第7話 震災再び!

 里山中腹の雉追平きじおいだいらから見える鬼隠ヶ浜の海は、普段と変わらなかった。しかし、猪上浩太が嫁入峠の頂上で見た遥か沖合からは、広大な範囲の白い波線が鬼隠ヶ浜の海岸に迫っているのが見えていた。子どもたちを避難させるために猛スピードで里山を下りる途中、既に峻斗と沙月が高校生ら一行を率いて里山に登って来る姿と擦れ違った。

「あいつら早えな!」

 峻斗と沙月は海洋大学に進んでいた。彼らが海洋大学に進路を決めたのには片桐晴美の影響があった。晴美は東日本大震災で夫を失い、舅との忌まわしい出来事があって止むを得ず中絶に追いやられ、この地を離れて生活をやり直そうと決心していた。しかし、風間は晴美の夫・寿也が志した新規事業の陸上養殖を里山事業の中心にしたいと晴美に協力を求めて来た。寿也の忘れ形見の美弥を抱えた晴美は迷った。そして、夫の意志でもある陸上養殖を受け継ぐために地元に残る決意をした。定年退職した坂巻や田所春代らママ友たちも手伝うことになり、事業が始動した。そこに中学に上がったばかりの峻斗と沙月は、職場体験学習の授業で訪れたのをきっかけに、以来6年間足繁く通うようになり、海洋大学を目指すことになった。

 ふたりの希望が叶って海洋大学に通うようになったはいいが、コロナ禍でリモート授業が増えたため、晴美と坂巻のもとで手伝う日々もさらに増えていた。そしてやっと陸上養殖の商業化に目途が経った頃、再び鬼隠ヶ浜を不吉な揺れが襲ったのでる。

小学生の頃、逸早く担任に雉追平への避難を進言した峻斗と沙月の機転の鋭さは、今年成人を迎えても変わっていなかった。ふたりの機転に煽られるように、風間は猪上浩太に、避難してきた学生たちの里山受け入れを急がせた。

「内装はまだですが、取り敢えず里山学校の校舎でいいですよね」

「そうだ。そこを子どもたちの避難所として、運営は子どもたち自身にやらせろ。保護者や避難して来る住民は誰ひとり校舎内に入れてはならない。面会は校舎の外。校舎内は関係者以外立入禁止にしろ」

「了解! 峻斗と沙月はどうします?」

「峻斗には緊急時の事は既に言ってある。沙月には雉追平の避難所との連絡係になってもらう。今日から里山は厳重立入禁止区域にする。警護を固くしてボランティアの出入りも拒否しろ。強引に侵入しようとする者には危害を加えても構わない。追っ払え」

「大丈夫です。その手のことなら祖父ちゃんがもう…」

 猪上浩太の祖父・善次郎は鬼隠ヶ浜に堤防が出来て漁が出来なくなるまでは漁師の網元をしていた。山では狩りのシカリ(首領)もしていた。彼はその時代、大勢の務所上がりのゴロツキを面倒見ていた。そのゴロツキらは皆、善次郎を慕って隠居後もその傍を離れることなく今に至っている。

 里山の入口に見張り小屋が出来た。見張り小屋といっても粗末な建物ではなく、風間の里山計画のための後押しもあり、善次郎が隠居後に終の棲家として建てた瀟洒なバンガローだった。善次郎を慕うゴロツキの中心人物である浅野逸郎、千田良平、繁野太三郎の三人は善次郎のバンガローに住み込み、下働きとして仕えて里山計画の “防衛軍” の旗頭を担い、ことあればゴロツキ仲間を招集し、どんなトラブルでも力で鎮圧する体制になっていた。所謂里山の用心棒一家である。見るからにいぶし銀の頑健な彼らは、交替で里山の入口で睨みを利かせる見張り番に立って居たが、今日は太三郎以下10名程のゴロツキが、地震によって雪崩れ込むであろう大勢の侵入者鎮圧のため、猟銃を所持して出入口で物物しい警戒に当たっていた。

