どうか私を
ゆっくりと部屋の中に入って来た老齢の執事は、まずエドガルトに一礼し、それからセスに顔を向けた。
「セシリアンさま。ようやくお顔を見ることが叶いました。奥さまがお亡くなりになるまでここで執事として働いておりましたデビッドと申します」
「ショーンにはいつも助けてもらってるよ。今日は、わざわざ屋敷まで絵を運んでくれてありがとう」
「とんでもありません。こうしてお呼び頂けた事で、久しぶりにお嬢さまのお顔を拝見することが出来ました。感謝しております」
デビッドは、アデラインへと視線を向け頭を下げた。
「こんな老いぼれのことはもうお忘れになっているかもしれませんね、お嬢さま」
「デビッド・・・いえ、覚えているわ。あの頃、急に皆がいなくなってしまって、とても悲しかったもの」
「領内の屋敷に付くことになりまして、急遽・・・簡単なご挨拶しか出来なかったことを残念に思っておりました」
そう言ったデビッドの眉は八の字に下がっている。
「お美しく成長なさいましたな。お嬢さまがお生まれになった時、この子は将来すごい美人になるわよと奥さまが仰っておられたのを思い出します。正しくその通りでございました」
「まさかお母さまが、そんな」
「本当でございますよ。旦那さまもそれに全く同意され、将来は虫除けが大変になると眉を顰めておられました」
デビッドは至極真面目に話しているけど、実を言うと僕はこの台詞にちょっと笑ってしまったのだ。
虫除けが、とか騒いでいた張本人が、僕をアデラインの未来の夫としてこの家に呼び寄せたなんて思うとね。
デビッドは、ショーンと同じ焦茶色の瞳を細め、嬉しそうに頷いた。
「よく三人で寛いでおられる時に、お嬢さまのここは奥さまに似ているとか、ここは旦那さま似だとか、ご夫婦で楽しそうに話しておられました」
その時の光景を思いだしたのか、デビッドはふっと笑った。
「あの、でもデビッド」
「何でございましょうか、お嬢さま」
「わたくし、お母さまにはよく似ていると言われるの。でも、お父さまに似てるなんて、今まで一度も言われたことがないけれど」
アデラインは少し困ったように微笑んだ。
ああ、とデビッドは何かに気づいた様に頷くと、言葉を継いだ。
「艶やかな黒髪に宝石のような紫の瞳、確かに誰から見てもお嬢さまは奥さまとよく似ておいでです。ですが、奥さまによると、お嬢さまには旦那さまにもよく似たところが沢山あるのだとか」
「お母さまが?」
「はい。旦那さまのことにかけては、奥さまに敵う方はいらっしゃいませんでしたから。私も教えていただいて、成程確かにそうだと後から感心したものです」
なにそれ。
なに今の。
旦那さまのことにかけては、奥さまに敵う方はいない?
なんだ、それは。どんな惚気だ。いや本人からじゃないけど。
妻を亡くして視覚感覚が歪んでしまった義父も相当に愛が重い人だと思ったけど、もしや夫人もそういう感じの人だったのか?
いや、待て。
子どもが生まれたら、愛する人に似たところを探すのは普通か?
うん、きっとそうだ。そうなんだろう。
僕の心の中のツッコミをよそに、デビッドの言葉は続く。
「理知的な広い額、爪の形、ふっくらした耳たぶ、あと首元のホクロの位置も旦那さまと一緒だそうです。もちろん私はお嬢さまのホクロの位置を確かめたことはございませんが」
最後の部分は、デビッドも少し恥ずかしそうに付け足していた。
うん。きっと、僕が彼をここに呼んだ理由をうすうす察してるんだろうな。
頑張ってくれてありがとう、デビッド。それからごめんね。
アデラインも、ちょっと驚いてる。
そりゃそうだろう。そんな細かいことに気づく訳がない。六歳からこっち、父親とはほとんど顔も合わせていなかったんだ。
「奥さまはご自分の小さい手がコンプレックスだったそうです。なんでもピアノを弾く時に大層お困りだったとか。お嬢さまは旦那さまに似て指が細く長くていらっしゃるそうで、羨ましいとも仰っておられました。『この子はわたくしみたいにピアノで苦労しないわね』と笑っておられて」
アデラインは視線を肖像画に移す。
デビッドが持って来てくれた夫婦二人の肖像画だ。
それから、隣のランジェロが描いたばかりの自分の肖像画にも。
「・・・本当だわ」
驚いた、とばかりにぽつりと溢れた言葉に、義父もまた視線を上げる。
ゆっくりと視線を巡らせ、幸せそうに微笑む新婚夫婦と、そんな二人から生まれた娘の成長した姿とを交互に見つめる。
義父の肩はもう、震えてはいなかった。
僕はその姿を確認すると、振り返ってデビッドたちに合図を送る。
すると彼らは心得たように静かに部屋から下がって行った。
僕も歩を進めて義父と並ぶ。
夫婦の肖像画に描かれた夫人は、今のアデラインより少しだけ大人びて見える。
ああ、でも。言われてみれば。
「・・・本当だ。耳の形が義父上と同じですね」
愛した人がこの地上から消えてしまったのなら。
その面影を求め続けてしまう気持ちは、僕にも分かる。
もし、もしもだけど。想像するのも嫌だけど。
アデラインが死んでしまったら。
この世界のどこを探してもいないと知ってしまったら。
僕だっておかしくなってしまうかもしれない。
だけど、義父には。
そうでしょう? 貴方にはまだ。
「義父上と義母上が、確かに愛し合っていたことの証のようですね」
「・・・え?」
「この肖像画です。アデラインの」
「・・・」
「お父さま。わたくし、知らないことばかりでした。お母さまの話もお父さまの話も、デビッドから聞くまで何も」
アデラインもまた一歩進んで、父親の隣に立った。
「セスの言っていた通りです。わたくしの覚えている母の記憶はとても少ない。お父さまのことも・・・まだあまりよく知らないのです。だから」
アデラインは義父の手をぎゅっと握った。
「だから教えてください。もっとたくさん・・・お父さまのこと、お母さまのこと。お二人がどうやって出会い、結ばれたのか、わたくしが生まれ、三人で過ごした時の会話を。そしてどうか」
アデラインは一度、口を噤み、それから。
「どうか、わたくしを真っ直ぐに見てください。お父さまとお母さまの愛の証である、わたくしを」
はっきりとそう告げた。
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