セシリア ~盲愛の女神~

黒猫館長

愛は容易く欲に穢され地獄になる

 ジュリー・ブラッドリーは任務を受け辺境の村へと向かった。アイルランドの美しい山々の渓谷にある、のどかな村だ。ただ今回は隣を歩くジュリーの主、エリザベート・ゼクス・ブラッドリーがいることでその景色を楽しむ余裕はなかった。


「そろそろ、どういう任務か教えてもらえませんか主様?貴女がわざわざ来る必要があるほど恐ろしいものがあるのかとびくびくしているんですがねこっちは。」


 エリザベートは美しく長い金髪をふんわりと二つ三つ編みに下げ、桃色のドレスを身に着けた、その上背の高い美女だ。十センチのヒールを履いているせいで身長は百八十センチほどになり、小柄なジュリーはものすごく肩身が狭かった。


「危険はあるだろうが、大したことはないはずだ。心配するな。」


「そうですか。それではなぜ?戦闘狂の貴女がほかに来る理由なんて俺は思いつきませんね。」


「馬鹿にしてんのかお前は。主をもっと敬わんか馬鹿者。」


 エリザベートはジュリーの頬をつねる。


「いててて!いつも思うんですけど、頬をつねるのは流行か何かですか!?地味に痛いんですよそれ!」


「お前の頬はいい弾力だからな。お前が子供の時もよく触ってたぞ。」


「まったく覚えがないですね。」


「ま、小さかったからな。仕方ないだろう。あとお前の問いへの答えだが、まあじきわかるから待っていろ。」


「うーわーもやもやする。」


 見えてきた村の入り口は関所のような建物があり、そこから延びるように村全体が石壁に囲まれているようだった。その上から垣間見える風車や建造物が中世ヨーロッパの田舎を思わせるもので、ジュリーの心は多少踊った。


「エリザベート様、ここって写真撮ってもいいですかね?ものすごくモモセさんたちに見せたい良い景色みたいですよこの村。」


「別にいいだろう。そうだジュリー、今回私たちは旅行に来た姉弟きょうだいとして潜入する。いいな。」


「はあ…まあ一応義姉弟ですし構いませんが、あの、その格好で普通の観光を気取るつもりですか?」


「何か問題あるか?」


 貴族としてのドレスコードには十分すぎる素晴らしいドレス(色合いがこの人位の容姿がなければ変にみられる気はする)ではあるが、観光というにはあまりに仰々しい気がする。その思いをジュリーは呑み込んだ。今更どうしようもない。


「ないですあねさん。」


「うむ。ではいくぞ。あまり浮かれすぎるなよジュリー。」


「はい…。」


 観光雑誌片手にそのセリフはおかしいと思ったジュリーだった。


 関所らしき場所につくと、二人の若い男女がいた。エリザベートが声をかけるとさわやかな笑顔で男性のほうが応対する。


「初めまして。観光ですか?」


「はい。弟と二人で参りました。とても美しい村だとお聞きしまして。」


「そうでしたか。ではこちらの用紙に記入をお願いします。」


「わかりました。」


 外面の良さレベルマックス!笑いをこらえるジュリーにエリザベートは記入を続けながら笑顔で後ろ蹴りした。


「これでよろしいでしょうか?」


「大丈夫です。あと申し訳ありませんが、入村する前に採血をさせていただかなければならないのです。」


「採血ですか。変わったことをするんですね。」


「申し訳ありません。この村はいまだ医療施設などは充実していないので、疫病対策をしなければいけないんです。数年前も世界中で大変なことになりましたし。」


「そうでしたか。僕は構いませんが、姐さんは大丈夫ですか?」


「もう。私ももう大人なのですから大丈夫ですよ!でもあまり痛いのはちょっと…。」


「指から採取しますのであまり痛くはないと思いますが…。」


「大丈夫だと思いますのでお願いします。」


「そうですか。ではこちらに…。」


 男性に連れられた場所にあったテーブルに採取に使われる道具が置いてあった。指示されるとおりに採血を行うと、全然痛くなくジュリーは感動した。エリザベートも同様に採血し入村が認められた。


