ワガママお嬢様


 食事を終え、テーブルの上には藍色の髪の女性が淹れた紅茶が並んでいた。ミソラは紅茶を口にし、違和感の残る味わいにそっとテーブルの上に戻す。


「お口に合いませんでしたか?」


 メガネの女性の問いに、ミソラは言った。


「使ってる茶葉が低品質。それ、いつどこのもの。私の体、基本的にクリーンなもので出来上がってるから」


 紅茶に出されているクッキーも手に取ることはしない。無添加の食材で出来上がった料理しか、基本的に体に取り入れない主義だ。ミソラの物言いに、金髪の少女、アイカが反発した。


「さっき、アタシたちのぶんまで平らげたやつの言葉じゃねな。この国じゃ、礼節を重んじるんじゃねえーのか。こいつ、甘やかされて育ってた奴だな」


「おそらく。私も出くわすのは初めてですが。せっかくです、添加物しかない料理を考案中してみましょうか」


 嫌味の応酬にミソラは呆れた。自分が食べる物は特に厳しい基準を設けているだけだ。そして何事にも例外がある。生存の保証ができたいま、食べる物をより慎重に期すべきなのだ。


「ないなら白湯だけで結構。……それより、あなた達は何者なのか、教えてもらえるかしら」


 変にへりくだった態度は、最終的に操り人形にさせる要因になりえる。ミソラは全員の顔を穴が空くほどに眺め、食って掛かる面持ちで臨むことにした。


「それはアタシたちも聞きたいくらいだ」


 これにはミソラは驚いた。どうやらこの集団、何もかもを知っているわけではないようだ。黒髪の少女もアイカに続いて言った。


「この人が訳ありなのは分かったよ。多分、私達と同じなんだよね。だからね、みんなが知っておくべきだと思う」


 仮面の反応を見た。ゆったりと腕を組んで思案する素振りを見せた。ラムは静かに場をみているだけで、会話に加わろうという意思を感じない。


「あの、助けられたって、この怪しい人に? 二人が?」


「ああ。アタシが最初に連れてこられた一人だ。次にユキナ。最後にアンタだ。アタシたちに共通点があるなら、女ってことと死に際に助けられたことぐらいだ」


 アイカはなんてことのないふうに語ってみせたが、黒髪の少女は違った。今にも苦しげな表情を浮かべ、胸に手を当てている。死の間際の出来事はなかなかにショックなことだろう。ミソラも理解できる思いだった。

 ミソラはさらに問い掛けた。


「見たところ、あなた達ふたりは私と同年代に思うのだけど、間違いはない?」

 アイカとユキナはうなずいた。それが何を意味するのか、大人たちは理解しているのだろうか。


「とんだ犯罪集団に出くわしたわね」


「言っとくが、アタシはともかく、ユキナは親御の許可あるからな」


「じゃあ、高校生なのね。それは本当?」


「う、うん。学校は休学中で、両親の許可もちゃんとあります」


「で、アイカさんも同じくらいの年代ってことでいいのね」


「十六だ。アタシが一番年下」


 彼女たちの言葉を信じるなら法律上は問題ない。この一団の中心にいるのは〈P〉と呼ばれた仮面の人だ。ミソラは大人たちへ話を変えていく。


「客観的にみて、貴方達から犯罪の匂いしかないわ。なにか、弁明することはある?」


 〈P〉とラムの二人はそれぞれ顔を見合わせ、ラムが静かに呼吸を吐いた。仮面から呼吸の気配を感じさせないのは、全身を何かで覆っているからだろう。

 安息の展開は何処にも存在しない。現に謎の一団にとらわれている。ふと、ある疑問が浮かび上がった。ミソラは〈P〉に真っ直ぐ視線を注いだ。


「どうして、私の家が襲われているって知ってたの?」


 張り詰めた緊張が走った。〈P〉は寸前のところでミソラを救出した。だが人里離れた邸宅をどうやって知ることができるのだろう。


「偶然、通りかかったわけじゃないよね。貴方はあの場所を知っていた。最寄りのICからでも一時間以上はかかる場所だって姉さんから訊いている。貴方があの場所に来たのは、なにか理由があったのでしょう」


 少しの間のあと、合成音声が『そうだ』と告げた。ミソラは極めて冷静を繕いつつ、確信を口にする。


「私の家を襲ったのは、貴方?」


『違うな』


「じゃあそれを指示した。迷彩服姿の男達を操って、襲撃させた。ちがう?」


 がたりと、机が揺れた。揺れの発生地はアイカの拳からだった。


「おい、その迷彩服奴ら、どんなだったか覚えてるか?」

「何よ突然?」


 アイカは懐のスマホを取り出して、画面をミソラに見せつけた。


「迷彩服の男達のことだ。こういう奴等だったか?」


 湿地帯のような場所で男たちが重火器を携えている姿が映っている。焼けた肌は人種特有のものではなく、日光で浴びたものだと感じた。ちょうどアイカの肌色にそっくりだ。迷彩服の柄は特徴的であった。臙脂色と緑の柄という、周囲に溶け込むには不相応な服装に見覚えしかない。邸宅を襲った日にいた連中と同じ服装だ。


