過去のステージ 未来のステージ
昼食は案の定カレーだった。にんじん、たまねぎ、じゃがいも、豚肉……というカレーの唄がメロデイとして浮かび上がるほどのオーソドック極まりないものだ。ミソラはここに加わってから、昼食には必ずカレーが出てきた。市販のルーを使った手作りカレーの味は、可も不可もない味わいで逆に安心させられる。ミソラが提案したクリーンな食事は、この香ばしい香りによって完全にはならなかった。
「ごちそうさま。そろそろカレーも飽きてきた頃かしら」
一足先に平らげたミソラは、作り主のラムに思ったことを口にした。ラムは「では肉じゃがやシチューを次は考えてみます」と言い、そのままテーブルの上のミソラの皿をかたしに言った。
「お嬢様は贅沢なこった。なんなら、アタシの食べりゃいい」
アイカが気に入らなさそうに吐き捨てた。
「あら御優しい。けれど結構よ。太りたくないもの」
「はん、よく言うわ。あんだけクリーンな食事にうるさかったのによ、いまじゃすっかりこっちに毒されてやがるな」
「二人共喧嘩しないで……」
ユキナが不安そうにしているのをみて口を閉じる。喧嘩しているつもりはないが、雪な絡みたらそう映るらしい。これから少しばかり気をつけることにしよう。
食事を終えて炊事場を元の状態に片付けていく。使った場所に対して無法なことがないのが、この集団の唯一の善性か。ミソラも彼女たちに倣った。
謎の集団もとい「旅するアイドル」へと名前を変えてから、ミソラの日常は変貌した。クリーンを志した食生活は朝食のみにとどまり、あとはそれぞれが作る料理を口にしていった。かろうじて、インスタント系の食品を口にせずにはいたが、食糧難に陥ったときは仕方ないと割り切っている。
寝る場所は備え付けのベッドの一段目を使用している。ラムは運転席の上に布団を敷きそこで寝ているらしい。アイカは外で眠っている。ソファでも眠ることはできるが、全員が中にいるのは危ないというのが、彼女の持論だった。それは依然と敵の襲撃が予測されると言っているようなもので、実のところ不安な夜を常に過ごすこととなった。
ラムが駆るキャンピングカーは基本的には人の多いところを進まない。国道はもちろん、県道を主に進むこともない。横切ることをはあるが、狭く人気の少ない道や自然の多い道を走っている。寝泊まりはキャンプ地か車中泊のできる場所が殆どで、銭湯や温泉施設で身体を清める。ミソラも気まぐれにお風呂に参加することがある。なるべく人の少ない時間帯を狙い、アイカやラムの介護で風呂に入る習慣を取り戻す。顔のことを知らないユキナには何も報せていない。知らなくてもいいとミソラが判断した。
〈P〉がいなくなったあとの三日間は、北関東から中部地方へ移動していった。その間、何をしていたのかというと、何もしていない。正確には個々人では何かをしている。
車内では少しずつ変化が訪れた。まずユキナがアイカにアイドルの映像を見せて盛り上がっている。
「アイカちゃん、私イチオシのアイドル見てくれた?」
「みたよ。ったく、飯食ったらすぐ元気になりやがって」
「州中スミカちゃんはね苦労が多かったんだよ……」
「そうかい」
二人がそんな微笑ましいやり取りをしているのをよそに、ミソラはいつものようにネットに潜っていた。
敵の動きを見計らうために、ネットでの動向を探る。宗蓮寺グループ、姉と兄、そして「宗蓮寺ミソラ」。海老名でのステージで検索ワードが増えた。海老名での一件はネットの記事で話題に上がっていた。宗蓮寺ミソラと名乗る人物がステージ上でパフォーマンスを披露し、その後は何者かに対する宣言をかましたあと、謎の襲撃にあい逃亡したこと。どのサイトの記事も、虚飾のない報道がなされていた。
そこは意外な展開だと思った。てっきりミソラに悪印象を抱かせる記事もかけたはずだ。宗蓮寺グループが敵と仮定するなら、それぐらいの芸当は朝飯前だ。もっとも、影響を受けているであろう箇所は当てがついた。動画サイトで海老名のステージが上がっているかと思い検索をかけ、思わぬ結果を目の当たりにした。
「……やっぱりない」
動画撮影可能なステージだと後から知った。あの日のステージの大部分がネット上に上がっていたが、ミソラが立ったステージだけは痕跡が一切見当たらなかった。まるで細書から上げていなかったようにだ。
「……ううん、私の動画はいい。それは当たり前。けど……」
