急転
花見から数日後、この邸宅に来客がやってきた。ミソラは庭の掃除をしていた。自然と鳥のさえずり、時々航空機の音が常な環境音に、何かが走る音がやってきた。兄が車を走らせることはあるが、その日はガレージで作業中だ。ミソラは来客を姉に知らせた。
「私、部屋に行きます」
「終わったら呼ぶから」
自室に戻ったミソラは、視線だけを窓に向けて来客を眺めた。黒い乗用車から二人のスーツ姿の男が降りてきた。姉と兄が来客の二人に向き合う。ミソラは窓を少しだけ開け、耳を澄ませてみた。会話が聞こえた。
「わざわざこんなところまでご報告していただき、ありがとうございます。ですが、次からアポを取っていただくとこちらも助かります」
兄が言った。しゃがれた声が次にこう言う。
「ああ、それはすまなかった。こちらとしても、火急の要件だったものでね。オンラインだと、誰が盗み見ているのか怖いものだ。こうして直接赴くのが安全だと判断した」
「詳しい話は居間でお伺いします」
兄の態度に不思議なものを感じた。社会人としての兄を見るのは久々だったからかもしれない。それに誰に対しても態度を崩さない兄が、白髪の男に臆しているようなきがする。
その男に寄り添っている黒髪の若々しい男が、兄に対して馴れ馴れしい口調で言った。
「
志度、とは兄の名で、麗奈は姉の名だ。姉が黒髪の男に言い放つ。
「私達を要請するほどの事態、さぞかし愉快なことなのでしょうね」
穏やかな口調とは無縁の皮肉たっぷりな口調は、初めて聞くものだった。姉の普段の穏やかな雰囲気は、鋭い口調によって抹殺されている。なんだか穏やかではない事態に、ミソラも緊張感を高めてしまう
「米国、フランスの支部がすでに被害がありました。大規模テロを画策しているとも──」
4人が玄関をくぐったところで話が聞こえなくなった。会話の内容が物騒だ。テロとか話さなかったか。しかも被害はすでに出ていると。
一時間程度で、来客は去っていった。ミソラは車が去っていくのを確認したあと、一階に降りた。
「お客様お帰りになったのですね。その、お仕事関連ですか?」
玄関先から上がってきた姉たちが、見ていたのと少し驚いていた。
「ごめんなさい、部屋に居座らせてしまって」
「俺たち、しばらくは自室に引きこもって仕事することになりそうだ。来客も多くなりそうだ。その間、ミソラにかまっていやれない」
「構いません。身の回りの世話ぐらいしかできませんが、私にもお手伝いできることがあれば、遠慮なくいってください」
「ありがとうミソラ。お言葉に甘えさせてもらうことにするね」
ミソラはその間、普段の家事に奔走し、姉たちの休息時にはお茶を出すなどして、できる限りのサポートを行った。二人は自室にこもることが多くなった。姉たちの所用は数日で収まったものの、詳しい話を訊くのをはばかられるほど、疲れを見せていた。
程なくして、姉兄が忙しく動くことになった。ミソラも必然と慌ただしい日々を送ることになった。五月に入り、GWという連休すら通り過ぎていった。
来客も増えていき、その際は誰とも合わないように部屋にこもる。会社に何が起こっているのかは、会社のことを何一つ知らないミソラには考えもつかなかった。
窓から相手を確かめるのも億劫になるほど、時間帯問わず姉兄に話を聞く人が多い。二人の有能さを垣間見えて誇らしいが、不自然に思うようになったのは、来客が乗ってくる車両だ。ここへは車以外の交通手段は皆無と言っていいが、大型トラックが何台も現れるようになったのは、さすがに変だと感じた。
そのことを尋ねてみたが、周辺の土地の一部を売却したと語った。周辺一帯は自分たちで買い取った土地のはずだ。つまり土地を一部提供したと言っているようなものだ。
安寧の地ではなくなっている。邸宅から離れたところから、微かに工事の音が聞こえてくる。姉兄は疲れ切った顔をみせていった。
来客のときは部屋に引きこもることが多かったが、お手洗いに向かおうとしたときこの家では聞いたことのない音が聞こえるようになった。「なんて勝手な!」という姉の声。「ここまでしたんだぞ!」という兄の声。怒りと嘆きを撒き散らしている相手は一体誰だろうか。ミソラはそんな声なんて最初からなかったように、部屋に閉じこもった。
宗蓮寺グループは日本で最大級の企業だ。二人がそのトップに親しい立場だと理解していても、ミソラにとっては唯一の家族でしかない。
そんな二人に大きな迷惑をかけてしまったのがミソラだ。
「……はやく終わってしい」
最近はピアノを弾く気にもなれない。オンライン授業も聞く耳半分といった感じだ。
外を眺めても大量のトラックが家の前を通ったり止まったりしている。なんとなく場所の空気が壊れるような気がして嫌な感じだ。だがふ数台のトラックの集団をじっとな眺めていると、トラックの背後から迷彩服の男たちが何かを運んでいるのがみえた。赤い灯油タンクのようた。冬は極端に寒い地域なので欠かせないものではあるのだが、五月にお世話になるものではなかった。
「あんなにいっぱい……」
一つや二つでは収まりきらない灯油タンクを外に引っ張り出している。それに男たちの服装も異様だ。なぜ迷彩服を来ているのだろう。兄のようなツナギ姿ならまだしも、あれでは建築関係の職種にはみえなくなるのではないだろうか。まるで軍人だ。
異様な不安がよぎる。そんなときだった。部屋から着信音が聞こえたのは。
