第10話:無垢

帰宅してさっそく新島はパソコンで産婦人科について調べまくった。

とにかく時間が無い。

一刻も早く結子を病の不安から解放してやりたかった。

ところが、どこのホームページを調べてもどんぐりの背比べで、

要するに、当たり前だが自分の病院の自慢話しかしていない。

当然である。

自ら自分をヤブ医者と言う者はいない。

しかし、この公然たる自画自賛はいかがなものかと新島は首をかしげる。

そしてやはり女医が少ない。

あるといえば、銀座や青山のまるで高級ホテルのような内装の○○レディースクリニックと銘打つもので、敷居が高くてとても14歳の少女を連れては行きにくい。

思わず腰が引けてしまう。

やはり新島は大学時代の医学部の友人に尋ねることにした。

久しぶりの電話に相手は驚いていたが、答えはすぐに出た。

彼の見解によると、やはり産婦人科へ行った方が賢明だという。

皮膚科に行けば皮膚科の診断しか得られないが、

産婦人科だと産婦人科と皮膚科両方の診断が得られるというものだった。

彼は外科医だったが、彼の奥さんの弟が産婦人科医なのでその病院を紹介してもらえる運びとなった。

ありがたい……。

友達の存在に心底感謝しつつ新島は真っ先にすでに学校に出てきていた結子にこの朗報を知らせにいった。

そして、二人でこっそり体育館の裏で話し合った。

「僕の知り合いの医者だけどいいかい?」

「ホンマ!?。ありがとうッ!」

「女医さんじゃないけどいい?」

「ええよええよッ」

「僕を信じてくれる?」

「うんッ」

「じゃあ、予約入れるよ?」

「うん……ただ……」

突然結子の顔が曇る。

まだ何か秘密があるのかと一瞬心配して尋ねる新島。

「なに?」

「ホンマにセンセも一緒に付いてきてくれる……?」

なんだそんなことかと新島はホッとする。

でも、彼女にとってはとても重要なことである。

「ああ、当然だよ」

「ホンマッ!?。そこがメッチャ心配やってん」

「バカだなあ。ここまできて放り出さないよ。ちゃんと有給休暇とるよ」

「おおきにッ」

結子はふううッと大きな安堵のため息をついてにっこりじんわりと笑った。

「バカだなあ、ハハハハハ」

新島は微笑ましく余裕で笑った。


とは大見得を切ったものの、いざその産婦人科である。

実際この〝女の園〟というものに来てみると、

来る前までの余裕などはすっかり消え失せ、

まるで判決が出て収監される敗訴した被告のようにがっくり肩を落として身をちぢこめる新島であった。


あきらかに場違いである……。


周囲はみな女性。

100%女性。

みんな新島と結子のツーショットを白い目でマジマジと見ている……。

下は20代の若妻から上は50代のベテラン主婦まで。

まさに女のかたまり

そこに男は新島だけ。

しかも横には14歳の真っ白い小さな女の子……。

〝これはどういう関係ですか?〟とツッコまれたら、何の気の利いた返事も返せない新島なのである。

自分の娘では明らかにおかしい。

妹では歳が離れすぎている。

従兄弟いとこでもないしなあ……。

いやいや〝これは教師と生徒という清く正しい関係なんです〟と

堂々と胸を張って座っていればいいんだと自分自身に言い聞かせながらも

やはり実に肩身のせまい思いをしながら身を縮こませる新島であった。

そんな自意識過剰な意味のない自己嫌悪におちいる新島とは対照的に、

結子は空じゅうのもやという靄が消え去って

ピーカンの日本晴れになったような明るい安心しきった表情で新島の横に座っていた。

〝もうこれは一人で解決するしかない、ダメだったら大阪に帰ろう……〟とまで覚悟していた結子にとっては、

横に頼りがいのある大人の、しかも自分の学校の先生が付き添ってくれているという疑いのない事実は、

何よりも代えがたい彼女自身の喜びだったのである。

この喜びを精一杯噛み締めているだけで、

こんなにジロジロ白い目で凝視される緊迫した待合室であっても、

結子のほほからは自然と安息の笑みがニヤニヤとこぼれ落ちてしまうのである。

「センセ、私たちメッチャ見られてるね?、エヘヘ」

「笑い事じゃないよ」

必死で照れて必死で顔を赤らめる新島。

「かわいい」

「よせよ……」

そこへ「筒井さーん」と事務的に看護師の呼ぶ声。

ギョッとなる新島。

ピンッとなる結子。

「ほな、行ってくるね?」

「お、おう。がんばって」

「うんッ」

結子は幼児がピアノの発表会でステージに上がるような、

無邪気な緊張した笑みを浮かべて堂々と診察室へ入っていった。

そして再び新島は一人、世の女性の視線の集中攻撃を浴びることになった。気の毒に。


診察は15分くらいですんなり終わった。

新島も診察室へ呼ばれた。

中へ入ると結子が産婦人科医とにこやかに談笑しているのでとりあえず50%は安心することができた。

でも、まだまだ。

新島はさっそく診察結果を聞いた。

痒疹ようしんですね。おそらく生理やもの、あるいはオシッコなんかでかぶれたんでしょう。そこに天候やストレスなども影響して」

「産婦人科的な病気は……?」

「まずないでしょう。まだお若いし体調もいいですし。性交渉もありませんしね。性交渉をするといろいろ出てきます。あとは更年期ですね」

「そうですか」

新島は思わずホッと笑みがこぼれて結子を見た。

結子はムフフと可愛く照れ笑いをして返す。

「ウチでも塗り薬を出せますが、皮膚科を紹介しましょうか?。14歳で産婦人科は来にくいでしょう?」

「ああ助かります。いいよね?」

「うんッ。おおきに」

「バカ、医者せんせいに言いなさい」

「アハ、ごめん、医者せんせいおおきに」

と結子は舌を出して産婦人科医に頭を下げた。

やっと彼女から少女の無垢な笑みがこぼれた瞬間だった。

二人は軽い足取りで診察室を出た。

そのとき新島の目をキラッと或る反射光はんしゃこうが突き刺した。


分娩台……。

ギラリと使い古された鈍色にびいろの金属……。


新島はふと理屈はで説明できない感情に襲われた。

何だろうこの頭を叩かれる感情は……。

胸を締めつけられる感情は……。

〝自分と結子は間違ったことをしているのだろうか?〟

解からない。答えが出ない。

新島は何とか論理的に解明したかったが時間が足りなかった。

長居して見つめ続けるわけにはいかなかった。

結子はもう診察室を出ていた。

「………………」

不思議な感覚だ……。

生物学の教師である新島は〝釈然としない現象〟と〝それを論理的に解明できない悔しさ〟を抱えながら診察室を出た。


待合室で結子は一心不乱にガサガサとカバンの中をあさり始める。

「5千円しかない……。足りるやろか?」

「そんなこと心配するな。僕が出すからあとで返せばいい」

「夏休み大阪帰ってオカンからちゃんともらってくるね?」

「よろしいッ。無期限・無利子・無担保でございます!。へへへッ」

「キャハハハハハハハ!」

明るくて屈託のない乾いた結子の笑い声だった。

それを聞いた新島は少し余裕を持った。

しかし、まだ皮膚科が残っている。

会計を済ませて二人はその足で皮膚科に向かった。

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