裏稼業サラリーマンの受難


 警察の取り調べが終わったあと、松倉はショッピングモールの駐車場に放置したままの車を取りに戻っていた。キャンピングカーが突っ込んだ穴は青のビニールシートで覆われ、黄色いテープで封鎖状態だ。中で起きた銃撃戦の後始末も終えたとの報告も届いている。


 今頃、狭間たちは原ユキナと宗蓮寺ミソラを目的地へと運んだだろう。特にミソラの保護に関しては計画を逸脱している。彼女が原ユキナと共に連れて行かれるとは思わなかった。自ら病魔を口にしたが、カルマウイルスに感染したわけではないだろう。あくまで原ユキナが抱えていた毒が伝染した──もっとも本当に伝染したかどうか怪しいが、その場で機転としてよく出来ている。


 車のロックを解錠しドアを開けようとしたところで、地下駐車場に足音が響いた。現在の時刻は午前十時。先日の騒ぎでショッピングモールは一時閉店していた。つまり従業員か足音はこちらへ聞かせているのだ、というアピールを感じる。


「誰だ。俺に用があるなら出てきてほしいな」


 油断させる言葉を吐き出す。松倉の手には、車のサイドポケットにしまってあったグロックを手にしていた。セーフティを外し、いつでも発射できるようにした。


「今日はご覧の通り、お休みだ。関係者以外は立ち入らないほうがいい」


 松倉は辺りを見渡し、両手で拳銃を握りしめた。グアムで射撃の訓練は済ませている。半年に一回は実弾の反動を堪能しにいく。人に向けて撃ったことはないが、仕事故に必要とあらば撃つ所存だ。


 ふと右方面から足音が聞こえた。そちらへ視線を向けると黒い影が伸び、そして声がやってきた。


『松倉幸喜だね。私をそちらの組織ではどのように扱われているのか、個人的興味は尽きないが──』


 瞬間、影が素早い動きを見せた。松倉は即座に銃口を向けた。顎を引き、下半身に力を込めたあと、右指を弾いた。目の前に光がはじけ、鼓膜の置くまで激しい音が鳴る。銃弾は甲高い音を鳴らした。


 仮面を身に着けた人物がたたらを踏んだ。直撃は明らかだった。だが仮面の動きが鈍った様子はなかった。


「──ッ」

 二発、三発と立て続けに撃つ。銃弾は仮面の腹部に直撃した。そこから金属音と、床に転がる歪んだネジのような物体が転がるのを見て、松倉は自分足元がぐらつく感覚を覚えた。


 黒い仮面には傷一つついていない。痛みにあえぐことも、体の動きが鈍ることもなかった。堂々とこちらを見据えて、歩みを進めた。


「来るなっ、今度は頭に撃つぞ!」


『君にその覚悟はない。日本国の会社員である以上、銃で人を殺すということへの抵抗には抗えるものではないだろう。狂う覚悟も持たない者が、そんな玩具を所持していいものではない』


 諭すような口調で近づいてくる。拳銃は意味をなさない。彼にはとてつもない衝撃がその身に起こっても、堂々と前を歩く力がある。顔を隠した180センチを超える者が迫ってくる様子は、純粋に恐ろしく感じた。拳銃を持つ腕がうまく向けることができない。


 仮面はいつの間にか松倉の間の前に迫っていた。表情がわからないことが怖い。それで全てを理解できるわけではないが、同じ人間だという安心感は心のどこかに残る。だが全身をなにかで覆われているだけで、全く別の生物に見えてしまう。


「な、な、なんだよ、お前は……」


『私は〈P〉。自らそう呼称している。意味は、色々あると思うが、最近では『プロデューサー』をこなした。君に聞きたいのだが、先日のライブの感想を聞きたい』


 声の質を探ろうとしたが、男のように女のようにも聞こえる。AI音声特有のたどたどしさはなく、流暢に喋っている。ボイスチェンジャーを使用していると推察できる。


 〈P〉は神奈川で宗蓮寺ミソラのステージで、音声データを機材に読み込んだ張本人だ。その際も仮面をかぶっており、機会合成の声で語りかけてきた。追い出そうとしたものの、〈P〉は宗蓮寺ミソラのマネージャーだと語り、そのままハッピーハックのデビューシングルを流すことになった。ミソラは本物のアイドルのように、流れた曲に併せて歌い踊った。