「ようこそリラルカ村へ!村の案内などもございますが、いかがでしょうか?」


「うふふ、商売上手な方ですね。でも、お高いんでしょう?」


「あはは、二時間コースで30ユーロですよ。ガイドブックには載っていない名所などもご案内しますが。」


「ではお願いしようかしら。」


「ありがとうございます!では係りの者を読んでまいりますのでしばらくお待ちください。」


 待っている間二人はあたりを見渡した。


「おい見ろジュリー!村の中にあんなにでっかい滝がある!」


「ミネラルウォーターのラベルにできそうな感じですね!それに見てくださいよ姐さん!水がすっごく透明度高いですよ!川魚も泳いでます!」


「おお!食べられるのかな!?釣ったりして食べられるのかな!?」


「すでにお楽しみいただいているようで幸いです。」


「「!!」」


 二人して盛り上がってしまい案内係の人たちがきたことに全く気付かなかった。


「も、申し訳ありません盛り上がってしまって…。」


 エリザベートの恥ずかしがる姿に先ほどの男性と、案内係であろう女性はクスリと笑った。


「では、案内係の彼女にあとは引き継がさせていただきます。どうぞ観光をお楽しみくださいませ。」


 男性は丁寧にお辞儀をしその場を去った。だがその時、


「ん?」


「どうかしたかジュリー?」


「…いえ別に。」


 妙な違和感を感じた。


 案内役の女性、エーファは西洋人然としたスラリとした体形の若い女性だ。村という割には石畳で広いこの場所を、馬車で回ってくれるらしい。


「二時間30ユーロで馬車付きってものすごく安いですね。ぼったくられたりしません?」


「きっちり30ユーロオンリーです。ガイドで回るお店でお買物される方が多いので、その利益でちょうどいいんですよ。」


「はあ…つつましい方々ですね。」


「こらジュリー!」


「ありがとうございます。では、まずは山々と海が同居したヴァンディー通りを抜けてセシリア湖までご案内します。」


 馬車に乗り込み馬が走った。エーファはジュリーたちに場所の説明を行い、二人は広大な自然を堪能した。


「俺の実家も結構な田舎ですけど、やっぱり国が違えば雰囲気も何もかも違う気がしますね。」


「そうだな。山の形や木の種類も全然違う。」


 するとエーファが二人に尋ねる。


「お二人は恋人同士なんですか?」


「いいえ、これは弟ですよ。」


「あら、そうだったのですね。すみませんあまり似てませんね。」


「僕は養子ですので。血のつながりはないんです。」


「あらそうだったんですか。すみませんてっきり。」


「うふふ。ジュリーは恋人にするにはちょっと背丈が足りませんね。」


「なりたくてこの背丈にとどまったんじゃないんですよ。ったく。」


 エリザベートのからかいにジュリーは悪態づいた。その様子にエーファは穏やかな笑みを浮かべる。


「でも仲良しなんですね。」


 二人は顔を見合わせ、ジュリーはふん!と窓のほうを向く。


「おいジュリー!ここは仲直りの場面だろう!?何を拗ねてるんだ!」


「姐さんみたいな人と恋人なんてこっちから願い下げですよー。」


 それからしばらくすると目的地の湖についた。水鳥が戯れ、魚が跳ねる綺麗な湖だ。


「この村の名所の一つセシリア湖です。とても透明度が高いですがたくさんの生物が生息していて、観察を楽しまれる方も多いですよ。さらに飲んでも大丈夫です。」


「入口から見えた滝からつながっているんですね。でも海も近いですし、塩水ではないんですか?」


「付近の海とはつながっていないんですよ。入り組んだ川を経てつながっているためこの湖は淡水なんですよ。」


「ほう。なんとも不思議な場所ですね。」


「はい。この湖には昔女神が降り立ったという伝説もあるんですよ。」


「女神ですか?」


「はい。数百年前、氷の大地であったこの場所に豊穣の女神、セシリアが降り立ちたちまち緑に変えたという伝説です。彼女の力がいまだこの地にこうして美しい自然を生み出しているそうですよ。」


