しゅき、きりゃい



「おかあしゃま。らいりーが、ないてゆ」



ふわふわの金髪の巻き毛を揺らし、紫の眼の女の子が母親のドレスの裾を引っ張った。



アデラインは、優しげな笑みを浮かべながら手を差し伸べる。



「まあ、知らせに来てくれたのね。ありがとう、ミレイユ」


「ううん。ねえ、おかあしゃま。らいりーはおむちゅ? おむちゅがぬれて、ないてゆの?」


「そうね。ミルクはさっき飲ませたからお腹は空いてない筈だし、ミレイユの言うとおり、オムツかもね」


「いや、オムツじゃないよ」



ぐずるライリーを抱えて向こうから現れたセスが、苦笑しつつ答える。



「おとうしゃま!」


「連れてきてくれたのね。ありがとう、セス」


「いやいや」



アデラインにライリーを預けると、次にセスはミレイユを高々と抱き上げる。



「わあっ! たか~い!」



きゃっきゃっと笑うミレイユを微笑ましげに眺めてから、アデルは腕の中のライリーの様子を確認した。



「オーガスタスがちょっとね」



ミルクの量が足りなかったかしら、と心配するアデルに、ミレイユを抱っこしたセスが答える。


我が子の名前に反応したのが、アデルと一緒にお茶を楽しんでいたエウセビアだ。



「オーガスタス? あの子ったら、また何かやらかしましたの?」


「まあちょっとね。隙を突かれて」



言葉を濁すセスの横で、ミレイユがぷうっと頬を膨らませる。



「おーがす、いつもいじわゆなのよ」



それを宥めるように、セスが頭を撫でた。



父親譲りの恋愛下手を発揮するオーガスタスは、大好きなミレイユについ意地悪に接してしまう。


それでミレイユに嫌がられ、追いかけるオーガスタスが更にしつこくして余計に嫌われる、そんな悪循環に陥っていた。



最近は、ミレイユの幼い弟ライリーにまでちょっかいを出すものだから、ミレイユの中のオーガスタスの評価は落ちるところまで落ちきっている。



「ごめんなさいね、ミレイユ。あの子がいつも迷惑をかけて。後でよ~く叱っておくわ」


「うんとしかってね。わりゅいこって」


「ええ必ずそうするわ。本当にごめんなさいね、ミレイユ。それにアデラインさま、セシリアンさまも」



息子を探しに行こうと立ち上がるエウセビアを、セスが止める。



「ランデル夫人、大丈夫だよ。アンドレがオーガスタスを追いかけて行ったから。あまり出歩かない方がいい。まだ安定期には入っていないんだろう?」


「ですが」


「そうですわ、エウセビアさま。赤ちゃんに何かあったらいけませんもの。ここで待つことにしましょう? ほら、ライリーも機嫌が直ったようですし」


「お二人とも本当に申し訳ありません。ですが・・・あ、来ましたわ」



二人に諭されていた時、花壇の向こうから息子を小脇に抱えたアンドレが現れた。



「ミレイユ、よくも父上にいいつけたな!」



荷物のように運ばれながらも吠えるオーガスタスを見て、ミレイユはさっとセスの後ろに隠れてしまう。



「黙れ、オーガスタス。いい加減に態度を改めないとミレイユに嫌われるぞ」


「まさか。ミレイユがオレをきらうなんて、そんなこと」


「きりゃい」


「え」


「おーがす、きりゃい」



今も我が子とミレイユとの縁組を望むアンドレは、これまでもずっとオーガスタスの態度を嗜めていたが効果はなく。


今や「おーがす、きりゃい」なミレイユが完全に出来上がり、セスの反対なぞなくても、この二人の婚約はあり得ないものになっていた。



「おい、うそをつくな」



オーガスタスはムッとして言い返す。だがミレイユは遠慮なく爆弾を投下する。



「うそじゃないもん。みれいゆは、おーがす、きりゃいだもん。だい、だい、だいきりゃい」


「な・・・」



