『勇者、公共事業に参画する。』
<1.黒い雪だるま襲来>
図書室に行くと、早坂が絡まれていた。
「なんで? なんでなんでなんで?! 前から言ってたじゃん、なんでまた見送りなのさ!!」
まるで幼児が駄々をこねているようなクセの強い高音の声で、受付台に半ば身を乗り上げてまくし立てている。
その後ろ姿を一言であらわすなら、雪だるま――少々ぽっちゃり気味ではあるが、肥満体というほどではない。雪だるまを連想させるのは、髪型によるところが大きい。
長い髪を縛って作りあげたお団子が、ほぼ頭頂部に近い位置で固定されていた。形状だけで見ると、そのまんま黒い雪だるまだ。
上の玉と下の玉をつなぐ首の部分には、木製の細長いかんざしが刺さっており、それではずれないように止めているらしかった。どういう仕組みか、まったく謎だ。
「おい、うるさいぞ。図書室では静かにしろ」
声をかけた瞬間、雪だるまが振り返り、間髪入れず俺の胸ぐらをつかんできた。
「ちょっと聞いてよ、啓介!」
困惑で強張っていた早坂の顔が、驚きに変換される様子を目の端にとらえた。
このクレーマーはクラスメイトの
「小町、あんまり図書委員を困らせるなよ」
「だってさ、ひどいんだ図書委員のヤツら。わたしが一年の頃から注文してた本をゼンゼン仕入れてくれないんだよ、料理部が先月注文したアフリカ料理のレシピ本はすぐに発注したくせにさ。こんなの納得できない!」
早口なうえに声のトーンが高すぎて、何を言ってるのか聞き取りづらい。俺は顔をしかめて小町を引きはがす。
不服そうに頬をふくらませて、小町はふくれっ面になる。元々丸いまんじゅう顔が、一層まん丸になっていた。
「よくわかんないけど、早坂に言ってもしょうがないだろ」
「えっ、なになに、この子と知り合いなの。啓介、本なんて読まないでしょ。図書室に用事なんてないだろうに、なんで?」
話題がいきなり飛んだ。小町と話していると、こういうことはよくある。
「失礼なヤツだな。俺だって本くらい読む」と反射的に言ったものの、確かに読まない。何度も図書室に足を運んでいるが、一度も本を借りたことはなかった。
「あの、センパイ……」
受付台から早坂が神妙な顔で呼びかけてくる。レンズ越しに、疑念のこもった視線を感じた。
何を言いたいかは、だいたいわかる。言葉を選ぶ必要があることも……だいたいわかった。
「小町はクラスメイトなんだ。まあ、一応は友達だな」
「何それ、つれない説明。一年の頃から仲良しじゃん。いっしょに遊びにも行った仲でしょ」
「ご、語弊がある言い方はよせ」
小町とは一年二年と同じクラスで、名前で呼び合うくらいには仲が良いのは本当だ。遊びにいったのも事実であるが、無理やり連れまわされたといったほうが正確だろう。
互いに恋愛感情は皆無、同性の友人と同じカテゴリーにいる存在である。
「そっちは?」と、小町は声をさらに跳ね上げて、俺と早坂を交互に見る。「ねえ、どういう関係、どういう関係?」
俺はもう慣れたものだが、おかしなタイミングでテンションの上がる癖がある小町に、早坂は目を丸くしてびっくりしていた。
「いろいろ世話になっている後輩だ。だから、迷惑かけるんじゃない」
「迷惑? なぁに言ってんの、迷惑してんのは、こっち。順番待ちの列に割り込まれ放題で、いつまでたってもわたしの番がやってこない」
ある種コミカルとも言える――プンプンと擬音が浮かびそうな血相で、小町は全身で怒りをあらわす。頭の雪だるままで、激しく揺れて怒っているかのようだ。
「あの図書室に取り寄せる蔵書は、図書委員による月に一度の選定作業で選ばれますので、必ずしも希望が叶うとはかぎらないんです」
小町のトリッキーなテンションについていけない早坂が、おっかなびっくり事情を告げた。
どうやら図書室に所蔵する本の要望していたが、図書委員の選定で弾かれたということらしい。そんなシステムがあることも、俺は知らなかった。
「どんな本を頼んでたんだ?」
「雑賀衆の本。雑賀衆の興亡をつづった古い学術書」
「えっ、サイカ?――えっと、何それ?」
小町のまんじゅう顔が、真っ赤になってふくれていく。まんじゅうというより、お餅だ。
「啓介、そんなことも知らないの。雑賀衆というのはね、戦国時代に活動していた、いわゆる傭兵集団。鉄砲の運用に長けて、あの織田信長も苦しめた――」
「ああ、もういい。小町が好きなジャンルってことは充分わかった」
大久保小町は、歴史が大好きないわゆる「歴女」というやつだ。人物に関心が向くことが多い歴女のなかでは珍しく、その守備範囲は合戦や事件や建造物、それに刀剣や甲冑、さらには時代の風俗風習にいたるまで興味は多岐にわたる。
これまで城跡巡りにあちこち連れまわされたり、刀の展示会に付き合わされたりもした。入院中送られた見舞い品は、姫路城のプラモデルという筋金入りだ。ちなみに姫路城は、わりと早い段階で挫折した。
「なんで、ダメなのさ。理由を言ってよ!」
「大久保先輩が要望なさっている本は希少価値が高くて、その、学校の予算ではちょっと手が出せないんです……」
申し訳なさそうに早坂は頭を下げる。早坂に責任はまったくないというのに。
