決意とこれから
朝目覚めてからネットニュース、SNSのタイムラインに潜る。長野県、火災、宗蓮寺グループ、宗蓮寺
あの二人がいなくなったにも関わらず、宗蓮寺グループの株価が大きく揺れ動くことはなかった。つまり、宗蓮寺グループは普段通りの状態を維持している。
宗蓮寺麗美、宗蓮寺志渡の二人は日本でも結構な有名人だろう。いまは表舞台どころか、ネットからも一線を退いている。それでもなお、トップの座にいたというのだから驚きだ。一緒に暮らしている間も、二人は宗蓮寺グループを支えていたのだ。
一線を退く前の二人のSNSを閲覧した。最後の投稿は三年前で途絶えており、こんな文面で締めくくっていた。
『普段の活動が忙しくなってきたので、更新はここで終了します。いままでありがとうございました』
『多分、戻ってくることはないです。アカウントはそのまま残しておきます。では、さようなら』
三年前に投稿をやめるような文面を送った理由を、ミソラは知っていた。それを見て胸が痛むが、感傷に浸る余裕はなかった。
二人に関する情報は、日本の危機を縁の下から支えた若い実業家としての一面ばかり取り上げられていて、三年前の隠居を境に二人に関する情報は全くといってなかったからだ。
「ありえない」
普通は二人に対する所感があるものではないか。現役引退した芸能人を取材し、かつての栄光と現在を比較するような話があるようにだ。それに二人はまだ30代前半だ。栄光とするには若すぎるきらいがある。
張り詰めた糸が切れそうだった。誰もが、これほどまでに二人に関心を抱かないものだろうか。
「嘘よ」
ニュースサイトやSNSを更新しても、意味のない情報ばかりで溢れかえっている。
「なんでよ……お願い、お願いだから」
情報が全く出ないことがこんなにも恐ろしいことなんて考えもしなかった。姉と兄の訃報すら浮かび上がってこない。それらしい噂や発言も落ちていない。
敵が二人の死を望むのなら、亡くなったことを公表するのではないか。ふとミソラは、ある都合のいい希望を思い浮かべた。
──まだ生きてるかもしれない。
邸宅で銃声を聞いたあとは、姉に言われたとおりに自分を守る行動に必死だった。火災に飲み込まれたものの、〈P〉の介入も会って運良く生き残ることができた。扉を閉じっぱなしにしたせいで危機に陥ったとも捉えることもできる。だが敵はミソラたちを殺すつもりなんてなくて、誘拐のみの目的だったのではと考えてしまう。これはあまりにも都合がいいかもしれないが。
情報を探ることに熱中しすぎたせいか、ミソラは車内に人がいることを失念していた。
「あのぉ」
かすかな声に顔を上げる。ミソラが目覚めて最初に見た、ユキナと呼ばれた少女が心配そうな様子でいた。
「なに?」
「たまには外に出たほうが……。ずっと寝たきりで、心配になります」
「私の勝手でしょ」
「そう言われたら何も言えなくなりますよ」
「……もしかして私とても臭い?」
だったら個人的に嫌だ。風呂どころかシャワーにも入らず、夏用の制汗シートで体を清めていたが、汚れや匂いが完全に取れるわけではない。
「い、いえ。むしろ、全然臭わなくてびっくりしているくらいっていうか」
「食物の恩恵かしら。いえ、迷惑をかけるつもりはないわ。不快だったらいつでも言ってくれたらいいから」
「じゃあ、いま言ってもいいですか」
ユキナが真剣な態度をとった。
「私達を、頼ってください。多分、そこらの人よりかはお助けできる力があると思います。……私はあまり頼りにならないかもですけど」
最後の方はうつむきがちになって、勢いを失っていった。勇気を持って言ったのか、それともただのお節介か。
この五日間、彼女はミソラの様子を伺っていた。ただし深入りはせず、食事の時間を知らせたり、冷蔵庫の飲み物を好きにしていいなどと、立場上突っ込みにくいことを彼女がフォローしていた。
彼女の誠実さに免じて、欠片ぐらいは気を許してもいいと思った。
「宗蓮寺ミソラ」
すでに既知であると思うが、自ら名乗っておくことに意義がある。ユキナはぱっと顔を上げて、目を点にさせた。
「私の名前よ。まだちゃんと自己紹介してなかったから。で、貴方の名前は」
「は、原ユキナです」
「ユキナさん。うん、覚えたわ。──それじゃ、いつか、本当に困った時は、貴方を頼りにする。だから、いまはそっとしておいてもらえないかしら」
ミソラとしては少々突っぱねるつもで言ったのだが、ぱあっと華やかな表情でうなずいた。彼女は「それじゃ、いつでもおっしゃってくださいね」と言い残し、車を降りていった。
「……変な子」
ミソラの嫌味に嫌な顔ひとつしなかった。それに、彼女からは特別な事情があるとは思えない。原ユキナをはじめとするこの集団は、なんなのだろう。
不審な集団だが、衣食住は保証されている。ここに寄生して、生き延びるほうが得策ではないだろうか。
だがそんな甘えた考えを許してくれる環境ではないことを、ミソラは身を持って体感することになる。
仮面が戻ってきたのは五月の下旬に入り始めた頃だ。神奈川県内の山間で、久々に姿を表した。
キャンピングカーが〈P〉の傍で停車し、車内に乗り込んできた。身長は180を超えており、天井に頭をぶつけないように、猫背になりながらソファに腰を落ち着かせた。仮面がミソラの方へ向く。
『ふむ。カタツムリを飼っていたつもりはないのだがね』
開口一番に皮肉をぶつける仮面の不審人物に、ミソラは肩をすくめて返した。
「ぐるぐると関東と中部地方を回っていたみたいだけど、これ貴方の指示なのね」
