気高いアイドルの指使い
ユキナはミソラにとても強い精神性を垣間見ていた。ユキナを心配させないように頭を優しく撫で、絶望的な情動が薄まりつつある。
宗蓮寺ミソラは最初はわがままなお嬢様だと思っていた。客人の立場に関わらず、要求が多く、アイカと言い合いになることが多い。
ユキナはそんな彼女に新鮮味のようなものを感じていた。真っ直ぐに自分の意見をぶつけ、かといって相手を否定するような言動は一切みせない。彼女の心根は「正直」でできている。
ミソラは旅の中で「景色」を大事にしていたように思う。ときどき訪れる場所に降り立つと、とても悲しい目をしているときがあった。故郷の景色が自然の多かった影響だろう。自宅が火災に巻き込まれ、愛する家族を失ったことはユキナは体験のないことだった。
ユキナは人生はミソラと比べると一般的な家庭で育っている。しかし、その身に降り掛かった出来事、ごく当たり前の日常を亡き者にした。
小学校に上がりたてのときに欧州で感染が確認された。その名を『カルマウイルス』。発症から二週間以内で死に至るという恐ろしい感染症だった。感染源は明らかになっておらず、一部ではテロの一環である見解を示す国も合ったらしい。収束したあとも、大きな謎として残っている。
近隣諸国で感染が認められた瞬間、日本はマスク装着を始め、かつてのパンデミックと同等の対策を取った。また致死率の高さを懸念した対策も徹底。結果、カルマウイルスが死滅する間、日本人での死亡率は僅かなものになった。
日本での感染者はたった五〇人まで抑えることに成功した。それはある意味で幸運だったのだろう。
ユキナはその不運を引いてしまった。感染経路は欧州の貨物船客員が外出許可をもらった上で最寄りのコンビニでアルコールを買いにいった。マスクや手指の消毒など、基本的な感染対策を施したものの、それが完璧なものであるわけがない。人と人とのすれ違い、物と物の間接触、そして油断が損じて──。感染の方法は、思いつく限りあって、詳しい経緯は、その貨物船近隣で起こったものであることぐらいしか分からない。ユキナは学校の行き来ぐらいしか、外からの感染者と接触機会がない。
ユキナは突然前触れもなく、道ばたで吐き気を催した。地面の上に赤い吐瀉物が撒き散らされ、意識が朦朧とした。それが発症したときの記憶で、あとは病床で多数の機会とぼんやりとした天井を見ることが多くなった。隔離病棟へ移された。検査でも感染に近い状態だと、あやふやな説明を繰り返していた。カルマウイルスの厄介なところは、致死の週間が人によって不定期であること。早いものは三日で死に至る。詳しい原因をユキナは知らないが、個人差があることは大きな不安をもたらした。
ユキナは家族と離れた生活を余儀なくされた。半年ぐらい、寂しい時を過ごしたが、特効薬が完成したという報せにどんなに安心したことだろう。それがすべての悲劇の始まりだった。
今もなお己を蝕んでいく毒。これにも個人差が顕れているように思えた。だが違った。事実は別にあったのだ。
「特効薬を打った三十名のうち、二十人は今も元気に生活している」
「残りの十人は、異常を残した……? その特効薬が、特定の人には毒となって、いまもユキナさんの体を蝕んでいる」
「そう、その毒素を排出するための方法を、我々はようやく見つけ出した。原ユキナが最後の生き残りだ」
狭間レンの話を聞きながら、ユキナは唖然した。十人の中の最後の一人。それが自分であると。
そう、自分と同じ状況の人間が、日本で十人も居たのだ。たまに起きる発作で周囲に迷惑をかけていく生活。それを十年の間で、九人が亡くなった。ユキナの体を蝕むのは、カルマでも別の病気でもない。ただの副作用の結果だった。それがたまたまカルマウイルスと似た症状だったわけだ。
死ぬことのないが、カルマウイルスが体を蝕む苦しみを味わい続けた。けどいつかは終わりの時がくる。決して短くない時間で。
「宗蓮寺お抱えの病院に到着だ。長旅ご苦労さまです」
狭間レンが思い出したように敬語を使う。それを見越して、ユキナは瞼を開いた。真上にはミソラがこちらをみて微笑んでいた。