『君も彼女たちのステージを見ていたはずだ。それをめちゃくちゃにしたのも君だ。正直、プロデューサーとしては大変な憤りを感じている』


 仮面の手が伸びた。松倉の頸動脈を片手でつかみ、力を込めていった。


『君が私を殺そうとしたように、私も君の大切な家族を殺すことに何の躊躇もない。いま娘が五歳だったか。若い奥方は、君が仕事に行っているあいだに通っているジムのスタッフと浮気を繰り返している。それを知ってなお、家族の世界を大切にしようとしている。見事は家庭奉仕ではないか』


 その情報をいつ手にしたのだろうか。松倉は奥歯を強く噛み締めて、思い出したくない怒りを必死に抑えた。妻の浮気を知ったからこそ、娘には不自由な思いをさせたくない。この拳銃は娘の生活を守るためのものだ。


「……娘だけはやめてくれ」


『躊躇がないとはいったが、私は人殺しに興味がない。どんな人間も確かな価値を持っている。そう信じているからね』


「信頼してねえから、仮面なんてかぶってんだろ」


『私は私を信頼していないだけさ。だが君は信頼できる。これから、原ユキナたちの居所へ向かうのだろう。そこで何が行われるのか、話してもらえるかな?』


 そう言って、〈P〉は松倉の拳銃を奪った。セーフティを外し、銃口を向ける。最初から脅しをかけるつもりだったようだ。口を閉じるか、そのまま話すか。瀬戸際を選ぶために思考を働かせた時、〈P〉は銃口を車のハンドルの方へ示した。


『運転してもらおうか。私の指示通りに車を動かすがいい』


 不審な要求に松倉は首を傾げそうになった。すると〈P〉が彼を車の中へと押し込め、助手席に〈P〉が座った。銃口が再び松倉へと向き、『発進だ』と言った。松倉はキーを捻ってエンジンを吹かす以外に選択肢はなかった。セダンは地下駐車場を超え、ショッピングモールを離れていった。


 〈P〉の指示で田畑が広がる景色を延々と車を走らせる。軽口を叩くこともできず、免許を取り始めた時以上に集中して運転した。


 それから山道へ入る。木々が太陽の光を覆い隠し、真っ昼間の時間を帳をおろしたような雰囲気に緊張が高まる。唇が乾き、何をするにも〈P〉の銃弾が脇腹を貫こうとする勢いを感じる。


 森を抜けた。木々が開いたような広場にでたようだ。〈P〉からそこで車を止めろと指示を受けたのでそうした。カーナビは途中で切られており、本当に正しい目的地か訝しんだ。


「こんな場所へ連れていて何する気だ」


『無論、何かをするのさ』


 仮面の言ったとおりに、自然にふさわしくない音がかすかに聞こえてきた。背後を振り返ると、見たことのある白い車がこの場所にやってきていた。車体が大きく歪み、車のフレームも歪な様相だった。そうなった理由を松倉は知っている。市村アイカを助け出すためにショッピングモールの玄関を破壊したキャンピングカーだったからだ。


 車がセダンの横へ止まった。〈P〉が降りろと指示したので、それにならう。

 キャンピングカーからアイカとラムが降りてきた。無論、ミソラたちの姿はないはずだ。未だに彼女の居場所を突き止めていない。だから松倉を無理やり攫ったのだ。


 アイカはこちらをみて、またかよ、みたいな表情を浮かべた。こちらのセリフだと返したかったが、〈P〉の反感を買いそうなのでやめた。


「で、途中でアタシたちを呼び戻してどうしたんだよ。アイツらの居場所を突き止めたっつーのによ」


 松倉は耳を疑った。彼女は今、予想だもしないことを口にした。アイツらというのはミソラとユキナの居所をすでに掴んでいるということだ。


「お、おまえら、宗蓮寺ミソラの居場所を突き止めているのか⁉ なんで俺を連れてきたっ」


『ああ、君を連れてきたのは単純な理由さ。──宗蓮寺医療研究グループの情報を洗いざらい吐き出してほしい。それだけだよ』


 松倉は仮面の下で邪悪な笑みを浮かべている様相を思い浮かべてしまった。機会合成の裏には確かな感情が潜んでいる。ただし人とは認識できない。〈P〉はそのあとに、こう続けた。


『アイカくん、拷問の心得はあるかね?』

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