『一つの場所に留まるより健康的だろう。だがそれも終わりだ』
どういうことか、とアイカとユキナ、そしてラムも疑念を抱いていた様子だ。
「ついに奴等のしっぽでも掴んだのか?」
アイカが言った。行き急ぐような様子だった。
『残念ながら、君の仲間は日本へ潜伏していること以外つかめていない。雇い主が相当な力を持つ人間の可能性は出てきたがな』
「んなことだろうとは思ったよ」
アイカが肩をすくめて勢いを失っていく。それから仮面はユキナに話を向けた。
『ユキナくん、君の両親に怪しい影が付きまとわれている気配はない。だがいつでもうごけるようには忠告しておいた』
「その、二人が危険な目に合うことになりませんか?」
『無きにしもあらず。彼らの「善性」に期待するしかない。もっとも、君を最後まで諦めなかった御仁だ。期待して待つといい』
ユキナは顔をうつむかせて、わかりましたと答えた。ユキナは両親が存命だと聞く。ということは、他の面々に親族はいないのだろうか。
話の話題は、ミソラへと戻っていく。その事実をまざまざと見せつけてきたのだから。
『さて宗蓮寺ミソラ。そろそろ現実を知った頃合いだと思うのだが、君はこれからどうするつもりだ、宗蓮寺ミソラ』
「……まだわからない、じゃない」
『分かりきっているさ。宗蓮寺グループは君の姉兄がいなくても、何も変わることはない。たとえ死に絶えたとしても、ほんの少しだけ悲しみを自ら作り出し、変わらない日々に戻るだけだ』
それを聞いてミソラは殻のように毛布で体を覆った。何らかの悪意が姉たちを死に追いやった。一切ニュースに報じられないのは、誰かがそう指示したからだろう。普通は公表することでリスクの生じた儲け話ができるものだ。宗蓮寺グループの誰かかもしれないし、他の誰かかもしれない。
黒幕はほくそ笑んでいることだろう。なんのニュースにもならず、厄介な敵を討ち滅ぼすことに成功したのだから。だが一人だけは違う。ミソラは生き残っている。
『一応、君に選択肢は与えたつもりさ。何者かの襲撃を受けて、家族を殺されたと世間に訴えかけることができたはずだ。そのために渡したのだがね』
テーブルの上に端末一つで、世界中で発信されている情報を閲覧できる。自分の考えを発信し、各々が抱く怒りや悲しみを吐き出し共感を得ることだってできる。〈P〉が言っているのは「告発」として利用できたのにしなかった理由を尋ねているのだろう。しかし〈P〉という人間もどきは、ミソラの深淵を見てきたように話した。
『しかしただの一度もしなかった。それはなぜか。決まっている。──そんなことをしても、君の家族を亡き者にした連中に報いることができないからだ』
「──ッ」
ぎゅっと毛布の端を掴む。言い訳の仕様もなく、見事に言い当てていた。
この一週間、公表する機会はいくらでもあった。だができなかった。報復を恐れたからではない。ミソラの生活を奪った連中が、手の届かないところまで「逃げる」からだ。
「あの二人が襲われたのよ。ただのチンピラで説明付く連中じゃないことはわかりきってる。だって貴方の知り合いらしき人に襲われたんだもの」
ミソラはアイカへ視線を送る。彼女は複雑そうに顔を歪め、ミソラから視線をそらした。別に彼女を責めているわけではない。迷彩服姿の連中は普通ではないと確信を持てただけでありがたい。
敵は裏から人を操ることのできる力を持っている。いわゆる権力者と呼ぶべき人種だ。ミソラも立場上は権力者に分類する人だ。自分がどんな事態に陥ったのか、依然と分かっていない。わからないことが多すぎて、自暴自棄に陥りそうだ。だからこそこの5日感で芽生えた思いは、はっきりとしていた。
「誰も姉さんたちを助けてくれない。この5日で分かったのは、それだけよ」
姉と兄はミソラの宝だ。二人のためなら命を投げ出す覚悟だって、当の三年前にできている。なのに自分だけ無様に生き残った。その恥を無様に晒している。
「私の大切なものを壊したのよ。ならこっちが壊してやるわ。──奪う奴らは全員、徹底的によ」
誰かが守ってくれる世界はどこにもない。『自分』を失ったあの日から、まざまざと体感したではないか。
ならばこの身一つで反逆するしかない。この生命は、姉と兄の為に捧ぐと決めているのだから。
ミソラの啖呵に、アイカが愉快に顔を歪めた。
「いい面替えじゃねえか。最初からそうしろよ。なあ〈P〉、こいつ気に入ったぜ、ここに加えようぜ」
思わぬ提案にミソラは目を瞠った。あれだけミソラにつっけんどんな態度を翻し、好意的な意見へ傾けている。反面、ユキナは異論がありそうな様子だったが、なにか言うわけではなかった。ラムは〈P〉を見て伺っているようで、完全に任せきりなのが分かる。
『もちろん。君は使えると思ったから我々の元へ連れてきた。価値がないと判断したなら、救出したあと警察に突き出したさ』
不気味な仮面が強い情をもって、こう宣言する。
『では仕事をしてもらうぞ、宗蓮寺ミソラ』
「いいわよ。私に何させるつもり」
『決まっているさ』
〈P〉が続けた。
『三日後、海老名のイベントモールに空きができた。そこに君を参加させる我々の敵をあぶり出すために、ステージに立ってもらうぞ』
ふと机の上の物に置かれているものがみえた。
「……はぁ?」
ビニール袋に覆われているのは、まるでアイドルが着るような淡いピンクのフリフリ付き衣装だ。
これには〈P〉と長く連れ添っているであろう三人も唖然としていた。
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