第3話:背信

さて、数日後。

結子はさっそく担任の師岡正人に退部報告と軽音楽部新設の話を公式に打診する。

ところが当の師岡正人はというと

「えッマジ?。本気だったの?、ケケケ」

まるで町場のあんちゃんである。

教員一年目が過ぎ、公務員が板についてきた師岡正人は実に無責任なチンピラにすっかり成り下がっていたのであった。

ゴングが鳴っていきなり強烈な左ストレートをもらって一瞬身体からだに電気が走りクラッとダウンしそうになった結子。

でも、まだまだ1ラウンド。ここで倒れるわけにはいかない。

結子は気を取り直して師岡正人の本心を希望的観測で探る。

「えッ、でも、先生、手伝ってくれるって言うたやん……」

「冗談だよ。やめろよ、3年が、いまごろ。めんどくせえッ」

「なんやてッ?」

8ラウンド不覚のダウンである。

頭にきた。

師岡正人にもであるが、こういう人間に頼った自分自身にも、そして師岡正人という教師がこういう人間だったということを見抜けなかった自分自身の甘さにも腹が立った。

怒りを内向的に自分自身に向けがちな結子ではあったが、これはさすがに師岡正人本人にぶちまけた。

「アンタそれでも教師なんッ!?」

言われて師岡正人の顔が薄ら斜めになる。そうなると師岡正人にとって結子という女は別れ際のうざったい女のような存在でしかないのだ。

「どうしろっつーんだよ?」

「お願いですッ。助けて下さい」

「ハハ、ほかの教師に頼んでよ」

「先生にやってほしいんです。お願いですッ」

「ペーペー教師の僕なんかに何もできないよ。ベテランの先生に頼んだ方が早いよ。いっそ一人でやった方が早い。ハハ」

「アンタ、担任やろうッ!?」

「担任だから言ってるんだよ!。面倒なことに巻き込まないでくれよッ。早く諦めて大人しくバスケ部で幽霊部員やってろッ。うざってーなあッ、もうッ」

「ひどいッ……!」

思わずのどが泣き声でと上ずる。

「やれやれ、オイオイ、やめてくれよ」

「ホントにやりたいんです……」

「ケケケ、女の『やる』ってのは当てになんないからなあ」

「死んでやるッ」

「おおッ死ねよ!。死んでみろ!」

「なんちゅう、ひどいッ!」

「もう帰るよオレ。付き合ってらんねえ」

師岡正人は見向きもしないで見捨てるように容赦なく一人去っていく。

「あッ、待って!。待ってえええええ!」

結子はみっともなく一人女々めめしく叫ぶしかない。

そしてメソメソとベソをかく。

でもでも、でもだ。まだ8ラウンド。

終盤逆転KOだって、あるいは判定勝ちだってあり得るんだ。

ここでタオルを投げられるわけにはいかない。

一瞬ダウンしてくじけそうになりながらも結子はセコンドの

〝立てー!。立つんだ結子ォォ!〟

という声にビンタされながらなんとか立ち上がり、

最終ラウンド、部活統括の安藤浩一のもとへと向かった。


その我が校・希望の星、「安藤浩一46歳おっさん」はクラゲのようにナヨナヨ浜辺にへたり込む。

「ちょっと待ってよお……。困るよお……。いきなりじゃないかあ……。勘弁してよ……」

腐っても日体大ではなく、腐った日体大出だった。

安藤浩一とは土壇場で逃げる男だったのだ。しかも軟弱なんじゃくでみすぼらしい……。

とは言え、今の結子に頼れるのはこのクラゲ安藤浩一しかいない。

まるでどっちが教師か分からないくらい安藤浩一を励ましながらなんとか軽音楽部新設への道を切り開こうと涙ぐましく声を掛ける結子であった。

「大丈夫やて、先生ならできるよ」

〝私、何言ってるんだろう?〟と半ば馬鹿らしくあきれつつも結子は商談を進めるしかない。

「みんな、ビビッててん。先生、やってくれへんやろうか?」

「僕だってビビってるよ。学校ってのは規則ってものがあるんだよ……。部員一人じゃなあ……。部費もろくに出ないし、第一、前例がないし……」

「私、部費なんて1コも要らんよ。全部自腹でやったる」

「そんなことしたら僕は教頭から大目玉だよ。とにかく学校というところは前例がないことはできないんだ。そういう規則なんだ。ね?、頼むよ。頼むからボクを困らせないでよ……」

