第7話:秘密

「君だけじゃないよ。僕も教頭とうまくいってないもん。ハハ」

瞬間、新島は恥ずかしそうに結子に笑いかけていた。

笑いかけてしまっていた。

新島は驚いた。

新島は不覚にも笑ってしまった。

と同時に気持ちがスッキリしていた。

新島は、告白すればきっと後悔や諦めの念がくと信じていた。

しかし、新島は安心してこころよくなったのである。

新島はなぜこのような感情に到ったか理由を解明しようとした。

しかし叶わなかった。

それでも諦めず追求しようとしたとき、結子が喜んだ。

「ホンマ……! 私だけやなかったんや。うれしい。先生、おおきに。ほんなら二人だけの秘密やねッ」

結子は、狂喜し、満面の笑みを見せた。

中原淳一のツンと美しい白い顔……。

結子も新島の告白に感動した。

先日大ゲンカした相手とまさかこうして同じ気持ちを共有できるとは想像だにしなかった。

そのギャップに胸を締めつけられるほど狂喜したのである。

新島も同じく満面の笑みを自然と見せた。

新島も結子の言葉に感動していた。

二人は、結子の〝二人だけの〟という言葉で、優しいつながりを持ち、そして快感を覚えたのである。

「つながり……」。

二人は頭の中でそうつぶやいた。

どうして二人でつながりを持とうなどと思ったのだろう?。

結子は無邪気に喜ぶ。

教師である新島は少し狼狽ろうばいして喜ぶ。

新島は、聖職としての壁に、僅かだがそこに穴を開けてしまったことへの自戒の念も同時に感じていた。

でも、あの自閉的な結子が無警戒に自己を解放してくるのが実に清々すがすがしく気持ちよかった。

新島は、胸が痛くなりながらも、

〝心地よかったのだからいいじゃないか〟と開放的な結果論を抱えて自然と明るく結子との話を続けた。

その態度は結子にも反射され、結子はさらに大胆になった。

「私、歌手になりたいねん」

「あ、そうッ」

またまた突然である。

そして、またまた腹を割った行為だった。

突発的に新島は聞き役に回らざるを得ない。

でも、気持ちいい。結子も気持ちいい。

結子はせきを切ったように続ける。

「曲書いてオーディション受けたいねん」

「音楽科に行きたいの?」

「うん。音楽勉強して曲が作れたら。でも、私の成績やとどうなんやろ?。難しいかもしれんわ」

「そうか」

「アホでしょ?」

「そんなことないよ」

「恥ずかしいから進路指導でもまだ一回も言ってないねん」

「そうか。じゃあ進路指導の先生には今まで通り普通高に進学することを相談すればいい。音楽については僕に相談しに来なよ」

「ホンマに!」

「うん。ただし、内申書を取るときにバレちゃうから、そのときだけは先生の前で恥をかかなきゃいけないね」

「ええよええよ。1回だけやろ?」

「うん」

「全然ええよ。それより、ホンマに先生、協力してくれるのん?」

「いいよ。でも両親に許可を得てからだよ」

「分かった。ほんなら私、いっぺん大阪帰ってみるわ」

「そうだね」

「あ、アイスもう溶けたわ」


二人は笑った。

新島は、日頃、悠然と教室でマンガを読んでいた結子も、一人胸の中では誰にも相談できずにこんなにも思い悩んでいたのかと単純に驚いた。

新島は、誰にも秘密を相談できないで深夜、一人ラジオを聴いている結子の姿を想像し、いてもたってもいられなくなった。

「淋しくないかい?」

「え……?」

「あ、いや、なんとなく……」

急に結子の顔が曇りだす。

「淋しいよ……。さっきから言ってるやん……」

結子が突き刺すように言う。

「ごめん……」

新島は無神経な質問だったと心から謝る。

「あ、いや……そんな意味や……」

結子はすかさず反応する。

「……」

黙る新島……。

「ごめん……」

結子は訳も分からず謝る。

マヌケな光景である。

でも新島には、この結子の健気けなげさがたまらなく胸をきむしられるほど強烈に愛おしかった。

新島はついに「献身的な病人・結子」に心を動かされてしまったのである。


「あるよ……」


「え……?」

「女の人のアソコ。見たことあるよ」

「そう……」

結子は申し訳なさそうに、でも、何だか嬉しそうに返事をした。

「それがどうかしたの?」

結子は急に声のトーンを低くしてつぶやくように言った。

「先生、生物の先生やろ。身体からだの事とか病気の事とか分かる?」

「生物学の範囲内だったら……」

「……………………………………」

新島はついに核心に入ったことを実感した。

結子も悟った。

ここが好機である。

こここそ好機である。

ここしかない。

新島は急がず慌てずじっと結子が言葉を出すまで待った。

すると、結子は一度ためらったがしかし意を決して話し始めた。

「私、アソコに変なブツブツがあるねん」

それはまったく新島が予想していなかった言葉であった。

見たこともない球。何の変化球だ?。

話がどこへいくかまったくわからない。

でも、今、自分と結子は明らかに中枢の核の中にいる。

新島は続けて話を慎重に進める。

「ブツブツ?」

「うん……」

「湿疹?」

「分からん……」

かゆいの?」

「うん」

「広がってる?」

「うん、怖い……」

「病院には?」

「まだ」

「保健室の先生には?」

「私、保健室、よう行かん。なんか行きにくい……」

「そうか……」

「先生……」

「うん」

「なんか、めっちゃ怖い……」

新島には、結子が明らかに新島に助けを求めてきているのがはっきり理解できた。

しかし、これ以上は明らかに一線を越えた危険な行為になってしまいそうな際どい予測も感知できた。

正直、新島は関わりたくなかった。

しかし、新島はあえて前に進まなければならなかった。

新島には、病人を放り投げるわけにはいかないという自己犠牲の精神が当然強くあった。

しかし、何よりも、せっかく結子が個人的な悩みをここまで犠牲を払ってまで打ち明けてきてくれた〝純潔じゅんけつな捨て身〟を、まるでキッチンの三角コーナーに残飯を吐き捨てるがごとく冷徹に扱うわけには到底いかなかったのである。

新島はドキドキしながら前へ進む。

「それで相談できる先生を……?」

「軽音楽部を作るのも、文化祭でステージに立ちたいのもホンマのこと。でも、ホンマのホンマは、このことを誰かに相談したかってん……。その人、探しててん……。もう、私、誰もおらんし……、薬ないし……、どこの病院行ったらいいか分からんし……。でも、痒くてしょうがないし……、そんで、いたらどんどんブツブツ広がっていくし……。もう、頭ン中メチャメチャやん……」

結子は振りしぼって言う。

「そうか……」

新島は親身に答える。

「身体のことって身内にしか相談できんやろ?。でも、叔母さんとはああやし。そんで私の家は……」

「うん」

「家はその……」

「うん」

「だから、私……あの……」

結子は珍しくと焦りながら発言を躊躇ためらう。

たぶん結論は近い。

もうつんのめって聞いている新島は自然とその先を絶対に聞かなければならない。

「それで?」

「誰にも言わんって約束する?」

「言う人なんていないよ」

「聞いて引かんでね?」

「もちろん」

「あのね……」

「うん……」

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