「だからセシリア湖というんですか。でも、これだけきれいな場所を神様が作ったと聞くと納得できる気がします。」


「そうですね。釣りなどもできますがいかがいたしましょうか?」


「姐さんどうします?釣り自体に興味はありますが、それをしていたら他をまわる時間が無くなりそうですよ。」


「…。」


 ジュリーが問いかけるもエリザベートは何か考え込むように険しい顔を続けるだけだった。


「姐さん?どうかしました?」


「ん?ああすまない。ここの魚は食べられるのか考えていてな。」


「…俺も人のこと言えませんが腹ペコキャラですか貴女?」


「申し訳ありません。レストランなど食事処は町に戻らないとありませんので、戻りましょうか。」


「え、ああいいえ!別にものすごくおなかがすいているわけでは…。」


「姐さん、もう少し外面キープすることを覚えたほうがいいと思います。すみませんエーファさん。町までよろしくお願いします。」


「承知いたしました。」


「あう、あうあう…。」


 赤面して動揺するエリザベートに加虐欲が刺激されるも、可哀想なのでそこまでにしてあげたジュリーだった。


 その後町に着くと、エーファはいくつかの食事処を紹介してくれた。地域の料理を満喫しお茶で一服する。ちなみに普通にエーファも共に食べていた。


「おいしかったです。ギネスシチューというのはアイルランドで有名と聞きましたが納得です。このジャガイモのパイも今度家で試してみよう。」


「この畜産物も野菜も魚介もすべて自給自足できるなんてすばらしい場所ですね。」


「お褒めに預かり光栄です。」


「それにしても街を歩いて思ったのですが、住民の皆さん若々しいというか、もはや若い方しかいない気がしたのですが…。」


「ああそれはですね、この村では代々年老いた老人は山に捨てるという風習が…。」


「え、怖い!」


「冗談ですよー。そんな風習あるわけないじゃないですか。」


「そ、そうですか。うちの地元あたりで似た風習があったらしいので、それがまだ続いていたのかと…姨捨っていう…。」


「冗談ですよね?…違うんですか?」


「うふふ、本当ですよ。」


「……え、えーとこの村は環境のおかげか皆さんあまり老けないんですよ。それに長寿な方が多いのです。ここの店主の方ももう40歳くらいですよ。」


「本当ですか!?二十代後半くらいだと思ってた。」


「ほへー、でも健康寿命まで長いなんて非の打ち所がない。」


「すみません。健康寿命とは何ですか?」


「元気でいられる期間の長さ、のことですかね。寝たきりの状態で長生きすることはありますけど、それは皆したくないですから最近はそのような用語が使われるんです。」


「なるほど。勉強になります。」


「あ、あと村の方にとって観光客はめずらしいんですかね?」


「どうしてですか?」


「いえあの、妙に見られている気がして。」


「気のせいだと思いますけど…。ご不快でしたらすみません。」


「いえ大丈夫ですよ。ただの思い過ごしかもしれないです。」


 そのあと、ガイドが終わったので街で買い物を楽しみ、宿へ入った。エリザベートがとったのは二人部屋のダブルベッドである。シャワーを浴び終わったエリザベートはベッドにダイブした。スポーツブラと短パンのみというだらしない格好であるが、プライベートではいつもこんな感じである。


