<2.雨、時々無茶ぶり>
突然降り出した冷たい雨に打たれて、俺は大慌てで帰宅した。
右足のケガで走れないこともあって、家にたどり着いた頃にはズブ濡れになっていた。全身雨が滴り、パンツまでぐっしょりだ。
「啓介、お風呂わいているから入っちゃいなさい」
母さんに言われるまでもなく、寒気で震える体を抱えて、すぐに風呂場へ直行する。温かい湯の張った湯ぶねにつかり、ようやく人心地がついた。
のんきに鼻唄を歌いながら存分に風呂を堪能し、ポカポカに火照った体で自室に向かう。
財布とスマホが、机の上に置かれていた。おそらく脱ぎ捨てた制服から、母さんが回収してくれたのだろう。
窓の外に目をやり雨雲を確認すると、昼間にはなかったどんよりとした鈍色の雲が、空一面を覆っていた。少なくとも今夜中は降りつづきそうな気配だ。
俺は短く息をついて、イスに腰を下ろす。背もたれによりかかりながら、何気なくスマホに目を向けた。
すると、視線感知機能を備えているのかと疑いそうになるくらい絶妙なタイミングで、スマホが鳴り出した。バイブの振動で、カタカタと机を叩くステップを踏んでいる。
「今度はなんだよ」
スマホの画面には、文字化けした記号が並んでいる。前回から三日ぶりの電話だった。
『よお、兄貴、元気にしてっか。ちょっと相談があるんだ』
二度つづけてヒマ潰しとはいかなかったようだ。俺は覚悟を決めて返事を返す。
「次はどんな無茶ぶりだ」
『嫌なこと言うなぁ、そんなふうに思ってたのかよ』逆にどんなふうに思っていたのか、陽介を問い詰めたくなる。『今回はホント簡単な仕事だ。ちょっと橋を作ることになったから、設計図みたいなのを調べてくれないか』
「は、橋?!」
『そう橋。ご飯食べるときの箸じゃないぞ、川にかけて人が通れるようにする橋だ』
何がどうなれば勇者が橋を作ることになるのか、まったく想像できない。俺の知るかぎり、勇者は建築業者ではなかったはずだ。
あまり聞きたくなかったが、しかたなく経緯をたずねる。
「どうして橋を作ることになったんだ?」
『大雨の影響で川にかかってた橋が壊れちまって、領主夫人が困ってたから協力を申し出た。ずいぶんと世話になったし、困ってるのをほっとけないだろ。どっちにしろ橋がないとオレらも先に進めないんだ』
言い分はわかるが、それだけではない裏事情を兄弟の勘が感じ取る。
「……ひょっとして、領主夫人って美人なのか?」
ほんの少しためらいの気配を漂わせたあと、こらえきれないといった様子で『グヘヘ』と陽介は下品な笑いをこぼす。
『実は、そうなんだ。色っぽい美人なんだけど、儚いっていうか、どことなく幸うすそうな雰囲気があってついつい助けたくなる』
「そうは言っても人妻だろ。変に下心で動いても、いいことなんてないぞ」
『どっこい夫人は未亡人なんだ。領主の旦那が亡くなって、まだ若いのに名代として領主の仕事をしている。だからさ、まあ、うまくいけば――』
勇者と言えど男だ。たまには倫理からはずれることもあるのだろう。
俺は嘆息して、スマホにあきれを吹きかける。
『言っとくけど、それだけじゃないからな。橋は領民にとっても重要な交通の要所だ。早く復旧しないと、いろいろと不備が出てくるらしい。そんなわけで兄貴、橋の設計図を調べてくれよな』
「ちょっと待て。設計図と言われても、専門家でもない一介の高校生が気軽に見れるものなのかよ。しかも、設計図を手に入れたとして、口頭で伝えなきゃいけないわけだぞ。俺もお前も、理解できると思うか?」
『不安はあるけど、こっちの大工に話を通してみるから、だいたいの仕組みは察してくれんじゃないかな。技術水準が違っても、建築に関しては共通するところもあるだろうし、オレなんかより理解が早いと思うぞ』
ノーテンキな陽介は、楽観的に物事を考えすぎる。俺には不安しかない。
毎度のことだが、少しはこちらの苦労もわかってほしいものだ。
『どうせなら、また大雨がきても壊れない頑丈な橋を作りたい。鉄なら頑丈にできるよな。鉄橋の設計図、頼むよ』
