第154話 ヤベェ音が鳴ってねぇか

「……?」


 深夜。

 商人たちがすっかり寝静まった中、ふと何かの違和感を覚えて、彼女は背筋を伸ばす。


 獣人の美女、リルである。

 だがその正体は、神話級の魔物であるフェンリルだ。


 人化していても、優れた五感を有する彼女は、もし怪しい者が近づいてきたとすれば、真っ先に察知することができるだろう。

 しかし彼女の耳も鼻も、その違和感の正体を見極めることはできなかった。


 ただ謎の違和感だけが、彼女に警鐘を鳴らしているのだ。


 すぐ近くにいる二人の少女、ファナとアンジェも、何かに気づいている様子はない。

 それどころか先ほどから座ったまま船を漕いでいる。


 そして彼女の主の姿は、いつの間にか消えていた。

 その体臭が感じられるため、近くにいるはずだが……。


「……っ!」


 気配は突如として出現した。

 彼女たちが護る荷物の上に、複数。


 月も星もほとんど出ていないが、夜目の利くリルには、その姿をはっきりと捉えることができた。


 人間の男たちだ。

 手にナイフのようなものを持ち、それで荷車から荷物が落ちないように縛り付けているロープを、次々と切っていく。


 一方で、彼らはまだこちらに気づいていない様子。


「させるか」

「えっ? がはっ!?」


 素早く跳躍すると、リルは男の一人を蹴り飛ばした。


「馬鹿な、もう見つかっただと!?」

「おい、早く戻せ……っ!」

「逃がしはしない!」


 男たちから逃走の気配を感じ取って、叫ぶリル。

 だが次の瞬間、予想外の事態が彼女の身を襲った。


「っ……身体がっ……」


 身体が突然、宙に浮かび上がったのである。


 彼女だけではない。

 男たちも、そして荷車から引き離された荷物が、一斉に夜空へと舞い上がっていた。


「な、何が起こっているのだ……?」


 唖然としていると、いきなり強い光に晒されて、思わず目を瞑る。

 恐る恐る目を開けた彼女の視界に飛び込んできたのは、煌々とした明かりに照らされる室内だった。


「ここは……?」


 困惑する彼女に、男たちが叫ぶ。


「なんか連れて来ちまったぞ!? たぶん護衛の冒険者だ! どうする!?」

「心配するな、たかが女一人だ」

「しかもよく見たら上玉だぞ。こいつは高く売れるぜ」


 下卑た視線をその身に浴びて、リルは「ふん」と鼻を鳴らす。


「正直、俄かにはこの状況を理解できぬが、見たところ脆弱な人間しかおらぬようだな」

「ぎゃはははっ、強がっても無駄だぜ」

「せっかくだし、ちょっと遊んでやろうじゃねぇがぎゃっ!?」


 男の一人が吹き飛んだ。

 リルが一瞬で距離を詰め、殴り飛ばしたのである。


「なっ!?」

「いつの間に移動した!?」


 どうやら彼女の動きがまったく見えていなかったらしい。

 まるで瞬間移動したかのような獣人美女に、男たちが狼狽え出す。


「こ、こいつ、並の冒険者じゃねぇぞ……っ!」

「どうするんだよ!?」

「はっ、心配するな。こんな場合に備えて、こっちにはこいつがある!」


 そのとき男の一人が、リルに向かって何かを投げつけてきた。

 見たことのない球状の物体だ。


 直後、それが破裂したかと思うと、無数の鎖が飛び出してくる。

 それらはさながら触手のように自ら動いて、リルの全身に巻き付いてきた。


「こんなものっ……なにっ? 千切れない……っ?」


 力任せに引き千切ろうとしたが、そう簡単にはいかなかった。


「ひゃははっ、無駄無駄! そいつから抜け出すことは不可能だぜ!」

「くっ……これしき……っ!」


 それでもリルは諦めずに、満身の力で鎖を破壊しようとする。


 ミシミシミシミシッ!!


「って、なんかヤベェ音が鳴ってねぇか……?」

「こ、壊されたりしないだろうな!? この女、すげぇ力だぞ!?」

「……大丈夫、なはず」


 ミシミシミシミシミシミシミシミシッ!!


「いやいや、どう考えても大丈夫じゃねぇだろ!」

「仕方ねぇ! こうなったら破壊される前にヤっちまえ!」

「むう……あと少しで切れそうなのだが」


 こうなったら、いったん元の姿に戻るしかないかと、リルが思い始めたそのときである。

 荷物の一つが、独りでにガタガタと動き出した。


 次の瞬間、荷物が弾け、中から小さな影が飛び出してくる。


「じゃ~~~~ん! 可愛い赤子、参上~~っ!」


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