謎の一団


 生まれながらにしてすべてを持っていた。将来、偉大なことを為すための土壌を形成し、十四歳でその才覚を遺憾なく発揮した。恵まれた環境で、自分のやりたいことを追求し尽くした。

 音と人と、そして私が生み出す総合芸術は、あっという間に世界に知れ渡った。

 忘れもしない。私とあの二人で描いた景色は、誰も彼も幸せにできる、そんな実感があった。

 しかし人は努力すれば努力するほど、望まぬ結果を生み出してしまうジレンマが働くらしい。私の身に起こった結果は、あまりにも致命的で、理不尽極まりなく、徹底的に惨たらしかった。

 水が降ってきた。

 頭から髪の毛、顔へと染み込んでくる。

 刺激に悶え、叫び、狂って──。

 そうして「私」が死んだ。

 







「──っ」


 ミソラは目を覚ました。視界はぼやけ、全身の筋肉がうまく動かず、本当に目覚めているのかどうかも疑わしい。金縛りから解放される要領で呼吸だけに意識を向け、すーはーと何回も続ける。体内の酸素不足が解消され、徐々に体の自由を取り戻してきた。

 ミソラは首だけ動かして辺りを眺めた


「ここって……」


 自室ではない。かといって、自宅のどこでもない。

 目に映る全ての物に違和感を覚えた。起き上がれば頭をぶつけそうなほどに低い天井だと思いきや、斜め上に視界を向けると別の天井があった。ミソラが横たわっていた天井は木製の天板だったようだ。ミソラの自室にぶつかる高さの天井はない。


 体を起こそうとした。左手を伸ばそうとすると、どこかに腕を縛られているような感覚が走る。


「あ、目覚めたんですね」


 声がした。黒髪の少女が心配そうな眼差しでこちらをのぞいていた。


「……どちら?」


「いまみんなを集めます。今は体を休めてください」


「……あなたは、いったい……」


 少女以外に別のものがみえた。やけに狭い空間に、ソファやテーブルがある。その奥のほうには、ガラス越しの景色が見えた。まるで車内にいるようだった。


 ミソラは自分の手が包帯で覆われているのをみた。瞬間、自分の身に降り掛かった出来事を思い出す。大きく目を見開き、体が最大限に活性化した。


「姉さん、兄さんっ。二人は、二人は! どこに……!?」


「お、落ち着いてください。もう少しで……けほっ」


 ふと少女が背後を向き咳を払った。それから激しいものを数回していくうちに、ミソラのほうが逆に冷静になった。


「ちょ、貴方のほうが大丈夫ですか⁉」


「けほっ、けほっ。……いつものことですから。今から、呼んできますね」


 そう言って、黒髪の少女はミソラの傍から離れた。彼女がいなくなったことで、自分が今置かれている状況を少しだけ鑑みた。


「……生きている」


 少なくとも死ぬことはなかった。死に損なったともいえる。煙を吸い込んではいたが、大量に吸うことはなかった。病院のベッドの上ではないことが不安の種ではある。


 お腹は不思議と空いていない。あれからどれぐらいの時間が経過したのだろうか。腕に点滴もなく、栄養失調気味なことに変わりはなさそうだ。

 がらりと扉が開く音で膨れ上がる考えを止めた。先ほどの黒髪の少女に人が続いた。


「おまたせしました。いまPさんが診てくれますから」


 最後に言った「ピー」という名前に疑問を持った。


「その人はちゃんと医者なの?」


「はい、信頼おける方なのは、けほっ……保障します」


 彼女の様子で不安を通り越して恐怖になっていく。そしてその予感は的中した。

 車内に続々と人が入ってきた。二人の女性が駆け寄ってきたあと、最後に現れたソレはミソラの想像を超えた存在だった。


「目覚めたんだってな。で、しにかけか?」


「ちょっとアイカちゃん、縁起でもないこと言わないの。……でも調子悪そうだった」


「当然ですよ。有毒ガスを吸い込んでしまったのです。〈P〉が間に合ったから命に別状はなかったようですから」


 ミソラを見下ろす二人の女性を観察する。初っ端から死にかけと失礼なことを言った方は、見た目から目を引くタイプだった。毛根まで染まっていそうな金髪をボブショートに近い髪型をあしらえ、黒い眦が鋭く見つめてくる。体格は小柄で、三人の中で特に強調されている。上下黒色の動きやすそうな服装で、首元に白いタオルをかけている。先程まで体を動かしていたらしい。


 もう一人は黒縁のメガネを掛けた見るからに年上の女性だ。くすんだ茶髪をポニーテールにまとめ、平均より高いミソラよりも背が高いようにみえた。ワイシャツに紺色のジーンズと言うシンプルな出で立ちだが、思わず見惚れるスタイルをしている。


