<3.その橋渡るべからず>

「お前、なんでそれを……」

「センちゃんに聞いた」


 小町はあっさり白状する。センちゃん――以前異世界の金策で知恵を借りた須間千里のことだ。二人は変人同士波長が合うのか、妙に仲がいい。


「須間か。あのバカ、口止めしておいたのに」

「啓介が図書室に来てたこと話したら、いろいろと教えてくれた」


 異世界のことは他言無用と口を酸っぱくして言っておいたのだが、まったく効果はなかったみたいだ。相手が気心の知れた小町だからしゃべったという面もあるとは思うが、それにしたってゆるすぎる。


「しかし、よくこんな荒唐無稽な話を信じたな」

「そりゃあ最初は驚いたけど、タイムスリップする医者や料理人がいるなら異世界もありなのかなって」

「いや、マンガじゃないんだぞ……」


 ネタ元がよくわからなかったのだろう、早坂はキョトンとして首をかしげている。説明は、また今度。それよりも小町の処遇が先決だ。

 いまさらごまかしたところで、どうせ小町は納得しない。ここは腹をくくるしかなさそうだった。


「それで、橋がどう異世界とつながんの?」

「むこうの世界で橋が壊れて困ってるから、設計図を送ってくれと言われた。――なあ、小町。お前って橋にくわしかったりはしないよな?」

「しない。くわしいわけないじゃん」


 予想どおりの返答。期待していなかったので、落胆することもない。

 そんな平然とした俺に不満を抱いたらしく、小町は額に深いしわを刻んで突如うなりはじめた。噛みつかれるのではと身構えるが、どうやら攻撃性の発露ではなかったようだ。


「あっ、一つだけ橋について知ってる!」


 ぞんざいな対応が気に入らず、必死に橋のことを考えていたのだろう。考え事は、もう少し穏便にやってほしいものだ。


「何を知ってるんだ」

「日本橋の銘板の字って、徳川最後の将軍の徳川慶喜公が書いたんだって」


 心底どうでもいい情報だった。自然とため息が口からこぼれる。


「もういいから、さっさといけ。本を借りにきたんだろ、俺達に構ってないでやることやって早く帰れ」


 小町は不服そうに頬をふくらませるが、役立つ知識はないと自覚はしているらしく、抗議を飲み込んでおとなしく本棚の奥に消えていく。

 しかし、ほとんど間を置かず、すぐに引き返してきた。本を探しにいったはずが、その手には何も持っていない。

 そのまま、しれっと俺の隣に座る。小町は何事もなかったように、すまし顔でおさまっていた。


「なんで座ってんだよ……」

「えっ、ダメ?!」まるで想定外であったような態度だ。形だけは驚いているが、この対応が想定内であることは間違いない。「なんでなんで? どうしてダメなの?」


 早坂の困惑がこもった視線をこめかみに感じる。困惑しているのは俺も同じだ。小町が何を考えているのか、まったくわからない。


「お前には関係ない。邪魔だから帰れよ」

「えー、センちゃんには泣きすがって頼ったんでしょ。わたしも頼られたい!」


 須間がどんな説明をしたのか知らないが、かなり話を盛っていたことは想像に難くない。

 きっと頼られた須間をうらやましく思って、自分も頼ってほしいと考えたのだろう。理解できない思考回路だ。


「小町に頼ったところで、役に立たないじゃないか。うるさいしうっとうしいし、邪魔にしかならない」

「三人寄れば文殊の知恵って言うじゃん。いまのままだと一人足りない。ためにも、わたしを引き入れといたほうが絶対いいって!」

「文殊るってなんだよ、文殊るって――」


 独特な言い回しで迫ってくる小町を、俺は必死にいなす。面白半分で参加されても、混乱を招くだけだ。

 しばらく不毛な押し問答がつづき、一向に終わりが見えない。やむをえず早坂がおずおずと参戦したところで、事態は動き出すことになる。


「センパイ、ちょっとくらいいいじゃないですか。大久保先輩の歴史の知識は、きっと役に立つと思いますよ」

「そうだそうだ、図書委員の言うとおりだ」


 情けをかけた早坂に、雪だるまを揺らして小町が同調する。