この46歳の戦意喪失の無条件降伏の態度には、14歳の結子も怒りを通り越して呆れというか同情に近い憐れな感情がメラメラと燃え上がるのであった。

「先生、40過ぎてるんやろ?。だいの大人がそんな姿生徒に見せて恥ずかしくないのん?」

「40過ぎてるから問題なんだよ……。僕もここが出世できるかどうかの瀬戸際なんだ。訳の分からない地方になんか飛ばされたくないし、このまま上手くいってなんとか教頭ぐらいまでにはなりたいんだよ……」

「………………」

果して大人が子供に、ましてや教師が生徒に話すことだろうか?。

結子はKO、判定負け、あるいはテクニカルノックアウトというより、もう、何だか選手引退のテンカウントを聞いたようなそんなやるせない気分に襲われた。


終わりやな……。


思わず結子は言葉を落とした……。

落ち込んでいた……。

憂うつだった……。

こうなったらヤケで教育委員会にでも訴え出てやるなどと考えてはみたが、

まったくこの二人の不甲斐ないヘタレ公務員教師のやりとりで、

結子の心は完全に延髄えんずいを切られたように落ち込んでしまっていた。

そして、落ち込んだときに限って身体からだは弱っていくものである。

知恵熱は出るわ、下痢はするわ、食欲はないわで、

結子は一人死人しにんの目をして校内を不気味にさまようことになってしまう。

嗚呼、なんと憐れな14歳の少女。

「ほとぼりが冷めたらきっとできるよ」

などと無責任な声援を送る女教師もいたが、

結子にはほとぼりもへったくれもなく、

かなりの破滅願望が入っていたので、

〝これで出来ないのならもう学校なんてどうなってもいいや〟

〝いっそ行かなくてもいいや〟

なんてますますディプレッションの沼にはまり込む。

となると必然的に授業もなまけるようになり、生活態度も荒れる。

自暴自棄というヤツか……。

だんだん悪酔いしてきて校内の厄介者やっかいものに堕ち込んで深みにはまっていくのだ。

そんな結子に、教師たちは、グレた生徒とは違うけど、何と言うか、

まるで腫物はれものを触るような苦笑いで、

まるで接待ゴルフをやらされているような気色きしょくの悪い笑顔で彼女に接するよりほか結局ないのである。


〝けったいな娘やな〟


関西風に言うとこうなるが、

こういう経緯けいいで、今、結子は職員室でしちめんどくさくマイナスの意味で話題沸騰になっている次第なのである。

もうこうなると構ってくれる奇特な人間はこの地球上には存在しておらず、

教師たちはみな、次の標的にならないように、

あるいは結子の乱れ撃ちの流れだまに当たらないようにまるで結子をバイキンのように扱うしかないのであった。


ついに結子は倒れた。

とうとう学校を休んで寝込んでしまった。

とは言ってもこの一連のショックが原因ではない。

ただ単に風邪を引いて熱を出してしまっただけのことである。

悪いことは重なるもの。

誰のせいでもない。

しかし、教師たちはみな一様に結子をシカトした。

4日と結構長く休んでいたが、

風邪という届け出も出ていたので、

誰もあえて様子を見に行こうなどという者はいなかった。

結子の長期バケーションに付き合ってまた面倒くさい話を吹っかけられて苦労するもイヤだし、そんなリスクをおかしてまで見舞いなどしたくはない。

これが公務員の本音。

従って〝だ~れも〟家庭訪問などには行かずに〝み~んな〟一様に結子を無視したのである。

なんとわびしい話か……。

なんちゅう難儀な話やねん……。

またまた関西風に言うとこうなる。

実に気の毒な結子であった。

ところが……。

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