<3.最後への旅>
「どうしてどうして、どうしてわかったんですか!」
テンションを爆上げした小町が、平沢先輩の腕にすがりついて問いただした。
事情を知らない平沢先輩は整った顔立ちに困惑を浮かべながらも、いつものやわらかな口調で丁寧に解説してくれる。
「だって、寒い時期にイネが芽吹いているってことは、秋頃に種をまく麦なんじゃないかなって。品種によって違ってくるけど、基本的に麦類は越冬して春に収穫する穀物だからね」
さすが元料理部部長、食物に関する知識に長けている。
ここに高千穂先輩が噛みついた。お姫様は、素直に認められないのだろう。
「ちょっと待った。これが麦だとホントに断言できんの。明確に寒い時期だって言ってるわけじゃない、たまたまそのとき肌寒かっただけで、イネもお米のことかもしれないじゃない!」
「うーん、お米だったら畑じゃくて田んぼって表現しないかな。それに、畑の中っていうのがキーポイントだね。麦踏みって聞いたことない、麦を踏みつけて強く育つようにする作業なんだ。イネが芽吹いた時分に畑にいる理由としては、麦踏みが妥当だと思うよ」
高千穂先輩はなおも反論しようとするが、言葉がついていかず声が出ない。パクパクと口は動くが、音として届いたものは何一つなかった。
結局悔しそうに唇を締めて、わかりやすくむくれる。苦笑した佐藤先輩が、背中をさすってなぐさめていた。
「ほんなら、麦の生産地が魔王の故郷ってことでええんかな」
「麦って、小麦とか大麦とか種類があるよね。どの麦なんだろ」
小町が質問を重ねると、平沢先輩は困り顔を浮かべた。
「さすがに、種類までは判別できないなぁ。もう少し解読できる要素があったら、わかるかもしれないけど」
「絞り込めそうで込めないな。やっぱり情報量が少なすぎる」
思わずもれた俺のグチに、スマホを手にした早坂が反応した。何やら検索していたらしい。
「いま調べてみたんですが、小麦も大麦も、それにライ麦も、生産量は北海道がダントツですね。昔の話になると変わってくるかもしれませんが、記憶の時期がわからないことには調べようがないです」
「北海道だったとしても、デッカイドーすぎて場所の特定は難しいな」
見事にスルーされた。
俺を無視して、全員がスマホの画面に顔を寄せている。そこには小麦の生産量を比較したグラフが映し出されていた。
「北海道が62%、次が福岡県の7%、佐賀県5%に群馬県3%とつづいて、その他が23%となっています」と、早坂が読みあげた。
「へえ、群馬って小麦の産地なんだ。知らなかったなぁ」
何の気なしに、平沢先輩がのんきな声でつぶやいた。そこに意図などなかったはずだ。
しかし、その一言に天啓をえて、いきなり奇声を発する者がいた。
「あーッ、国定忠治!!」
小町がわけのわからないことを叫ぶ。ドン引きだ。
「どないした、ついに狂ったんか?」
他に引き取り手がいないので、しかたなく友人が声をかける。心底嫌そうな顔で。
「センちゃん、国定忠治だよ、国定忠治。『赤城の山も今宵限りか』って知らない?」
「知らん。そいつがどないした」
律儀に早坂が国定忠治を検索する。江戸時代後期の侠客らしい。
小町の守備範囲の広さには驚かされるが、それがどこにつながるのか皆目見当もつかなかった。
「国定忠治は
俺はハッとして、ノートの文字にかじりつく。『青く芽吹いたイネが連なる畑の中で、山稜から吹き下ろす冷たい風を浴びた』
青く芽吹いたイネが連なる畑が、小麦畑。山稜から吹き下ろす冷たい風が、赤城颪。そう考えると、確かに条件は合致していた。
興奮して鼻息荒く顔を上げると、「あれ?」俺以外は誰も食いついていなかった。
「でも、畑の近くに山があって、冬場に冷たい風を吹き下ろすことはそんなに珍しくないんじゃないかな。日本全国、似たような場所はたくさんあると思うよ」
佐藤先輩が冷静に分析する。流されやすい俺は、この意見にも納得した。
「えー、ダメかぁ。いい線いってると思ったんだけどなぁ」と、口では言いながらも小町のテンションは戻っていた。思いついた瞬間は高揚したが、自分でも決め手に欠けると感じたのだろう。
「ダメってわけじゃないの。特定とまでは、まだ言えないだけで」
「また振り出しか。確認しようがないもんな」
がっくりと落ちた俺の肩を、ポンと平沢先輩が叩いた。励ますというよりは、呼びつける目的の強さだ。しかも、満面の笑顔である。
「じゃあさ、直接行って確かめてくればいいんじゃない。群馬なら行けない距離ではないんだし」
気軽に言ってくれる。時間や労力、それに何よりも必要となる経費が問題だ。俺のサイフも空っ風が吹いている。
「無理ですよ。違ったときのことを考えると、とても――」
