<2.茶の道>

「どうしたの、ケイちゃん」


 なつかしい愛称で呼ばれて、付き合っていた当時の思い出が一瞬にして脳裏によみがえった。

 気まずさが溢れ出して挙動不審となった俺を、怪訝そうに眉をひそめた早坂がのぞき込んでくる。


 早坂は、「ケイちゃん?」と、険のある低い声を投げてきた。ひきつった口元から渇いた笑いがこぼれる。


「……俺の名前、啓介って言うんだ」

「知ってます、倉本啓介センパイ。そういうことではなくて、“ケイちゃん”というのは――」


 こそこそと不毛な問答を繰り返す俺達を見て、凜々花は釈然としない表情で軽く首をかしげてみせた。

 付き合っていた中学生の頃は、幼い顔立ちにボーイッシュな短い髪と中性的な容貌をしていたが、高校生となった現在の凜々花はすっかり大人びて、髪も肩にかかるまで伸びていた。当時の面影を残しつつも順当に成長して、キレイになったと素直に思う。


「ケイちゃん、何か茶道部に用事?」

「あっ、ちがっ、いやちがわないけど、その、あれだ、うん、えっと――」


 しどろもどろな要領をえない返事に、凜々花は苦笑を浮かべて困惑する。


「えー、どっちなの?」その声には、ほんの少しからかいが混じっていた。「ひょっとして、新しいカノジョを見せつけにきた?」


 ちらりと目線が早坂に送られた。かすかに空気が張り詰めたように感じたのは、気のせいだと思いたい。


「そ、そんなんじゃないって……」

「こっちはさみしい独り身だっていうのに、幸せそうでうらやましい。もうちょっと、元カノをいたわってくれてもいいんじゃない」


 冗談めかした発言であったが、ビクッと肩を震わせて早坂は反応した。滑りの悪い戸板のように、何度も引っかかりながら顔を向けてくる。

 頬のあたりにチクチクと視線を感じてはいたが、そこに含まれる意味を知るのが怖くて、とてもじゃないが目を合わせられない。


「そういうことですか」と、ぼそっとしたつぶやきが耳に入る。

 聡明な早坂は、これだけで茶道部を拒絶した俺の事情をくみ取ったらしい。だからといって、事情に応じてくれるつもりはなさそうだが。


「冗談はさておき、実際のところはどうしたの。ケイちゃんが理由もなく茶道部にくるはずないよね」

「うかがいたいことがあります」


 俺よりも先に、早坂が身を乗り出して答えた。

 凜々花はわずかに目を細めて、値踏みするようにまじまじと早坂を見つめる。しばらく無言で、二人は向かい合っていた。


「とりあえず部室に入ろうか。お茶ぐらい出すよ」


 茶道部ジョークを交え、凜々花は部室の戸を開く。

 ここまできて、俺だけ断るわけにもいかない。俺のいないところで、よけいなことを話されては困るということもある――腹をくくって入るしかなかった。


 室内は八畳ほどの畳敷きの和室となっていた。靴を脱ぐためのささやかな玄関が設置されており、少しの段差で区切ってある。

 茶道部の茶室ということになるのだが、見た感じは普通の部屋だ。積まれた座布団に使い古された戸棚、小型の冷蔵庫、部員の私物と思われるスマホの充電器も置かれていた。誰か住んでいると言われたら、信じてしまいそうなくらい生活感に溢れている。


「座って待っててよ」


 俺と早坂に座布団を差し出して、凜々花は戸棚から茶道道具を取り出す。他の部員の姿は見当たらないので、部活が休みの日なのだろうか。

 凜々花は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、電気ケトルに注いで湯を沸かしはじめた。部屋にコンロがないのでしかたないのだが、風情もへったくれもない。