「おはよう。よく休めた?」
彼女は休めたか、と尋ねてきた。ユキナはすでに覚悟を済ませたようにうなずいた。
「それじゃ、探しに行きましょう。なるべく、私たちは離れないように、ね」
そう言って、ミソラは髪の毛で隠れていた耳元をみせた。インカムを付けている耳をみて、ユキナは大きな安心感を覚えた。
今はひとりじゃない。一緒に、立ち向かってくれる人達がいる。それをなんと呼ぶのか、ユキナは言葉にするまでもないと断じた。
「大阪支部に飛ばされてからの僕は──」
あいも変わらず自分語りを欠かさない狭間レン。病院にしては規模が小さい。クリニック規模の建物が複数集まっている、そんな印象だ。
建物の中は清潔感にあふれていて、吸い込む空気に塵埃ひとつないような心地よさが合った。病院というのはあながち間違っていないようだ。
二人はスーツ姿の男達に取り囲まれる形で、通路やエレベーターを進んだ。ある部屋の中へと入るように支持を受けた。
「しばらくそこに滞在して欲しい。中で一通り生活はできるが、外に出たり、物の調達はできない思って欲しい。なにか異常が発生したらスタッフがやってくる。危害を加えるつもりもないので、安心して欲しい」
そう言われて警戒を解くのは思うツボだ。ミソラを厳しい表情を維持した。
扉が締まり、二人きりになった。学校の教室程度の広さで、ベッドが二つ、本棚には漫画や小説がびっしりと並んであった。なぜか電子ピアノまであって、普通の病室より自由はありそうだった。全体的に白に染まった色合いだ。なぜ病室は白が多く含まれているのだろうと、何気なく考えてしまう。ユキナは白より淡い色を好む。好きな色に変えられたら、心は多少穏やかになりそうだ。
「お風呂とトイレもあるわね。まるで隔離部屋」
「実際そうなんだと思います。私が昔いた病室も、似たような感じでした」
テレビやパソコン等の電子機器はない。電子ピアノがかろうじてそうか。なぜあれだけがぽつんと置かれているのか気になった。
「しばらくはここから動けそうにないわね。もしかしたら、私たちの行動や会話とか記録されてるのかもだけど、とりあえずは普通に過ごしましょう」
部屋の四隅に半円型の黒い装置が取り付けてある。監視カメラだろう。中には音声を内蔵している機種もあるときく。二人きりで脱出作戦でもかわされたら、向こうは溜まったものではないだろう。
「できること、あるかな……」
「向こうの出方が完全にわからない限りは、どうしようもないわね」
「じゃあ、本を読みながら待つしかないかも」
「……ちょっと押してみない?」
ふとミソラの口調が変化した。海に向かって小石を投げようとしている無垢な瞳と、かすかに震えている指の先には、壁に設置されていた赤いボタンがあった。
「怒られますよ」
「質問しそこねたことが二つくらいあるもの。じゃあ、はい」
軽々しく、宗蓮寺ミソラはそれをおした。瞬間、けだるげな声が真上のスピーカーから聞こえてきた。
『はーい。何の御用でしょうか』
「今から十二時間後に、私たちはここから脱出するわ。そのように、狭間さんに伝えておいてちょうだい」
「……分かりました。くれぐれも怪しい動きをしないようお願いします」
通信が終わり、ユキナは彼女に対して『馬鹿』という二文字を浮かべるような顔になっていた。ミソラはこちらをみてから、ベッドの方へ座った。
「さ、こっちで話ししましょう。私たちがやれること、本当にないもの」
ぽんぽん、とベッドの横へと誘ってくる。ユキナは安心感を覚えてしまい、吸い込まれるようにその隣へ座った。そのとき、暖かなぬくもりが右手にやってきた。二つの手が重なり合っていた。
「あ、あの、これは……」
「こうしたほうが、温かいでしょ」
「それはそうだけど──」
ふと、重なった手がうごめいた。ユキナはくすぐったそうに身を捩る。しかし、ミソラは彼女の目を見ることを止めなかった
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