通学路の赤いシミ

西の空に夕日が沈む中。小学校の校門を出た僕の背中に、元気のいい女の子の声が届く。

「そうたくん……宗太くーん!」

「あれ、山本さん?」

校舎の方からかけてくるのは、ポニーテールがトレードマークの女の子、山本さん。二学期になって僕のクラス、五年三組に転校してきた子だ。

山本さんは僕の前までやって来ると、ペンケースを差し出してくる。

「はいこれ。教室に置きっぱなしだったよ」

「いけない、忘れてた」

受け取ったペンケースを、ランドセルへとしまう。

僕も山本さんも、学級新聞の制作係。放課後も学校に残って作業をしていたのだけど、うっかり忘れてきちゃった。

けど、わざわざ届けてくれたのか。山本さんとは係りが同じになる最近まであまり話したことはなかったけど、優しいや。

「ねえ、宗太くんは家こっちなの? だったら、とちゅうまでいっしょに帰らない」

「うん!」

断る理由なんてない。一人で帰るより二人の方が、楽しいしね。

だけどこの後、あんな恐ろしい体験をすることになるなんて。この時は思ってもいなかった。


僕の家は、学校前の道をずーっと行った先にある。

だけど僕は自分でルールを作っていて、登下校時には真っ直ぐに進まずに、いつも決まって回り道をすることにしていた。だって真っ直ぐ行った先には、アレがあるから。

「あれ、宗太くんの家ってそっちなの? じゃあ、ここでお別れだね」

いっしょに帰っていた僕たちだったけど、四つ角の所で山本さんが言ってくる。だけど、ちょっと待って。

「もしかして山本さん、その道を通って帰るの?」

「そうだよ。あたしの家、こっちだもん」

「本当は僕の家もそっち通った方が近いんだけどさ。その道に、オバケが出るってウワサがあるの知らない?」

「オバケ? 何それ?」

不思議そうに首をかしげる山本さん。

実はこの道を進んだ先にはボロボロの空家があって。その家の塀には、赤茶色の大きなシミがあるのだ。子供くらいの大きさの、人の形をしたシミが。

そしてウワサではその前を通ると、シミが塀から抜け出して、通行人を食べてしまうとか。

本当かどうかは分からないけど、男子の間じゃ有名な怪談で、僕が毎日わざわざ遠回りをしているのだって、これが理由。さすがに一回も通ったことが無いわけじゃ無いけど、その時見たウワサのシミはとても不気味だった。

けど話を聞いた山本さんは、おかしそうに笑いだす。

「あはは、オバケなんているわけないじゃない。あたしこっちに来てから何度も通ってるけど、一度も怖い目にあったことないよ。ふふふ、宗太くんって怖がりだねえ」

「こ、怖がりなんかじゃないよ。念のため、近づかない方がいいってだけ」

怖がりって言われてちょっとムッとしたけど、山本さんは相変わらずケラケラ笑っている。

「考えすぎだよ。でも、そんなシミがあるなんて知らなかった。よし、今から行ってみよう」 

「わざわざ行くの?」

危ないかもしれないのに。

僕は山本さんが心配で注意したのに、どうやら逆に興味を持ってしまったみたい。だったら。

「それなら、僕も行くよ」

本当は山本さんの言う通り怖かったんだけど、もしも本当になにか起きたら。

僕が話をしたせいで興味を持っちゃったんだし、一人で行かせる気にはなれなかった。

「宗太くん、ふるえてるけど平気? でもだいじょうぶ、本当にオバケが出てきても、アタシがやっつけてあげるから。行こう行こうー」

「あ、待ってよー」

ポニーテールをゆらしながらかけて行く山本さんを、僕はあわてて追いかける。

ああ、もう。どうしてあんな気味の悪いものを見たがるかなあ。

ため息をつきながら歩いて、たどり着いた空家。ここに来るのは久しぶりだけど、塀には昔見たのと同じ、人の形をした不気味なシミがあって。やっぱり気味が悪いや。

「これがウワサのシミだね。何度も通ってたのに、今まで気づかなかったよ。ねえ、これってなんのシミなの?」

「知らないよ。ウワサでは、ここで交通事故にあった人の血だとか、家に住んでいた人が亡くなって、怨念になったとか言われてるけど、本当のことは分からない。さあ、もう行こう」

