初めてのレッスン!
車内で手持ち無沙汰になっても仕方ないので、ミソラは届いた楽曲を聞いてみることにした。スマホのスピーカーからその曲は流れた。意外にも曲としての構成はできていた。『狂い咲きデスティニー』のようなアップテンポな曲調だ。これを聞いて、ユキナとアイカは関心を示していた。
「あいつ、こんなこと出来たのか」
「歌詞のせたら、いい曲になりそうだよ」
「……歌詞付け、振り付けを一週間でだなんて」
普通に考えて無茶だ。ミソラはともかくとして、ユキナとアイカはどの程度できるのかも分からない。そもそも準備期間が足りなさすぎる。だからこそアイカがまさにそれを口にした。
「アンタ一人でいいだろ。実際に歌って踊れるんだからよ」
頭をかきむしりたくなる。アイドルの真似事をしていたのはどこのだれか。
「わ、私はそのお手伝いしたいけど、全然経験ないし。それに一週間でなんて無茶に決まってるよ」
当然、ユキナも同じ返答だ。ミソラはラムに尋ねた。
「ちなみに、そのライブが成功して、私たちはどれぐらいの利益を得られるの?」
「それはわかりません。メールには報酬があるとだけ書かれているので」
「地方のイベントの相場は分かりきっているわ。せいぜい、常に動き回ることを仮定するなら、数日持つかその程度のギャラだと思うわ。それと、もし断ったらとか書いてある?」
「いえ、特に何もないですが……。ですが海老名のステージと同じく、急なブッキングでしょうし、断った場合は違約金みたいなものを支払うことになるのではないでしょうか」
「でしょうね」
この旅の中で一番の謎は、ラムではないだろうか。常識人のような振る舞いをしているが、運転手や調理係、〈P〉からの連絡引受係以外の役割が存在しない。彼女がアイドルになるようにも言われていない。
「ちなみに、普通のアルバイトは不可能ですよ。住所不定の人間を雇うことが、この国はできませんからね」
できないことはないですけど、と余計な言葉も付加するラム。一同、それが何を意味するのか理解したようだ。
「はぁ、はした金稼ぐのにアタシたちまでやんのかよ」
「仕方ないのかも。……あの人のことだから、なにか考えがあるのかもしれないよ?」
「むしろ目的から遠ざかっている気がするわ。わざわざ石川に敵が追ってくるかしら?」
ミソラは家族を失った報いを受けさせる目的でこの一団に滞在している。何かを起こすかもしれない予感はひしひしと感じている。謎の仮面、戦う少女、普通の少女に元アイドル少女。もしアイドルで金銭を得るなら、誰もやらないことをやる必要がある。それがなにか、ミソラにわかるわけがなかった。
合間に休憩をはさみながら、滞りなく石川に近づいていった。残り一週間で曲と振り付けを完成させるなんて、プロの仕事でもなかなかないことだ。付け加えて、問題は山積みだった。
「二人共、ステージに出てみたら?」
「……アンタ、やる気かよ」
「お金のためだと思って割り切ればいいのよ。幸い、私の知名度で客は集まるんじゃない?」
ネットでは「宗蓮寺ミソラ」が神奈川県内のイベントでアイドルの曲を披露したことを取り上げていたものもあった。そこである種の確信を抱いている。ニュースとなったサイトには、宗蓮寺グループが関連しているものから発信されていたからだ。
「このままブラブラ旅しているくらいなら、せめて仕事をするべきよ。いいなりは癪だけど、少なくとも状況は動くでしょ」
ミソラはたったそれだけのことだと割り切った口調で言った。良くも悪くも、考えることも増えてしまうが、ここには複数人の知恵がある。世の中の少年少女、唯一の利点が時間の使い道だ。
「……アタシたち、何すればいいんだ」
アイカが渋々と言った感じで切り出す。ユキナも不安をみせつつも、やる気は満ちているようだ。
「何事も練習あるのみよ、そうでしょう?」
素人が一週間でどこまでやれるのか、元プロの目線からとても楽しみでもあった。
一行はルートを変え、保存の効く食材や衣服、化粧品などを揃えるために最寄りのショッピングモールへ向かった。その際、ミソラは帽子とサングラスをかけ変装をした。敵が来ているとは思えないが念の為にだ。ミソラとユキナ、ラムとアイカで別れて必要なものを買い揃える。
ミソラ達はてきぱきと買い物を済ませてから、広場のベンチに腰を落ち着けて一息ついた。広場には親子連れが多く、子どもたちは自由にはしゃぎまわっていた。
「なんか、都会の喧騒とそう変わりありませんね」
ユキナが感想を漏らす。ミソラは以前から思っていたことをつらつらと語った。
「私が驚いたのは、未だに人が出歩いてることね。もう、引きこもっても生きていけるって証明されたようなものなのにね」
かつて外に出られない時代があったらしい。それから二十年以上が経過し、生活の基盤は大きく変わった。全体主義にせめぎ合うように、個人主義も発達していったのだ。
アイドルはその極地ともいえる。一つのグループ、一人の推しに愛を捧げ、利益を巻き上げる。応援しているアイドル以外は、敵とまで認識するファンも少なくなかった。そんな中でも、応援の手段も多様化しだした。そんな厄介なファンなどつゆ知らずに、自分だけの愛を捧げる方法もある。例えば、VRでライブ観戦するときは、会場の中で自分一人だけが観客というふうな設定もできるようになった。実際に足を運ばなくても、会場の熱気は本物と寸分違わないほど質を味わえる。
