<2.なぞなぞ>

 本格的な作戦会議は、いつものように放課後の図書室で行うことにした。

 やきもきしながら時計の針が回りつづけるのを眺めて、やっとのことで授業が終わると、大急ぎで図書室に向かう。


 教室から噴出した同級生をかき分けながら、足が痛むのもおかまいなしで半ば走るような勢いで廊下を進む。歩く程度なら問題ないが、スピードを上げると右足に埋め込まれたボルトが軋んだ。

 痛みをこらえて踏み出した先に、ようやく図書室の分厚い扉が見えてくる。俺は肩からぶつかり、体重を預けるようにして開く。今朝と違って暖房の利いた図書室は、ポカポカと暖かかった。


「センパイ」


 俺を見つけた早坂が、受付所で苦笑を浮かべた。レンズ越しの視線が、ためらいがちに奥へ向けられる。

 珍しく図書室に利用者がいた。読書席で参考書を開き、勉強中の二人組だ。その顔には見覚えがある。


「あ、倉本くん」顔を上げた女生徒が、俺に気づいて微笑する。「おひさしぶり、元気そうだね」生徒会役員の佐藤美紀だ。

 いっしょにいるのはもちろん、「なんだ、勇者の兄か」生徒会長の高千穂昴である。


 横柄な物言いで、相変わらず偉そうだ。クルクルと器用にペンを回しながら、会長はふんぞり返る。


「会長、こんなとこで何をしてんですか?」

「見てわかんない、勉強だよ、勉強、受験勉強」気が動転して意識に上らなかったが、時期を考えると三年生がかかりっきりになる作業はかぎられている。「それと、もう会長じゃないから」

「あー、そうだった」


 先週、例年にない長期政権を誇っていた生徒会がついに代替わりした。三年生の勉強時間が削られることを懸念した学校側から、タイムアップが告げられたと聞いている。

 そういうわけで高千穂先輩は役職からはずれたことになるのだが、偉そうなところにまったく変化はなかった。

 俺は目についた話題を口にすることで、この場を取り繕う。


「受験勉強、大変そうですね……」

「そう死ぬほど大変だから、騒いで邪魔すんなよ」


 いつになく言動がピリピリしている。来年には、俺も似たような状態になっているのだろうか。

 ここは刺激しないように曖昧に笑って、そそくさと受付所に退避した。


「センパイ、どうしましょう。作戦会議、できそうにないですね」

「絡まれても面倒だし、場所を変えるか?」

「それは困ります。活動時間内は図書室を離れられない規則なんです」


 不入りな図書室だけに別段問題があるようには思えなかったが、マジメな早坂に規則やぶりを強要するのはかわいそうだ。

 俺はちらりと、彼女の背後にある扉を見た。以前利用した物置き兼図書委員用の休憩室だ。ここなら場所を変えずに相談できる。


 意図をすぐに察した早坂は、多少ためらった様子を見せたが、メガネを支えながら軽くうなずいた。

 これで問題は解決、さっそく奥の小部屋で作戦会議といこう――と、そう思った矢先、今日にかぎって二組目の邪魔者が飛び込んできた。


「ミチルちゃん、頼んでた本届いてる?」


 波打つようなテンションの高い声が、静まり返った図書室に響く。

 勉強中の高千穂先輩は、露骨に苛立ち、入ってきた奇抜な髪の女生徒をにらみつけている。

 雪だるまを連想させる独特な髪型は、遠くからでも判別できた。大久保小町が勢いよく受付所に突進してくる。


「ねえ、頼んでた本、あの本! まだかな、まだかな!」

「ガキやないんやから、ちょっとは落ち着きぃや。アホみたいに騒いだところで、どうなるもんでもないやろ」


 うんざり口調の関西弁が、後ろから追ってくる。女子高生投資家の須間千里が、だらだらと遅れてついてきていた。おそらく小町に無理やり付き合わされているのだろう、アイラインが不機嫌そうに歪んでいた。


「えっと、入荷は来週の火曜日です」と、予定表を取り出して早坂が言った。

 小町が懇願していた希少本のことではない――希少本は入荷が難しいということで、その代わりに小町が提案した別の歴史書を、早坂が根回しして取り寄せることになったらしい。


「えー、まだなの。早くしてよ、すんごい楽しみにしてるのに!」


 キンキンと頭に響く騒がしい声に、高千穂先輩はガマンの限度を越えたらしく怒りの気配を漂わせはじめる。

 図書室が平和に保たれるかは、必死になだめる佐藤先輩の双肩にかかっていた。


「あれっ、啓介がいる?!」

 いまさら気づいたのか、小町が驚きを声にした。「ほんまや」と、こちらは早々に気づいていたくせに、わざとらしく言ってのける。

 ニヤニヤと口元をゆるめた須間は、俺の耳元で皮肉たっぷりにささやいた。


「相変わらず仲がええな。また異世界の問題を押しつけてんの」


 まったくもってその通りなので、反論のしようがない。俺は顔をひきつらせて目をそらす。


「センパイ、もうコソコソするのやめませんか」早坂は神妙な面持ちでメガネを整え、少し改まった口調で告げる。「いま図書室にいるみなさんは、センパイの事情を知ってる人ばかりですよ」


