第4話:後悔

ところがであった。

この結子の病欠4日間の「太平洋一人ぼっち」を心配する男が一人いた。

なんとバスケ部顧問・新島明なのである。


あの、どうしたんだろう……?


実はバスケ部の退部のやり取りにおいて、新島は少なからず後悔していた。

顧問とはいえ、少し言い過ぎだったのではなかったろうか?……。

そして、生徒一人一人にまで謝罪をさせた行為は、部活の指導としては行き過ぎだったのではなかろうか?……。

そんな心持ちで新島は一人、律儀にも自問自答し続けていたのである。

実に不器用で真面目な男なのだ。

そんなこともあって、実は新島は、ひとり孤軍奮闘、東奔西走する結子を、陰ながら遠くで見守っていた。

これは新島が気が小さいということではなく、

ましてや〝結子が自殺でもしたらタマラン〟という公務員的な無責任な責任感でもなく、

単純に、必死に文化祭の晴れ舞台を夢見て走っていたいじらしい少女をなんとも言えず無下には放ってはおけず、

愛くるしいというか切ないというか、苦しい胸の痛む眼差まなざしで結子を見守っていたのである。


4日連続しての授業の欠席……。


新島には、職員会議の連絡で、風邪ということは知らされていた。

新島は、それとなく結子の病状についてバスケ部の生徒に尋ねてみた。

生徒の反応はまったくの無関心であった。

生徒同志で顔を見合わせてあたかも結子の病欠に少しでも関心があるかのように振舞うという偽善的な動作もなかった。

ただ、しらけた空気だけが蔓延まんえんしていた。

このとき新島は、学園生活において、いかに結子が孤独な日々を送っていたかを知った。

そして、あのときの、学生が仲間同志でおもしろおかしく文化祭の準備をする中、

けなげに独り軽音楽部創設を願って奔走する結子の姿が孤高なものに思えてならなかった。

しかし、同情はしなかった。

むしろ心配が先に立った。


落ち込んでるだろうな……。

でもなぜあそこまで一心不乱に……。


新島は、結子の見舞に行こうと思った。

なぜ結子がそこまでして軽音楽部の創設にこだわったかを聞いてみたいと思った。

結子の見舞に行くことは、その〝けったいな〟彼女の心理の奥の奥にある人間臭さを垣間見ることができるのではないかと想像した。

自分が退部手続きのとき辛辣しんらつに扱ったにもかかわらず、けなげに言うことを聞いて、部員一人一人に頭を下げたその真相が聞けるのではないかと直感的に衝動的に心が震わされてならなかった。


放課後、新島は、欠席中の授業の課題とその内容説明を理由に、教頭に結子の家庭訪問の許可を得た。

この機会を逃しては、もう個人的に結子に接触する場面は訪れないであろうと確信していた。

許可が下りたとき、歓喜や安堵よりも、この貴重な機会をいかにかすかという焦燥の方が新島を支配していた。

そして何よりも、やっぱりあの時の非礼を、「行き過ぎた行為だった」と心からおびしたいと思った。

新島は心底みずから反省するために結子の家へ向かいたいと思ったのである。


夕方、新島は、担任の師岡正人から聞いた結子の住居に着いた。

門前に来ていきなり新島は戸惑った。

なんと表札は「筒井」ではなかった。

しかし、住所のプレートは合っているので新島は躊躇とまどいながらもインターフォンを押して中からの反応を待った。

「はい……」と冷たい声がした。

よそ者を排他はいたするような事務的な言い回しが新島を警戒させる。

「筒井結子さんの理科の教師で新島と申します。欠席中の授業の資料を持って参りました」

〝ぎぎー〟という錆びた蝶番ちょうつがいの音……。

ほどなくしてドアを開けたのはせギスの中年女であった。

年齢的には結子の母親でもおかしくはないと新島は思った。

女は「はい……」と言ったきり自分のペースを崩さずに無表情で新島の服装を見回した。そして新島の反応を待っていた。

新島は、相手が明らかに自分をこころよく受け入れていないことを察知し、肩書きを最大限に利用することを決め、ゆっくりとした口調で言った。

「結子さんの理科の教師の新島です」

女はペースを崩さず、無愛想なまま

「はあ……」

とだけ暗くつぶやいた。

新島は、あくまでも能動的にならない女のペースには乗らないように注意し、

自分も事務的に単刀直入に話を進めた。

「授業の内容で具体的に説明しなければならない箇所があるのですが、直接結子さんに会うことはできないでしょうか?」

女は、自分のペースに新島が乗らなかったことが予想外で、一瞬沈黙を置いたが、

新島が強く目をらさなかったので、自然、喋らなければならなかった。

「どうぞ……」

ドアを開けたときと比べて明らかに覇気のない不満気な返事である。

取りあえず結子には会える。

新島は、最大の関門を突破したことを認めた。

そして強い安堵感を胸にしまいながら家に上がった。


中は清潔で古い家……。

柱や廊下のキズが目立ったが、つやがあるので人に拒否感は与えなかった。

花も絵も飾っていない殺風景な空間……。

新島はモノクロームの世界に居るのではないかと一瞬錯覚さっかくした。

「階段を上がった部屋です」

女はそう言うと台所へ引っ込んでしまった。

たちまち新島は困惑する。

仲介に立ってもらわなければ、どう結子に挨拶していいのか判らないのである。

自分は何をしに来たのだろう?。

新島は初めて目的を見失った。

女はお茶の用意をしに行ったのか?、それともそのまま放り投げたのか?、

とにかく新島は結子のもとへ向かわなければならなかった。

階段を上がり結子の部屋の前に来た新島は言葉が出なかった。

しかし、このすぐ奥に結子の心が存在していると思うと引き返すわけにはいかなかった。

咄嗟に新島は病院での見舞を思い浮かべた。

「これが病院だったら……」

そう思うと自然と手が戸をたたいた。

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