<3.学校で一番偉そうな人>

 ふうわりとした平沢先輩とは対照的に、生徒会長はツンツンした印象が強かった。

 切れ長の目が特徴的なきつめな顔立ちも、がっちりと腕組した立ち姿も、ボディーラインのハッキリとした制服の着こなしも、その制服越しに見て取れる若干小ぶりな胸のふくらみも――すべてにおいてツンとしていた。


「おい、平沢、隠れてないで出てこい!」


 発せられる声までもツンとしている。言動もツンツンだ。

 唯一やわらかそうな部分は、ポニーテールの髪型くらいだろうか。振り子のように結んだ後ろ髪が、軽やかに揺れている。


「えー、話すことなんてないよぉ」

「いや、あるだろ。料理部には怪しいところが山ほどある。生徒会としては見逃すことはできない」

「そんなこと言われてもなぁ。高千穂さんの考えすぎじゃないかな」


 平沢先輩はゆったりとした口調で、のらりくらりと詮索の矛先をそらす。

 業を煮やした会長は、突発的に実力行使に打って出た。俺と早坂の間に体をねじ込んで、平沢先輩をつかまえようとしたのだ。


 ふいのことで準備が間に合わず、俺は大きくバランスを崩してしまう。慌てて踏ん張るが、運悪くよろけたのは右側――つまりケガした右足を支えにしていた。

 床を踏みしめると同時に痛みが走り、「いぎゃっ!」とブサイクな苦悶の声を上げて倒れ込む。


「セ、センパイ、大丈夫ですか?!」


 早坂はすぐさま救出に乗り出すが、強引に詰め寄ろうとしたせいで合間にいた会長もまとめて俺にかぶさってきた。二人分の体重がのしかかってくる。


「痛ッ、いたただだだだ――」


 会長のヒジが容赦なく右足を打ちつける。激痛によって全身がひきつり、反射的に振り払っていた。

 早坂と生徒会長の体が浮き上がり、ペタンと尻もちをつく。俺のどこにそんな力があったのか、自分でも不思議なくらいの怪力を発揮した。これが、火事場のバカ力というやつだろうか。


「スバル、何をしてるの!」


 騒ぎを聞いて、一人の女生徒が駆け寄ってきた。俺の絶叫は相当切迫していたようで、彼女の強張った顔には怯えがにじんでいる。


「こいつが、ちょっとぶつかっただけで急に叫び出したんだ。あたしは悪くない」


 会長の弁明をうたがわしそうに受け取り、彼女は俺に目を向けた。


「あっ」と、小さな声をもれる。「キミは……倉本啓介くんだよね」

「なになに、美紀の知り合い?」

「一学期の終わり頃に事故に遭った兄弟の話、スバルも聞いたでしょ。彼が、その倉本くん」


 驚きが会長の顔によぎるが、あまり長つづきはしなかった。驚きはすぐに困惑へ変化していく。あきらかにピンときていない。事故に遭った生徒の話が、記憶にないのかもしれない。

 言葉を交わさずとも会長の思考を読み取った女生徒は、わざとらしい大きなため息をつき、あきれた様子で肩を落とす。


 ここにきて、彼女が何者であるのか、ようやく思い出した。人の顔をおぼえるのが苦手な俺としては、ほんのちょっぴりでも記憶に残っていたのは奇跡的だ。

 確か彼女も、生徒会に所属している。名前や役職まではおぼえていないが、生徒総会の際に会長と並んで立っていたことをおぼろげながら思い出した。失礼ながら特徴らしい特徴のない地味な見た目で、外見上の印象はうすい。とにかく偉そうで強烈に印象に残った生徒会長の隣にいたことで、映像として脳裏に刻まれていたのだろう。


