2020 コロナ禍
わたしは二年生に進級した。またも窓際だった席に座ってどんよりと暗雲垂れ込める空を見るともなしに見ていたら、セロハンテープの跡にまみれた窓にゴリアテが映った。
運命とは、或いは人生の転機とはこういう状況のことを指すのかもしれない。わたしは咄嗟にそう思った。ゴリアテと同じクラス。ゴリアテはわたしの前の席。
しかし背丈の都合上、ゴリアテの席は後々最後列に配置されることとなった。若干盛り下がったけれど、他の女子の面々から向けられるそれとは明らかに異なる視線を察知されずに済んでよかったのだと思い直した。
わたしはまだ、ゴリアテ専門の法廷画家だった。もしもお給金が発生するとしたら永遠に食いっぱぐれることはない。母親が常々推してくる通り、半永久的に持続可能なじつに安定した職業だ。しかし母と父は依然としてわたしがしていることの詳細を知らなかった。わたしはゴリアテの法廷画だけを描き続けた。二人がのんきになっている間中、ゴリアテは凶悪犯罪を犯し続けた。そんな妄想はさながらトランキライザーのようにわたしの心を落ち着かせた。加えて、きっとオピウムのそれに似た高揚感も
わたしとゴリアテとの接触は数週間経っても皆無のままだった。ゴリアテは言わずもがなであるし、わたしはそれで一向に構わなかった。ただ間近でゴリアテの言動を観察できるだけで日々は充足していた。充足するはずだった。
人間は人間でも所詮は元猿人なのだと、この箱庭に在籍していると度々思わせられる。未だに猿人時代の形質を色濃く引き継いでいる人間は大人子供問わず存在していた。そういう
ましてやこんな、乾いた森林に燃え広がる種火のようなフラストレーションが蔓延している世の中において、猿人時代の野蛮な形質を
一年生の時から奇行蛮行を繰り返してきたおかげでそれなりに知名度を行き渡らせていたゴリアテは、二年生になった途端に肩身を狭くした。文字通り、その異形とも称するべき巨体を縮こませて、日毎に過激さを増していく悪意を
一方的にやられるばかりで一向に殺意を現象化させる気配をみせないゴリアテに、わたしは憤るようになった。二年生に進級してから数週間というもの、わたしは一度としてゴリアテの殺意を拝めていなかった。どころか、クラス替えと同時にメンバーチェンジしたクラスの猿どもになじられる姿をばかり目にしていた。
──一体、何を律しているのだ。
わたしはゴリアテ宛ての恋文を募らせた。起訴状の形を取った恋文は、日増しにその筆跡を濃く、粗暴にしていった。
そんなある日のことだった。わたしは軟派な空気を纏うクラスのボス猿と鉢合わせた。鉢合わせた、というとおかしな言い方に映るかもしれない。なにせ同じクラスなのだ。だから、もう少し事細かに説明する必要がある。そうじゃないとわたしが一等語りたいことが語れなくなる。ボス猿が蛇口を捻る姿が強く印象に残った、なんて、一文で綴っても伝わらないはずだ。
美術の授業中、わたしはクラスメイトの面々を精神的な視野外に追いやりながら水彩画を描いていた。四角い窓からは五月然とした薄い
美術室の水道はクラスメイトどもが占領していたので、わたしは教師に了解を得てから廊下の水道へと向かった。それからすぐ後に、ゴリアテを集中砲火する
教室の日陰で苔のようにじっと、人によってはジメッともしているのかもしれないわたし。と、
なにせ、奴が全てを決めていたのだ。あいつはああいうキャラ。こいつはこういうキャラ。人に設定を与えるのが上手く、だからこそまるで神のような全能感に浸って、真実は全然そんなことないにも
あくまでキャラを定める側でいるこの男に陽キャという呼称は似合わない。と、そういう理由も勿論あったけれどしかし、それよりも何よりも、キャラだのなんだのという安易な思考を共にすることでこんな猿と同等レベルにまで成り下がりたくなかった。
わたしは人畜無害なお利口さんで通っていても、頭の中では有害無益な反社会的人格者だった。その時だって、外面は気弱そうに目を伏せておきながら、頭の中ではわたしの知る語彙の限りに思いの丈をぶちまけていたのだ。
奴が他者を傷つける
いくらボス猿が空気を掌握する術に長けていようと関係無いはずだった。わたしのヒーローのヒーロー足る所以は、何と言っても空気が読めないところだ。知らぬ間に、絵筆を筆洗の底に押しつける手に力が籠もった。
