『勇者、魔王と和睦する。』
<1.勇者と魔王>
暗雲垂れこめる曇天の空を隠そうとするように、呆れるほど高い壁がそびえていた。
それは、境界を塞ぐ果てしない城壁。延々とつづく壁の端を、肉眼では確認することができない。
ここはフラントルデ辺境伯が守護する王国の最果てだ。城壁の向こう側には、鬱蒼と茂った暗黒の森が広がっている。
長い旅路の末に、境界の町にたどり着いた勇者メビウス一行の目的は見学だった。深い森の奥に、いずれ目指すこととなる魔族の国が存在した。
魔王――もしくは、魔女王と呼ばれる存在が支配する国だ。女神に託された、勇者の最終目標である。
しかし、今回訪れたのはあくまで見学。現在のレベルでは、到底魔王にかなわないとわかっている。
王宮のパーティーで親しくなった辺境伯に招かれたついでに、機会があれば魔族の国を覗いておこうとノーテンキに考えていたのだ。
「そう思ってたけど、こいつはちょっと無理そうだな……」
堅牢な壁を見上げて、メビウスは苦笑する。唯一森につながる門は、城壁が建設されて以来一度も開けたことがないという。
いくら勇者と言っても、勝手をするわけにはいかなかった。無茶をして市民に危険が及んでしまったら、それこそ目も当てられない。
今回はあきらめようと即断した。この切り替えの早さが、メビウスは自分の長所だと思っている。
「じゃあ、各々自由行動ってことで――」
メビウスは一旦仲間と離れて、目についた酒場に入る。特別酒が飲みたかったわけではないが、ヒマを持てあましてなんとなく足を踏み入れた。
酒場は質素な店内の他にテラス席が設けられており、街路に沿ってテーブルが並んでいる。
雲に覆われて空はうす暗いが、まだ酒に溺れるには日が高い時刻だ。店主にホットティーを注文して、せっかくなのでテラス席を利用することにした。
テーブルについて、ぼんやりとホットティーの到着を待つ。
そこに、前ぶれなく一人の女性が相席する。その動きも気配も、まったく察知することができなかった。気づいたときには、突然転移してきたかのように、そこにいた。
メビウスは驚愕しながら向かいの席に目を向けて――ギョッとする。
「はじめまして、勇者殿」と、女は抑揚のない声で淡々と言った。
銀色の髪に青い肌をしている。典型的な魔族の特徴を備えた美しい女だ。外見上はメビウスと同年代に見えるが、長命な魔族の年齢を読みきることは難しい。ただ落ち着き払った様子から、漠然とかなり高齢なのではないかと思った。
顔をひきつらせたメビウスは、慌てて周囲を見回す。
敵対勢力である魔族があらわれたというのに、道行く人は誰もうろたえていない。ホットティーを届けにきた店員など、しっかりと魔族の女を視界にとらえても、一切特別な反応を示さなかった。それどころか、平然と注文を聞いている。
「彼と同じものをいただこうか」
境界の町では、魔族は珍しくないのかもしれない――そんなことも考えたが、魔王の脅威を城壁という形であらわしている町で、魔族への警戒心がうすれているとは考えにくい。
おそらく魔法の力で、人の認識をズラしているのだろう。勇者と名指ししてきた、メビウスを除いて。
覚悟を決めて、ひっそりと腰にさげた剣に手を伸ばす。
指先が柄にふれる直前、「やめたほうがいい、血を見ることになる。わたしは争いにきたわけじゃないんだ」魔族の女は、ぽつりと言った。
何もかも見透かしたような涼やかな眼差しで、じっとメビウスを見つめている。
その視線に敵意は欠片も含まれていないというのに、心臓をわしづかみにされたような恐怖をおぼえて、メビウスは情けなく喉を震わせた。
「だ、だったら、何しに来たんだよ!」
「キミに会いに来た。勇者殿、キミと話がしたかった」
メビウスは息を飲み、緊張で身を固めた。額から吹き出した汗がまなじりに染み込み、ヒリヒリと目が痛むが閉じるわけにはいかない。
「お前は何者なんだ……」
「わたしは、サローメ。人間からは魔王と呼ばれている」
正体を明かされても、驚くことはなかった。魔王から連想する威圧感は皆無だが、どれだけ注視しても読みきれない底知れないものを感じる。
魔王の名乗りは、納得しかない。腑に落ちると同時に、魔王と相対している事実に気づいて畏怖した。