「鉄!?」ここにきて、さらにハードルを上げてくる。「簡単に言うけど、そっちで鉄を鋳造したり加工したりすることできんのかよ」
『たぶん大丈夫だろ。オレの持ってる剣も鉄だし』
単純きわまりない根拠に、あ然とする。その程度の認識で、どうして自信満々に言いきれるのだろうか。
俺は頭を抱えて、苦悩を塗り込めた吐息をもらした。
『なんとかなるって、これまでもそうだったろ。信じてるぞ、兄貴』
俺はとんでもない弟を持ってしまったことを、いまさらながら深く深く痛感していた。
※※※
「橋、ですか?」
「そう、今度は橋を作るんだと」
昨日からつづく冷雨の粒が、渡り廊下の窓を絶え間なく叩いていた。曇りガラスの向こう側では見慣れた景観が、しっとりと濡れそぼってたたずんでいる。
陽介からの無茶ぶりを受けた翌日の昼休み――俺は一年の教室から早坂を連れ出し、渡り廊下で対策を相談していた。困惑とあきれとあきらめの混じった複雑な表情が、ガラスに反射して映り込んでいる。
「橋の設計図は、図書室にありませんよ」
「その点は大丈夫。昨日ネットで検索してみたら、それっぽいのがいっぱい出てきた。ただ、設計図の見方が全然わからない。何がどうなってんのか、まったく理解できなかった。早坂の知り合いに、橋にくわしい人いたりしないかな」
「さすがに、それはちょっと……」
世の中には思いもよらないマニアがいて、橋マニアもきっと探せばいると思うのだが、やはりそう都合よく身近にはいない。
わかっていたことだが、それでも落胆してしまう。
早坂は眉を下げた困り顔を浮かべて、かすかにうつむいた。重力によって、微妙にメガネがズレる。
「今日の当番を替わってもらいます。放課後に図書室で改めて相談しましょう。それまでに、わたしも考えてみますね」
「いつも悪いな」
毎度毎度付き合ってもらって、早坂には頭が下がる思いだ。
「気にしないでください。センパイのお役に立てるのが、わたし、とってもうれしいんです」
入学式にほんの少し助けたことを、まだ恩に着てくれているのだろうか。なんだか申し訳ない気持ちになるが、その想いに甘えっぱなしである。
「ありがとう、早坂。助かるよ」
せめてもの感謝の言葉を口にすると、早坂は満面の笑みを浮かべた。
ひとまず、その場は別れて――放課後を待つ。
滞りなく授業は終了。廊下に溢れた生徒にまぎれ、急いで図書室に向かう。すでに早坂は到着しており、作戦会議の用意を整えてくれていた。
「センパイ、お疲れ様です」
早坂が陣取った長テーブルの周辺には、建築に関する書物が積まれ、図書室の備品である型落ちのノートパソコンを起動していた。
パソコンの画面には、橋の設計図が映し出されている。前もっていくつもの設計図を確認してくれていた事実を、ウェブブラウザのタブの数で知ることができた。
ぽつんと一つスイーツ店のサイトのタブが混じっていたが……そこはふれないでおく。
「どうだい。設計図、なんとかなりそうかな」
「ザっと見てみましたけど、なかなか難しいですね。建築の知識がないと、構造を理解するのは厳しそうです。それに、倉本くんの発注は鉄橋ということでしたが、必ずしも鉄橋が適しているとはかぎらないと思うんですよ。川の状況がわからないことには、どんな形態の橋がいいのか判断できません」
早坂の意見は、確かに一理ある。状況に応じた橋でなければ、壊れない頑丈な橋とはいかないだろう。
川の規模や環境、降雨によってもたらされる増水量、さらには利用者の数や頻度も考えなければいけない。知っておくべき情報の足りなさを、遅ればせながら痛感する。
「どれくらいの長さの橋を想定しているんでしょうね」
「くわしいことはわからないけど、大きな川らしいから結構な長さだとは思う。陽介達が立往生を余儀なくされていることを考えると、少なくとも簡単に渡れる幅じゃあないだろうな」
「そうなると、ある程度の大きさは考慮しないとダメですよね……」
早坂はマウスを操り、別タブで保留してあったページを開く。