 里山を出掛ける浩太はいつものように太三郎ら “用心棒たち” に親しげに声を掛けた。

「繁さん、行って来る!」

 彼は小さい頃から太三郎ら強面どものアイドルとして育った。

「気を付けてな、浩太!」

 浩太は配下の坂本久、稲垣俊明、馬場大成、木澤浩太らと大型バス2台、小型バス3台を連ね、鬼隠ヶ浜に向かった。少ししてから風間の運転するキャラバンも里山を下りた。助手席には権田原が乗っていた。津波が押し寄せるまで時間のない今、風間らが山を下りる任の危険を太三郎らは予測していた。しかし、避難を説得するにしても前科者の自分たちは住民にとって受け入れ難い立場であることを自覚していた。無事帰還することを願って車を見送りながら深々と頭を下げた。他のゴロツキどもも無言で太三郎に倣った。


 既にあの白い波線は鬼隠ヶ浜の海岸に到達して暴れ出していた。、湾になった狭い入り江で行き場を失って渦を巻き、次第にうねりが巨大化し始め、その波は海底に溜まったヘドロを削り取り、更に真っ黒になって今にも嵩増し工事の済んだ堤防を乗り越えようと勢いを増していた。


 風間のキャラバンは、鬼隠ヶ浜で一軒だけ残っている病院に辿り着いた。20床ほどの入院患者を受け入れられる小規模の病院である。先の震災の傷跡癒えない病院のベッドは万床だった。

 権田原は、医師や看護師を連れて風間が出て来るのを待って、病院前のキャラバンで待機していたが、水位が急速に玄関に迫って一分一秒を争う事態になって来たため、風間を迎えに走った。病室の窓からも荒れ狂う高波が半ば堤防を越え始めている様が見える。入院患者たちの動揺が交錯する中で、風間は院長や医師・看護師らと揉めている姿を捉えた。

「病院としては患者を見捨てるわけにはいきません!」

「あんたらはあの病人らと運命を共にして、自分の家族やこれから先あんたらを必要とする震災被害者らを見捨てるのか!」

「私たちにとって、今、目の前にいる患者が全てです!」

 その時、治療で弱り切った患者同士も揉めだした。誰もが必死の言葉である。

「看護師さん、早く逃げて! あたしらのことはもういいから!」

「何言ってるんだ! あんたは良くても私は死にたくない!」

「もう間に合わない! 先生たちも早く逃げて!」

「患者を見捨てるのか!」

 すかさず風間は答えた。

「そうだ! この人たちが今まであんたらのために、どれだけ尽くして来たか分かってんだろ! 我々はあんたらを見捨てる。医師や看護師たちには、あんたらより、これから助けを求めて来る大勢の患者を優先する責任がある! 緊急事態なんだ、我がままを言うのはここで終わりにしてやりなさい!」

「好きで病人になったわけじゃない!」

「病気は自己責任だろ! 他人の所為ではない! そのために医者や看護師に犠牲を強いる権利などあんたらにはない! ここがあんたらの往生際なんだ!」

 医師や看護師らはコロナ禍で第四派を迎え、日に日に症状が悪化して行く患者を看取り、自分たちは何をしているんだと自問自答しながら、ストレス性の胃炎に因る患いを押して、防護服の中では思うに任せない懊悩の日々を苦しみ続けていたに違いなかった。そうした限界の最中での震災の再来襲が現場に追い打ちを掛けたのだ。先の大震災の悲惨さに学べば、医師や看護師をひとりたりとも犠牲には出来ない。今は誰かが鬼になるしかないと風間は腹を括っていた。