「痛ッ……」と、思わず口からついて出る。


 反射的に、早坂と凜々花がこちらを見た。右足を伸ばした不格好な姿勢のまま、俺は苦笑を浮かべる。

 ケガが痛み、足をたたんで座布団に座れなかったのだ。正座はもちろん、あぐらをかくことも難しい。結果として、右足だけ伸ばした不自然な座り姿となってしまう。


「行儀が悪いけど、これで勘弁してくれ。まだ、しっかり足を曲げることができないんだ」

「ケイちゃん、そっか……そうだったね。陽介くんのこと、聞いたよ……」


 事故について聞き及んでいたのだろう。凜々花は沈痛な面持ちで、揺れる瞳を足下に落とした。

 陽介とも面識があるので、なおさら心苦しさを感じているようだ。


「気にするな。大丈夫だから」


 まさか転生して異世界で勇者をしているとは言えない。配慮した結果、若干不自然な言い回しとなってしまった。

 それをどう受け止めたのか、凜々花は強張った顔でうなずく。頭が一旦下がり、上がってきたときには、意識を切り替えてしんみりした空気を振り払っていた。


「それで、何を聞きたいの?」


 間を置かず本題に入り、俺は反応が遅れる。代わりに早坂が、すかさずたずねた。


「お二人は付き合っていたんですよね。なぜ別れたんですか」

「おい、ちがうだろ!」


 空気を読まず、いきなり本題から遠く離れた疑問を投げてきた。大暴投もいいところだ。あまりの危険球に肝がちぢむ。

 凜々花は他人事のようにクスクス笑いながら、茶碗を二つ取り出した。乳白色のシンプルな陶器製の茶碗だ。生徒が使うモノなので当然だが、間違っても高級品ではないだろう。


と言われても、うまく説明できないな。別れたいって気持ちの波長がたまたま重なって、その場の雰囲気で別れたって感じかな。付き合うときもそうだったし、なんとなくだよ、なんとなく。恋愛初心者同士だったから、修正のしかたがわからなかったんだろうね」


 早坂はいまいち納得できないといった様子で、眉間にしわをよせていた。当事者の俺としては、なるほどと思える説明だ。


 凜々花とは中学二年のときに同じクラスで親しくなり、周囲に押されてなんとなく付き合いはじめた。中三になってクラスが離れて、いま思うとバカらしい、ちょっとしたすれ違いが原因でなんとなく別れた。


 別段嫌いになったわけではなかったので、やり直そうと思えば、いくらでもやり直せたと思う。でも、当時の俺はその機会を積極的にうかがおうとはしなかった。凜々花にしても同じだ。どちらかが少しでも手を差し伸べれば破局はまぬがれたが、そうはならなかった。俺達はとてもよく気があっていた、踏み出す気持ちが小さくなるサイクルまで気があっていたということだ。


「昔の話だよ。もう終わったこと、気にしないで」


 そう、もう終わったことだ。決着はついている。

 ただスッキリしない終わり方だったので、いつまでも気まずい思いがくすぶりつづけて、今日まで会うことをさけていた。心のどこかで、淡い思い出のまま残しておきたかったという気持ちがあったのかもしれない。


「そろそろいいかな――」


 凜々花は黒い漆器の茶入れを開けて、粉末の抹茶を二つの茶碗にサジで適量入れた。そして、電気ケトルで温めた湯を直接注いでいく。

 お茶に使う湯には適温があると聞いたことがあった。おそらく温度調節できる電気ケトルなのだろう。


 茶筅ちゃせんを手に取り、凜々花は慣れた様子でシャカシャカと攪拌してお茶をたてる。その所作だけは本格的だが、ここまでの手順はあきらかにぞんざいだ。正確な知識はなくとも、正規の作法ではないことはわかる。

 ふと戸棚の脇に、鉄製の茶釜が置かれていることに気づいた。茶道は、茶釜に入った湯をひしゃくですくって茶碗に注ぎ、お茶をたてる――漠然とだが、そんなイメージが俺のなかにある。


「凜々花、これって正式な作法とはちがうよな」

「えっ、正式な方法でやってほしかったの?」心底意外そうに、凜々花は目を瞬かせる。「ケイちゃん、作法知らないでしょ」

「知らないけど、一応どういうもんか見てみたかったんだ」


 凜々花は怪訝な顔でちらりと茶釜に目をやり、結んだ唇をへの字に曲げた。面倒に思っているとき、よくこんな顔をしていたことを思い出す。


「どうしても、やりたいの?」

「そういうわけじゃない。別にいいんだ、本筋はそこじゃないから。しかし、わりとめんどくがりなところ、全然変わってないな」

「悪かったね、めんどくさがりで!」


 乱暴な口調とは裏腹に、俺達に茶碗を差し出す身のこなしは優雅なものだった。中学の頃はバドミントン部に所属してバリバリの体育会系だった凜々花からは、想像もできない振る舞いだ。