「オ、オレを殺しにきたのか?」
「違う、そうじゃない。話に来たと言ったじゃないか」ほんの少し魔王の口調にあきれが混じる。「そもそも、わたしは人間と争うつもりはないんだ。人間が不当に我々を恐れて攻撃してくるから、身を守るためにしかたなく自衛しているにすぎない。正当防衛だ」
強靭な肉体と類まれない魔法の素養をあわせもつ魔族を危惧して、人間は優位性を保つために彼らを迫害してきた歴史がある。
その不遇な時代に反逆し、魔族をまとめあげたのが魔王サローメだ。彼女は同胞を連れて未開の地であった暗黒の森に踏み入り、人間の手が届かない魔族の国を作った。
互いに恐怖と敵意を突きつけあう関係にあった両種族は、一部の好戦的な過激派の暴走をきっかけに交戦状態となる。本格的な戦闘にいたることは少なかったようだが、長年小競りあいを繰り返し――それは、現在までつづいていた。
「本当は、この壁を越えるつもりはなかった。わたしが動いたことが知れると、主戦論者の抑えが利かなくなる。だが、キミがこの町に来ていると知って我慢できなかった。どうしても、キミに会いたかったんだ」
平坦で落ち着いた口調であったが、そこはかとなく熱情を感じる。
その理由がわからず、メビウスは困惑した。
「どうしてだよ、オレが勇者だからか?」
「それは、少し違うな。これまでもキミのように別世界から招かれた勇者はたくさんいたが、彼らと直接まみえることはなかった」ここで魔王は吐息をつき、自嘲的な笑みを浮かべる。「あの女神は、よほどわたしがお気に召さないらしい。ここに呼びつけた張本人だというのに……」
一瞬聞き流しそうになったが、ひっかかるものを感じてメビウスは違和感に気づく。
どうやら魔王は、転生や女神のことまで知っているようだ。それだけではない。言い回しからして、おそらく彼女自身も関係している。
「ちょっと待ってくれよ。魔王も……て、転生者なのか?!」
「誤解があるようだな。わたしは生まれながらに魔王だったわけじゃない。結果的に、魔王と呼ばれるようになっただけだ。たぶん、それが気にくわなかったのだろう。女神はこの世界に魔王は必要ないと考えているようだ。だから、転生者を勇者に仕立てて、わたしを討とうとしている」
これまで考えたこともなかったが、女神に魔王討伐を命じられた理由としては納得がいく。
しかし、この魔王の認識が正しいとすれば、リスクを冒してまでメビウスに会おうとすることが不可解でならない。
「そこまで承知で会いに来たってわけだ。それだけの価値がオレにあるのか?」
「ある」と、魔王は断言した。「キミは他の転生者にない、唯一無二の力を秘めている。通信魔法だ」
考えもしなかった予想外の理由に、メビウスは動揺する。便利に利用させてもらっているが、直接的な効能があるわけではない。
異世界において有用な魔法とは、とてもじゃないが思えなかった。
「待ってくれよ、通信魔法はただ遠くの人と通信できるだけの力だぞ。魔王から見れば、こんなのガキの遊びみたいなもんだろ」
「確かに、離れた相手と通信する手段はいくらでもある。それだけならば、わたしも関心を持たなかっただろう。だが、キミの力は次元の壁を越えられる。このちっぽけな城壁を越えるのとはわけが違う。他の誰にもできない、キミだけの特別な力だ」
「いや、そうかもしれないけど、それだけだぞ……」
「キミは、自分がどれだけすごいことをやっているのか、わかっていないようだな」
魔王は小さく鼻を鳴らし、テーブルに置かれたホットティーのカップを軽く指で小突いた。
コツンと音がして、カップの中に波紋が広がる。その一瞬で、湯気が立っていたホットティーが凍りつく。波紋の形状が、残ったままの氷の固まりに変質していた。
メビウスは愕然として、肌が粟立つ。桁違いの魔法力だ。魔王がその気になれば、苦もなく全身の血を凍りつかせることができるだろう。
どれだけのレベル差があるのか、まったく想像もできない。まだ無事でいることが、奇跡としか思えなかった。
「わたしは、わたし以上に魔法に長けた存在と出会ったことがない。おそらく、この世界で一番の魔法の使い手だと自負している。それでも、わたしは次元の壁を越えて通信することはできない。世界でキミだけなんだ、それができるのは」
