第136話 何でそんなに残念そうなんだい

『もしかしてかーちゃんも人化できたりするの?』

『あたしにそんな真似できるわけないだろう?』

『そうなんだー』

『……何でそんなに残念そうなんだい?』


 呆れたように溜息を吐くかーちゃん。


 いや、まだ諦めるには早い。

 フェンリルにやり方を教われば、かーちゃんもできるようになるかもしれない。


『人化の魔法には膨大な魔力が必要となります。それこそ、フェンリルのような神話の魔物にしか不可能でしょう』


 リントヴルムに一蹴されてしまった。


 ああ、さようなら、かーちゃんの胸……。


『それはそうと、他の縄張りの主たち、全滅しちゃったね』

『そうだねぇ。だけど、あたしが一人で支配するにはこの森は広すぎる。放っておけば、そのうち新しい主が生まれてくるだろうさ』


 そうして俺はかーちゃんと別れ――ついでに子狼たちとちょっと遊んで――ファナたちの待つベガルティアに戻ることに。

 もちろんフェンリルも一緒だ。


「帰りは普通に戻らないといけないんだよね」


 転移魔法は、まだこの赤子の身体では難しいし。


「主よ。我が背中に乗っていくとよい」

「いや、元の姿を見られたらパニックになるから」

「む? ダメなのか? ならばこの姿のまま走るとしよう」

「それは良いアイデアかも。ただし背中じゃなくて、前の方で」


 そうして俺を抱っこしたフェンリルが地面を蹴って走り出す。

 あっという間に魔境の森を飛び出したかと思うと、遠くに見える城壁が見る見るうちに大きくなっていく。


「おおっ、さすがフェンリル。人化してもめちゃくちゃ速い」

「褒めてもらえて光栄だ」


 この様子なら俺が空を飛ぶよりも早く街に戻れるだろう。

 それに何より。


 ぼいんぼいんぼいんっ!


 揺れまくる胸に挟まれて、大変至福である。


 途中で魔物と何度もすれ違った。

 恐らく森にいつもの平和が戻ったことを感じ取って、引き上げているのだろう。


 フェンリルが速過ぎるせいか、こちらにはほとんど気づいていなかった。


「ところで、名前を付けた方がよさそうだね」

「名前?」

「うん。さすがにフェンリルって呼ぶのもアレだし。そもそも名前とかないの?」

「うむ、今まで誰かに特定の名で呼ばれたことはない」

「じゃあ、リルって呼んでもいい?」

「もちろん構わぬぞ。何となく良い響きのような気がする」


 やがて俺の生まれた場所である都市のすぐ傍を通過する。

 城壁があちこち破壊されているようだったが、何とか突破されずに済んだ様子だ。


 すぐに捨てられたせいで、まったく思い入れなんてないが、それでも大した被害にならずによかったと思う。




     ◇ ◇ ◇




「間に合ってくれればよいのだが……」


 ひたすら馬を走らせながら、クリスは故郷を案じていた。


 正義感の強い彼女である。

 すでに実家を出た身ではあるが、さすがに故郷の危機とあっては、捨ておくことなどできなかった。


「あの父上の焦った様子……恐らくよほどの状況のはずだ。私一人の力が、どれほど役立つか分からないが……。いや、幸い私は冒険者になってから、あの治療のお陰もあって、以前より遥かに強くなっているはずだ。今こそ、その成長した力を見せるべきときだろう」


 そう強く決意を口にした、そのときだった。

 馬上で遥か前方を睨んでいた彼女の視界が、こちらへと近づいてくる小さな人影を捉えた。


「む? 何だ? 向こうから走ってくるのは……?」


 最初に気づいたときは、せいぜい豆粒ほどの大きさだった。

 だがそれが見る見るうちに大きくなっていく。


 あっという間に若い女性だということが分かる距離になって、何かを抱えているのが見えた。


「こちらも馬に乗っているとはいえ、さすが速すぎるような――」


 ぎゅんっ!


「…………は?」


 交錯は一瞬のことだった。

 空気を引き裂くような音と共に何かがすぐ近くを通り過ぎ、辺りに暴風が吹き荒れる。


 振り返ったときにはもう、その女性の背中は遥か彼方にあった。


「い、一体、何だったのだ……?」


 その後、必死の思いで実家に戻った彼女が知ったのは、すでに魔物は森へと戻っていったという話で。

 完全な無駄足に、彼女はがっくり項垂れたのだった。

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