 言われてみると、確かにそうだ。ここには秘密を共有する生徒しかいない。


「なんや、マジで異世界の相談しとるんか」

「またやってんの、勇者のお手伝い!」


 比較的良識のある須間は小声で抑えてくれていたが、おかまいなしの変人は甲高い大きな声をこぼす。

 それに、高千穂先輩と佐藤先輩が即座に反応した。関わった経験があるだけに、さすがに聞き逃しはしない。


「あんた、弟にまた厄介事頼まれてるのか?」


 高千穂先輩の発言に、今度は須間と小町が顔を突き合わせて驚く。

「あなた達も倉本くんの、その……協力者なの?」と、事情を踏まえた佐藤先輩が、言葉をにごしながらたずねた。


 わかる人にはわかる、うまい言い回しだ。この一言で、おおまかには互いの立場を理解したようで、須間と小町は妙に照れくさそうにうなずいた。なんだかイタズラの共犯を、見抜かれたような態度である。


「まったく、倉本は弟ともどもいろんなところに迷惑かけてるんだな。ひょっとして、今日もそれで集めたのか?」

「いや、そういわけじゃあ、早坂以外は勝手に来たんで偶然っていうか……」


 居丈高な高千穂先輩に圧をかけられて、俺はしどろもどろになる。

 その後ろで、ひそひそと話す声が聞こえた。「すごい威圧感あるね」「ごっつ偉そうやな」本人には聞かせられない、素直な感想だ。


 知られてしまっては俺も腹をくくるしかない。懸命に愛想笑いを浮かべて、ご機嫌をうかがう。


「そういうことなんで、勉強の邪魔にならないよう気をつけますから、隅っこのほうで作戦会議やらせてもらいます」

「しょうがないなぁ」呆れ混じりのため息をもらし、高千穂先輩は反動をつけて体を起こした。ふわりとポニーテールが浮き上がる。「じゃあ、あたしも息抜きがてら手伝ってやるか」


 意外な展開に、俺は呆気に取られる。早坂もメガネをズラして目を丸くしていた。


「スバルは勉強さぼりたいだけなんじゃないの」

「息抜きだってば。ほら、ずっと同じ科目をやるより他の科目と交互に勉強したほうが、効率的に脳を使えるって言うだろ。あれと同じ」

「ちょっと何を言ってるのかわからないけど、まだ根を詰める時期じゃないし、まあいいか――」


 やれやれといった態度をかもしながらも、佐藤先輩は止めようとしなかった。

 相棒のお墨つきをえて、高千穂先輩はやる気をみなぎらせる。そんなに受験勉強から逃避したかったのだろうか。


「それでそれで、どんな難題押しつけられたの」と、小町まで首を突っ込んでくる。

「なんだ、お前らも手伝ってくれるのか?」

「くだらん問題やったらさっさと手ェ引くけど、聞くだけは聞いたってもええよ」


 須間もおどけた調子で、相談に乗る姿勢を示してくれた。


「ありがとう、助かる」


 俺としては頼もしい援軍だ。取っかかりのない状況だが、これだけ頭数が揃っていれば解決策を見つけ出せるかもしれない。

 さっそく陽介からの要請を説明する。早坂は事前に聞かされていた唯一の手がかりを記したノートを、読書席の長テーブルに開けた。


「――と、いうわけで、魔王の家族を探すことが今回のミッションだ」


 亡くなった魔王は、こちらに残された家族のことがずっと心配だったらしい。この未練が解消できれば、心に引っかかっていた重しを下ろせる。和睦の条件としては、総合的にみると破格だろう。異世界の勇者としては、是が非でも達成したいと熱く語っていた。


 ただ問題は知ってのとおり。

 一同の視線がノートに落ちる。『青く芽吹いたイネが連なる畑の中で、山稜から吹き下ろす冷たい風を浴びた』と書かれた文字には、黄色の蛍光ペンでラインが引かれていた。

 しばらく沈黙がつづいた後、自然発生的に疑念の声がこぼれる。複数同時に。


「ハア?」


 そこに含まれている感情は、疑問と困惑と、おそらく怒り。

 代表して佐藤先輩が、配慮しながら問いかけてきた。他の三人なら、もっと強い語調になっていたことだろう。


「倉本くん、他に情報はないの? たとえば魔王の元の名前だとか住んでいた地域とか」

「残念ながら、他のことはおぼえてないらしいです。死ぬ直前の情景だけは鮮明におぼえていたみたいだけど、何しろ転生したのが三百年近く前のことなんで……」


 一度死にかけて転生寸前までいった俺は、なんとなくわかる。死ぬ直前に見たものは、強烈な印象となって記憶の深いところに刻まれるのだ。交通事故に遭ったときのことは、いまもハッキリとおぼえていた。