 同じ頃、猪上らは三手に分かれていた。大型バスを運転する猪上は鬼隠ヶ浜に移築したばかりの小学校にいた。

「時間がないんだ! 子どもたちを山へ避難させる!」

「ここは安全です。先の震災後にきちんと堤防の嵩増しも済んでいるんです。生徒は私たちが責任を持って守ります!」

「そう言ってあの時、9割の子どもたちが死んでるんだ! 今回の地震は前より大きい! 現実を見ろ! 今にも堤防を越えて来るかもしれないんだ! 同じ轍を踏む気か!」

 その時、ひとりの生徒がバスに乗った。峻斗の甥・朔也だった。

「みんな、逃げよう! 峻斗叔父ちゃんが言ってた。自分の身は自分で守れって! 僕はバスで逃げる!」

「朔也、よく言った! みんなも逃げよう!」

 峻斗の叫びで生徒たちは一斉にバスに押し掛けた。副校長が焦って子どもたちを制止したが、誰も耳を貸さなかった。

「全員乗ったな!」

 猪上は生徒を止める副校長らにタンカを切った。

「おまえらはここで死ね!」

 タイヤを軋ませ、猪上は大型バスを急発進させた。狼狽える教員たちを残して急加速で大型バスは山に向かった。今回も運転手を用意せずにお飾り状態の避難用バスが哀しくグランドに停車されていた。

「先生方は集まってください!」

 副校長が振り向くと、田中という校長がこそこそと車に飛び乗り、急発進させて猪上の運転する大型バスの後を追った。それに釣られて教師たちも一斉に車に走った。副校長は怒りを込めて呟いた。

「…校長…諮問委員会に掛けてやる」

 途中、我先と急ぐあまり互いに接触事故や追突事故を起こす車が続出した。それを尻目に猪上の大型バスは里山に向かって猛進して行った。


 施設の老人たちを乗せて避難してきた坂本の運転する大型バスも猛進して来たのが見えた。しかし、その後に続く筈の三台の小型バスはまだ姿を見せなかった。猪上と坂本は打ち合わせどおり、他の車を合流して待つなどということはせず、手筈どおり避難の速度を緩めることはしなかった。海岸では愈々どす黒い津波が息をしているようなリズムで堤防から溢れ出していた。


 権田原が風間を迎えに院内に入ってすぐに、キャラバンのタイヤに水が押し寄せ、程無く病院の周囲は、黒い波に取り囲まれた。泡だらけの水位は見る見る嵩が増し、一階の窓を破壊して土砂もろとも侵入し始めた。病床で手を合わせて覚悟を決める患者、点滴棒を杖代わりに逃げようと喘ぐ患者、看護師を叫び続ける患者らに黒く渦巻く水嵩が襲って来た。

「風間さん、もう間に合わない!」

「屋上だ!」

 風間は力づくで小笠原院長の襟首を掴んで医師や看護師らに怒鳴った。

「てめえらが後に続かねえとこいつを殺す!」

 風間は強引に院長を引き摺って、波の侵入して来た廊下から階段を駆け上がり、屋上に向かった。医師らは仕方なくその後に続いた。しかし、ひとりの看護師がずぶ濡れになりながら患者の傍を離れようとしないのを見て権田原は怒鳴った。

「もたもたしてんじゃねえ!」

「婦長命令なんです! 患者さんが不安にならないように目を離さないでって…」

「おまえはバカか! 死ぬぞ!」

 医師や他の看護師はとっくに風間に引き摺られる院長に続いて階段を上って行った。吉野若菜という新人看護師は頑なだった。

「でも…」

「人を助ける前に、自分の命に責任を持て!」

 そこに婦長の梶田広江が慌てて階段を下りて来た。自分の指示した言葉が気になったのだ。

「吉野さん、早く逃げて!」

 吉野はやっと婦長の言葉に従った。婦長は振り向いて黒い渦に巻き込まれる患者と目が合い凍り付いた。

「振り向くんじゃねえ! これから助かる大勢の命があんたらを待ってるんだ! 早く行け!」

 権田原は津波に呑まれそうになる吉野の腕を捉えた。一瞬、鬼隠神社の階段で時世の父・勝五郎に助けられた時のことが蘇ったがそれを振り払い、強引に泥水の中から吉野を引っ張り上げて階段を駆け上がった。

 一同が屋上に出る頃には、津波が病院を飲み込む寸前まで水位が上がっていた。ヘドロ化した津波はじわじわと院内の階段に満ちて、ついには屋上のドアから溢れ出して来た。ゆっくりと床を舐めながら、避難している一同の足下まで迫った。誰もが死を覚悟した時、風間が叫んだ。

