桃色のサイリウム
一睡ぐらいはできたが、徹夜明けのような過敏な感覚がミソラの全身にやってきていた。起きたのは午前九時半くらいで、他の三人は一風呂浴びたようだ。
三人とは目覚めの挨拶を交わすだけ。それ以外に交わす言葉は、前日に語り尽くしたような感じだ。ただユキナだけが不安げに見てくるのが気になった。ミソラは無視を決め込んだ。
チェックアウトを済ませ、キャブコンへ乗り込むと。〈P〉がソファで足を組んで待ち構えていた。前日からその体制だったのではと思うほどに、〈P〉の体制は凝り固まっているようだった。
『おはよう、諸君。おや、ミソラくんはまだ着替えていないのかね。衣装を着て、メイクアップを済ませたほうがいい。到着後、すぐにステージだ』
「現地で済ませたらいいじゃない。メイクさんぐらいいるでしょう?」
『君は見ず知らずの人に顔を触らせるのかい? その首や顔を、また傷つけられたくはないだろう』
「……貴方」
〈P〉の意見は正しい。敵をおびき寄せるのに隙を作るのは得策ではないからだ。しかし見逃せないことを〈P〉は口にした。「また傷つけられたくないなら」と。ミソラは問い質したいどうにか抑え込んだ。いまその話をしている余裕はない。
旅館をあとにし、海老名のショッピングモールへ向かう。車内に異様な緊張が走っているのは、ミソラがすでに支度を済ませているからだ。〈P〉がどこからか仕入れたフリフリの薄ピンク衣装は、スカート丈が短く生地も安っぽい。だがそう見えるだけで、状況次第では燦々と輝くパフォーマンスを誇る。ミソラにはそれが分かった。
『メイクアップはラムに一任している。プロレベルまではいかない素人メイクだが、そこは君の経験も織り交ぜて、まあ見せられる程度にはなるのではないかね』
「今はじめて聞きましたが、僭越ながらやらせていただきます」
運転中のラムが言った。やる気のある声音だ。ハンガーに掛かっている衣装を興味深そうに眺めるアイカとユキナは、それぞれ違った不安をのぞかせていた。アイカは「これでうまくいくのか」といったもの。彼女にも迷彩服の連中と繋がりがあるからには、穏やかではない事情があるとわかるし、不安になるもの理解できる。ユキナはどうだろうか。彼女は今回の作戦には参加せず、ラムの乗るキャンプカーで待機する。ミソラはユキナの真意がどこにあるのか知りたくて、声をかけた。
「ユキナさん、アイドルに興味があるの?」
ユキナの肩が跳ねた。ミソラを見る目線で、彼女が何を思っているのか大体察しが付いた。
「ユキナさんが代わってくれたらこっちも助かるのだけど」
「え?」
「冗談よ。危険だもの」
「……別に私でも良かったと思いますけど」
「私の名前を騙って? 多分、連中は私の顔を知らないわよ。だからユキナさんを私だと思われて、連れ去られちゃうかも」
「そうなんですか?」
ミソラは「ええ」と頷いて続きを言う。
「三年くらい前から、私はずっと籠もりきりだったもの。世俗と離れて、姉さんと兄さんと変化のない生活を過ごしてたのだけどね、まさかたった三年で終わるなんて」
世俗から離れ、人との交流も最低限になり、怖いものから逃れた。そう思っていただけで、姉と兄は普通に世俗のつながりがあった。そう考えると、この状況は姉たちのせいということになる。文句の一つも言ってもいいだろう。最終的に二人を許して、今度こそ誰も邪魔されない土地へ逃げる。しかし、文句を言う相手ももはや存在しない。
「これは親離れみたいなものかも。姉さんたちは、私が独り立ちすることを願っていたみたいだから」
「独り立ち……」
「だからこれは、姉さんたちが与えた試練だと考えるわ」
ミソラは微笑んだあと、無理やり話を打ち切った。
神奈川西部の山間部を抜け、県道沿いを進む。厚木から海老名まで一直線に進み、正午には到着。ミソラとラムだけの車内に残し、それぞれは周囲の散策を始める。このとき、さすがの〈P〉も仮面を取ると思われたのだが、どうやら車内の後方で佇んでいるだけらしい。
普通のジーンズとTシャツから、ステージ衣装へ着替える。それほど作りが粗いわけではなく、動きやすさや通気性、来てみた感じも悪くなかった。
メイクのために洗顔と保湿を自分で済ませる。ラムは化粧に使うものを用意していたものを机の上に並べた。
「えっと、あくまで大人のOL用のメイクしかできないので、実際の出来栄えはプロとは程遠いですが」
「構いません。お願いします」