わたしは筆洗の窪みのそれぞれから多様な色の水が溢れ出して、混ざり合って、生き物が死んでいく時のように無彩色へ移り、そのまま排水口に流れ落ちていく様子を見守った。
随分と長いことそうしていても一向に水流が増してこないので、左隣にいるボス猿の様子を窺うと、丁度、レプリカの如く締められているらしい蛇口を捻ろうと苦心しているところだった。そしてとうとう水が出てきそうもないことが分かると、苛立たしげに蛇口を殴った。
この男が人生を終えた時に流れるエンドロールは今の数舜で事足りる。わたしはその時、腑に落ちた。少なくとも、その映像にはわたしの知る限りの奴の人格が総括されていた。
何か得たいものがあって、諦めることができない。無い物も出せと言う。やれないこともやれと言う。「出せない」「やれない」が続くと暴力を振るう。
水が出ない。蛇口を捻る。水が出ない。殴る。
奴はそのまた一つ隣の蛇口に移って、どことなく
わたしは本当に早く、ゴリアテに奴を殺してほしかった。その想いは祈りに近かった。信仰の果てに辿り着くような、凶暴で、傲慢で、切実な祈り。あの暗く光る眼の正体はこれかもしれない。わたしはその瞬間、気づいた。
求める力を跳ね返されて、自分の祈りに傷ついた祈り。その成れの果てを殺意と呼ぶのだ。
だけど、法廷画用の鉛筆はもう残っていなかった。またどこかで手に入れないことには、ゴリアテに奴を殺させることはできなかった。
水を入れ替えた筆洗を持ち上げて踵を返そうとすると、ゴリアテが僅かに開いた美術室の扉から巨大な半身を覗かせていた。わたしはボス猿よりもやや早くその姿を視認した。そして、わたしの迂闊な身振りによって、
わたしは自由意思とは関係の無い生理的な衝動に基づいて、ゴリアテの立ち姿にギョッとしてしまったのだ。もう見慣れたと思い込んでいたはずが、いや、その見慣れた度合い以上に、逆光に黒く染まったゴリアテの姿が異様だったせいだ。そのシルエットは一言で表せばバケモノさながらであった。
「バケモノみたいだな」
ボス猿が軽薄な調子で口にした。わたしは目を
「ね、あいつ、バケモノみたいだね」
その時に、わたしは初めて口答えした。
「そうかなあ。そんなことないと思うけど」
何故そんなことを口にしたのか。理由は決まっている。お前レベルの感受性は持ち合わせていないとムキになっていたのだ。では何故そんなことを口にすることができたのか。人畜無害なお利口さんらしく曖昧に笑んでおけばよかったのに、何故、本性を律することをしなかったのか。
わたしは手を震わせていたのだ。先程吐き出した言葉に水分を持って行かれたかのように口の中は乾いていたし、心臓の鼓動は早鐘さながらであった。
ボス猿は何かしらの小言を挟みながら笑っていた。ゴリアテは知らない。逆光のせいで表情がよく窺えなかった。ただ、じっと立ち竦んでいる姿が気味悪く感じられてならなかった。
わたしはやっと廊下に出向いたゴリアテと帰りざまにすれ違った。同じように筆洗を携えながら、わたしだけが席に帰っていた。
***
──あれは、夏のこと。
一年前、虚飾に塗れた教室からゴリアテの殺意を見下ろした日とよく似た、七月の、
わたしの頭上へと、熱い毒のように降りる息。元々醜いのに一層醜く歪んだ顔貌と、ぽっかりと空いた暗い暗い穴のような眼。そこで泣きべそをかいているわたしは馬鹿みたいに幼くみえた。
あなたの殺意がわたしを見初めた。
外から
……あれは、夏のこと。
***
五月が終わって六月が来て、その六月もまた七月に巡りそうな時期。二〇二〇年。わざわざ思い返してみなくても過酷だった。
三年生は部の活動を披露する場や体育祭の機会を奪われたことで大多数が悲嘆に暮れていたし、一年生も二年生も先輩の傷心に遠慮していたとはいえ、やっぱりどうしようもなく傷心しているようだった。
社会がいとも簡単に機能を停止させていく様をまざまざと見せつけられる中で、各々が各々の個の価値を追い求めることすらも許されなくなった。学校というプラットフォームは教師たちのやるせないため息と共に瓦解していった。