 俺にとっては納得できる理由――でも、ここに集まった面々にとって、問題はそれではなかったようだ。


「ちょっと待ちなさい、倉本。三百年前ってなんだ。そうでなくとも情報が足りないのに、そんな昔に死んだ人間のこと、どうやって調べろってんだ!」

「三百年と言っても、異世界とこっちでは時間の流れがズレてるんで、もうちょっと短いと思いますよ」

「短いって、どれくらい」


 高千穂先輩に詰められて、俺は目を泳がせる。俺だって異世界との時差を正確につかんでいるわけじゃない。


「さ、さあ、そこまでは……わかんないです」


 途端に気持ちが萎えていく気配を、ひしひしと肌で感じた。


「アホらし、こんもんやってられへん」

「日本に畑がどんだけあると思ってんの。たったこれだけで誰かつきとめるなんて、聖徳太子でもムリだよ」


 あの小町まで、あからさまにテンションを下げている。

 図書室にしらけた空気が流れはじめていた。挽回の手は……まるで思いつかない。


「も、もう少し考えてみませんか。気づいていないだけで、このなかに絶対ヒントがあると思うんですよ。どこかに、きっと……」


 早坂が必死に修復しようと言葉を連ねるが、目に見えて空回りしている。それを理解してか、次第に声は小さくなり、切れ切れとなって最後には消えていった。


「メガネちゃんも、あかんときはちゃんとあかんって言ったほうがええよ。そやないと、このアホ兄弟はどこまでもつけあがる」

「そうだな、甘やかすのはよくない」と、高千穂先輩が須間に同調した。


 これが決定打となって、完全にお開きムードとなった。もうどうすることもできない。

 俺は肩を落として息をつき、ちらりと早坂を見ると、メガネがズレた状態でちょこんと唇を尖らせていた。俺よりも、この状況を悔しがっているようだ。高千穂先輩が言うとおり、甘え甘やかされていたのだと思う。

 早坂のためにも巻き返したいところだが、俺にはすべがない。情けないことに、そのすべを持っていたのは、突然あらわれた第三者だった。


「あれぇ、こんなとこで集まって何やってるの?」


 ギョッとして振り返った先には、ウェーブのかかった長い髪を揺らす女生徒がいた。いつの間に来たのか、まったく気づかなかった。

 容姿も動作も口調も、ふうわりとした美人――「平沢!」と、因縁のある高千穂先輩が誰よりも早く名を呼ぶ。


 こちらも代替わりして前料理部部長となった三年の平沢羽織だ。この人にも異世界絡みで世話になっている。


「平沢さんは、どうしたの?」

「誰も遊んでくれなくて退屈だったから、ヒマ潰しに図書室に来たんだ。佐藤さん達は受験勉強?」

「ま、まあ、そんなところ……」と、佐藤先輩は若干もたつきながら答える。


 料理部の秘密を探っていた生徒会であるが、両者ともに代替わりして関係はリセット――とは簡単にいかないようで、平沢先輩はともかく元生徒会側は少しぎこちない。

 特に高千穂先輩は一方的な愛憎を抱いている分、いまも敵愾心がダダもれだ。


「休憩中だよね。集まって何を見てたの?」


 平沢先輩はぐいっと身を乗り出し、早坂を抱え込むような形で囲んでいたノートに目を落とす。

 眉間にしわが寄り、そのままコテンと首が横に倒れた。大きな胸にはさまれている早坂も、苦み走った顔をしている。


「なにこれ、?」


 ノートに書かれた『青く芽吹いたイネが連なる畑の中で、山稜から吹き下ろす冷たい風を浴びた』という文は、説明なしではそう感じるのだろうか。


「ここに書かれてる情報だけで、どうにか場所を割り出せないものか考えてたんです」

「そんなことできるの、たったこれだけの情報で?」

「いや、できないから困ってたんですよ。他に手がかりもないので、どうしたもんかと」

「だよねぇ。全然わからないから、わたしが鈍いのかと思った」なぞなぞと思い込んでいる平沢先輩は、解けないことが普通とわかり安堵している。「これだけだと麦畑ってことしかわかんないよね。特定なんてできない」


 一瞬、図書室の空気が硬化したような不思議な沈黙が下りる。

 そして、誰ともなしにつぶやいた。「え?」と。


「ちょっと平沢、どうして麦だとわかった?!」

「へっ、だって、麦だよね、これ――」


 高千穂先輩に詰め寄られ、キョトンとした表情で平沢先輩は言った。

 俺と早坂は、反射的に顔を見合わせる。難航していた謎解きに、一条の光が差す。

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