ミソラは瞼を閉じて何も見えないように努めた。仕上がりを確認するまでもない。ミソラは自分がどんな顔になろうとも構わないと思っているからだ。三〇分ほど他人に顔を預ける。久々の感覚に懐かしさをおぼえる。こうしてメイクを施されるのは三年ぶりだった。状況に応じてメイクの味付けが変わるのは面白いと思ったし、人によって個性が出るのはメイクの世界も『創作』のような独特な感性を必要とするのだと知った。無論、大半の人間に当てはまるような「お手本」も極まっていると思う。
出来栄えの確認をせず、〈P〉を呼び出す。時間までまもなくだ。アイカとユキナは監視任務に当たっているとのこと。何をしているのか話してはくれなかった。
『では健闘を祈る』
会場近くまで送り届けてから、〈P〉はそれだけを言った。ミソラは会場入りし、楽屋裏まで案内された。身分証明はスマホの専用アプリの認証で通った。セキュリティが甘い気がしなくもないが、地方の公演はこんなものかとため息を付いた。
出番まで一時間。その間、神経を尖らせて周囲の気配を探りながらも、現状の自分について延々ともいえる時間で考えていたのだった。
そして出番がやってきた──。
「それでは最後の演目です。急遽、出演することになった期待の新星アイドルッ──宗蓮寺ミソラの登場です!」
トリを飾るとは聞いていたが、おそらく大半の客は帰ってしまっているだろう。人を埋め尽くすような状況は数分前に終わっている。別に構わない。目的はすでに達成した。一応、ステージ下の観客を眺めてみる。
物好きそうなお年寄りや中年、少なからず興味を抱くものに、完全に興味を失っているもの。そんなバラバラな人たちをステージから見るのは初の体験だ。
観客の中に姉と兄を葬った何者かが差し向けた刺客がいる。今もこの寝首をかこうとしているかもしれない。身を守れそうな武器は右手に持つマイクぐらいだろう。
これ以上、何ができるというのだろう。歌うことも、踊ることも、ただ感情に身を任せた「意味のない行為」でしかない。観客は喜ぶことはあるが、大多数は興味を持たない。熱が一箇所に集まっている光景は、傍からみると不気味に映るだろう。
足がすくむ。ここに味方はいない。以前ならともかく、いまミソラに対して無償の愛を捧げる者は客の中には存在しない。
きょろきょろと見渡して、怪しい人間を探し当てることは他の者がやってくれる。実質、ミソラにできることは、残り時間まで立ち尽くすことだけだ。
『あ、あの、どうかされましたか』
司会が心配そうに尋ねる。
完全にうつむいて全ての情報をシャットアウトしようとしたとき、一筋の光が視界に過ぎった。
顔上げると、手にピンク色の光を上に掲げている者がいた。
サイリウムを振っていた。手をふるようにアピールして、まっすぐとこちらを見ている。
腕を横に降ってこちらの存在をアピールしているかのようだった。ある意味では当然の行為ではあるが、周囲の視線は彼女を歪なものとして扱うような空気感を醸し出していた。
「……ユキナさん、なんで……」
ミソラが危惧したのは、ユキナが宗蓮寺ミソラと関係者であると知られたことだ。
ここにいてはだめ。そう言いたかったのに、ステージの真ん中から景色はあの一本の光が目を捉えて離さなかった。
そのとき、ミソラは幻視をみた。
あの光をいっぱい浴びたことがある。
無数の輝きが歓声と熱狂を伴い、自然とステージ上の「私」に力を与えてくれた存在がいた。それはある出来事を経ていなくなってしまった。
しかし──。
ここには一人だけ、ミソラに力を与える存在がいる。少しだけ前向きに立つことができる。いまは立ちつくすだけで精一杯だが、非情さを兼ね添える敵には決して屈してはならない。
会場の空気を吸い込む。余計な力が抜けていい緊張状態に持っていくことができる。ミソラはスタッフの反応を確かめようとした。誰一人、ステージの方を向いていなかった。なにやら慌てた声と警察を呼んでいう悲鳴に、敵の襲撃が来たのだと身構える。
だが違った。敵のような仮面の流線が蛍光色のように走っていた。
『すべてを奪った連中に見せつけるがいい。曲は用意した。あとは、君がどうするかだ』
〈P〉の言葉がイヤモニに届いた。なにかが始まろうとしている。この予感を間違うことは、きっと誰にも出来ないだろう。
一呼吸、間があってから、それはやってきた。
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