たかが十代、青二才、人生経験も乏しくて、物事の価値もまともには計れない。そんな学生たちのために用意された青春という名の大舞台は、所詮は損得勘定でしか動いていなかったスポンサー及び後ろ盾を失くした。宣伝広告は不幸市場に埋もれて踏みにじられ、観客は冷やかし目的のあっぱらぱーか、温度感に致命的な
次々と撤収されていく舞台装置に抗議の声を上げようとしたのも束の間、巨大なクレーン車がステージの天井をぶち抜いて、学生たちは何処までも吹き抜けるような青天井を仰いだ。大雑把ではあるけれども、二〇二〇年の数か月はそんな感じに総括された。
たくさんのことが巻き起こっていたはずなのに、いま思い返してみるとどうにも漠然としていた。まるで今なお世の中に蔓延している空気が、わたしたちの感受性に麻酔をかけたようだった。
とは言え、わたしの学生生活に大した支障は出ていなかった。わたしがその他大勢よりも一足先に腑抜けていたおかげらしい。
修学旅行も体育祭も部活動も、こんな事態になる以前から、正直、わたしにとってはそこまで重大なイベントではなかった。同じ学生という立場であるがために怒りの声を上げる権利がわたしにも同等に
ゴリアテもそういうタイプだろう。だからこそ、特殊な状況下に置かれない限りは一度きりの高校生活を彩る催しの数々が潰えてしまったことでフラストレーションを肥大化させたボス猿一派に、一層なじられることとなったのだ。
わたしは運良く、
わたしは幾度もゴリアテに投影を繰り返していたからこそ、今回ばかりは気の毒な気持ちになった。大きくて不細工で鈍くて。その頃のわたしがよく抱いていた印象としては、羊の群れに迷い込んだヘラジカみたいな、男。
わたしが散々
サムエル記に登場する、下劣な精神と頑強な巨躯を備えた兵士、ゴリアテ。ただの羊飼いの少年であったダビデに倒された逸話から〝ジャイアントキリング〟という、弱者が強者に逆転する状況を指す用語も誕生した。
ちんけなガラクタみたいな投石機から放たれた石が額に当たって、そのまま首を刃物でぶしゅり。なんで負けちゃったんだろうとその頃はよく考えた。ただのまぐれのようにも思えたし、必然的な結果だったようにも思えた。石とか弱者とか強者とか、わたしが真っ先に連想したのはインターネット社会のことだった。
みんながみんな謳い続けてきた決まり文句。〝群衆よ、石を投げるな!〟にも
もしも本家のゴリアテが、当たり所が悪かったせい、即ちまぐれでやられたんだとしても、現代では結局必然的と同じ意味になるのだろう。数打ちゃ当たるのだ。
なんで死ぬのかなあと思わされざるを得ないような人間がバッタバッタと
ゴリアテにはだからこそ、ぶっ殺してほしかった。ジャイアントキリングなんて、時代とそこに伴うフィールドがかように変遷を遂げればさして珍しいものでもなくなってきたのだ。ジャイアントキリングによって逆転した奴らが強者になって、今度はまたどこかでジャイアントキリングが起こって、新たに生まれた弱者が優勝劣敗の
そんな世界はくだらなすぎた。どうせみんながみんな幸せになることができないのなら、いっそわたしの好きな人に君臨してほしかった。
賢治のような人が世界人口の大半を占めれば、世界平和の実現だって単なる夢想だけでは終わらない。そもそも、それが夢想なのだ。
──ゴリアテよ。ここは狭い箱庭だ。あなたのガタイにそぐわない滑稽な机の周りで今も石を投げ続けている奴らはね、あなたの長い腕の一振りで痣を作るし、あなたの大きな手のひらでぶたれれば炎症を起こすし、あなたの不揃いな歯で破けるし、あなたの大声で怯むし、あなたの眼差しで苛立つし、あなたの存在で不快になるし、あなたに死んでほしいし、あなたの殺意で死ぬんだ。
打開できる力があるならするべきなのだ。わたしはこの箱庭で唯一、ゴリアテを支持していた。その最果てに破滅の運命を共にするのだとしても後悔は無かった。心中上等。断言できた。だって、もしもこっ酷く振られたら、わたしは人生におけるよすがを失くしてしまう。机上のノートに佇むゴリアテの空白に、小さな黒い窪みができた。
絶対に、この恋はひた隠しにしておかなければならない。そう思った矢先だったのだ。
あの夏。わたしの人生における最悪な事件が起こった。
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