「もし車を用意してくれるなら、わたしが連れて行ってあげてもいいよ」
突然の申し出に、俺は目を見張って面食らう。わけがわからず戸惑うばかりだ。
平沢先輩は笑顔を通り越して、もはやニヤケ顔となっている。
「車を用意したらって、どういうことですか?」
「へへへ」こらえきれないといった様子で、平沢先輩は笑い声をこぼす。「実は、じゃーん!」
子供のように口で効果音をつけて取り出しのは、一枚の真新しいカードだった。車の運転免許証だ。
「あー、平沢、いつ取ったんだ?!」
ひったくるように免許証を奪った高千穂先輩は、右隅にある少しぎこちない表情の顔写真と本人を交互に見比べる。
「一学期の頃から通ってたんだけど、合格したのはつい最近だよ。半年近くかかっちゃった」
同級生が受験勉強で忙しくしているなか、時間がありあまっていた平沢先輩は思いつきで一足先に教習所へ通っていたそうだ。本人曰く集中力ないので、のんびりと通い、ようやく免許修得にいたったらしい。
「くそッ、わたしも早く免許取りたい!」と、こんなところでも対抗心を燃やし、高千穂先輩は悔しそうにしている。
「スバルは誕生日二月だから、教習所は受験が終わってからだね」
「あーあ、もうちょっと早く生まれてさえいれば……」
免許を取るのに、早いも遅いもないだろうに――そう思っても、口が裂けても言葉にできない。面倒なことになるのは、火を見るよりあきらかだ。
「えへへ、いいでしょ。もう車の運転できるんだよ、わたし」
平沢先輩はよほどうれしいのか、免許を見せびらかして得意げな顔をしていた。高千穂先輩は、いまにも地団太踏みそうな顔をしている。
これ以上こじれては厄介だ、俺は早めに話を進める。
「車があれば、群馬まで連れて行ってくれるんですか」
「うん、いいよ。いまドライブしたくてしょうがないんだ。車があったらガンガン運転するよ」
ありがたい申し出だが、ただの高校生にすぎない俺に車を用意できるあてはなかった。親を頼ろうにも、なんと説明すればいいものやら。
それに、ここまでの推察が正しいと決まったわけじゃない。ハズレていたときの徒労を想像すると、どうしても二の足を踏む。
こんなふうにウジウジと迷いつづける俺を見かねたのか、須間が太っ腹な提案をする。
「しゃあない、車はうちが用意したってもええよ」
「えっ、車持ってるのか?」
「うちをなんやと思ってんねん、普通の女子高生やで。レンタカー会社の株主優待に無償でレンタルできる乗車券があってな、それを提供したるわ。いつもはお兄に売って現金化してるんやけど、特別に、倉本のために使ったる」
須間は特別を強調して、押しつけるように恩を売ってきた。突っぱねることはできそうにない。
それにしても、投資をしている学生は普通とは言えないのではないだろうか。
「よし、運転は任せてよ」
「いいねいいね、みんなで旅行楽しそう!」
平沢先輩だけでなく、なぜか小町も行く気満々だ。もう引き返せそうになかった。
俺は胸にたまった不安を、ため息として吐き出す。そこへ、さらに、もう一声。
「だったら、あたしらも行くしかないな」
俺は目を丸くして、発言者の顔をまじまじと見た。高千穂先輩が偉そうな態度で、平然と言ってのけたのだ。
「なんで?」と、思わず素直な疑問が口をつく。
「あんたらだけで行かせるわけにはいかないだろ。保護者としてついていく」
よくわからない理屈を、やはり平然と言ってのけた。同じ学校の生徒で、保護者も何もないだろうに。
強制的に参加を決められていた佐藤先輩は、肩をすくめるのみで反対しなかった。この受験生達は本当に大丈夫なんだろうか。
「わ、わたしも行きます!」
最後に早坂が上ずった声で表明して、全員の参加が決定する。
こうして、何がなんだかわからないうちに、魔王の故郷を探す旅に行くことになってしまった。
※※※
日曜日に校門前で待ち合わせて、開店したばかりのレンタカー店で車を借りる。七人の大所帯が乗れるように、大型ミニバンを選んだ。
元生徒会長の高千穂先輩の仕切りで、順序良く車に乗り込んでいく。
運転席には当然本日の運転係である平沢先輩、俺は助手席に押し込められた。二列目は高千穂先輩と佐藤先輩、三列目に残った三人が着席する。
俺はシートベルトをかけながら、ちらりと席の埋まった車内を見回す。図書室では意識しなかったが、女ばかりのなかに男一人は妙に気まずい。普段と違う見慣れない私服姿であることが、よけいに居心地の悪さを助長しているのだと思う。
「倉本くん、ナビお願いね」
真剣な面持ちでミラー確認をしていた平沢先輩が、低い声でぼそりと言った。
「ナビはついてますよ」
