狂い咲きデスティニー


 頭の天辺から天雷が全身を貫いてくるようなエレキギターの音がやってきた。一拍お体から、徐々にアップテンポなメロディ──イントロを奏で始めていく。

 ステージ裏を凝視した時、一瞬だけ仮面の模様が浮かび上がったような気がした。

「……まったく」

 なんというお膳立てだろう。あの仮面はとんだ嘘つきだ。

 ただ立っているだけでいい、と言った。しかしそれは無理だった。

 ミソラの体にあるスイッチが入った。

 全身がうずいて仕方がない。

 マイクを握る力が強まる。

 歌に入るまえに、ミソラは心に刻み込むことにした。


 ──いまは、誰でもない私。

 ──家族も、家も失った私。


 では、どうする。

 なにもしないのか。


 ──冗談でしょ。


 ならば。

 ──狂ってしまえ。


 ミソラが見るのは、全てを失った過去でも、途方に暮れる未来でもない。

 全身の細胞は、このときまさに狂い咲いた。

 




 ステージ上の彼女が、かつて席巻したアイドルの曲を歌い、踊り、楽しんでいる。誰もが彼女に興味を示すことなく通り過ぎていく者が殆どだったが、その曲のフレーズを聞いたものは一瞬だけステージを一瞥する。

 だが、ステージに少しでも意識を向けた瞬間、少女が描き出す「狂い咲き」の世界に一瞬で引き込まれてしまったはずだ。ユキナはサイリウムを振る手が止まった。

 縦横無尽に駆け回るようなダンスに加え、腹の底から出てくる圧倒的な声量。そして何より、楽しそうに表現する姿は世界を変えてしまったかのようなイメージを作り出した。

 体が震える。熱にあえぐ。不調だけではない。宗蓮寺ミソラパフォーマンスは、確かにユキナの心を熱狂の渦へといざなった。


 ステージが一望できる場所で、アイカは不審な人物を探していた。ミソラが出てきて、動きの機微が変わったものが数人発見。最初からステージ前で観ていた客の中に潜んでいたようだ。

 殆どの客は、目当てのパフォーマーが退出するとすぐにいなくなってしまう。故に、残っているものが怪しくなってしまう。アイカは彼らに近い場所まで接近しようとした。その曲が流れ出すまでは。

 ギターの音が流れ一瞬の間のあと、それがなにかの曲がいま流れているのだと理解する。その後、ミソラがマイクを手に歌い始めた。彼女はいつもうつむいている印象しかなかった。家族が奪われたのだから当然だ。しかし、いつそんな声色を身に付けたのだろうと、思うほどに、ミソラの歌声は不思議な熱さが伴っていた。

 最初、ステージに断つなんて無意味なことするものだと思った。

 しかしアイカはほんの一瞬、自分の仕事を忘れてしまった。宗蓮寺ミソラが、歌って踊るだけで、アイカの行動原理を捻じ曲げたのだ。たしかに意外性に驚いたのも理由にあるが、そんな理由で監視任務を忘れることのほうが沽券に関わる。

 客観的にステージの状況がかわっている。人が止まりはじめ、ステージの方へ注目した。半分はそのまま離れていくが、もう半分は違う。止まった人たちの正面がステージに向いていた。

 アイカは冷静さを取り戻した。このままでは監視任務に支障が出てしまう。

 ミソラの歌をバックに監視任務を続行した。不思議と耳が心地よいと感じてしまうのだった。






 もう 誰にも止められない。

 狂っていいんだ 好きでいいんだ。

 涙した明日も、苦しむだけの未来も。

 その場で狂わせてしまえ。


 これが運命ならば いま狂い咲き誇れ。


 最後のポーズを決めた。人差し指と親指を立てた状態で、左腕を真っ直ぐに突き出した。

 曲が終わると、とたんに寂しくなる。約数分の間、考えることもなく、体に刻み込まれた動きが自動的に動いた。理論より感覚で動いた。見るに堪えない、自由気ままな表現だ。

 場は以前に静寂が残っている。今までステージで失敗したことはないが、失敗のステージとはこういうことをいうのだろうと思った。

 それでも拍手の音は聞こえてくる。こんな不出来でだらしないパフォーマンスに拍手を送ったことにミソラは深々と頭を下げた。

 不思議と晴れやかな思いだ。あのまま無視することもできた。それをしなかったのは、単純に過去の自分に申し訳がたたないからだ。

 再び深呼吸をする。今度はアイドルではない。宗蓮寺ミソラとして意思を示す。


「今日は来てくれて、そして足を止めてありがとうございます。けど、今日はステージで踊るだけのつもりはありません。──私は貴方達には決して負けない。私はいずれ、貴方達の寝首をかいて、私の世界を壊したことを後悔させてあげるんだから」

 