 あまりにも納得しかねる理屈なので、反発の言葉が瞬く間に頭を埋めるが、それを一つとして口にすることはできなかった。別の問題がポケットからわき起こったからだ。


 俺と早坂は思わず顔を見合わせる。動揺で目線でブレて、早坂のメガネが二重に見えた。


「何これ?」と、取り出したスマホをのぞき込んで、小町が声を跳ね上げる。


 スマホの通知画面には、文字化けした記号が並んでいた。運の悪いことに、異世界からの便りだ。

 少し迷ったが、しかたなく応答ボタンを押す。こうなってしまっては、もうしかないようだ。


『おーい、兄貴、橋の設計図は見つかったか?』

「えっ、兄貴ってことは……これ、陽介?」


 小町は顔を強張らせて、俺と早坂を交互に見た。自分から協力を申し出たたくせに、実際に弟から電話がくると戸惑っている。

 でも、その気持ちはわからないでもない。頭ではわかっていても、やはり転生という怪奇現象を飲み込むのは勇気がいる。小町にも常識的な感性があって、俺は少し安堵した。


『ん、誰だ。兄貴、また新しい女を連れてんのか?』


 語弊のある言い方だ。誰のせいでこうなっているのか、わかっているのだろうか。


「陽介、わたしわたし、小町だよ」

『あー、小町か、なつかしい!』


 生きていた頃の陽介は、何度か小町と会ったことがある。人の顔をおぼえない陽介だが、この変人はさすがに忘れていなかったようだ。

 戸惑いは一瞬にして消え失せ、小町は異世界の事情を問いただしはじめた。多少ためらいはあっても、飲み込んだあとの消化は早い。


「陽介、そっちの様子はどうなんだ?」

『工事はもうはじまってる――といっても、大雨で削れた河岸の整備からなんで、まだ橋には手をつけてない。これから職人を集めて、資材の注文をする段取りみたいだ。早く設計図を準備してくれないと、オレが指示できない』


「そっちの職人が橋を作るなら、よけいな手出ししなくてもいいんじゃないか」

『それだと、また大雨で潰れる弱々な橋になっちゃうだろ。夫人にいいところも見せられない』


 俺は肩を落としてため息をもらす。いったい、なんのために頭を悩ませているんだか。


「倉本くん、早坂です。設計図の前に、いくつか聞きたいことがあるの」早坂が話を引き取り、具体的な質問をする。「こちらで調べたところ、橋にも種類があって川に適した橋でなければ有用な成果は出ないと思うんです。まず、橋をかける川幅を教えてくれませんか」

『うーん、川幅か。正確なところはわからないけど、だいたい百メートルくらいかな。二つの川が合流してできた、でっかい川なんだ。でも、河岸の工事次第では、もうちょっと短くなるかも」


 予想よりも、かなり長い。現代であっても、百メートル級の橋を作るとなると、相当に苦労するのではないだろうか。


「以前の橋の形状はわかりますか?」

「形状と言われても、無事なところを見たわけじゃないからわからないとしか言えないな。オレが知っているのは、ぶっ壊れた橋の残骸だけだ。橋脚が一本残ってるんで、そこに木を組んでたんだとは思う』

「橋脚も木製なんでしょうか?」

『いや、そっちは石だ。石を積んで作った石垣みたいなやつ』


 石組みということは、錦帯橋と似た形状かもしれない。そうなると、錦帯橋を参考にする考えは判断にあやまりがあるということになる。

 しかし、俺とは違い、どうやら早坂はそうは思わなかったようだ。


「この川の川床は、石組みの橋脚を維持できる状態ということですよね。うまく水流を受け流せる形態にさえすれば、丈夫な土台となるのではないでしょうか」


 問題があったのは、橋脚の形であって設計思想ではないという判断だ。元の橋脚の本数は不明だが、数が揃っていれば耐久性も上昇する。


「ねえ、どういうこと」と、よくわかっていない小町が聞く。

「なんとかなりそうってことだ」


 ここから早坂は、彼女なりに考えた橋の提案をする。

 錦帯橋を手本に、石組みの橋脚を複数備えて橋をかけるというものだ。陽介の注文は鉄橋であったが、作業工程の難度や費やされる時間を考慮して木製の橋体を鉄部品で固定と補強する手法を薦めた。そのほうが再度破損したときの修復がやさしい。