「倉本くん、足は大丈夫?」

「はい、えっと――」


 俺の戸惑いを即座に察し、彼女は控えめに微笑み、たおやかに名乗った。


「わたしは生徒会の佐藤美紀さとう みき。うちのスバルが迷惑かけてごめんね。保健室に行く?」

「いえ、平気です。もう痛みはだいぶマシになってる。急に踏ん張ったもんだから、ちょっと足がびっくりしただけだと思います」


 ホッと安堵の表情を浮かべた佐藤先輩であったが、その顔は間を置かずひきつることになった。


「うあー!」いきなり会長が甲高い奇声を上げたのだ。「平沢のヤツ、逃げやがった!!」


 その言葉どおり、さっきまで俺達の後ろに隠れていた平沢先輩の姿がどこにもない。どさくさにまぎれて、逃げていったらしい。

 会長は地団駄を踏んで悔しがる。本当に地団駄を踏む人をはじめて見た。


「ねえ、あんたら平沢の知り合いなんだろ。ちょっとツラ貸しな、聞きたいことがある」


 くいっとアゴ先をかたむけて会長が指した場所は、生徒会室だった。職員室に来たとき、何度もその扉を目にしているが、なかに入ったことはない。

 俺と早坂は半ば強引に連れ込まれる。思いのほか質素で事務所的な作りの部屋だった。


 三つのデスクと色あせたソファセットが置かれ、資料が詰まったスチールラックが並んでいる。部屋の隅には複数の折り畳み式長テーブルとパイプイスが重ねて整頓されており、その脇に背の高い観葉植物が大きな葉を広げていた。

 ソファに押し込められた俺達の向かいの席に、会長はどっかり腰を下ろす。腕組して足も組み、偉そうな大物然とした態度を立ち振る舞う。


「あんたらは平沢とどういう関係なんだ?」

「ちょっと、その前に――」


 俺が答えるより先に、佐藤先輩が割って入ってくる。

 不服そうに目を細めた生徒会長を、佐藤先輩はじっと見つめていた。


「スバル、倉本くんに言わなきゃいけないことがあるよね」

「へっ?」キョトンとして首をかしげた会長であったが、佐藤先輩が根気よく待ちつづけた結果、その意味に気づいたようだった。「あー、まあ、別にいいだろ。当人が気にしてないみたいだし」