「皆さん、あの山を見てください! これからあの山で暮らしましょう!」

 唐突な風間の言葉には誰もが唖然とした。この状況はどう転んでも絶体絶命である。

 その時、どんよりと重い空からぱらぱらという音が響いた。見上げると里山の空の方角から大型ヘリコプターが全速力でこちらに向かっているのが見えた。風間が先の震災を教訓に里山に用意していたものだ。峻斗が操縦していた。

 峻斗は海洋大学を一浪している。しかしその期間を利用し、ヘリコプターの操縦士免許を取得するため、得意だった英会話の強みを発揮して米国に渡って一月半の訓練期間を過ごした。帰国した峻斗は日本国の免許に書き替え、翌年には海洋大学に合格し、沙月とは同い年だが一期後輩としてリモート授業になるまでともに通学していた。


 大型ヘリが最後に風間を救助した頃には腰まで浸かっていた。津波が迫る中、寸でのところで医師や看護師全員を救出し、峻斗の操縦する大型ヘリは病院を離れた。黒い津波に呑まれて行く病院の姿に医師たちは、患者を放った罪の意識と恐怖が交錯して嗚咽を堪えて震えていた。


 権田原は被災時の医師や看護師たちの使命感は理解できたが好きではなかった。まるで列車に飛び込んだ自殺志願者を救うために命を落とす人間のように思えた。赤の他人を救うのは社会の誰もが称賛するが、残された家族の事を黙認したまま、耳触りのいい美談だけが独り歩きすることは偽善でしかないと思っていた。彼らは残していく家族に対しては罪悪感はないのだろうか…捨て身の人命救助は崇高な行動であり、家族の誰もが理解してくれるとでも思っているのだろうか…お涙頂戴の甘えた正義感でしかない。残された家族を襲う未来は過酷なものとなる。使命感の名のもとに一家の主としてそこに目を瞑るのは無責任極まりない…と権田原は思った。

「皆さん、生きる道を選んでくれてありがとうございます! 皆さんにはこれからやっていただかなければならないことがあります!」

 風間の一言で一同は救われていた。


 里山に無事学生たちを避難させた猪上たちは気を揉んでいた。津波はどんどん押し寄せて来ているにも関わらず、稲垣、馬場、木澤らが運転する小型バス3台がまだ現れない。それに風間のキャラバンはどうしたのだろう…その時、やっと小型バスが猛スピードで失踪して来る姿が見えた。黒い津波はすぐ後ろに迫っていた。だがバスは2台だけだ。もう1台はどうしたのだ…よく見ると2台の後ろを車が一台走っていた。風間の車かと思ったがキャラバンではなく見慣れない乗用車だ。その小型バス2台と乗用車は、どうやら津波から逃げ切って山の斜面に入った。しかし、病院は既に波に呑まれていた。風間のキャラバンも見えない。猪上は最悪の事態を想像しては打ち消した。

「…風間さん」

 肩を落としかけた猪上の耳に、乾いたようなエンジン音が聞こえた。見上げると不吉な鉛の空に大型ヘリが現れた。

「峻斗!」

 拳を振り上げた猪上の目から大粒の涙が流れた。ヘリの下では、嵩増し工事の堤防を乗り越えた黒い津波が、再開発の鬼隠ヶ浜に傾れ込んで地獄絵図を展開していた。ヘリで救助された一同はその光景に沈黙した。自分たちは皆、風間の “乱暴” な説得がなければ、今頃あの黒い渦に弄ばれていた身である。正否の問題ではない。人間は、生きて次にやるべきことを考えなければならない。浜に移転した鬼隠ヶ浜小学校もまた黒い波に襲われている。中学も高校も、新校舎が全て津波の餌食になっている。かつて先人が浜での不幸を繰り返してはならないと、彼らが残した石碑に従って雉追平の山に学校を移転したにも拘らず、市は震災後の再開発とやらで、また学校を浜に戻して再び悪夢を招いた。 “前例” が大好物の市や教育委員会という組織が、大被害の前例も踏襲しようとしていたのである。