 設計図については口頭で伝えるのは難しく、結局大まかな指南にとどめることになった。異世界の職人の理解度任せになるが、こればかりはしかたないだろう。


「しかし、やっぱり橋を作るのって大仕事だよな。資材を運ぶだけでも一苦労だろ」

『そこらへんは、わりと大丈夫。浮遊魔法でモノを浮かせて運べるからな。今回は公共事業なわけだし、作業員の魔法使いをいっぱい雇える』

「魔法が重機代わりなんですね。結構便利そう」


 陽介が聞いたところによると、異世界の建築は魔法を活用することよって意外なほど効率化がすすんでいるという。製造所である程度パーツを作っておいて、現地に運び組み立てる方式らしい。こちらの世界で言う、プレハブ工法に近い。

 資材によっては浮遊魔法が効きにくいものもあるというので、必ずしも同様の制作工程をたどるわけではないが、橋の場合は組み立て方式が主流であるそうだ。


「そんなわけで、下準備には少し時間がかかるけど、いざ工事がはじまるとパパッとできあがるみたいだ」


 陽介は声を弾ませて、得意げに言った。転生した陽介にとって異世界も故郷だ、誇らしい気持ちになっても不思議ではない。


「へえ、面白いね。秀吉の墨俣城みたい」


 のちの太閤豊臣秀吉が、一夜にして城を築いたという逸話になぞらえた小町の発言だ。

 秀吉に見立てられてまんざらでもないのか、陽介はくぐもった笑い声をこぼす。


『とにかく、兄貴達に言われたとおりやってみるよ。目指すは一夜橋だ!』


 電話が切れると、俺はホッと安堵の息をつく。とりあえず今回も無茶ぶりを果たすことができた。

 そこに、冷や水を浴びせるような言葉が差し込まれる。


「まあ、秀吉が墨俣一夜城を作ったというのは眉唾らしいけどね」

「そ、そうなんですか?」

「うん、歴史の逸話にはよくあることなんだけど、後年につけ足された作り話ってのが有力。史料価値のある文献に、墨俣一夜城の記述はほとんどないんだって」


 墨俣城になぞらえて、やる気を出した陽介がバカみたいだ。このことは言わないほうがいいだろう。

 それに、たとえ墨俣城が史実でなかったとしても、やるべきことが変わるわけではない。すでに作業工程は決まっており、何も問題はないはず――そう思っていたのだが。


『死ぬかと思った』


 翌日にかかってきた電話で、陽介は開口一番気がかりなことを言い出す。


「おいおい、いったい何があったんだ?」

『また大雨が降り出してさ。急いで作業してたんだけど、足を滑らせて川に落ちたんだ。濁流に飲まれて、身動きはできないし息はできないし、ホント死にそうだったよ』


 水難事故の危険度は、どの世界だろうと共通している。想像しただけでも恐ろしい。


「お前、よく助かったな……」

『もうちょっとで意識を失うところだったけど、なんとか耐えてでっかい岩につかまることができた。勇者やってるおかげで体力はあるから、それで助かったんだと思う。兄貴もいざってときのために、体は鍛えといたほうがいいぞ』


 足が不自由な状態で、体を鍛えるのは億劫だ。そんなことよりも、雨の日には無闇に川に近づかないという現実的な安全策を心がけたい。


「それで、橋のほうはどうなったんだ」

『組み立てた部分がだいぶ流されたみたいだから、やり直しだな。どっちにしろ、雨がやまないことにはどうしようもない』陽介が珍しく憔悴した声で言う。『なあ、兄貴、どうにか雨を止めて降らないようにする方法ってないかな』


 今回ばかりは、陽介もかなり参っているらしい。積み重ねた苦労を災害に押し流されては、さすがにノーテンキな男も笑っていられないようだ。

 焦りからくる無茶ぶりには、悲壮感すら漂っている。もはや八つ当たりに近いのではないだろうか。


 そんな弟に、俺が言えることは二つに一つ。励ますか、あきらめさせるか――兄貴という立場上、どうしても強がってしまう。


「まあ、ちょっと待ってろ。俺が解決法を考えてやるよ」

『えっ、ホントに雨を止められんの?』

「そっちじゃねえよ、橋のほうだよ。雨のやみ間に作業を終えられるように、短時間で作れる方法を考える」


 まったくの無策だが、あえて言いきった。いまは名案が浮かぶことを信じて、雨がやむのを願うしかない。

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