 佐藤先輩の目つきが一気に険しくなる。会長はたじろいで目を泳がせた。


「スバル!」

「わかってる。わかってるよ、もう――」


 鋭い叱責を受けてしょんぼりした会長は、俺に向き直ると勢いよく頭を下げた。反動でポニーテールが振り上がり、ちょんまげのように頭頂部の乗っかる。

 どういことか意味がわからず、困惑した俺は思わず腰を浮かせた。


「さっきは、ぶつかってごめん。ケガしてるなんて知らなかったんだ、許して」

「あー、そういうこと。別にいいですよ、もう平気ですから」


 顔を上げた会長は、ふにゃっとゆるんだ安堵の笑顔を浮かべていた。きつめの顔立ちだけに、ギャップが大きくてかわいらしい。

 先ほどの騒動に一区切りついたことで、ようやく場が少し落ち着く。


「さて、話のつづきだけど、あんたらと平沢はどういう関係なんだ?」

「前に料理の問題で、相談にのってもらったことがあるんです」


 早坂は用意していたようで、するするとよどむことなく答えた。さすが頼りになる。


「料理部の活動に参加した経験ある? 何かおかしなことや不自然なことはなかった? 平沢が誰か学生以外と親密にしてるとこ見たことない?」

「ちょっと待ってください。平沢先輩は何をしでかしたんですか」


 矢継ぎ早に繰り出される詰問に、俺は戸惑い質問を返す。

 会長と佐藤先輩は顔を見合わせて、意味深な表情でうなずきあっていた。


「料理部には不正経理の疑いがある。平沢のやつ、絶対何か裏で悪さしてるはずだ」

「……ふ、不正経理ですか?」

「これ見てみ。あんたら見おぼえない?」


 思わぬ展開に動揺した俺達に、会長はスマホの画面を突きつけた。

 そこに映し出されていたのは、調理室の一角を撮影した写真だ。調理台の上に、見知らぬ器具が設置されていた。


「なんですか、これ?」

「炭酸水メーカーってやつらしい。この機械で炭酸水を作れるんだってさ」


 俺の脳裏に、以前ご馳走になった梅ジュースが思い浮かぶ。炭酸割りに使う炭酸水を、自前で作ろうということか。

 およそ学生にはそぐわない不正経理という言葉の正体が、うっすらとだが見えてきた気がした。


「この炭酸水メーカーは部費で購入したと活動記録に計上されているんだが、あきらかに値段があっていない。料理部は他にも食材購入の費用見積もりにおかしな点が多々ある。すっぽんを持ってきたときなんて、自分で捕まえたからタダだといけしゃあしゃあと言いやがった。どう考えても無理があるだろ!」


 生徒会は料理部の金の流れを怪しんでいるわけだ。それにしても、すっぽんまで調理しているとは、恐るべし料理部。


「部員が自腹で補填したんじゃないでしょうか」と、早坂が意見する。

「いいや、それはない。補填しているなら、それを伝えればいいだけだ。推奨はしていないが禁止されているわけではない、隠す必要がないんだ。記録を偽る理由にならない」


 平沢先輩は失敗した梅ジュースの処分を教師に頼み、部費を増やしてもらっていると言っていた。おそらく生徒会が関与しない私的な援助という形で個別に部費をもらっているのだと思う。それを、生徒会は不正経理と怪しんでいるわけだ。