買い物は通販で済ませることができる。なのでミソラが想像した世界とは、ほんの少し止まっているようにも感じたのだ。
「外の世界って、危険が多いのに、こうしてはしゃぎまわっているのはある意味では平和なのかも」
ユキナの方へ振り向いた。自分のことを話しすぎてしまった。
「ごめんなさい、私ばっかり話してしまって。これは私個人の考えだから、否定してもいいわ」
するとユキナは首を横に振って、うつむきがちにこう言った。
「私は、外の世界に出れて、良かったと思っています。……ずっと家に引きこもりがちだったんです。でも普通の引き篭もりともちょっと違っていて、何をするにも何もできなくて、ただ時間を食いつぶしてばかりだった。だから、こうして誰かと買い物に行けることが、本当に新鮮です」
「……ご両親、過保護だったとか?」
「たしかに過保護でしたけど、それは根本的な理由ではありません。私、病気がちだったんです。いまもですけど」
その時の彼女の目が印象的だった。心の底から欲しかったものが、ようやく手に入ったのだという深い情を携えていたのだ。
「それに歌ったり、踊ったり、ちょっぴり不安で失敗も怖いけど……でも後悔しないようにはしたいなあって、ミソラさんをみて思いました。ステージの『狂い咲きデスティニー』、本当に素晴らしかったです!」
子供のようにはしゃぐ彼女の笑顔に、ミソラはつい浮足立った。あれは何処までいっても自分のためにしかなっていないと思っていたからだ。だけど、純粋に心に感じてくれた人もいた事実を受け止めることができるかもしれない。ユキナを見て、ミソラはそう思えた。
山奥での特訓が始まった。まず決めるのは歌詞と振り付けだ。振り付けはダンスではなく、身振り手振りで演出できるようなものへと仕上げた。ミソラにダンスを一から創り上げるノウハウはなかった。だが歌詞なら一人でもどうにかなる。
歌詞を考えているあいだ、二人には動画サイトでアイドルの曲をとにかく見まくるようにお願いした。まずはアイドルについて知っておく必要がある。歌詞は三日で仕上げ、二人に細かいアドバイスを求めた。判断基準は歌っていて気持ちいいかだ。歌詞の内容は、アイドル曲の定番である「夢」と「希望」を全面的に押し出したものにした。
それから二日間、曲に乗せて歌を歌う練習だ。歌唱能力について、いっておくことがあるとするなら、二人ともそれぞれ別々の個性を持っていた。
アイカは音程はいいが、歌声にぎこちなさが残っていた。普段のぶっきらぼうな口調と歌のメロディが噛み合っていない。これを解決するには、もっと可愛く歌うことを意識させる必要があったが、「んなのやらねえからな!」と反発をもらった。
そしてユキナの歌からは優しい印象を感じた。音程もそこまで悪くなく、声も悪くない。ただ、抑揚が出ていないので全体的に間延びした歌になってしまっている。腹から声を出すことで声の伸びが良くなるはずだ。
残りの二日は、二人に個別トレーニングを与えた。可愛く歌うトレーニングと、声の大きさを出すトレーニングにだ。ミソラは簡単な振り付けを考え、本番の一日前に全体練習で通した。一週間という期間しかないが、一日に割ける時間はたくさんあった。おかげで、悪くない仕上がりになったとは思う。
だが二人にキツいトレーニングをさせてしまった。本番前日は丸一日休養として、各々体力の回復に努めた。ユキナはベッドで寝転がる事が多かったが、反対にアイカは楽々と体を動かしていた。
「やっぱり、貴方には本格的なダンスの振り付け考えておけばよかったかも」
「覚えられる自身がねえよ。……つーか、アイツ平気なのかよ」
アイカはキャンピングカーの方を眺めている。ユキナには歌唱トレーニングのため、有酸素運動を行わせた。毎日数キロ走らせ、腹式呼吸をマスターさせた。当初はうまくできなかったが、練習を重ねていくうちに身に付けている。このまま鍛えれば、透き通った美しい歌声を披露できるだろう。だが日頃の疲れが押し寄せてきたのか、いまはベッドの中でぐっすりと眠っている。
「そのために一日休ませたの。ベッドで寝ていれば、明日は全快になるんだから」
「かもしれねえがよ……」
「不安?」
煽り立てるような言葉に、アイカはすぐ反応する。この辺り、親近感を感じさせてしまう。
「やれることはやった。あとは、各々やってきたことを信じましょう」
先輩らしいアドバイスを送るミソラ。それでもアイカの表情は優れない。なにか不安要素があるのだろうか。
「……まあ、大丈夫だろ」
「そうよ。失敗してもカバーするのがチームアイドルの強みよ」
崩れたときのリスクも大きいので、注意が必要だ。かつてパフォーマンスに迷惑をかけたこともあったし、その逆もあった。経験は未来予測を可能とする。休養も立派なパフォーマンスの一つだ。
しかしミソラは本番当日に思い知らされた。この旅に加わっている者が、普通の人間ではないことに。
タオルを口元にあてがって胸のあたりからこみ上げる反応を吐き出す。げほ、と一息つくと粘りついたものが口の中にやってきた。その後はタオルとキッチンペーパーで拭き取る。これをシンクに流すわけにはいかない。そろそろ限界であると悟られてしまうからだ。
「だめ、いまだけは、頑張ってよぉ……」
ユキナは目頭に袖を当てる。腕が湿っていく感触と全身が遠ざかっていくような感覚だけがユキナに残った。
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