第14話 この震えは何だ

 儂の名はドルジェ。

 ここボランテの街の冒険者ギルドで、ギルド長をしている男だ。


「い、一体何だってんだよ……?」


 思わず呻くように独り言つ。

 というのも、元Aランク冒険者で、現役時代はそれなりの修羅場を潜ってきた儂が、先ほどから全身の震えが止まらないのだ。


 この感覚はかつて、パーティで魔境の大山脈に挑んだ際、一帯を縄張りにしている古竜エンシェントドラゴンの巣の近くを通ったときのそれとそっくりだった。

 あのときの恐怖が蘇り、全身から汗が噴き出してくる。


 だがここは街中だ。

 こんなところに古竜が現れるなんてあり得ない話だった。


「じゃあ、この震えは何だ……?」


 カツカツカツ……。


 ガタガタと歯を鳴らす俺の耳に入ってきたのは、誰かの足音だった。

 どうやらこの部屋へと近づいてきているらしい。


 そしてなぜかそれに比例するように、身体の震えがどんどん増していく。


 やがて足音は儂の部屋の前で止まった。

 もはや脂汗が止まらない。


 トントン。


「ひっ」

「失礼します、ギルド長」


 しかしノックの後にドアが開き、中に入ってきたのは見知った顔だった。


「……へ? い、い、イリアか……?」

「ギルド長? どうされたのですか? 凄い汗ですが……」


 うちで働いている受付嬢のイリアだった。

 冒険者や他の職員たちからの評判もいい、優秀な受付嬢だ。


 ……彼女のはずがない。

 儂の怯えの原因は恐らく他にある。


 考えられるとすれば、どういうわけか彼女が抱えている乳飲み子……いや、さすがにそれはないか。


「あ、この子なんですが……実は冒険者になりたいので、試験を受けたいと言ってまして……。規約上、試験に年齢制限があるわけではないはずですが、念のため確認に参りました」


 何か理解できないことを言っている気がしたが、今はそれどころではない。

 儂はこの恐怖の理由を探るべく、全神経を集中させた。


 すると彼女のすぐ背後の空間に、異様なものを感じ取った。

 気配を消してはいるようだが、俺には分かる。


 古竜に匹敵するような途轍もない化け物が、そこに存在している……っ!


「ギルド長? 聞いておられますか?」

「あー、もしかして、僕の杖に気づいちゃったのかな? 鋭いねー、ギルド長のおじちゃん。一応ちゃんと隠蔽してたのに」

「杖……?」


 次の瞬間、虚空から音もなく白銀の色の美しい杖が出現していた。

 そのままふわふわと宙に浮いている。


 確かに強力な武具というものを前にすると、恐ろしい魔物に相対しているような心地になることがある。

 だが古竜に匹敵するような、これほど凄まじい武具に出会ったのは初めてだった。


「え? 何ですか、この綺麗な杖は……? しかも浮いてる……」

「僕のだよ、お姉ちゃん」

「お前さんの杖だと……?」


 まさかこの杖が、こんな赤子の所有物だなんて…………ん?


 と、そこでようやく儂は気づく。

 この乳飲み子、さっきから普通に喋っていないか……?


「はぁっ!? ちょっと待て!? 何だ、この赤子は!?」




   ◇ ◇ ◇




 受付嬢のイリアに抱きかかえられて、俺はこの冒険者ギルドのギルド長室にやってきた。


 別に普通に歩くことができるのだが、赤子を歩かせるのは忍びないと思ったのか、抱き上げてくれたのだ。

 ……ふむ、この娘もなかなか良い胸をしている。


『……マスター。もしやこのために赤子の姿を貫いているのでは?』


 はて、何の話だ?


「失礼します、ギルド長」


 イリアがノックをして中に入ると、そこにいたのは禿頭の大男である。

 見たところ年齢は六十くらい行ってそうだが、服の上からでも分かるくらい鍛え抜かれた身体をしていた。


 しかしどういうわけか、だらだらと滝のような汗を掻きながら、こちらの斜め後ろの方を怯え切った目で見つめている。

 イリアが声をかけても上の空だ。


「あー、もしかして、僕の杖に気づいちゃったのかな?」

『マスター、間違いありません。確実にこっちを見ています』

「鋭いねー、ギルド長のおじちゃん。一応ちゃんと隠蔽してたのに」


 まぁ今の俺はまだ魔力が乏しいので、そこまで高度な隠蔽魔法を施すことができない。

 見る人が見たら分かってしまうだろう。


 この体格を見るに、恐らく彼は冒険者上がりのギルド長に違いない。

 それに今の感覚の鋭さ……現役時代に相応の経験を積んでいる人物のようだ。

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