 物が物だけに公表できず、厄介な状況になっているということか。


「平沢が何をやってるのか、あんたら知らない?」

「さあ、特には……」

「ちょっとわかりません……」


 俺と早坂は曖昧な返事でお茶をにごした。世話になった平沢先輩を売るわけにはいかない。


「あー、くそッ、代替わり前の最後の仕事として、料理部の問題を片づけたいのになぁ」


 そういえば高千穂会長は三年だ。通年ならとっくに代替わりしていてもいい時期なのに、まだ会長職をつづけている。

 俺は何気なく生徒会室を見回した。生徒会の役員は六名ほどいたはずだが、現在は会長と佐藤先輩の二人しか見当たらない。妙な違和感をおぼえた。


「あの、生徒会長ってどうやって決まるんですか?」

「立候補者のなかから生徒会が選出するの。ただ立候補する生徒なんてほとんどいないから、たいていは前期生徒会長が指名して決まる。去年は珍しく立候補者がいたけどね」


 佐藤先輩がクスクス笑いながら教えてくれた。去年の立候補者は――つまり高千穂会長だ。


「じゃあ、いま決まっていないということは、いずれ指名するんですね」

「生徒会長は責任ある役職だ。立候補するくらいの気概があるやつじゃないとやっていけない!」

「何を言ってんの。そうやって先延ばししてるから、来年受験だっていうのに、いつまでたっても生徒会やめられないんでしょ」


 呆れた様子で肩をすくめて、佐藤先輩はわざとらしいため息をついてみせた。


「あたしは、半端な気持ちでやってほしくないんだよ。言ってみれば生徒会長は、この学校で一番偉いってことだぞ。それになろうってんだ、覚悟を見せてほしい」


 俺と早坂は顔を見合わせる。思わぬ形で話がつながった。

 なりゆきで生徒会室に連れられてきたが、これも何かの縁だ、意を決して王宮問題の質問をぶつけてみた。


「生徒会長って……その、偉いんですよね」

「偉いぞ」と、会長はきっぱり言いきる。一切のためらいもなく。

 佐藤先輩はまたため息をついていた。


「質問なんですけど、偉い人に好かれるにはどうしたらいいんですか?」


 唐突な問いかけにキョトンとした会長は、しばらく視線をさまよわせた末に――顔をひきつらせた。


「えっ、あんた何、あたしに惚れてんの?」


 とんでもない受け取り方をした会長に、慌てて訂正する。


「ちがうちがう、そういうことじゃなくて、偉い人に気にいってもらえる方法を知りたいんですよ。王様とか――」


 会長も佐藤先輩も怪訝そうに眉をひそめる。いきなりぶっこみすぎたようだ。

 俺は頭をひねり、言葉を選んで再度たずねた。


「ワケあって、偉い人と懇意になる方法を探しています。それには偉い人に話を聞くのが手っ取り早いと思いまして」

「そんなもん簡単だろ」会長はニヤリと笑って言った。「袖の下だ」


 考えもしなかった答えだ。でも、言われてみると確かに簡単な方法だ。


「ちょっと、何を言ってるのスバル!」

「冗談だ、冗談。だけどさ、あながち間違っちゃいないと思うな。相手が偉かろうが偉くなかろうが、人に好かれるには相手がほしいモノを与えるのが一番いい。金銭でなくても、行動でも言葉でも、ほしいときにほしいモノをもらえたらドキッとするもんだ」

「あ、わかるかも……」と、早坂が納得のつぶやきをもらし、ちらりと俺を見た。


 会長の意見は正論だと思う。誰だって欲求を満たしてくれたなら好感を抱く。

 しかし、王様が相手となると話は厄介になる。悪代官に金菓子を渡すのとはわけが違う、何をほっしているのか皆目見当がつかなかった。


「よくわからないんだけど、倉本くんはその王様みたいな偉い人と会うことになるの?」

「いや、俺が会うわけじゃなくて、俺の知り合いが――」


 そのとき、ふいに軽快なメロディーが生徒会室に響いた。ドキリとして声が止まり、えもいわれぬ不安に襲われた。

 音の出どころは俺のポケットだ。おそるおそるスマホを取り出し、着信音を奏でつづける通知画面に目をやった。


「あっ」と、横目でのぞいていた早坂が声をあげる。そこには、文字化けした記号が並んでいた。

「どうぞ、遠慮せず出ていいわよ」


 身動きできなかった俺に、苦笑を浮かべた佐藤先輩がうながす。

 軽く会釈して、急いで壁際に移動した。生徒会二人の様子をうかがいながら、ためらいがちに応答ボタンをタップする。


「もしもし……」

『あっ、兄貴。そっちの首尾はどうだ?』


 陽介のノーテンキな声が心底恨めしい。怒鳴り散らしたい気持ちをグッと抑えて、俺は小声で応じた。


「お前なぁ、もうちょっと時と場所を考えて電話しろよ」

『そんなこと言われたって、そっちがどうなってるのかオレにわかりようないだろ。兄貴がうまいこと処置してくれよ』

「好き勝手言いやがって……で、お前のほうはどうなんだ。何か状況に変化はあったか?」

『あったあった。オレ、いま王宮でパーティーの真っ最中』


 一瞬頭が真っ白になった。こいつは何を言ってるんだ?

 俺は我を忘れて思わず声を荒げる。


「どういうことだよ、ちゃんと説明しろ、陽介!!」


 この怒鳴り声に真っ先に反応したのは、意外なことに佐藤先輩だった。ビクッと肩を震わせて、こわごわと俺に目を向ける。


「美紀、どうした?」

「えっ、だって、いま倉本くんが口にした“陽介”って彼の弟さんの名前……」

「弟と電話することぐらいあるだろ」

「ちがうの。彼の弟さんは……事故で亡くなっている」


 一拍置いて、会長の顔がみるみるひきつっていく。動揺によって黒目が激しく震えていた。


「ハア、どういうこと?!」

「こっちが聞きたいよ、そんなの――」


 俺はスマホを握りしめたまま、ぎこちない笑いを浮かべるしかなかった。

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