「あー遊んだ遊んだ。田舎でも結構楽しいものだな!」


「それは何よりでした。明日はどうするおつもりですか?」


「好き勝手回らせてもらうさ。じっくり見たいところもあるしな。」


「承知いたしました。まあ羽目を外しすぎないでくださいね。」


「いわれずともな。ほらジュリーお前もこっちにこい。」


「ぐえっ。」


 エリザベートはジュリーの首襟をつかんで強引にベッドへ引きずり込んだ。


「はあ、ほんとどうかと思いますよ。嫁入り前の娘が男ををベッドに呼ぶなんて。」


「なんだいつものことだろう?」


「そうですけどね。」


「まあ、お前が嫁を貰った時は考えてやるさ。」


「恋愛禁止されてるんだから無理に決まってるでしょうが。」


「屋敷内は許可しているだろう?」


「選択肢がモモセさんしかないじゃないですか。高嶺の花過ぎて…。」


「私とジューンもいるだろうが!」


「ぐええ…首絞めんなぁ…。あと嫁さんは家庭的な人がいいです。」


「高望みな奴だな。」


「女性の高望みよりはましだと思いますがね。」


「まあいい。今日は腕枕で許してやる。」


「はいはい。わかりましたよ。」


 そうして二人は眠りについた。


次の日


「そろそろいいか。まったく、よくもまあグースか寝れるもんですね。」


 そっと腕を抜きベッドから立ち上がる。背伸びをして身支度を終えると、部屋を出た。


「あら、お早いですね。お出かけですか?」


 ロビーで受け付けの男性から声をかけられる。


「ええ。おはようございます。少し早く目が覚めまして、近くを散歩でもしようかと。」


「そうでしたか。どうぞお気を付けて。」


 ジュリーが頭を下げ宿から出ると、受付の男性はそそくさと裏へと入っていった。


「さて、どうするかな。こっち行ってみるか。」


 ジュリーが路地を曲がろうとしたその時、


「ぐむっ!」


 突然背後から布で口鼻を抑えられ両腕を拘束される。しばらくじたばたと抵抗するも、ジュリーはがっくりと動かなくなった。


「うーん、よく寝たー。」


 それから一時間ほど後、エリザベートは起床した。朝日に照らされ背伸びをすると首をかしげる。


「ん?ジュリーはどこだ?」


 どうやら近くには居ないようだった。仕方がないので着替えたのち部屋を出る。受付の男性に聞いてみることにした。


「すみません。ジュリーを見ませんでしたか?ああ、ジュリーというのは灰色の髪をした小柄な男なのですが。」


「申し訳ありません。ね。見逃してしまったかもしれませんが、まだ館内にいるかもしれません。」


「あらそうですか。まったくあの子ったら。書置き位してほしいですわ。」


「ははは。」


「まああの子なら大丈夫でしょう。しばらく外出させていただきますね。もしジュリーが来たら外に行ったと伝えていただけるかしら?」


「え、ええ。善処します。」


「ではごきげんよう。」


 エリザベートは気ままに外を歩いた。景色や店の商品を物色しながら優雅に見て回った。そして、一軒の小さな石小屋を見つける。貧相で廃れたように見えるその場所になぜか雄々しい男が二人武装して立っていた。


「ご機嫌よう。お二人は何をしているのですか?」


「ごきげんようお嬢さん。私たちはここを監視する門番です。」


「何か監視しなければならないものがあるのですか?犯罪者とか?」


 門番は笑顔で答える。


「ええ。そのようなものです。観光なさるなら、別の場所がよろしいかと。」


 その言葉を聞き、エリザベートも笑顔を浮かべる。


「私気になります!どんなものがあるのか少しだけ見学させてはいただけませんか?」


「申し訳ありませんが、それは出来かねます。」


「そんなに危険なものなのですか?」


「ええ。」


 エリザベートはじっと門番を見る。


「そうですか残念です。」


「なっ!?」


ドゴッ!


