挟撃
宗蓮寺ミソラをただの世間知らずのお嬢様だと認識したのが間違いだった。彼女は独自の思考を持つ人間だ。伊達に反抗心をむき出しにステージに立っていない。
松倉は耳元に手を当てて、無線を起動した。
「どうしますか狭間さん。三人とも、あんなことになってしまいましたけど」
茶髪の若々しい中年男性の姿を思い浮かべる。慌てているわけではなさそうだが、多少は焦っているに違いない。だが彼からの指令は至って冷静だった。
『構わない。貴重なデータが増えたとなれば、クライアントも喜ぶだろう。命がある限り、好きな手段で拘束してください。くれぐれも兵の手綱をしっかり握るように』
通信終了のいびつな音で、吐き捨てた言葉を口にする。
「んじゃ、好きなようにさせてもらいますか。……お前ら、殺すんじゃねぇぞ! 迅速にいたぶってやれ」
誰に対しても聞こえるように松倉は叫んだ。瞬間、微かに駆動音がインカムから聞こえたあとに『了解』と返答がやってきた。
だが向こうも返事をしたように動き始めた。金髪で小柄な少女、市村アイカだ。雇った兵にとっては縁も深いことだろうが、彼らのプロっぷりを松倉は信頼している。銃の数は六つ。各階、二つずつ配備している。何処から調達したのかは訊くだけ野暮。向こうは優位性を獲得したと思っているが、依然とこちらに優位性があるのは明らかだ。
アイカはステージを真っ直ぐ降りて、松倉のいるところまで向かってきた。インカムに通信が届いた。
『六番』
六番は拳銃の持ち主だ。全員がベレッタを所持しており、六番は一階の柱に潜んでいる。松倉は視線を真っ直ぐアイカのほうへ向けた。アイカはパイプ椅子を飛び跳ねながら接近してきた。
瞬間、腹の底から響くほどの破裂音が轟いた。ミソラは体を縮こませているのが最初に見えた。だが、真っ直ぐ見据えたはずの金髪少女の姿がどこにもない。ふと視界の端にうごめく物体を認めた。
アイカはしゃがみこんでいた。銃弾は彼女に直撃することなかった。パイプ椅子が遮蔽物となったので一階からの狙撃は不可能だ。
次に『四番』と合図がやってきた。三階から狙撃可能だということだろう。しかしアイカの行動のほうが早かった。彼女は手近にあったパイプ椅子を掴み、辺りの椅子に対して思いきよく打ち上げた。銃声が再びやってきたものの、数回の甲高い音のあと沈黙した。打ち上がったパイプ椅子が盾になったようで、またもや直撃を免れた。
すると一番、二番が一斉掃射する合図をしだした。松倉は「やめろっ」と叫んだ。二人以上が撃つと死亡リスクが高まってしまう。故にひとりずつでないとならない。一階待機の五番の合図。ちょうど大きな隙を作ったところだ。松倉は動かないことで敵の動きを制していた。それに下手に動くと、被弾のリスクも高まってしまう。
さあ、チェックメイトだ。その瞬間、アイカは驚くべき行動に出た。彼女はいきなり、ステージの方へ駆け出していった。突然の行動に、五番は戸惑ったことだろう。だがすぐに打てと命令できなかった。そこには要保護者が二人も居たからだ。それが間違った判断だと気づくべきだった。
アイカはステージの縁に足をかけると、その勢いのまま大きく跳躍した。一瞬、世界が切り取られたような光景に目を奪われた。アイカは盛大にバク転し、宙を舞ったからだ。
そこから怒涛の勢いの動きをアイカはしてみせた。着地の瞬間にもう一度バク転した。体操選手顔負けのスピードでバク転や横転を交えながら、再び松倉のもとへと接近していった。誰も反応が遅れてしまうのも仕方がない。芸術は目の前に起こったその時から、否応にも動きを止めてしまう、そういうものだからだ。
だが冷静なものが銃を放っていく。無論、奇異な動きを見せるアイカに当たることは一切なかった。だがなぜ松倉の元へやってくるのだろう。その思考がよぎった時、松倉はその場から一切動かない選択を後悔した。
彼女に背を向け、手を逃れようと試みた。しかし、気づいたときに、アイカは松倉の先にあるパイプ椅子を薙ぎ払ったところだった。動きを止めた彼女の瞳と交錯する。その様相はまるで、獲物をみつけた肉食動物より悍ましい冷徹さがあった。目の前にいる少女の情報を、松倉は頭の中で反芻した。
「テロリストがッ」
苦し紛れにそう言い放ったが、彼女全身が松倉の四肢を固めるほうが早かった。なんとか力で抵抗を試みたが、関節部分をガッチリと締め上げられていて力の発揮どころなんてまるでなかった。
膝の裏を思い切り踏みつけられ、松倉は絶叫する。膝の頭が地面に直撃。軋んだような痛みが全身に巡ってきた。アイカは最初から松倉を人質にするつもりだった。そのために、銃を持っている者の場所を自らが囮になることで割り出し、最終的に彼らの攻撃を無力化した。
首根っこをチョークされ、松倉は最後の力を発揮する術を失った。そのまま引きずられるようにして、アイカは周囲の影に叫んだ。
「主ごと撃てるものなら打ってみなさいよ。『ザルヴァート』の残党にしては、小物しかいないようだけど」