「いくらぐらいするんだ?」と、たいして興味はなかったが、流れで聞いてみる。
「すでに絶版になった本なので流通していないんですよ。前にオークションサイトで見かけたときは、四万円で落札されていました」
「なるほど、あきらめろ」
値段を聞くと納得だ。高校の図書室で扱うには高価すぎる。
「えー、なんでさ。ちょっと高いかもしれないけど、学術書だよ。高校は学問を学ぶ場所なんだから学術書があってもいいでしょ。学術を拒否する高校なんて学校じゃない、それはもう学術をしない遊び場だ!」
「本気でわけのわからないことを言うな。もう帰れ帰れ――」
小町の肩をつかんで、出口に向かって押していく。当初こそジタバタ暴れて抵抗していたが、途中であきらめたらしく最後にはおとなしく図書室を出ていった。
案外サッパリしているところがあって、根に持つようなタイプではない。ちょっとばかし強引に扱うくらいが、小町の相手はちょうどよかった。
「あいつ、図書室によく来るのか?」
「たまに、いらっしゃるみたいです。わたしは運がいいのか、今日までお会いしたことはありませんでしたが、ウワサは聞いていました」
「まったく、迷惑なヤツだ。バカもほどほどしとけって言っとくよ」
わずかに間を置いて、「はあ」と早坂は気のない返事をする。
メガネの奥から見上げる目には、突き刺さりそうな疑念が灯っていた。思わず俺は目をそらす。
「センパイ、仲良しなんですか?」
声のトーンがいつもより低い。ブルッと背筋に悪寒が走った。
「まあ、仲はいいほうだと思う。あいつ見たとおり変なヤツだから、ほら、変なヤツって見てて面白いだろ……」
今度もまた、「はあ」と気のない返事。妙な緊張感に襲われて、頬がひきつっていくのを感じる。
早坂はじっと俺の顔を見つめた末に、フッと肩の力を抜いて、やわらかく微笑んだ。どうやら受け入れてくれたようだ――なぜ早坂に圧をかけられなきゃいけないのかという疑問は、この際考えないでおく。
「それで、今日はどんな用件なんですか」
「用件って」いつものことなので、この反応はしかたがない。「いや、別に何もないぞ。早坂の当番日だったから、ちょっとのぞいただけだ。迷惑だったか?」
「えっ、いえ、迷惑なんてことは……全然ないです。いつでも大歓迎です」
早坂はメガネを支えながら、少し上ずった声で照れくさそうに言った。
その直後、狙いすましたようにポケットからかすかなメロディーが響いてきた。慌ててまさぐり、スマホを取り出す。画面をちらりと見て、俺はため息をついた。
「ごめん、用件ができたみたいだ」
俺は文字化けした記号が並ぶスマホを受付台に置き、応答ボタンをタッチした。
苦笑した早坂とスマホに顔をよせたが、どういうわけか反応がない。いつもなら、すぐにノーテンキな声が聞こえてくるはずなのだが。
『よお、ア――げん――して――た――――』
ようやく聞こえてきたのは、途切れ途切れの声。回線の問題ではなく、雑音が混じって聞き取りにくくなっている。
まるで延々とつづくドラムロールのような激しい打音が、スマホのスピーカーを通して伝わっていた。回線の向こう側の異世界で、いったい何が起きているのだろうか。
「陽介、なんて言ったんだ。全然聞こえねえぞ」
『悪い悪い』ほんの少し打音が遠ざかり、陽介の声が大きくなった。『こっちはすげぇ雨なんだ。ホントたまらない』
「この音、雨音だったのか」
お天気キャスターなら、「バケツをひっくり返したような」と表現するレベルの大雨のようだ。
『いまいる地方は、元々雨が多い地域らしいんだけど、今回は特にひどくて、もう一週間も足止めをくらっている』
「そりゃあ大変だな……って、まさか雨を止める方法を知りたいとか言い出さないよな」
『さすがにそれはオレでも無茶とわかる。やることがなさすぎて、ヒマだったから電話したんだ』
俺は早坂と顔を見合わせて、安堵を分かち合う。
雨を止めろと言われた日には、問答無用で電話切るつもりだった。そんな方法があるなら、誰も苦労しない。
『まあ、たまにはゆっくりするのも悪くない。領主のお屋敷に泊めてもらってるから、生活面では過去最高に快適なんだ』
「ったく、いいご身分だな」
『これでも勇者だからな。普段苦労してるんだ、たまにはいいい目を見てもバチは当たんないだろ』
本当にヒマだから電話をかけてきただけのようで、雨音は激しいが会話の内容はのんきなものだった。陽介からの電話を受けて、こんなにも穏やかに話せたのはひさしぶりだ。
早坂もくわわり、他愛もない雑談に花を咲かせる。小町が強烈だった分、漂う空気感が一層ゆるく感じた。
『そういえば、こっちにもテルテル坊主があるんだ。形は違うけど、やることはほぼ同じ。軒先に吊るして雨がやむことを願う。どこの世界でも、長雨の対処には苦労してるみたいだ』
「へえ、面白いですね」
「雨くらい、魔法でどうにかできないのかよ」
『無茶言うな。そんなことができるなら、兄貴にグチったりしない』
放課後の図書室での、なごやかな談笑。いつも、こうだったら苦労はないのだが――そんなに都合よくいかないと、俺も陽介も早坂も、わかっている。
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