もう一つ、不可解なことがあった。こればかりは動画サイト上のみに飽き足らず、プラウザでの検索でも起こった。
ミソラはキーボードを素早く叩いた。久々に打ち込むキーワードだった。
『ハッピーハック 狂い咲きデスティニー』でエンターキーを押す。しかしプラウザ上に現れたのは【該当結果なし】という結果だった。
たとえどんなめちゃくちゃなキーワードを打ち込んだとしても何かしらの表示がされるように出来ているはずだ。しかもキーワードは明快だ。かつて存在したアイドルグループの名称とその楽曲なのだから。
「何よ、インターネットどうなってるのよ」
背筋が凍る。現在の総理大臣の存在が突然消えることくらいありえない。
〈ハッピーハック〉は存在しないのか。いやありえない。なぜなら、いまそのアイドルグループについて熱く語っている子が直ぐ側にいるからだ。
「おい、またアイドル談義かよ」
「もちろん。だって活動方針決まったでしょ? アイカちゃん、多分アイドルってどんなものか知らないだろうし、きちんとレクチャーしないと」
「知る必要ねえだろ。ていうか、アイドルってアイツの役割だろうが」
アイカが一瞥を送り抵抗を示す。ユキナは好きなものを楽しそうに語り始めたので、彼女の抵抗はほぼ無意味だった。
海老名のステージ後、ユキナはミソラに食って掛かるように問い詰めてきた。
「なんで急に歌ったの? 踊ったの? ていうか、なんで『狂デス』!?」と。
急に歌い踊ったのは気分が上がって体に染み付いた習慣が呼び起こしたというのが端的な答えだが、彼女に言うのは躊躇いがあった。おそらく彼女はあの曲を知っている。それどころかその曲を披露したアーティストのファンなのだろう。
ユキナの捲し立てていく様に、アイカは消沈気味だった。アイカはユキナに対してはあまりあたりが強くないようだ。
「いろんなアイドルがいるんだけど、それぞれタイプが違うの。カワイイを全面に押し出した人や、かっこいいダンスを売りにしている人。または企業や宗教を元にしたアイドルもいて、第三次アイドル戦争とも世間では言われているんだよっ」
「戦争って大袈裟すぎね? 誰も死んでねえだろ」
「甘いよアイカちゃん。裏では骨肉削る熾烈な争いが始まってる。ファンたちはなんとなく察していて、そのために曲やグッズを購入したり、布教活動によってとんでも経済にまで発展しているんだから! いまや漫画にも匹敵する一大コンテンツにまで上り詰めているくらい!」
ユキナの熱の入りようは「オタク」と称される者そのものだった。ミソラも傍から来耳を立てていて、現在のアイドル業界が殺伐としていることに驚きもした。
芸能界は熱のが激しい。誰かの意図的な宣伝が功を奏したのか、世間はまんまとその熱に乗っかってしまう。ユキナもその一人のように思えた。
「その中でも今のイチオシが、この娘。──明星ノア! かの〈ハッピーハック〉の元メンバーだよ」
「だから、どこのだれだっつんだよ」
「………〈ハッピーハック〉のノア?」
雷が脳天を貫くような衝撃だった。思わずユキナの方へ振り向いて、まくし立てていく言葉に耳を傾けた。
「グループ活動していくのが当たり前だけど、彼女は別格。ていうか、あの二人以外に務まるわけないからね」
「だーかーらー、あの二人はどの二人だよ。お前がアイドル好きなのは分かったから、後でそいつらについても検索してやるよ」
アイカがそういった瞬間、彼女の表情が曇った。どの部分でそうなったのか、ミソラは分かっていた。
「カタカナでいいんだよな。──あん?」
どうやらアイカもミソラと同じところまで行き着いたようだ。そのタイミングでミソラは言った。
「やっぱり出ないのね。私の端末だけかと思ったけど、どうやらどのネットワークから検索かけても〈ハッピーハック〉に関連したものは表示されない。いえ、全て消えてしまったのかしら」
「やっぱり? ……ミソラさん、知らなかったの?」
「ええ。まさかかつての一大コンテンツが全く記録に残されていないなんてね。そんなことあるなんて」
ユキナの言葉で、〈ハッピーハック〉が虚構のものではなく、実在したことに一安心する。ではネット上の実態はなんなのだ。それについて、ユキナが落ち込み始めたことで語り始めた。
「ミソラさんが歌った曲、『狂い咲きデスティニー』を世に出したアイドルがいたんだけど、三年前に解散しちゃったんだ。──それを機に、ネット上から彼女たちに関する情報が消えてしまった。それも本当に唐突に」
