第2話 初めての飛行、それはもう二度と御免な惨状であった。

「えー、というわけで君は敗者、私は勝者!つまり私の方が強い。これはお分かり?」


 ズビシとこちらを右手で指差す女。


「うっせ、髪返せ」


 その女の右手を左手で叩き落し、思いっきり睨み付ける。


「まあまあ、そう怒るでない!フッハハハハハッ!」

「うっせ、頭ぺちぺち叩くな」


 豪快に笑いながら俺の頭をぺちぺちぺちぺち叩き出した女の右手をこれまた叩き落して、叩き落して、叩き落すも何度も頭を叩かれる。

 あまりにもうざいのでこっちが折れる事にし、俺はふと気になっていた事を訊ねる事に決める。


「というかそのエロ際どい衣装、それが俗に言うフライングスーツってヤツなのか?」

「ああ、私の着ているこれか」


 そう言って女は自らの着ているスーツの胸元の薄い生地を摘まんでクイッと引っ張って見せる。同時に女の深淵が僅かに見え隠れし、思わずドキッとさせられ、目を伏せる。


「まあ、概ねの所は正解。だがこの面と両肩と肘膝のヤツはただの防具だぞ?私の飛行を可能としているのはこのタイツっぽい薄生地のみだ」


 そして生地から手を離す。直後、ピチッ!と女の胸元に生地が戻り、同時にプルンと胸が小さく揺れた。


「ふ、ふーん、その薄生地がねぇ……」


 ――DTには厳しい衣装だな。これを童貞殺しとでも言うのだろうか……いや、概要が違うような気がする。うん、きっと勘違いだろう。


「何だ?君も着てみたいのか?」

「誰がんな際どい衣装を着るかってんだ!」

「とは言うがさっきから目が釘付けになっているような気がするのは私の考え過ぎだろうか?ん-?」


 確信を突いたぞ、と言わんばかりにドヤ顔をする女だが、俺が釘付けにされているのは主に肌部分だ。詳細に言うと、その薄生地の隙間から見えている両肩だったり、大きく開けた背中や項ばかりで、別にフライングスーツに魅せられているわけではない。


「そ、それは……」


 ――この女、自分が際どい衣装を着ているって事に気付いてないのか?もしかして天然?それともわざと気付かないふりをしている……?ま、まあ、いずれにせよこの女が異常である事に変わりはない。それよりこれからどうしよう……負けた。しかも二回もだ。更に言うと代償として一方的にこんな頭にもされてしまった。こうなってはもうどうしようもない。復讐も叶わないだろうし、再戦してまた負けたとしたらどうなる事か……考えただけでぞっとする。ともすれば、ここは……


「んー?黙り込んでどうしたぁー?やっぱりこのスーツを着てみたいのかぁ~?」

「……そ、その通りです!俺も空を飛んでみたいです!ついでに言うと入部……いえ、弟子にしてください!」

「ほうほう、私の弟子に……って、弟子?」

「はい!あなたの華麗な身のこなしと剣技に惚れました!一目惚れです!是非とも弟子にしてください!」


 土下座からの深々と頭を下げる。その俺の姿勢に感銘を打たれたのか、女は無言になった。それから暫しの重苦しい空気が流れたかと思えばこう返してくる。


「そうね……弟子はさすがに無理だけど、部活の後輩としてなら少しの間だけ面倒見てあげられるわよ」

「少しの間だけ……?それってどういう――」

「あー、そこら辺の質問は無しでよろ☆ ほんで?どうするわけ?」


 少し、ほんの少しの時間だけ考える。

 実際にするとほんの五秒程だっただろう。

 その間で俺は様々な理由を考察した。が、納得の行く結論は出なかった。

 けれどこの女にいずれ仕返しする機会が来るのならと思い、コクリと頷く。


 実の所、俺はこの女の弟子や部活の後輩などになるつもりは毛頭無い。

 ただこの頭にされた恨みを晴らす事だけを考えていた。

 なので彼女の提案はいずれそういう機会が来る可能性が高いのでぶっちゃけ理に適っていると思った。

 それ故の頷きである。


「ほんじゃ、早速入部届けを書いてもらおっか」


 そう言って女は胸元に右手を突っ込み、そこから入部届け用紙を取り出す。

 そこに秒でサインを書くと女に用紙を差し出す。


「これで良いのか?」

「良いわよ。えー、それでガンジー君?」

「おい、偉人の名称をハゲの代名詞のように使うな」

「じゃあ……ピカ○ュー君?」

「待て!それは著作権的にどうかと思うぞ!てかピ○チューってハゲだっけ!?」


 ――つーかそろそろ俺、キレて良いよな?絶対にキレて良いよな?


