第105話 これを使ってほしい

 男が逃げ去ったのを見送ることもなく、眼帯の女性はさっさと踵を返して建物の中へと戻ってしまった。


 年齢は三十代半ばほどだろうか。

 あまり手入れされてなさそうな黒髪を頭の後ろで雑に縛っただけだし、化粧っ気もまるでない女性だが、整った顔立ちをした美人だ。


「彼女が鍛冶師のゼタさんかしら? 女性とは聞いてたけど、てっきりもっと高齢かと思っていたわ」

「娘かも?」


 そんなことを考えながらその建物の中へ。

 不機嫌そうに椅子に腰を下ろしていた先ほどの女性が、こちらを見て鼻を鳴らす。


「今度は何だ? 見たところ冒険者みてぇだが、ここはあんたらみたいな小娘と赤子の来るようなところじゃねぇよ」

「お姉さんがゼタ鍛冶師?」


 相手の言葉など無視して、ファナが訊く。


「……だったら何だってんだ?」

「ん、剣を打ってほしい」


 ファナは単刀直入に告げた。


「はっ、この街には、そこそこ腕の立つ鍛冶師くらいなら幾らでもいる。そこで依頼するんだな。ガキにはそれで十分だ」

「欲しいのはミスリルの剣」

「……人の話を聞きやがれ。ミスリルとなれば、なおさら子供には分不相応だよ」


 呆れた顔で言い放つゼタに、気にせずファナが言う。


「冒険者ギルドに紹介してもらった」

「ギルドから? お前みたいな小娘が?」

「ん。これでもAランク冒険者」

「……ふん。なるほど、ミスリルの剣を持つのに最低限の実力はあるみてぇだな」


 ゼタはゆっくり椅子から立ち上がる。


「だがな、それだけじゃアタシの御眼鏡にはかなわねぇぜ。……裏に来い。相応の実力があるか、確かめてやる」


 近くに置かれていた剣を手に取り、そのまま工房の裏口から出ていくゼタ。

 俺たちは後を追いかける。


 途中、ファナが俺をアンジェに渡そうとしたが、アンジェは「なんで抱っこしなきゃなんないのよ。普通に立てるでしょうが」と拒絶。

 仕方ないので強引に飛び移って、その大きな胸に抱き着いてやる。


「ちょっと!?」

「ばぶー?」


 そこは空き地のようだった。

 そこで待っていたゼタに、ファナが向かい合う。


「戦う?」

「ああ、そうだ。だがアタシをただの鍛冶師と思うなよ。こう見えて、昔から必要な鍛冶素材を手に入れるために、単身で何度もそこのダンジョンに潜ってきた。そんじょそこらの冒険者には負けねぇぜ」


 ゼタは鞘から剣を抜く。


「ん」


 ファナもまたそれに応じるように二本の剣を抜いた。


「っ……こいつは……」


 その様子に息を呑むゼタ。

 何を思ったか、そのまましばらく無言でマジマジとファナを見つめると、


「ふん、どうやらハッタリじゃなかったみてぇだな」


 鼻を鳴らしながら剣を鞘へと納めてしまった。


「? 戦わない?」

「ああ、その必要はねぇだろう。お前はアタシの打った剣を持つに相応しい」


 戦わずしてファナの実力を認めてくれたらしい。

 踵を返して工房へ入っていく。


 工房に戻ると、ゼタが精錬を終えたミスリルを見せてくれた。


「こいつがミスリルだ。アタシがダンジョンで手に入れた鉱石を製錬し、さらには精錬を繰り返して可能な限り純度を上げてある。こいつを使って剣を打つ」


 当人が自信満々なだけあって、そのミスリルは悪くない輝きを放っている。

 だが元となったミスリス鉱石の純度がそれほど高くないのだろう、悪くない止まりだった。


「これを使ってほしい」


 そう言ってファナが高純度のミスリル鉱石を差し出す。

 その瞬間、ゼタの目の色が変わった。


「なっ!? おいおいおいっ、こいつはなんて純度のミスリル鉱石だよ!? 見ただけで分かるぜ!? 一体どこで手に入れた!?」

「ダンジョン」

「ダンジョンの何階層だ!? アタシがよく行ってる三十階層じゃ、これほどのものは採れねぇぞ!?」

「六十階層」

「は? ……ろ、ろ、六十階層だとぉっ!? まさか、お前たちが自分で潜って、採ってきたってのか!?」

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