 次の瞬間銃を抜いていた傍らの門番が気を失い倒れた。エリザベートの蹴りによって失神したのだ。もう一人の門番も銃を抜こうとするが、


「では、無理やり入るとするか。」


 銃に手を触れる前にその意識を失ったのだった。


 石小屋の中は地下に広がっていた。かなり古いようでじめじめとしていて少し臭う。エリザベートは顔をしかめながら明かりで照らして階段を下りた。その最下層、そこにはまさに中世の牢屋があった。そしてそこにつながれていたのはしわがれたミイラ。


「ア…アア…。」


 か細いが声が聞こえる。こんな姿になってなおこれは生きているらしい。さび付いた金属の鎖につながれ目はくりぬかれ、肌は土のような色だ。髪も抜け落ち、もはや性別の判別もつかない。だがエリザベートはが誰か知っていた。


「セシリア叔母様…。」


「あら、ご存じだったのですね。」


 後ろから声がした。エリザベートに銃口を向け不敵に笑みを浮かべるのは、昨日二人を案内したエーファだった。


「エーファさん。」


「あなたの言うとおり、そのミイラこそ、この村を象徴する女神、セシリア。そんな姿になってもこの地に恵みをもたらしているのですよ。」


「どうしてこんなことを?」


「さあ?私たちが生まれた時にはすでにこうでした。ただわかるのは、彼女の体液は不治の病をも癒し、ただそこにいるだけで万物に恵みを与えるということ。けれど、もうすぐ終わりが来る。だから…」


「だから、第二のセシリアを探していた。いえ、待っていたのだな。あの検問の採血はそのためのものだろう?」


「その通りです。そして第二のセシリアは見つかった。」


 エーファの後ろから先ほど気絶させた門番たちがやってきた。エーファと同じように銃口をエリザベートに向ける。


「まさか、貴女ではなくあの坊やがセシリアと同じ力を持っているとはね。あなたと彼が義姉弟であったことが残念でならないですわ。」


「ジュリーもセシリアと同じ目に遭わせる気か?」


「まさか。次はもっとうまくやるつもりですよ。すでに自らの回復もできないセシリアと違い、永遠にその恵みを得られるように丁重に扱うつもりです。」


「永遠にこの村に閉じ込めると?確かにジュリーはこの場所を気に入ってはいたが、さすがに永遠にいたがりはしないだろうな。」


「ええ。ですから眠らせてもらいました。永遠に眠りながらこの地で生き続けるのです。本当はあなたは無事に返す予定でしたが、ここまで嗅ぎまわられてしまっては仕方がありません。ここで死んでいただきます。」


「無事に返す?ただ踏ん切りがつかなかっただけだろう?殺すことはいけないことだからな。手を汚すのが怖かったんだ。」


「…ではさようなら綺麗なお嬢さん。運が悪かったとあきらめてください。」


 三人は引き金に指を置き、引いた。


「ジュリー。」


パンパンパン!