ミソラは彼女の表情を眺めた。心の底から無念だと語っていた。
「……ごめんね」
誰にも聞こえないようにミソラはそうつぶやいた。テーブルの上に置かれていたタブレットには、雰囲気が代わったユキナ一押しのアイドルの画像があった。
明星ノア。〈ハッピーハック〉の元メンバーであり、かつては『スター』というネームで活動していた。
ミソラは『スター』と呼ばれていた彼女の愛らしくもアグレッシブさを思い起こした。
『ううぅ、〈サニー〉も〈エア〉って心が鋼すぎるよ。こっちの緊張感もらってえ……』
ステージ上で華やかに彩る彼女の姿より、舞台袖で震えている姿が一番最初に思い浮かぶ。
明星ノアと呼ばれた女性のことを知っている。彼女は天才だった。歌も踊りに特に秀でていた。リーダーの〈サニー〉から〈スター〉という名を与えられたのも当然だ。もっとも、お互いの素性を隠すため以上の意味はない。〈エア〉が作った曲を私以上に理解し、それを上回るパフォーマンスを繰り出す。〈ハッピーハック〉を彩ったのは彼女の功績が大きかった
かつての記憶は風化せず今も残っている。彼女とは衝突も多かったが、それ以上に良いものを作りあうことのできた数少ない「友人」だ。けれども、解散した後も活動を続けているとは思。
懐かしくもあるが、悲しみが全身を支配するほうが強かった。解散した後、彼女も決して楽ではない道を歩いてきたのだろう。それでも元気そうならなによりだ。
アイカが眉をひそめながらタブレット端末を操作する。だが次第に興味を失ったようで、ソファにもたれかけた。
「ま、そんなアイドルどうだっていいけどな。それより、こいつが歌った曲はなんて名前だ」
ミソラは知らなかったのかと驚く代わりに答えた。
「曲名は『狂い咲きデスティニー』。アーティストは──〈ハッピーハック〉」
「……お前が選んだ曲じゃねえよな」
「ええ。全部仮面の仕業よ」
「そうだろうな。けど、なんで踊れたんだ」
ミソラは即座に答えることができなかった。アイカが「なぜ踊ったのか」ではなく「踊れた」わけを聞いてきたからだ。そこに注目していたのはアイカだけではなかった。
「わたしも、知りたいです。本物のパフォーマンスを間近でみたことがあるから分かります。ミソラさんのパフォーマンスは、なんだか自然に出てきた感じだった。いいとか悪いじゃなくてね、本当に凄かった。……一朝一夕じゃ、あのパフォーマンスはできません」
おそらく筋金入りのファンであるユキナが、見事に言い当てていた。そこまでくれば自ずと答えに行き着く。だが確信は持てないだろう。
「ユキナさん、どうして〈ハッピーハック〉だけがネットの海から消えたのだと思う?」
「え、ええっとそれは、やっぱりあの事件があったからだと思いますけどけど……」
「その通り。そっちのほうが都合のいい人がいたんでしょ。邸宅の火災が表にでなかったようにね」
もっとも邸宅の件と違って、悪意があってのことではないはずだ。あの事件は、何万人者人間が一斉にその場面を目撃したからこそ、なかったことにした。
「だから、あまり詮索しないほうがいいわ。あえていうなら、体が勝手に動いたとだけ、ね」
車が減速しだした。幅寄せ停車したところで、ラムからこんな言葉が飛び出た。
「〈P〉から指令です」
「お、来たか」
吉報かどうかは判断がつかない。ラムが続きを口にした。
「一週間後に開催されるショッピングモールのイベントに参加してほしいとのことです。衣装は当日届く予定。彼が作曲したの楽曲も届いたそうなので、三人で歌詞を考え、振り付けも決めて欲しいとも」
「──要求多いわね」
車内に不穏な気配が立ち込めた。仕事する場所は〈P〉が用意するが、アイドルそのものの活動はこちらに一任したと言っているようなものだ。
「ああ追伸にこうあります。今回のライブには報酬があります。それでしばらく旅の資金にしていほしいとのことですが……」
三人の沈黙をあとに、とんでもない要求が飛んできた。生活が掛かっていると、あんに示しているではないか。
「まさか、もう資金切れなの?」
ラムが微妙な表情をみせた。それだけで、この「旅するアイドル」が自転車操業真っ最中だと理解するミソラだった。
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