 学校教育法11条では児童・生徒・学生の懲戒について『校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童・生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない』と定められている。一見子どもは守られているように見えるが、“体罰を加えることはできない” とあるだけで、教員による生徒への暴力や人権侵害を禁止する条文はない。学校教育法は生徒のためにあるというのは幻想であり、教育委員会という伏魔殿化した組織が、その分厚い壁で己の保身を図るためだけに躍起であるという現実も知らなければならない。


 子どもたちは里山に避難し全員無事だった。過去に学ばない教育者たちの多くは、あの新校舎に留まった。彼らは自分たちより “立場” を重んじ、新校舎と命を共にした。学ばないものの当然の結果であると風間は舌打ちしたが、保身と立場と名誉を重んじる教育者たる彼らには本望であったろう。しかし、瀬戸際で建前を振り捨てた風見鶏教師らはもっと厄介なクソ野郎たちである。どこかに良心があったのか、こそこそ車に乗り込んで大型バスを猛追したあの田中という校長以下数名の教師たちの姿は、里山にはなかった。


 稲垣たちが戻った。

「てめえら、ハラハラさせんじゃねえよ! 何もたもたしてやがったんだ?」

「3台目がガス欠でお釈迦だよ」

「ざけんなよ!」

「校長先生が同伴してくれた」

 及川悟だった。及川とはあの遺体収容所の担当だった及川である。役所勤めから中学の教員になり、今、校長になっていた。かつて浜に移転した鬼隠ヶ浜小学校の児童が大勢犠牲を強いられた悲劇を知る一人だった。三台目の小型バスがガス欠で動かなくなっているのに気付き、自家用車で追い駆けて子どもたちをバスに詰め込めるだけ詰め込み、残った子供たちを自分の車に押し込んで避難して来たのだ。

「他の先生方は?」

「大丈夫です。雉追平の北側にあるハイカー用の駐車場に向かわせましたから」

 雉追平の北側の駐車場は普段地元ハイカー以外はあまり知らない。及川は役所勤めの経験から鬼隠ヶ浜周辺の地形には詳しかった。東日本大震災以降、鬼隠神社の旧中学体育館に避難者が殺到したことを経験している及川は、休みを利用してひとりコツコツと避難場所の再調査をしていた。その情報は、教員になって避難計画を見直した際に大いに役立った。鬼隠ヶ浜中学の避難計画には、及川が調べた雉追平の北側のハイカー用駐車場が加わっていた。


 “風間一派” が揃っていた。

「今日から、恐らく市との闘いが始まる。この里山は私の私有地だが、この土地の善良なる人たちの命を守る最後の避難所でもある。規律を守れないものとは話し合いの必要などない。容赦なく排除して、ここを絶対なる安全な場所にする。私一人ではできない。みんなで協力して理想の里山にしてもらいたい」

 鬼隠ヶ浜一帯はまだ記憶に新しい先の震災を想起させる炎や爆煙がそこかしこに立ち昇っていた。直近であの3,11を経験しているはずなのに、またこの為体である。“風間一派” は、彼らとははっきりと一線を引く決意をしていた。


 津波の被災者たちは住む家を失い避難所を頼って集まる。避難所は様々な事情で集まって来た彼ら個々の内情までは知る由もない。彼らはやっと避難所まで辿り着き、逸れた音信不通の家族との無事再開を願いつつも、受け入れ難い断を下される身元確認の瞬間を恐れる日々を、避難所で耐え忍んで過ごし続けなければならない。

 あの恐ろしい死顔はどうしたのだろう…黒い水…ヘドロ化した津波の水の密度は濃くなり、浮力が増し、障害物となる全ての生活圏を一瞬で瓦礫にする破壊力である。その黒い荒波に巻き込まれた人間は海中で視界が奪われ、瓦礫に振り回され、傷付けられ、息が出来なくなって開いた口から喉、気管支に容赦なくヘドロのような重い土砂が入り込み、呼吸の出来ない恐怖と苦しみに襲われ、溺死に至った表情である。その顔が身元確認に来た家族の心を抉るのだ。しかし、傷みで顔の判別が付かなかったり、特徴ある部分遺体で確認が成される場合は更に残酷な悲劇となる。そうした最後に見る身内の姿…誰が受け入れられよう。


