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 私はひとりの生活に戻った。

 これが通常のはずなのに。何年も一緒にいたわけではなく、ほんの1ヶ月程度の出来事だったのに。

 レンがいた生活に心地よさを感じはじめていたからか、どこか物足りなさや寂しさを感じていた。


 それを埋めるために、今まで週末などにしていたような単発のものではないアルバイトを始めた。常に何かで忙しくしていれば気が紛れるかもしれないと思ったから。


 駅裏の、繁華街からはずれたところにある、オシャレなカフェ。インテリアも素敵だし、落ち着いた雰囲気もすごく好きで、以前から気になっていたお店。

 たまたま前を通った時に、入り口の扉の端に控えめに貼ってあった『従業員募集』の文字に、そのまま飛び込んだ。その時のオーナーの驚いた顔といったら… 今思い出しても申し訳ないと思う。

 けれどその行動力を買われて、今ここでアルバイトとして働けているのだから。あれはあれでよかったのでは、と思ってしまえるくらいに、オーナーはとても優しくて素敵な人だ。

 30代前半の女性で、それまでは会社員をしていたけれど諦めきれなくて。去年の秋にようやく夢だったカフェをオープンさせたらしい。半年ほど、友人に時間があるときに手伝ってもらいながら、ほとんどひとりで経営していたけれど、お客様も増えてきたため、そろそろ接客中心に働いてくれる人が欲しいと思ってあの貼り紙をしたようだった。

 私は元々人見知りもしないため、接客業は向いていると思う。事実、楽しいと感じている。

 閑静な場所にある落ち着いた雰囲気のカフェだから、来店されるお客様のほとんどが、静かにゆったりとした時間を味わいに来ているからというのもあるのかもしれない。接客は好きだけれども、チャラチャラしている人は性別問わず少し苦手ではあるから。

 なんにせよ、あれから私は忙しい日々を過ごしていて、それなりに楽しかった。


 けれど、時々思い出してしまう。私の名前を呼んで、私に微笑みかける、あの吸い込まれるような蒼い目を。


 「もう、1ヶ月も前のことなんだ…」


 レンがいなくなって、1ヶ月か過ぎてきた。


 『もう』なのか、『まだ』なのか、私にはよくわからないけれど。思い出しては少しだけ、喉の奥が締め付けられるような感じがした。

 1ヶ月経ったところで、簡単に忘れられるわけもなくて。今日みたいにどこまでも蒼い空が広がっている日には、特に。思い出してしまう。あの、蒼い目を。


 やっぱり、レンはずるいと思う。

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