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 「なあに、紫音ちゃん、どうしたの? ため息なんて吐いちゃって」


 オーナーの椎名さんが私の顔を覗き込みながら言った。

 突然現れた椎名さんに 少し驚きながらも私はこたえた。


「なんにもないですよ」


「んー? 怪しいなあ」


 椎名さんはニヤニヤしながら私の顔をまじまじと見つめた。


「そんなこと、ないですよ」


 私は急いで笑顔を作る。いわゆる"営業スマイル"というやつで、この仕事を始めてからすっかり上手くなってしまった。と、自分では思っている。


 本当は、レンがいなくなってからどこか寂しくて、物足りなくて。でも、ここでうじうじ悩んでいたって、状況が変わるわけでもない。もう、どうしようもないことだから。


 「またまたー、何か悩みがあるんなら、お姉さんにお話ししてごらん?」


からかうように言う椎名さん。


「いやいや、悩んでても言いませんよ。だって椎名さん、口軽そうなんですもん」


笑いながら私は軽口を叩く。


 椎名さんは優しい。私が元気がなかったり、落ち込んでいたり、今日みたいに考え込んでいるといつも元気付けてくれる。

 けれど深刻そうな雰囲気で接するわけではなく、あえて軽い感じで接してくれる。私の軽口も許してくれている。

 この1ヶ月、行き場所のない寂しさや後悔を、ひとりで延々と抱えることなくやってこられたのは、こんな風に元気付けてくれる人がいたからだと、そう思う。

 脱サラして自分のお店を持った椎名さんは、いろいろと大変なこともあるだろうけれど、その分頼りがいがある。何より、あの明るい性格のおかげもあって、常連になってくれるお客様が増えているのだと思う。



──カランカラン


 珍しくお客様が誰もいなかった店内。ドアチャイムの音が響いた。どうやらお客様が来店されたようだ。

 椎名さんの他には私しかいないこの時間。椎名さんは調理担当だから基本的に接客はしない。今までいろいろと考え込んでいたけれど、気持ちを切り替えて、いつものようにお客様のもとへと向かう。


「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」


 入ってきたのは、おそらく若い男性。黒いジャケットに、黒っぽいジーンズ、それに、黒いキャップを身に付けていた。少し俯いているせいもあってなのか、顔はよく見えない。

 おそらく初めて来店されたお客様だろう。見たところ、お連れの方も見当たらないし、何も言わない。

 あまり喋りたくないタイプの方なのかなと思いながらも、いつもの笑顔で対応する。


「お客様、こちらへどうぞ」


 おひとりだし、俯いているから、あまり外から見えないような席がいいのかな、なんて考えて、窓際ではない席に案内したすることにした。お客様が座るのを確認して、お冷やとメニューを取りにカウンターに戻った。

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