三つの銃声が鳴り響く。なれない銃を使ったエーファがその眼を開くと


「な…なんで?」


そこには二つの影があった。


「演出好きはいいですけど、こんな場所でいきなり呼ばないでくれません?動きづらいんですよ。」


「ふん。いいところどりできて満足だろう?」


「いいところは仕事の時はいつももらってますよ。嫌でも。」


 そこには無傷のエリザベートと、青く光る剣を持ったジュリーが立っていた。そのあるべからざる光景にエーファは後ずさった。


「ひっ!」


 その時隣にいた二人の門番が倒れた。血を流して倒れたのだ。ピクリとすら動かない。


「どうもエーファさん。昨日ぶりです。」


「ど、どうやって…どうやってここに来た!?」


「そりゃあ力業ですよ。」


「あの、お前に嗅がせたあの薬は象すらすぐに眠らす劇薬のはずだ!」


「…よく聞きますけどねそのキャッチコピー。それにこたえるとすれば、簡単でしょう?」


 ジュリーは笑ってエーファに剣の切っ先を向けた。


「俺が化け物だからですよ。」


 エーファは驚愕と恐れをにじませその場にうなだれる。


「それにしてもどうして俺なんですかねえ捕まえたの。俺はただの眷属なのに。」


「けん…属?」


「ええ。」


 その時エーファは見た。ジュリーの隣にいた。人智を超えた強大な存在を。


「よっ。」


ガシャン


 エリザベートが片手を振ると、まるで棚から食器が落ちるようにあっけなく天井が吹き飛んだ。そして見えるのは暗雲のかかった雲空。人のなしえることではない。


「はい。俺はここにおられる吸血鬼の真祖、エリザベート・ゼクス・ブラッドリー様の眷属、ジュリー・ブラッドリーです。」


 エーファはすでに意識が飛びそうになるも、目の前の悪意に満ちた赤い目がそれを許してくれなかった。悪魔は落ちていた銃を拾いもてあそんで言った。


「こんなものでエリザベート様を殺そうなんて無理なんですがね。でも、俺はこう命令されているんですよ。『屋敷の者に手を出した不届き者は抹殺しろ』と。…それにしてもあなた方はあれですね。ウサギがたまたま切り株にぶつかったからって次も来るはずだと何もせずに怠惰に待つ、家畜のようだ。」


 ジュリーは剣を振り上げ、


「じゃあな豚ども。我が主に手を出そうとしたこと、後悔して死ね。」


 その剣を振り下ろした。


 すべてが終わった後、エリザベートはセシリアを地上に降ろした。


「ジュリー、水を汲んで来い。滝の流れる川の水だ。」


「承知しました。」


 ジュリーが組んできた水を手ですくい、エリザベートはセシリアの口へと運んだ。


「ジュリー。短剣を作ってくれ。」


「はい。」


 ジュリーは青く輝く短剣を創り出しエリザベートに渡す。すると短剣の光は紫電をまとい、エリザベートはそれをやさしくセシリアの心臓へ突き刺した。


「あ…ああ…。」


 そしてセシリアの体は光に散った。



「で、捕まった後に抜け出してセシリア様に関する文献などは回収しました。すべてかはわかりませんがね。一番知識のありそうな村長も拘束してありますが、話を聞かれますか?」


「いや、いい。記憶処理を済ませたら帰るぞ。」


「わかりました。」



 ことが終わると、村には雪が降っていた。帰りの船に乗り込むとエリザベートは今回の任務について教えてくれた。ジュリーはコーヒーを淹れながら話を聞いた。


「今回の任務は人間たちに拘束され利用されている真祖を解放することだ。サリム兄さまからの依頼だな。彼女の名はセシリア・ドライ・ブラッドリー。私の母様のいとこ、私たちの叔母のようなものだ。」


「主様は採血の時に自らは指に細工をしてただの人間と思わせ、俺をおとりにしている間にセシリア様を探していたわけですか。また回りくどいことを。」


「そのおかげで大ごとにはならなかったわけだ。セシリアについて知る者の大半はお前に釘付けだったからな。」


「うわー気持ち悪い。まだ文献を見ていないのでわかりませんが、どうやって人間がセシリア様を拘束で来たんでしょうかね?神器でも使わなきゃ無理な気がするんですけど、そんなものはないみたいでした。あ、これはモカ・シダモです。どうぞ。」


「ああ。…それはわかった。セシリア叔母さまに出会ったとき、頭の中に記憶のようなものが流れ込んできたんだ。」


「はあ、真祖同士の共感覚ってことですかね?」


「知ってほしかったのかもしれんな。」


 ジュリーは淹れたコーヒーをすする。


「セシリア叔母さまは万物を癒す力を持っていた。正確に言えば自らが正しいと思うように生物も環境すらも変えてしまう力を持っていたのだ。」


「さすが真祖。チート級の能力ですね。」


「ゆえに彼女はこの世のすべてを癒すことこそ自らの使命だと考えた。飢饉、災害、疫病、人類ではどうしようもない天災であったとしても彼女はその体を犠牲にしても人々を、世界を癒し続けた。」