 避難所はストレスの集合体だ。健康面を取ってみれば、避難所では肺炎が増加するという。所謂、“津波肺”という重度の肺炎に至ることを10年間の研究で判明した。原因は避難所の空気ではない。確かに被災後に瓦礫の中での作業などで大量の粉じんを吸うことによって肺に炎症を起こすことはあるが、深刻なのは溺れた際に黒い津波に含まれる有害物質を肺の奥まで吸い込んで起こる症状だ。九死に一生を得ても、肺の中で増殖したカビが運悪く脳まで達すると、脳膿瘍という病気を引き起こすことも分かっている。

 避難所を頼ってやっと辿り着いた人は、あの黒い津波に例え一瞬でも掴まってしまった場合、本来であれば即入院で精密検査を受ける必要がある。しかし、助かった安堵がゴールかのように称えられ、避難所生活に突入し、その間に静かに病魔は牙を研ぎ、その油断が“津波肺”の発症を呼び覚ますのだ。


 風間が問題にしているのはこの先である。それでも病気は適切な治療で解決の道筋が立つ。しかし、問題は人的被害である。避難所の規律ではどうにも解決し難い問題が起こることを前回の震災で学んだ筈である。病の原因を抹殺するように、人的迷惑者を即抹殺することは法律では許されていない。我欲のままに人間の弱点を突いて法の網を擦り抜ける迷惑者には避難所の規律に於いてお手上げだった。解決に向かうにしても被害者にとっては気の遠くなるような我慢の時を強いることになる。その間にも迷惑者は我欲を強行し続ける。そのため、風間は里山での隔離施設 “迷惑者用の避難所” を建設した。問題行動を起こした者は一般の避難所からその深刻さに関わらず、強制的に隔離施設に移すことにした。隔離施設では厳重な見張りを付け、里山内へ無断で侵入することを禁じた。彼らが“人権”を主張した場合、私有地を理由に退去を求め、避難所から追放することによって、彼らは市の用意した従来並みの避難所生活を送ることになる。彼らが反省を装って戻って来たとしても二度と受け入れることはない。強引に入ろうとしたものに関しては、抹殺も辞さないきまりとした。

 風間の読みは的中し、善良なる避難者自ら運営する避難所は問題が皆無になった。同時に彼らは里山支援者となり、この里山に終の棲家をと考える者が増えて行った。鬼隠ヶ浜の学生らは市の再建する校舎には戻る気もなく、里山での教育体制に馴染んで行った。

 そうした体制が鬼隠ヶ浜の復興を支持する市民には共産主義と映り、里山建設工事に猛反対の声が上がっていた。若年者を洗脳して自然を破壊し、鬼隠ヶ浜の復興を遅らせる時代錯誤の強権主義というものだった。しかし、風間は里山を破壊した開発は一切していなかった。水源となる嫁入峠では旧持ち主の怠慢でナラ枯れが放られたままになっていたため、全ての山を買い、10年計画の樹林の手入れの効果も出始めていた。居住区となる雉追平はその地形を利用し、山の整備を主軸にした開発が進められた。土砂崩れの危険のある地区に於いては地盤強化の整地や植林と補強のための地形に合わせた校舎や病院を建設した。そして、体育館や集会所などの施設には、先の震災の轍を踏まぬよう、震災時に於ける本来あるべき避難所としての機能が随所に施されていた。更に安全のため、人間の生活圏となった里山は獣たちの住む森林との境界を頑丈な鉄格子で包囲し隔離させた。


「風間さん、どうにかしないと…」

 腹心の菅井登喜雄が満を持したかのように風間に物申してきた。風間は病院や学校の認可の申し込みをしていたが、当初中々下りなかった。健康保険適用の病院である必要や、認可校の学生のみが受けられる日本学生支援機構の奨学金のための認可は必要であった。この地域一帯は風間の私有地なので認可の資格は充分にあった。しかし、何故か何時まで経っても認可が下りないのを風間は敢えてそのままにし、里山の住民には負担を掛けないように自己投資で賄っていた。認可が下りないのは、要するに市も教育委員会も確実に風間を目の仇にしている嫌がらせであることは明白だった。腹心の菅井は風間の無言に焦れていた。資金が底を突き始めていたが、風間は動かなかった。市民団体に煽られた生徒らの保護者たちの抗議も始まったが、それでも風間は動かなかった。