 二人はこの世の中でも至って普通の人間だ。だが彼女たちのあとに現れたソレは、人の肌がまるで見えない存在だった。思わずそちらを凝視してしまう


「まあ驚くよね……」


 黒髪の少女がため息がてら言った。彼女も同じ経験をしたようだ。


「言葉は通じるんだから、話は通じるんでしょ。〈P〉、この女を連れてきたわけ、教えてもらうからな」


 金髪の少女はぶっきらぼうに言った。〈P〉とは先程から話題に出ていた言葉だ。それが指し示すものが、背後にいる異様な人型のことなのだろうか。



『ふむ。どうやら大事ないようでよかった。病院へ連れて行く手間が省けた』



 仮面から機械的な声がした。ボイスチェンジャーでもかけているのか、男か女か判別もつかない。声の持ち主の見た目を羅列すると、黒と白のコントラスとの鎧をまとい、頭部は黒と金色の模様が入った仮面をかぶっている。それ以外は人型で、日本語を話している。容貌が異様なだけで、おそらく人間なのだろう。背丈は誰よりも高く、しゃがみ込む形になってミソラを覗いている。


 金髪の少女はアイカという名前で、仮面の人物は〈P〉という名前らしい。黒髪の少女と大人の女性の名前は明らかにされていない。


『寝込んでいるのは、逆に体に毒だろう。外に出よう。君の感じているものを、洗いざらい吐き出すがいい』


 そう言って、仮面はこちらへ近づくかと思うと、ミソラをひょいと抱きかかえた。宙に浮く感覚をあとに、仮面は外へ向かう。途中で、黒髪の少女に足をぶつけてしまったり、テーブルの角にぶつかったりと、まるでエスコートがなっていなかった。


「ちょっとっ、おろして。私、多分歩けないわよっ」


 抱きかかえられた状態で、ミソラは外へ出た。

 清涼な空気が鼻孔を透き通ってきた。柔らかい陽の光が、大きな水たまりに反射してキラキラと輝いていた。


 湖が広がり、自然の外に放り出されたような気分になった。鈴のような優しい音が木々の間から聞こえてくる。邸宅の周辺の自然より空気が冷たいが、湿度が高いせいか肌に熱がまとわりついてくる。


『食事を用意している。君の体調を考慮したものだ』


「……なるほど。ここで寝ていたのね」


 視界を移すと、車の種類がわかる。やはりというべきか、キャンピングカーとよばれるものだ。実物を見るのは初めてで、ミニバンよりも少し大きい。


 テーブルの上には色とりどりの料理が並んでいる。湯気があがっているところから、出来たてなのだろう。車内から、先程の一団が椅子に座ってきた。ミソラの席はテーブルの端に用意してある車椅子に降ろされた。

 ミソラは食事に手を付ける前に訊いた。


「姉さんと兄さんは、どうなったの」


 沈痛な面持ちになる。彼女たちが答えを知っているとは思えなかったが、〈P〉は端的に答えた。


『さてな。前後に何が起きたのか、私は知らない。君に降り掛かった出来事と、共有させてもらえないかね』


 芝居がかった口調が仮面の言葉遣いらしい。合成音声のせいで、嫌味たらしく響くことなく、逆に不気味さを醸し出している。わかることは、二階の部屋の窓を突き破り、炎と煙に飲まれそうになったミソラを救出したのは〈P〉だということ。つまり生命を救ってもらった恩がある。ただミソラは警戒をしつつ、出来事を話していった。


 最近、姉と兄の仕事が忙しくなったこと。来客が増え、近隣に何かを建てそれに姉兄が反発していたこと。そして、突如として壊れた平穏。何の前触れもなく、銃声が鳴り響いたことなど、殆どのことを話した。


 反応はそれぞれ違っていた。仮面の表情は伺えなかったが、なるほどと一言。年長の女性──ラムとアイカが呼んでいた──は一般的な同情のポーズをとった。黒髪の少女も同様だったが、「ひどい、ひどすぎる」と今にも泣きそうな様子だった。


「警察には、このことは伝えたの?」


「落ち着け。順番に話す。まず体に栄養入れろ。泣き叫ぶのそれからだ」


 アイカが顎で料理を指し示す。空腹がすぎると逆に空腹を感じなくなるらしいが、料理の匂いでようやく空腹を自覚した。腕は動くので、スプーンをとりお粥らしき料理を口に入れた。


 口の中に優しい味わいが届いてきた。ミルクの風味にはちみつの甘さ、あとから麦の香りを噛み締めていく。見たときはお米だと思っていたものが、穀物のお粥だったことに感心した。


 二口、三口と麦のお粥を完食。次に蒸した鶏むねサラダ、サーモンのカルパッチョなど、外で食べるにしては、豪勢な食前だ。


 今は食べて体を直すべきだ。たとえ毒物が混入されていたとしても、食欲を握られていた時点で敗北した、だけのことだ。


 泣き叫ぶのは後だ。だがこみ上げてくる情動を抑えることができなかった。

 姉と兄がいなくなった。それだけはわかったのだから。



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