「だから、目も指も…なかったわけですか。」


「そうだ。そしてその姿は修復できず、人々からはその姿ゆえに遠ざけられ恐れられた。」


「わかる気はしますけど、不憫ですね。」


「そして最後にたどり着いたのがあの村、リラルカ村だったわけだ。体中を蝕まれ満足に歩けなかった彼女を村人は助け、看病した。何十年ぶりの人のやさしさに触れ、セシリア叔母さまは残りの命をその村のために使おうと決めたらしい。凍土を緑に変え、乾いた大地を潤し、濁った水を浄化した。疫病も飢饉もない豊かな場所に変え続けたのだ。」


「ミイラのようになっても村人に道具のようにしか思われることが無くなっても、あの汚い牢屋につながれても、数百年間…ですか。」


「そうだ。だが、彼女は幸せだったらしい。ずっと苦しかったけれど、最後の最後まであの村の助けになれて、最期にあの川の水が飲めて、幸せだと…そう言っていた。」


「…そうですか。理解には苦しみますが、納得しました。」


 エリザベートはコーヒーを一口飲むと、一呼吸おいて大きく息を吸った。窓の外は真っ暗でひどく雨が降っているようだった。


「私たちは吸血鬼だ。強大な力を持ち、人間よりもはるかに長寿。だから、人と同じような方法では幸せにはならないのかもしれないな。」


 自嘲気味に笑うエリザベートの顔を見ながら少し冷めたコーヒーを飲むと、ジュリーは言った。


「主様。俺はどちらかといえば無趣味な奴です。絵も歌もやりますがその時の気分次第、飽きっぽい性格なのかもしれません。」


「それがどうかしたか?」


「けれどこの二十年ほどの人生の中で、父親に飽きたことはありません。もちろん母親にも。飽きたから新しいものが欲しいなんて思ったこともない。おいしいものを食べることに飽きたことはない、きれいなものを見ることに飽きたことはない。忘れっぽいからかもしれませんがね。」


「だからそれがどうしたというのだ?」


「つまり別に長寿だからって特殊な幸せでなければならないなんてことはないでしょう。セシリア様は苦しみながらも自分だけの幸福を見出した。それも一つの答えなのでしょうね。でも、だからって俺たちもそうでなければならないってことはないはずだ。寿命が長い分、苦しむ時間も多いけれど、幸せな時間も多い、それだけの話です。長生きすれば今の幸せに飽きるなんて俺はないと思いますよ。」


「そうだろうか?」


「まあ今は難しく考えなくていいではありませんか。話によると、寿命の長さは真祖と眷属は変わらないくらいだそうですし、同じ吸血鬼なら兄さんたちもいます。その上俺達にはジューンさんもモモセさんもいるではないですか。孤独ではないのですから、焦る必要なんてないでしょう?」


「…そうかもな。生きていれば腹も減るし、眠くもなる。欲というものは際限がないからな。」


「はい。愛を地獄に変えてしまうほどには際限がないですよ。」


「だが、ゆえに私たちは幸福を手に入れることができるわけだ。こうして人のぬくもりを幸せに感じられるのも、欲があればこそ。私たちが考えるべきは、何が欲になるかではなく、欲をどう扱うかだな。」


「はい。そうかもしれませんね。」


 疲れからかカフェインを摂取したというのにジュリーはコクリコクリと眠たくなってきた。いつもなら眠らないところであるのに、エリザベートが抱き寄せてくるものでその温かさがジュリーを深い眠りに誘った。ジュリーにはセシリアの幸せなど理解できようはずもない。なぜなら彼の一番の幸せの一つは、この暖かな眠りなのだから。船は暗雲を抜けまた走る。彼らの生きる人生がごとく、揺らり揺られまっすぐと。

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セシリア ~盲愛の女神~ 黒猫館長 @kuronekosyoko

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