松倉はゾッと背筋が凍った。彼らは上位の命令とあれば、容易に引き金を引ける。盾にして生き残れるのもいまのうちだ。ふと、耳から異音が混じった音がやってきた。
『囚われたようですね、松倉さん。脱出できそうですか?』
返答はかなわない。だが耳元のインカムをアイカが奪い、マイク口にこう言った。
「誰だか知らないけどさ、ウィルスで客を遠ざけようとしたのは失敗だろ。警察に救急車が一斉にやってくる。今のうちに、引き上げさせることをすすめるぜ」
なんでインカムが入るタイミングを彼女が知ることができるのだろう。もしそれができるなら、発砲の場所を特定できてもおかしくない。
「通信は筒抜けだ。次からアナログな暗号で送ったほうが良いぜ」
その返答が答え合わせになった。相手に技術はないと思いこんでいた。だが無線に割り込む技術力を持つとするなら、厄介さは格段と上がる。
『ふむ善処します。ですが、ここで籠城決め込んで良いのでしょうか』
「アタシ一人なら何処へでもいける」
『でしょうね。君は自ら囮になって二人を逃したつもりでしょう。ですが、こちらは先を打っていましてね』
「……なんだと?」
松倉はいつのまにか、ミソラたちがいなくなっていることに気づいた。裏口から逃げたのだろう。
『一つ君の間違いを訂正しておきましょう。君が我々を誘導したのではなく、勝手に自滅したのです。いま、私の部下が地下で待ち伏せているはずです』
「……」
アイカが沈黙した。狭間レンは戦略家にふさわしい能力を持っている。言葉巧みに状況を操り、アイカに選択肢を与えた。
『行くのは勝手にしてください。しかし、今頃地下では彼女たちを見事連れ去っていることでしょう』
スピーカーから微かに聞こえてくるだけだが、状況はもとに戻ったといっていいだろう。作戦は遂行したといえるだろう。松倉はほっと息をなでおろした。結果が見えているというのは、何者にも代えがたい安心がある。
「おい、知ってるか。市村アイカに関してだけは、先程の二人のような保護命令は下っていない。どういうことか分かってるよな──」
瞬間、アイカの右手が口元を覆った。少しだけ呼吸ができるようだが、息を吸い込んだときに脳内が強い拒絶反応を示した。だが遅かった。彼女が覆っていた手には、原ユキナの血液がベッタリとついていたからだ。
「は、離しやがれッ──」
羽交い締め状態ではなくなっていたので横薙ぎを振るわせることができる。だが、すでに彼女はステージ裏へと駆け出していた。銃声が一斉にやってきた。
彼女が跳躍した瞬間、その動きが鈍くなった。そのままステージの上を転がり、右足を抱えてうめき声を上げた。被弾した箇所から血が流れているようだ。
これで敵の身体能力に翻弄されることはなくなる。市村アイカには恨みがある。少しぐらいうっぷんを晴らせても良いのではないか、と余計な思考が介入してきたが、いまは始末の方を優先させることにした。
「悪く思うなよ。これで給料もらってんだ」
止めは一階に潜伏している『五番』と『六番』がとどめを刺す。拳銃を向けならが所定の距離まで近づいた。あとは引き金を引く合図を松倉が指示するだけだ。
「撃て」
轟音が永遠に鳴り響くような瞬間が訪れた。二人から放たれた銃声ではない。それ間近に聞くときは、急ブレーキをかけたくなってしまう。クラクションの音が絶え間なく届いてきた。
「ちっ、警察とかが来たか? いや、ならサイレンとか鳴ってるはずだよな」
余計な干渉を意識を外したところで、インカムに報告が届いてきた。
「ま、まずいです。今、扉の方から車が突っ込んできて──」
腹の底から轟く。実際に爆発でも起きたような衝撃は、突如出現したキャンピングカーによってもたらされたものだろう。車はそのまま甲高い音を鳴らしながら旋回し、ステージ方面へヘッドライトが向いた。その先には、市村アイカに拳銃を差し向ける一行がいた。
ふと排気音が一層良く鳴り響いた。アクセルの吹かせた車体が真っ直ぐ男達の方へ向かった。二人は慌てて車から遠ざかった。轢かれることはなかったが、ステージを覆い隠すような状態に松倉ははっとした。
「あいつらを逃がすなっ、追え!」
二人が車を迂回してから銃声を発した。フロントガラスへと発砲したようだ。しかし車はそのまま前進し、パイプ椅子をなぎ倒したながら先程破壊した道へと戻っていった。ステージには市村アイカの姿は見当たらなかった。
「くそがっ、仲間がいやがったのか。おいっ、どうしてさっきので仕留められなかった?」
「ガラスが防弾用でした。拳銃ではとてもじゃありませんが無理です」
流石というべきか、奴等の用意周到さには逆に末恐ろしくも感じる。銃撃戦を予測していないとできない芸当だ。
「まあいい。目的を達成できただけで上等か。一刻も早く戻るぞ」
辺り一面、悲惨な有様だが、上の方がうまくもみ消してくれることを期待しよう。任務は続いている。次こそは失敗は許されない。
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