画面が切り替わり、橋の写真が映し出された。石を積み上げて作った四つの橋脚に、アーチ状の橋が連なっている。隅にあった解説文によると、「日本三大名橋、
「なんか、すごい橋だな」
「錦帯橋は洪水に負けない橋を目指して造られたもので、実際に長い年月流失することはなかったようです。実績もありますし、参考になるんじゃないでしょうか、橋脚の数を調節すれば、どんな川幅でも対応できそうですし」
「へえ、いいな。これ使えそうじゃないか」
現状において、薦める橋としてはベストに思えた。
「でも、やっぱり状況がわからないことには判断が難しいですね。川床の状態次第では、橋脚を組めないかもしれませんので」
「結局、異世界の川を知らないことにはどうしようもないか。陽介からの連絡待ちだな」
しかたないことだが、結論は先延ばしとなる。
こちらから連絡する手立てがない以上、いまできることはない――とはいえ、無為にすごすのは時間がもったいないと思った。俺は目にとまった建築の本を手に取る。
せっかく早坂が用意してくれたものだ、少しくらいは目を通さないと申し訳がない。パラパラとページをめくり、鉄の溶接方法の解説を見る。工業高校でもないのに、よくこんな本が図書室にあったと関心した。
早坂も本を手に取り、読みはじめた。ちらりと横目で見ると、宮大工による木組みの解説書だった。
しばらく、無言で本を読み進める。沈黙が下りた図書室は、息が詰まりそうな静寂に包まれていた。
「今日は二人で読書してるんだ。仲良しだねぇ」
いきなり耳元で声がして、俺は飛び上がらんばかりに驚く。早坂は仰天のあまり、イスから転げ落ちそうになっていた。メガネがありえない角度にズレている。
突如あらわれたのは、大久保小町だ。どんな魔法を使ったのか、普段は必要以上に騒がしいくせに、まったく存在に気づけなかった。
「急に出てくるな、ビビるだろ。お前は忍者か!」
「おっ、いいねぇ、忍者」よけいなことを言って、小町の歴オタ魂に火をつけてしまう。「わたしの場合、女だからくノ一か。でも、くノ一って女忍者を指す名称のように扱われているけど、実際はちょっと違ってね。諜報活動を行っていたのは同じだけど、その方法は女性の――」
俺は慌てて、手を突き出して制した。ほうっておくと、延々とうんちく語りを聞かされるはめになる。
中途半端なところで止められたことが気にくわない小町は、不服そうにまんじゅう顔をふくらませた。
「何しにきたんだ、お前……」
「図書室にくる用事なんて、一つしかないでしょ。本を借りにきた」ここから声のトーンが跳ね上がり、しゃべりのスピードが加速する。「啓介はどんな立場で物言ってんの。彼女の前でイキりたいのかもしれないけど、似合わないからやめといたほうがいいよ。かっこ悪い、情けない、一条兼定。もっと身の丈にあった態度でないと、いつか寝首をかかれるからね!」
反論するのもバカらしくて、俺は背もたれによりかかり無言を貫く。この手の相手はスルーするのが一番だ。
小町はつまらなそうに頬をふくらませて、ちらりと視線を横にズラした。ふくれっ面に驚きが灯る。
「あっ、錦帯橋だ!」
パソコンの画面を目にして、小町が声を張り上げた。
「ご存知なんですか?」
「うん、中学の頃に松下村塾の見学で山口に行ったとき、ついでに見てきた。確か毛利の三本の矢で有名な吉川元春の子孫が作ったやつだ」
歴オタだけあって、妙なことにくわしい。思わず俺と早坂は顔を見合わせた。
しかし、建造された背景は知っていたとしても、さすがに橋の構造に関しては門外漢であろう。今回の助っ人というわけにはいかない。
「ふーん、橋かぁ」どこか含みのある口調でつぶやき、小町はニヤリと笑う。「ねえ、これって異世界絡みなの?」
予想だにしなかった衝撃発言に、ビクッと体が浮き立つように震えた。
俺と早坂は再度顔を見合わせる。そこには鏡合わせのように、驚愕で強張る歪んだ顔が揃っていた。
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