「まあ、そう怒るものではない。それより早速行くぞ!」


 言いながら入部届けをあった場所へ仕舞うと、女――というかもうこの際だからこれからは部長と呼ぶ事としよう。部長は俺の右手首を掴んだ。それからすぐに部長の身体が宙に浮いたかと思えば、俺の両足も地から離れる。


「ちょっ、えっ?どうなってんの!?な、何で俺の身体まで浮いてぇ~!?」

「あー、簡単に説明するとだね、この現象はただ私の全身に充満した反重力エネルギーが君に伝染し、その伝染したもの込みで私がエネルギー操作しているからこうなっているってだけの話さ」

「はあ!?」


 そうこうしている間にもグングンと高度は上がってゆく。


「そもそもフライングスーツとは、人間の身体に反重力エネルギーを溜め込む為に造られたもの。通常、反重力エネルギーはそれ自体を溜め込むだけではそのエネルギーは作用されないと言われている。それは誰かが思念で操作しないと反重力が作用しないように予め設定されているからであり、反重力エネルギー自体、人工的に造られたものだからなのだよ」

「ちょっ、ちょっ!ちょっと待て!!高い!死ぬ、落ちたら確実に死ぬからぁ~!!」


 既に高度は五十メートルぐらいに到達しているのではないだろうか。そこでやっと上昇は止まった。が、ここで一息吐く島もなく前方への加速が徐々に加わって行く。


「因みに、反重力エネルギーを造った、というか創ったのはとある企業で、フライングスーツを製造しているのもそこだ。ではその企業名は何かね?」

「た、たた、確かアルヴって企業だっけ!?」

「ご名答!で、そのアルヴについての詳細は実の所不明とされている。起源、社員、概要に至るまで匿秘されている!まさに未知であるな!ファーッハッハッハッ!」

「笑いどころじゃねええええええええええええ!!」


 両頬の肉がブルブル震える程の空気抵抗に晒されながらの渾身の突っ込み。

 が、その声が部長の耳に入っているかは不明である。


 空気が鼓膜を刺激して常に難聴のような感覚に襲われている。

 もし手を離されてしまったらという恐怖に襲われている。

 今出来るのは部長の手を掴み返すのみ。

 非常に辛い状況だ。早くこの地獄が終わってはくれないだろうか。

 そう思った所で加速が止まり、今度は急な減速が始まる。

 しかし不思議な事に完全に動きが止まっても尚、Gは感じなかった。

 普段何気なく感じているGを全く感じない。

 この不思議な感覚に頭がおかしくなりそうだった。

 そして今度は急な下降を開始する。


「ちょっ、えっ、待っ!ぶつかる!?待って!死ぬ、死んじゃうからぁ~!!」


 途轍もない速度で地面へと接近して行く。

 それから地面すれすれの所でその落下速度はなだらかになり、そしてゆっくりと両足の裏が着地した。


「はあ……はあ……し、死ぬ……」


 あまりの恐怖に両膝が気を狂わせて爆笑している。

 もう着地したというのにこの心底を犯すかのような凄まじい恐怖の余韻。

 俺は部長の後輩部員としてやって行ける自信を完全に失ってしまった。


「ダメだ……この女と一緒にいたらいずれ命を落とす……に、逃げなきゃ……」

「はーい、弱音吐かなーい☆さっさと入りましょー☆」

「入る……どこへ……うぷっ……」


 これは未だ続いている反重力の効果なのだろう。全身からGが抜けているせいで胃の中のものが容易に逆流しようとしている。

 ただげっぷしただけで液体まで出て来たので反射的に左手で口を押える。それと同時に部長の視線の先を目で辿ると、そこには【アルヴ専門店】と書かれた看板が掲げられた大きな店があった。


「そりゃ決まってるじゃない!早速買うのよ……フライングスーツをね☆」

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