勇者の特典程度にしか考えていなかった通信魔法が、そんなにもすごいものだとはじめて知った。
もっとうぬぼれてもいい場面なのかもしれないが――メビウスはただただ目の前の魔王が恐ろしくて、反応が極端に鈍っていた。
「け、け結局、何が、言いたい」
「そうだな、単刀直入に言おう。通信魔法が使えるキミに頼みたいことがある。それさえ叶えば、わたしは人間と和睦して不戦条約を結んでもいいと思っている」
「不戦条約だって?!」
願ってもない取引だ。この魔王相手に、まともに戦ったのでは人間に勝ち目はない。
女神がなんと思おうと、この際どうでもよかった。矢面に立つのは勇者メビウスなのだ、盤外から見ているだけの神に文句は言わせない。
「その頼みっていうのは、なんなんだ?」
魔王の整った唇が、ゆっくりと言葉を形作る。
それは想定していなかった、とんでもない頼みだった。
※※※
陽介から注文がきたのは、昨晩のことだった。やけに詳細な状況説明つきで、これまでにない特殊な無茶ぶりを言ってきた。
やはり今回も解決策は思い浮かばず、情けない話だが俺一人ではどうにもできそうにない。
そうなると、頼りになるのは彼女しかいなかった。寒さに悶えながら校門で待ちかまえ、朝一番で早坂をつかまえる。
「おはようございます。どうしたんですか、センパイ?」
あいさつもそこそこに、白い息でメガネを曇らせた早坂の手を取り、秘密の話ができる場所――図書室へ向かう。
暖房の入っていない図書室は冷え冷えとして、いつも以上に静謐な空気で満たされていた。音を吸い込む厚手のカーテンや絨毯が、俺の呼吸音までも消してしまう。
「センパイ、ひょっとして……また異世界絡みですか?」
「そういうこと。今度も力を貸してくれないか」
「はい!」と、早坂は即答する。さも当然と言わんばかりの表情で、迷惑とは欠片も思っていない。
俺は苦笑しながら、近くのイスに腰かける。ありがたいことだが、その前向きさに今日は気が引けた。
どうすればいいのか、本当にわからなかった。自分で相談すると決めておきながら、こんな問題に関わらせることを申し訳なく思っている。
「倉本くんは、どんな無茶ぶりをしてきたんです?」
「人探しだ」
「へえ、人探しですか――って、え、ええっ?」
早坂は、メガネをズラしてうろたえる。無理もない話だ。
これまでとは、まったくタイプの違う要求だった。専門的な知識持つ生徒に、協力してもらうという対応もできない。
「あの、それってどっちの話なんですか。異世界の人探しではないですよね」
「ああ、こっちでの人探し。こっちの世界にいる、誰かさんを見つけなきゃいけないんだ」
「また難問ですね。ヒントはないんでしょうか?」
「あるにはあるが、正直よくわからないぞ。陽介が言うには、その依頼人がおぼえているのは、『青く芽吹いたイネが連なる畑の中で、山稜から吹き下ろす冷たい風を浴びた』って死ぬ直前の記憶だけらしい」
早坂はメガネを押さえながら、眉間にしわを刻んで疑問の深さをあらわした。
これだけでは、何がなんだかわからない。俺だって、ちんぷんかんぷんだ。
「……もしかして、依頼人というのも倉本くんと同じ転生者なのしょうか?」
「そうみたいだ。陽介の話を信じるなら、異世界には何人も転生しているらしい」
死の淵で俺もスカウトされているので、そのこと自体は不思議に思わない。だが、人探しを依頼してきた人物の素性を知ると、転生を管理する自称『神様』への不信感が募っていく。
勇者と魔王の関係が、神のマッチポンプに思えてならなかった。
――とは言っても、どこに存在しているかもわからない自称『神様』を、ここでいぶかしんでいても状況は変わらない。いま考えるべきことは、人探しについてだ。
陽介曰く、この一件次第で異世界の運命は決まるとのこと。いまいちピンとこなかったが、頼み込む声色は真剣そのものだった。
「センパイ、それで誰を探せばいいんですか?」
「陽介に人探しを依頼したのは、異世界の魔王だ。どうにかして魔王の家族を探さなきゃいけない」
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