 事態が急変したのは市長及び市議会議員選挙である。風間はこの機を待って、今や片腕となっている里山小学校の校長の及川を市長に立て、議員も数名立てた。先の大震災で鬼隠ヶ浜の半数の住民が里山を拠点に生活を再建していたため、彼らの意を汲んだ候補者が有利になる。大勢押しかけていた市民団体は一票の選挙権もない公安を恐れる種の連中であることや、一部の古狸連の某国工作員による贈収賄の臭いもプンプンと露わになった。空気は里山敵対から一転、里山擁護になった。この流れになるのを風間は待っていた。

 しかし、鬼隠ヶ浜市は地元誌を利用して悪意ある風評を喧伝し、風間への敵対心を露わにした。そして、震災の轍を踏んで学ばない孑孑自治体は予想外の一手を出して来た。及川の対抗馬として、先の大震災で一気に人望を得ていた坂巻を市長候補に立てたのだ。坂巻が里山を離れて市長候補に立ったことで里山の住民内にも動揺が走り、再び形勢は風間絶対不利の雲行きになってしまった。

「有り得ません」

 坂巻を尊敬する及川には信じられなかった。

「市は教育より保身なのだ。どんな手だって使うだろ。向こうがその気なら、こっちもやらしてもらおう」

「坂巻に何かが起これば造作もないことだろ」

 “猪上一家” は戦闘モードに入っていた。

「善さん、今は余計なことは絶対にしないでくれ」

 血気盛んな用心棒らを抱えた善次郎はあっけらかんと笑った。

「そう言うと思ったよ。心配せんでくれ。わしは風間さんの軍配が返らなければ動かんよ」

 用心棒の誰もが不満げな忍耐の溜息を吐いた。権田原は坂巻の思惑を何となく推察はしていたが確証は持てなかった。


 選挙は一進一退の攻防となった。坂巻陣営の妨害は執拗だった。市も選管も黙認状態…というより、選挙運営側事態が常軌を逸した妨害工作に余念がなかった。善次郎はゴロツキどもの “任侠正義感” を抑えるのに苦労していたが、風間に軍配を返す気配はなかった。

「てめえらガタつくんじゃねえ。風間さんに任しとけ。余計なことをすれば命取りになるぞ」

 期日前投票日の三日前となって事態が急転した。地元誌の朝刊が坂巻のスキャンダルのスクープを一面に掲載した。 “市長候補の坂巻氏、避難所内殺人”…暴行目的で小柳操の居住区に入った鷲見貞夫の殺人事件の詳細がすっぱ抜かれていた。権田原の違和感と風間の読みは的中した。あの夜の詳細を知るのは3人しかいない。操と坂巻の妻の芳乃、そして坂巻自身である。操がリークしたというのは考え難い。操の存在が消されたリークは恐らく坂巻自ら地元紙にリークした証しである。坂巻は芳乃と話し合って決めたことで、この日のために市長に立候補したと考えるのが最も自然だと風間は考えていた。

 坂巻は最後まで里山を応援していた。震災で夫と死別した片桐晴美の陸上養殖も献身的に支え、出荷に漕ぎ付けた。選挙の逆転劇は坂巻が最後に尽くした里山計画への献身だったのだ。善次郎は溜飲を下げて微笑んだ。


 選挙は及川の当選で幕を閉じた。及川が市長となり、あっけなく病院と学校に許可が下りた。鬼隠ヶ浜の海岸復興の都市計画は方針転換となり、津波で破壊された堤防は全て撤去され、昔の鬼隠ヶ浜の景観が蘇った。そして風間の私有地に繋がる鬼隠ヶ浜市の山伝いにも、里山計画に倣った開発が始まった。

 坂巻のスキャンダルは証拠不十分で不起訴となり、その身は人知れず風間の元に匿われた。


〈第8話「守るべきもの」につづく〉

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