備えつけのカーナビが、オーディオとセットではめこまれていた。
「ナビの使い方がわからないから、ナビの操作をお願いってこと!」
少し緊張しているのか、ピリピリした声色だった。俺は口答えできず、言われるがまま目的地を登録する。
ナビは後方モニターから地図画面に切り替わった。
「さあ、出発しんこー!」
朝っぱらからテンションの高い小町の号令で、平沢先輩はアクセルを踏み込む。レンタカー店から車道に向けて、ゆっくりとタイヤが進みだした。
最初こそ不安だったが、ハンドルを姿勢よく手にした平沢先輩は、安全運転を心がけて順調に車を運転する。初心者としては、うまい部類に入るのではないだろうか。次第に緊張も解けてきたようで、その顔にやわらかな笑顔がこぼれ出した。
ナビに従い、高速道路にもスムーズに乗り入ることができた。この頃には余裕も生まれて、調子はずれの鼻唄が聞こえてくる。
しばらくの間は、とどこおりなく高速道路を快走していたが、何を思ったのか平沢先輩はいきなりハンドルを切った。
車体が大きく揺れて、「なんやなんや?!」と仰天の声が後ろの座席から届く。車は駐車線に吸い込まれ、キュッとブレーキ音を奏でて停止した。
そこは高速道路のサービスエリアだ。横長の大きな建物の前に、食品名の書かれたのぼりが並んでいた。
「このサービスエリアのラーメン、すごくおいしいんだって。食べていこう!」
元料理部部長の食い意地が、こんなところで発揮される。
高千穂先輩は文句を言うが、ハンドルを預かる平沢先輩に反抗できるはずもなく、結局フードコートに連れられていった。
俺はというと、フードコードには行かず自販機でジュースを買って外で待機することにした。気分が悪くて、食い物が喉を通りそうにない。
「センパイ、大丈夫ですか?」
俺の姿がないことに気づいた早坂が、慌てた様子で引き返してきた。
軽く手を上げて、無事を告げる。缶に口をつけて、少しでもスッキリしようと刺激の強い炭酸ジュースを胃袋に流し込んだ。
「車に酔ったんですか? 酔い止めありますよ」
「大丈夫、じっとしてれば落ち着く」
過保護な母親のような早坂に苦笑を返し、俺はもう一口炭酸をあおる。腹に炭酸がたまって、ゲップがもれそうだ。
本当のことを言うと、車に酔ったわけじゃなかった。車に充満する濃密な女のにおいで、不覚にも胸がむかむかしていた。冷たい風を浴びていれば、じきに回復するだろう。
心配そうに俺を見ていた早坂は、彼女自身も体調を崩してしまったような冴えない表情を浮かべる。
「本当に大丈夫だから、早坂もみんなとラーメン食ってこいよ」
「いえ、朝食は食べてきたんで……」
早坂は暗い面持ちのまま隣に並んだ。コート越しの肩がすれ合う。
何か問題でもあったのだろうか。いつも力を借りている立場なので、少しでも助けになればと理由をたずねようとした直前――先に早坂が口を開く。
「これが、最後になるんですかね」
言葉の意味がわからず、吐き出そうとしていた声を飲み込み、俺は口ごもる。
粘り気のある液体に包まれているようなゆっくりとした動作で、早坂は上目遣いな視線を伸ばしてきた。
「魔王と人間が和睦したら、勇者の役目は終わりですよね。もう倉本くんが、センパイに無茶を言ってくることもなくなる」
考えていなかったが、確かに今回の件がうまくいけば勇者の仕事はおしまいだ。ゲームクリアといったところか。
「そ、そうかもな」
「こんなこと言うのダメなんでしょうけど、ちょっと……さみしいです」
俺は咄嗟に言葉が出なかった。唇を震わせたのは、生ぬるい吐息だけ。
早坂も、それ以上何も言わなかった。黙ったまま二人並んでたたずんでいた。手にした缶の冷たさが、肌の奥に伝わってくる。
そうしているうちに、ラーメンを食い終わった面々が感想を言い合いながら戻ってきた。俺と早坂を見つけた須間が、ニヤニヤしながら車に入っていく。
俺も助手席につき、そこでようやく口にすることができた。「そうだな、俺もさみしいよ」と。
運転席の平沢先輩が一瞬顔を向けたが、何も告げることなくエンジンを始動させた。きっと声が小さすぎて、気のせいとして処理したのだろう。
再発進した車は、順調に群馬へ向けて走り出す。
途中平沢先輩の気まぐれで、またもサービスエリアに立ち寄り名物を食らうことになるが、そんなものは些末な問題だ。頭上にかかった表示板に、群馬の文字が見える。
ナビの声に案内されて、ハンドルを左に切った。インターチェンジを下りて、一般道に入っっていく。
出発から三時間あまり、ようやく俺達は目的の場所にたどり着いた。
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