初めてもらった「だいきりゃい」に、漸くオーガスタスも自分のやらかしを悟る。もちろんこれまでずっと楽観していたアンドレもだ。



溜飲を下げたセスが気分良く愛娘の頭を撫ででいると、ミレイユは更なる爆弾を投下した。



「みれいゆがしゅきなのは、れくしゃまよ。やしゃしい、れくしゃま」


「「「な・・・っ?」」」



その発言に、もう一人、氷の固まりと化したのが娘を溺愛するセスだ。



「ふふふ、そうだったわね。ミレイユはレクシオ殿下が大好きなのよね」



ライリーを抱っこするアデルが、更に三人の傷を抉る。勿論わざとではない。



「レクシオ、殿下」



セスの主となったレクシオ王太子は、現在13歳。ミレイユとは九つ離れている。



一年半前に一度、そしてライリーが生まれた一年前に四人でもう一度、そしてつい二か月前にさらにもう一度、セスは家族を連れてルシオン陛下の御前に挨拶に出ている。

ミレイユは、その時に対面したレクシオ王太子殿下にすっかり懐いてしまったのだ。



「いや、レクシオ殿下は立派な方だ。立派な方だけど」


「まあ、セスは何をそんなに慌てているの?」


「だって、僕の可愛いミレイユが。オーガスタスと違って、レクシオ殿下は文句のつけようがないじゃないか」



狼狽えるセスに、アデルが優しく慰める。



「心配はいりませんわ。ミレイユはただ王子さまに憧れてるだけですし、そもそもレクシオ殿下にそのつもりがありません。妹のように可愛がって下さっているだけですもの」


「それは・・・そうだけど」



あからさまにホッとしたのがセスだけでなく、その後ろのアンドレとオーガスタスで。



しかしエウセビアが無情な一言を付け加える。



「だからと言って、貴方に希望はありませんよ、オーガスタス。好きだからいじめてしまう、そんな理屈が相手に通る訳がないでしょう」


「は、母上」


「わたくしは何度も注意しました。聞かなかったのは貴方です」


「だがエウセビア。この子は」


「こればかりは、味方をするつもりはありませんわ」



がくりと項垂れるアンドレたちを尻目に、エウセビアは優雅にお茶を飲み干した。



「じゃあ、僕たちはそろそろ」


「ええ。さあミレイユ、お屋敷に戻りましょう。お祖父ちゃんが首を長くして待っているわ」



腕の中で眠ってしまったライリーをそっと抱え、アデルが小さな声でミレイユに話しかけた。



「おじいしゃま!」



大好きな人を思い出し、ミレイユはぴょんぴょんと跳ねる。



「ええ、そうよ。きっとお菓子を用意して待ってらっしゃるわ。もしかしたら離れの前に立って待ってるかも」


「わあい!」



父の手を取り、早く馬車に乗ろうと急かすミレイユに、セスは苦笑しながらアデラインへともう片方の手を差し伸べる。



「僕が抱っこするよ」


「ありがとう」



片手で危なげなくライリーを横抱きにするセスに、ミレイユは「おとうしゃま、ちからもちね!」と嬉しそうに言った。



「まあそういう事で、いい加減に婚約の話は諦めろよ。じゃあな、アンドレ」



辞去の挨拶と共に、念のためと釘を刺す事も忘れない。



やれやれ、やっと面倒な話が片付いたと、喜ぶセスに、意図的に忘れようとした人の名前が聞こえてきた。



「ねえ、おとうしゃま。れくしゃまには、いつあえりゅ?」


「・・・いつ、だろうね。殿下はお忙しい方だから」


「またあいちゃいな」


「・・・きっと、また今度ね」


「うん!」



セスはホッと溜息を吐く。


親友から提案された婚約話は上手いこと回避できそうだというのに、新たな悩みの種が出てきたことに頭を悩ませるセスだった。

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