「……その反応じゃ、あたっちまったようだな。クソが、誰に雇われやがったんだ」


 まるでアイカ自身、迷彩服姿との関係を示唆しているみたいだった。だが関係があるとして、どうして彼女がと疑問が浮かぶ。ふと仮面が口を挟んできた。


『彼らはスペシャリストだ。証拠隠滅もお手の物。おそらく、現場に彼らにたどり着きそうな証拠はないだろう。私が発見できたら良かったのだが、彼女を救うことを優先した』


「……だろうな」


 そう言って、アイカはスマートフォンをテーブルの上に滑らせた。ちょうど冷めきったミソラの紅茶に当たる。スマートフォンを手にとって見てみる。ホーム画面しか映っていない。


「貸してやる。それ好きに使え」


 アイカはそう言って紅茶を一気に飲み干し、テーブルから離れていった。彼女から渡されたスマートフォンで、ミソラは何を調べるべきか決めた。それ以外のことを考えついていた。情報のアクセスだけが、スマートフォンの役割ではない。


「……こんなの渡していいの?」


『暇つぶしには丁度いいだろう。特に干渉はしない。アイカくんがそれを渡してきた意味を、君は知るだろう』


 食事を終えたミソラは早速、ネットに接続してニュースを片っ端から読んだ。まずは宗蓮寺グループについて検索をかけた。最近、セキュリティが突破されたというのが一番の話題だった。なんでも重要な情報が外部からのハッキングによって漏洩したという。だが通常顧客には何ら影響がないとして、三日前に会見を開いたばかりだ。


 続いて火災について調べる。ふと日付を見て、まだ昨日の出来事でしかなかった。火災の情報とは、こんなに遅いものなのだろうか。しかし昨日付けで家屋の火災事件は三件ほどみつかった。そのなかで宗蓮寺グループにゆかりのある姉たちのことが記事になっていないのは不可解だ。


「……まだ、大丈夫、よね……」


 つぶやいた言葉に、どことない不安が襲いかかる。先日の命の危機ではなく、骨董無形な陰謀が頭の隅に引っかかってしまうような感じだ。それを一言で「闇」というのかもしれない。





 キャンピングカーが湖のほとりを出発したのは、それからまもなくだった。しかし車内に〈P〉の姿が見当たらなかった。


「仮面の人は?」


 ミソラはユキナに尋ねた。備え付けのソファに座って文庫本に目を落としていたユキナは顔を上げ、ほんのりとした微笑みで答えた。


「あの人は基本的に私達とは別行動みたいな感じです。きまぐれにふらっと戻ってきますよ」


「あの格好で外に出るの?」


「さあ……でもネットで仮面を付けた不審人物の話題はありませんし、さすがに素顔の状態で活動しているの……と信じたいですね」


 ユキナが不安げな顔を浮かべる。彼女を筆頭に、アイカやラムにもそれとなく訊ねてみたが、ユキナと似通った返答だった。ふと、ミソラは〈P〉に対するある疑問をユキナにぶつけた。


「もしかして仮面が最後に単独行動をとったのって、私が来る前辺りだったりする?」


「あ、はい。といっても、いつものような長い時間ではなくて、たった1日だけですけど。多分、何処かの情報でミソラさんの自宅が襲われることを察知していたんだと思います」


「あなたもそういう経緯でここにいるわけ?」


 ユキナは苦笑いを浮かべてうつむきがちにつぶやいた。


「私は、違います。本当に偶然、みんなに助けられただけです。〈P〉さんもそのようにいいましたから」


「そうなのね」


 ユキナに対しての印象は、どこまでいっても普通の少女といったものだ。敬語を使った受け答えに、たどたどしさの残る口調がまさにそうだ。彼女に制服を着せたら、どこにでもいる女子高生と何ら変わりはない。


 だが侮ることはできない。一見普通の振りをして、内面は悍ましいものが渦巻いているかもしれない。決して隙をみせず、ここでは体力の回復に努める。 幸い食べるものに不自由はしていないようだ。ミソラは食事はえん麦のお粥と卵を使った料理にカット野菜で済ませている。キャンピングカーの中には小さな調理台があり、火力を必要としない料理なら容易に作成できた。


 夕方の時間に、ラムが日用品を補充するためにミソラたちに欲しい物を尋ねてきた。


「今日は車中泊にします。あとで銭湯に入るので、化粧用品を一式揃えておきますが、他に必要なものがあれば言ってください」


 いまどこにいるのだろうか。マップアプリで位置情報を調べてみると、静岡県にいることが判明した。長野からそう遠く離れていない。先程の湖が長野にあるかどうかは分からないが、そう遠く移動はしていない。


 丸一日、情報収集したが成果はまるでなかった。長野の別荘地で火災があったとなれば、即座に情報が来そうなものだ。


「おい、風呂入りにいかないのかよ」


「……いい」


「調べ物も結構だが、少し休んだらどうだ」


「知らない人と風呂になんて入りたくない」


 アイカは嫌な顔を浮かべそうな口調で吐き捨てた。


「あんたお嬢様のくせに不潔だな」


 勝手に言っていればいい。だが不潔と言われて、何も思わないわけではなかった。


「……じゃあなにか着替えるものがあれば」


「あ、私が買ってきます」


 ユキナがそう言ったのを最後に車内は静寂が訪れた。おそらくラムは運転席の方にいるのだろう。ミソラを単独にはさせない意図がすぐに伝わった。

 それでも構わない。大事なのは調べ物続く状況ができたことだ。広大な海を彷徨いながら、ゆく宛のない目的地をひたすらに探し当てに行く。

 そんな日々が五度繰り返された。

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