「……姉さま?」
電話番号を知っているのはこの世で二人だけだ。部屋の隅で充電中のスマートフォンを取り出すと「姉さん」という表示がされていた。通話アイコンをタップし、耳に当てた瞬間のことだった。
「ミソラ! 部屋から出ないでっ。誰かが来ても絶対に開けちゃ駄目よ。鍵も開けないで、ピアノをドアの前に置いて──」
耳元が爆発してしまいそうな音がスピーカーからやってきた。思わずスマートフォンを手放してしまう。そして防音部屋であるこの場所までも、似たような音が届いていた。
「……な、なに……」
喉が震えている。先程の爆発音がスマホとほぼ同時に発せられた。姉の必死の叫びを浮かべる。下の階では、二人が来客の対応をしていなかったか。
最近の様子に加え、外では迷彩服姿の男たちがたむろしている。応対しているのは、それと関係するのではないだろうか。
ミソラは姉の言葉を実行した。それ以外に、ミソラにできることはなかった。鍵をかけて、ピアノを思い切り押し、扉の前に置いた。それからすぐに、ドアが激しい雨にさらされるように強い衝撃が走った。
「おい、誰かいるだろう? 開けてくれないか。おねえさんが呼んでたぜ」
知らない男の声だ。体がすくんでしまう。だが実際に誰かと出くわすより恐怖を覚えている。生命を失うような本能に、呼吸すらままならない。
「こまったなあ。人が開けろって言ったんなら、開けろっつーの。まあいいや、どうせ聞こえてるんだろうし、どうして開けなかったのかその体に訊いてやるから」
言葉の後に耳をつんざく破裂音が轟いた。扉に小さな凹みができる。信じられない力が働いた証拠だ。
「あれー、防弾まで整えてんのかよ。さすが金持ちだ」
立て続けに破裂。扉の向こうは圧倒的な暴力の世界となっている。拳銃での発砲など、日本においてはまずお目にかかることはない。
ミソラは全身をガタガタと揺らしていた。目の前で起きていることが現実とは思えなかった。だが、先程の姉の必死の叫びが耳にこびりついている。二人は、もしかしたら──。
想像外な方へ膨らんでしまう。むしろその悲観以外に考えられることはない。いま子の家は何者かの襲撃を受けているのだ。
ミソラは即座に背後のクローゼットへと隠れ潜んだ。少しは音が収まるが、根本的な解決になっていない。物の奥へと隠れ潜み、耳と目を外から隔絶させた。
「うそだ、うそだ、なんで、なんで──」
理由がわからない。何処の誰がこんな企てを。姉と兄は襲撃を受け、どうなったのか。無残な状態で発見されたら、もはやミソラに生きる意味はないと考えた。だがこんな状態に陥ってから、ミソラは最後のに残った望みを口にしていた。
「しにたくない、しにたくないよ……」
誰もが恐怖する死。生命の危機があったとしても一生に一度だと楽観していた。ここにきて、銃という一生無縁の世界だと考えていたそれは、扉の装甲を凹ませる威力をまざまざとみせつけてきた。
体に当たっただけで怪我をする。多量の出血。一生残る痛みや障害をもたらす人類最悪の武器だ。
絶えず部屋の外から衝撃が走っている。銃声とそれ以外の音。人が多数入れ乱れ、この家をどうにかしようとしていること。そしていつか、このままでは生命を奪われることは確定してしまっている。
時間は止まってくれない。相手が攻撃をやめるより確実なことだ。その流れが亡くなったとき、塞ぐことのできなかった五感が変化を捉えた。
焦げ付いた匂いがした。ミソラは先程見た給油タンクを思い出した。家に火を放ったのだ。灯油、またはガソリンを巻き付けたのなら、閉じこもったままではやがてしに至る。
ミソラはうずくまったままクローゼットの扉を開けた。瞬間、部屋中が黒い煙に包まれていた。発火元は明らかに扉の奥からだ。
「けほっげほっ。姉さん、兄さん……」
どんな事があっても二人が守ってくれると思っていた。土地を買い、大きな家を建てるだけの力があって、日々を余裕を持って過ごせる力を持っている。だから日本の中で、実質無敵なのだと思いこんでいた。
だが暴力には抗いようがなかった。家は簡単に燃えるし、人も簡単に死ぬ。そしてミソラを守る盾はもはや、どこにもない。
煙を吸い込むこと以外に、呼吸を保てない。咳き込みが激しくなっていき、体の感覚が遠くなっていった。
「あ、あぁ……たすけ、て……」
死の間際に何かを思おうとした。しかし何も浮かばなかった。子供の頃も、輝いてたころも、ひっそりと過ごしていたときすら。
結局、宗蓮寺ミソラとはその程度の存在であった。それはいい。自分のことはいつまでも卑下できる。
それでもたった二人の家族にすら、なにもしてあげられなかったのは後悔に残るんだろう。そう思いながら、ミソラは熱が迫ってくる世界で目を閉じた。
遠のく意識の中で、ガラスが割れる音がした。とうとう、窓が爆発したのだろうと残りの思考で導き出したとき、それは聞こえた。
──ふむ。見つけられたのは僥倖だな。さて、彼女が我々の希望となるか、それとも──。
ふわりと体が持ち上がったようなきがした。天使が迎えに来たのだろう。だが天使にしては、声はもっと可愛らしいものが良かった。
冷たい風が肌に当たるのを感じたが、あとは何も考えることができなかった。
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