犬に追いかけらえたことはないが、黒猫が犬に追いかけられているところを見たことがある。あれは傑作だった。

 家が隣同士ということで、俺と黒猫のご主人は俺たちを連れて近くの公園に出かけた。そこにトイプードルとかいう小さな白色の犬がいたのだが、黒猫は自分より小さい犬を始めてみたらしく、いたずらしようと近づいたのだ。途端に、その白い犬は飛び跳ねて、黒猫を追いかけ始めた。驚いた黒猫は、自分の方が大きくて強そうな見た目だというのに、身を翻すと、さっさと彼のご主人のところまで逃げたのだ。

 思わず吹き出しそうになってしまったが、俺は首を横に振った。いけない、いけない。そんな場合ではないのだ。

 俺がどう言い訳しようか考えていると、背後から火を持った人たちが追いかけてきていることに気が付いた。犬はまだ彼らに気づいていないらしい。

 俺は人たちが何をしようとしているのかじっと見つめて観察した。

 三人が弓を持っていて、残り十人は槍や剣を持っている。

 弓を持った人は、弦を思いっきり引っ張り、先に火が付いている矢を放った。矢は大きな弧を描き、犬の足に突き刺さった。

 犬は驚いたように後足で立ち上がった。次々と先に火のついた矢が放たれる。俺は弓に巻き込まれないよう、犬から飛び降りて、道の脇に座って犬と人たちの戦いを見ておくことにした。

 犬は振り向き、矢を持った人に向かって走り始めた。すると、矢を持った人の横にいた人々は、横から犬の脇腹に刃を突き刺した。

 やれやれ。馬鹿な犬だ。眼中には矢を持った人しか入っていないのか。もっと周りを見ればいいのに。

 犬はしばらくの間暴れ回っていたが、出血が酷く、やがて地に倒れた。ああ、死んでしまったのか。

 これは悲しむべきなのだろうが、俺は悲しまなかった。なぜなら家が近くにないことの言い訳をせずに済んだからだ。

 犬の目の前に来ると、犬の顔を見つめた。彼の口の中から血の腐ったような臭いが漂ってきた。

 今までこいつが食ってきたニンゲンはこの喉を通ったところにいるのだろう。そういえばニンゲンってどんな形をしているんだ? 俺は気になり、犬の喉の奥を覗き見た。しかし真っ暗で何も見えない。

「あ、猫ちゃん」

 振り向くと、右腕を失った少女が走って近づいてきた。いきなり近づいてくるものだから一瞬驚いて逃げ出しそうになったが、先刻犬の目の前にいた少女だとわかると、自ら近寄った。

「猫ちゃんありがとー」

 少女は俺を持ち上げるとぎゅっと抱いた。少し苦しいが気持ちいい。ご主人様に抱かれている時と似たような心地よさだ。

「父さん。この猫ちゃんが助けてくれたんだよ」

「猫が?」

 俺が?

 俺は小首をかしげた。

「そう。猫ちゃんが来てくれなかったら私、片腕どころか全部なくなってたかもしれないの」

「何故」

 そうだ。何故だ。

「この猫ちゃんが犬を引き連れてほかの場所に行ってくれたおかげで、私も生き延びれたし、犬の場所を父さんたちに伝えることができたの」

「そうだったのか。よしよし。いい奴だなぁ」

 少女の父親は、俺の頭をなでてきた。別に撫でてくれるのはいいけど、俺がいつ彼女を助けた?

 詳しく説明してくれ、と鳴いてみても、人間には俺の言葉は伝わらなかった。


 翌日、俺が目を覚ますと、ユーリが目の前にいた。驚いて逃げようとすると、彼女は俺に逃げる間も与えず、抱き着いてきた。

「ケケ、おはよ!」

 ユーリというのは、昨夜俺がいつの間にか助けていた右腕を失った例の少女だ。彼女の名前は、昨夜ご馳走をもらっている時に彼女から自己紹介してくれた。

 そしてケケというのはユーリがつけた俺の呼び名である。ご主人からはシロと名付けられたが、黒猫から聞くと、これは犬に多い名前らしい。猫なのに犬。まあ名前なんてどうでもいいが。

 それと、どうやら俺は彼女のペットになったらしい。つまり彼女が新たな飼い主だ。だが、俺は認めていない。飼い主は永遠にご主人だ。いくら彼女が言ったとしても、俺は認めない。

 しかし、この家から逃げ出そうとも思わない。ご飯は壁にカリカリせずとも俺の気持ちがわかっているかのようにすぐに持ってきてくれるし、暇だと思った時には、ユーリが遊んでくれる。まあ、しばらくの間はここで過ごそう。そして飽きたらご主人の家に帰ろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る