 ミソラはそう言い残し、ステージ裏へ戻ろうとした。

 だがそこでスーツ姿の男が立ちふさがった。


「こまりますよミソラさん。ほら来て。君のマネージャーがいま勝手に機材を弄った挙げ句、勝手に逃げた。ふざけた仮面なんかかぶって、なんのつもりだい」


 仮面とは〈P〉のことだろう。勝手に曲を流したことについて追求しよう。そのとき、遠くから声が響いた。


「逃げろっ。そいつ刺客だ!」


 アイカの声が客席から届いてきた。ミソラは反射的に離れようとしたが、男の動きが無駄のない動きでミソラの手首を掴んだ。


「だめじゃないか逃げちゃ。ほら、スタッフたちに謝ろうね」


 引きずろうとしてくる男。責任者を装った追手だろう。手を振り払おうと試みるも、男が筋肉ごと強い力で掴んでくる。


「逃げられると思うなよ」


 どすの低い声で男が囁いた。マイクを持っている右手は自由がきいている。ミソラの選択は単純明快だった。マイクを男のこめかみに向けて力いっぱい叩きつけた。


 鈍いうめき声とともに腕を掴む力が緩む。隙を逃さず手を振り払い、ミソラはステージの真正面から客席に降りた。ほぼ飛んだといってもいい。割と高いところから落下したので、着地の衝撃が全身にしびれをもたらす。


「にげ、ないと」


 振り返ることなく、ミソラはパイプ椅子が並んだ客席をなぎ倒しながら進んだ。逃亡ルートはある程度決めていた。アイカがユキナを連れて駆け出しているのがみえた。二人の後ろを続いていく。


「早く走れ!」


 無理を言わないで欲しい。一曲踊っただけで体力を根こそぎ持っていかれたのだ。フォローするのが筋だろう。

 その思いが通じたのか、アイカが方向転換してきた。彼女はすれ違いざま、ミソラにこう言った。


「マイク貸してくれ」

 まだ自分がマイクを持っていたことに驚いたが、アイカは無理やりひったくる。それからアイカが進路を変えていく。背後で男たちの悲鳴と鈍い激突音が聞こえてくるが、無視して進む。

 ユキナの元へたどり着くと、彼女はなぜか瞳をうるませていた。そもそも、彼女が客席にいる事自体が計画にないことだった。


「まったく、なんてむちゃしたのよ!」

「ごめんなさい、ちょっと観てみたくて」


 背後を振り返ってみると、アイカが先程手を掴んできたスーツ姿の男をなぎ倒している場面を目の当たりにした。ユキナよりも小柄な彼女が、顎の下を狙った足蹴りを放ったところだ。サマーソルトキックというのだろうか。暴力ではあったが、何処か芸術的に感じた。


 さらに駆け出してくる大人の者がやってきた。アイカはその一人にマイクを投げつけ、見事顔面に命中させた。


「止まるなっ、行くぞ!」


 アイカが全速力で駆け出し、ミソラも続いた。追っては無論一人ではなかったが、すでに遠く離しているせいで動きを止めていた。

 イベント会場から少し離れた場所で、白塗りのキャンピングカーを見つける。示し合わせたように扉が開いた。三人は中へ飛び込むように駆け込んだ。扉が閉まり、車が発進した。目まぐるしい展開に、肺が悲鳴を上げている。


「みなさん、概ね作戦は成功です。お疲れさまでした」


 車を運転するラムがねぎらいの言葉をかける。追ってのことが気になって、ミソラは背後を眺めた。


「車で追ってきそうな勢いだったけど。目の当たりにすると怖いわね」


「あんな場所で銃をぶっぱなすイカれたやつじゃなくてラッキーだったな。連中の一人、拳銃所持してやがったからな」


 一同、戦慄している。仮面は例外だが。


「でもよ、敵をおびき寄せただけで何になるんだ? まあ、こいつのことだから、すでに準備を終えてんだろうけどよ」


 アイカがソファに大きく乗りかかり、〈P〉に細い目を向けた。肩をすくめて、さあな、と返す〈P〉だったが、この場の誰もがその仕込みを終えたのだろうとなんとなく思っていた。


 それより、ミソラは仮面の奥に潜んでいる真意を尋ねることにした。


「ねえ、なんであんな仕込みしたのよ」


『なに、せっかくのステージだ。ただ立っているのも退屈だと思ってね』


「気が狂いそうだったわ。けどまあ、敵はさぞかし混乱したでしょうね」


 だが意識してのものではなく、曲に体が反応しただけのこと。そのまま通り過ぎることもできた。


 仮面の裏に微かに感情が灯っている気がしてならない。何万という相手を想像することは難しいが、その数を動かしている者は容易に想像できる。報道を容易に操り、物事を裏から操るものがそれに該当する。


「貴方達の目的はまだよく分かってはいないけど、私もある程度そちらの事情に関係しているみたいね」


 特にアイカがほのめかした迷彩服姿の何者かは、ミソラの自宅を襲撃した。いずれ彼らと接触する機会があるかもしれない。


「〈P〉、私にできることがあるなら、手伝わせて。姉さんたちの無念を晴らさないことには、どうやら腹の虫がおさまらないみたいだから」


 真っ直ぐに仮面の奥に潜んでいる魂に訴えかける。仮面が小さく息をついたあと、不気味な合成音が放った。


『歓迎しよう、宗蓮寺ミソラ。我々、〈旅するアイドル〉、ここに始動だ』


 「は?」とあちこちから疑念の声があがる。例外なく全員だ。ラムが最初に疑問を尋ねた。


「〈P〉、いまなんとおっしゃいましたか?」


『今日のステージを見て確信した。何かを表現することは、誰かの心を動かす力を持っている。それを利用しない手はない』


 何故か仮面の中が北燕でいるような気がした。嫌な予感がうごめく。ミソラは汗が冷えていくのを感じた。



『君たちにはこれから、アイドルとして活動してもらおう。各々が抱く目的を達成するためにな』

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