第6話:進入

どうやら本題に入った。

新島は優しく耳を傾け、じっと辛抱しんぼう強く結子の話を聞くことを決めた。

14歳の少女が真剣に深刻に勇気を振りしぼって話をしている。

きっとこの奥に新島の知りたいことが隠されているに違いない、

新島は強く欲求し思った。

しかし、それよりもまず、病人の話自体を聞いてやることが「見舞い」というものの本来の意味ではないかとも同時に内省した。

だから彼女が話しやすくなるように優しく言葉を連ねた。

「じゃあ何で……?」

「ホンマは顧問の先生探しててん」

「顧問?」

「相談に乗ってくれる人が欲しかってん」

「相談……何の相談……?」

「ううーーんん……」

また結子は黙る……。

じっと待つ新島……。

しかし今度は長い。

やはり沈黙が意味を持ち始める。

それでも結子は喋らない。

それでも新島は辛抱強く待つ。

「……………………………………」

沈黙はもうとっくに意味を持って、もうそれが過ぎ去って、もう訳の分からないシュールな意味合いを持ち始めているのにもかかわらず、なおも結子はおし黙って悩んでいる。

さすがにこれは手を差し伸べなくてはならない長さだと新島は悟った。

「そんなに重要なことならまた日を改めて……」

「いや、聞いてほしい。もう、私、センセしかおらんわ」

結子はにこやかにでも淋しげに苦笑する。

その無理な笑いじわが新島にはいじらしい。

「なーに?」

「その前に、センセに質問していい?」

結子は重く発した……。

「答えられることならね」

「センセ、女の人とエッチしたことある?」

予想外の質問に新島はたじろぐ。

しかし、結子の口調は「エッチ」などという軽薄な言葉の意味を裏切るような極めて真摯しんしなものだった。

パジャマの襟元から結子の美しい白い鎖骨がのぞいていた。

「なに言ってんのッ……」

新島は照れて怒った。

でも、突き放しはしなかった。

というのも、そのまったく今関係のない性に関する質問を、

結子が何だか妙に或る意味を持つような真面目な口調で、

しかも、あえてこの本題に入ってのタイミングで投げ掛けてきたからである。

新島は、その本番まっただ中の結子の真摯な口調を無下にはできなかったのである。新島もまた真面目に返さなければならなかった。

「真面目に言ってるの?」

「うん。すごく真面目。私、軽音楽部一人で作ろうとしてたやろ?。あれ、明らかにおかしかったやろ?。その理由やねん……」

「そうなの……?」

「ホンマ」

キッパリ結子は言う。

その言いっぷりのこざっぱりした男前さ加減に新島は共鳴し、

実害のある質問でもないので、女性の経験だんぐらい話してもいいか、

と犠牲を払って開き直って結子の質問に答えた。

「あるよ」

心理的にも動作的にもサラリと答えた。

するとさらに結子はツッコんでくる。

「女の人のアソコ、見たことある?」

「ふざけてるでしょう?」

「違うッ違うッ!。ホンマやねん。聞いて。ホンマに文化祭の話に関係があるねん!」

ツバキを飛ばし切羽せっぱつまって結子は言う。

でも突然この質問である。

これは中学生の性教育の範疇はんちゅうや友達の猥談を飛び越えて何やらままならぬ方向へなだれ込んでいく危険性を新島は大いに感じざるを得ない。

この状況はどう説明していいのか、つまり、

打つ気満々のバッターが思いっきり引っ張って一発長打を打とうとしているのか?、

それとも、逆らわず逆方向にクリーンヒットを狙おうとしているのか?、

あるいはフォアボールで塁に出ることを目論んでいるのか?……。

新島は悩み考える。

塁はすでに埋まっている極めて緊迫した場面である。

いきなり勝負はできない。

とにかく新島は一球さぐりを入れなければならないと思って打たれない言葉を投げた。

「どうしてそんなこと聞くの?」

この様子見の一球に結子は不細工に反応した。

「私、ホンマに、自分の曲、作ってんよ?」

結子はそっとピアノを見る。

部屋には使われた形跡がない少しほこりのかぶった古い電子ピアノが無造作に置かれている。

「そのピアノで作ったの?」

話を合わせる。

一見、話がれたかのように見えるが新島はそうは判断しなかった。

新島が聞きたい急所の片鱗へんりんが結子の思い詰めた瞳から察することができたからだった。

だから、新島はあえてピアノの話題に言葉を乗せて結子に渡した。

結子はピアノを見ながら少し落ち込んだ感じで、しかし明るく言った。

「電器屋に行ってそこのピアノで作ってん」

「何でまた……?」

新島は少し驚いて聞いた。

すると、結子はピアノから目を外し、おし黙った。

そして思い詰めたように言った。

「ホンマはこのピアノ置いてるだけやねん。こっち来て一回もいてへん。弾いたら叔母ちゃん、メッチャ怒るから……」

「でもスコア書くでしょう?」

「それも外で……。私、叔母ちゃんとうまくいってないから……」

結子は沈み込んだ。

「そう……」

新島は気をつかって答えた。

「私、どこ行っても一人やん。誰ともうまくいかん。元々友達あまりおれへんけど、みんな大阪におる。ホンマは大阪に帰りたいんやけど、今、うち、色々複雑やから……。先生、ずっと女子バスケの顧問やってるけど、生徒たちとうまくいってる?」

「そうだなあ……」

新島は、自分も主将の川嶋をはじめ、昔から女子部員たちとの人間関係があまりうまくいっていないことをかえりみた。

8年間の教育人生で〝十代の女の子が一番難しい〟というのは骨身に沁みていた。

新島は、この狭い空間で何だか結子と思いもよらぬ共通点を持ったことに、しんみりとした安堵感のようなものを、冬山で温かい毛布を掛けられたようにしみじみと感じていた。

そして、今、ここに、この〝ひたむきにそして健気けなげに全力で自分をさらす結子の存在〟である。

その存在が、教師である新島を〝教師であることを忘れさせる〟ぐらいに開放的にさせたのは偶然なことではない。

「僕もあんまりうまくいってないんだ……」

新島も本音を言った。

「ホンマに?」

結子の表情は和らいだ。

自分と同じ悩みを持つ人間が現れたのが純粋に嬉しかった。

新島はその安堵しきった笑顔を見て柔らかくんだ。

結子は、腹を割った自分に新島が乗ってくれたのが嬉しくて、更に腹を割った。

「キャプテンの川嶋さんおるやろ? 私、川嶋さんホンマは苦手やねん。川嶋さんも私のこと苦手やと思う。誰も悪くないねん。きっと合わへんのやろうなあ……」

新島は、結子の〝誰も悪くない〟という発言に、結子の人柄の良さに触れたような気がして心が洗われた。

「こんなん、私だけやろか?」

新島は即答せず、一瞬だけ結子の様子を見た。

結子は、言葉を続けなかった。

新島は、この言葉の中に、結子が新島にコンセンサス(合意・一致)を求めてきているのが理解できた。

新島は自分も腹を割るかどうか決断しなければならなかった。

当然いやだった。

しかし答えは見えていた。

自分も腹を割らなければ軽音楽部創設、いや、それ以上の結子のただならぬの真意は確かめられないと強く思った。

新島はそう直感し判断した。

同時に腹を割ってしまったらその割ったことに対しては後戻りはできないと理解もしていた。

新島は大きな深呼吸をしたくなったがこらえた。

新島は頭が真っ白になって無我夢中で言葉を発した。

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