「待って。少し調べてみるから」

「ええっ、ちょっ、ちょっと⁉」

僕が止めるのも聞かずに、山本さんはベタベタとシミをさわりだす。

「やっぱりこれ、ただのシミだよ。ねえ、宗太くんもさわってみる?」

「僕はいいってば。わかったからもう帰ろう」

山本さんは平気そうだけど、嫌な予感がするんだ。そしてこういう時の勘は、よく当たる。

「そんなに怖がることないのに。宗太くんも明日から、この道を通るといいよ」

オバケじゃなくても、不気味なことにかわりはないから、やっぱり通りたくないんだけどなあ。でも山本さんもようやく飽きてくれたみたいで、これでやっと帰れる。

だけど、二人して歩き始めたその時。

「きゃっ!?」

突然声を上げた山本さん。同時に後ろに引っ張られたみたいに、姿が視界から消えたんだ。

え、いったいどうしたの? だけど慌ててふりかえって、僕は息をのんだ。

目に飛び込んできたのは、あせった様子の山本さん。そして塀のシミから、まるで飛び出す絵本のように伸びた、二本の真っ赤な腕だった。

な、何あれ? 

まるで血に染まったみたいに赤いその腕は、山本さんの両肩をがっしりとつかんでいる。

そして山本さんはさっきまで笑っていたのが嘘みたいに、恐怖で真っ青になっていた。

「そ、宗太くん、助けてぇっ!」

目の前の光景が信じられずに、ついボーッと眺めてしまっていたけど、現実に引き戻される。

よく見れば山本さんの体は、引っぱられるようにずるずると後退してるじゃないか。あの赤い手が山本さんを、シミの中へと引きずり込んでいるんだ。

「や、山本さん、早く逃げて!」

「ムリ! 手が放してくれない!」

弱々しい声をあげながら、泣きそうな顔で首を横にふる。そうしている間にも体はどんどんシミへと引っ張られていって。ついに右肩が吸い込まれるように、塀の中へと吸い込まれた。

「何なのこれ? どうなってるの⁉」

そんなこと、僕に聞かれてもわからない。

底無し沼にはまるのって、あんな感じなのかも。もがいても抜け出せずに、ズブズブとシミの中に沈んでいく山本さん。もしも全身が飲み込まれたら、どうなっちゃうだろう。

相手は正体もわからない怪物。足はガクガク震えていて、本当は逃げ出したかった。けど、やっぱり放っておけない。

「うあぁぁぁぁーーっ! や、山本さんを放せー!」

僕は夢中になって山本さんをこっちに引っ張って。するとシミにのまれてかけていた体が、大きく姿を表した。

だけど完全に逃れられたわけじゃない。向こうも逃すまいと、さらに強く引っ張ってくる。

「い、痛い!」

「ごめん、だけど少しだけ我慢して。今手を緩めたら、今度こそのまれちゃう」

「そ、それは困る。お願い、絶対放さないで!」

痛みで顔を歪ませながらも、必死に叫ぶ山本さん。

昔話で、こんなのあったっけ。自分こそがこの子の母親だと主張する二人のお母さんが、一人の子供を引っ張りあうって話が。

あのお話では痛がる子供を見て先に手を放した方が持つ本当のお母さんだったけど、今回は状況が違う。山本さんの言う通り、絶対に手を放しちゃいけないんだ。

だけど向こうの力も強くて、なかなか助けられない。山本さんの体力ももう限界だし、どうすればいいの? どうすれば……。

「迷う者、荒ぶる魂、鎮まりたまえ……滅!」

パニックになりかけていたその時、聞こえてきたのは力強い声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る