 ほんのりと温かい茶碗を手にすると、抹茶の香りが漂ってくる。


「えっと、回して飲むんだっけ?」

「お好きにどうぞ。作法間違いなんて、怒るようなことじゃない」


 俺と早坂は顔を見合わせて、おずおずと茶碗を回して口につけた。

 苦味の奥に、ほのかな甘みを感じる。正直抹茶に苦手意識があったのだが、凜々花がいれてくれたお茶は思いのほか飲みやすかった。きっと、いい抹茶なんだと思う。


「結構なお点前で」


 思い浮かんだフレーズを、そのまま言ってみた。

「お粗末様でした」と、凜々花はくすぐったそうに笑いながら答える。


 抹茶によって腹の底が温まり、ほんの少し緊張が解けたのを感じる。俺はホッと息をついて、いよいよ本題に切り込む決心がついた。

 右足を伸ばした半端な座りながら、気持ちだけでも姿勢を正す。


「さっき作法間違いを怒らないって言ってたけど、実際のところムカついたりする場合ないのか?」

「ないよ。別に押しつけるもんでもないし」


 凜々花はあっさりと言いきる。振る舞う人物の性格によるのだろうが、これでは話がつづかない。


「いや、でも、なかにはマナー違反する失礼なヤツもいるだろ。そういうヤツの対応はどうしてるんだ?」

「そんなこと言われても、別にどうもしないよ。作法を知らない相手に、とやかく言ってもしかたないじゃない――というか、いったい何を聞きたいのか、よくわからない。これがケイちゃんの聞きたかったこと?」


 うまく説明できない俺に代わり、早坂が言葉を継ぐ。


「すごく高貴な方にもてなされたとき、極力失礼がないようにしたいのですが、何をもって失礼となるのか不明瞭なので善後策を考えていたんです」


 間違ってはいないのだが、その部分だけを抜き取ると意味不明だ。

 凜々花は困惑を顔に染めるが、くわしく掘り下げてくることはなかった。いろいろ配慮してくれたのかもしれないし、ただ単に面倒だと感じたのかもしれない。


「そんなに失礼と思うような経験したことないから、なんとも言えないな。そりゃわざと失礼な態度を取る相手なら怒るかもしれないけど、無知からくる不作法なら気にしないと思う」

「どんなバカな行為でも許すのか?」


「許すとか、許さないとか、そういうことじゃないんだよ。お茶は心を込めてもてなす気持ちと、客側の感謝の気持ち――お互いの敬う気持ちが重要なの。作法というのは言ってみれば、礼儀を型にはめたものだと思う。あくまで型であって、本質ではない。気持ちがしっかり礼を尽くしてさえいれば、型にこだわる必要はない。ちゃんと伝わるものだよ」


 凜々花の言っていることが、茶道において正しい見識であるのかわからないが、マナー論としては納得できる意見だった。

 ただ俺の知りたかったことからは、少しズレている。


「じゃあ、もてなす側が悪意を持って貶めようとしていたら、どうしたらいい。悪い茶道家が客に恥をかかせようとしたとき、回避する手立てはあるのか?」

「悪い茶道家って、何?」凜々花が呆れ口調で返す。「前提がよくわからないんだけど……さすがに、それだとどうしようもないんじゃないかな。手の打ちようはないよ。あっ、でも――」


 ポンと手を打ち、凜々花は含み笑いをもらす。手の打ちようがあったのだろうか。


「なんだ、いい方法があるのか?」

「ちょっとちがうかもしれないけど、前に茶道の先生に聞いた話で――昔々、どこかのお殿様が茶会を開いたとき、そこに参加してたお侍さんの一人がとんでもないで、茶会をめちゃめちゃにしちゃったんだって。参加してた他のメンバーはカンカンになって怒ったんだけど、これといってお咎めはなし。どうしてだと思う?」


 いきなりクイズがはじまり戸惑った。横目で早坂を見ると、彼女も目を瞬かせてキョトンとしている。

 しばらく考えてみるが、答えはまったく浮かばない。そんな俺の様子に、凜々花は肩をすくめて口を開く。


「正解は、その無茶苦茶なお侍さんがお殿様のお気に入りだったから。何をやっても怒られない」

「なんだ、そりゃ。そんなもん答えようがないだろ」

「けど、そういうことだよね。解決策として手っ取り早いのは、一番偉い人を味方につけることだよ。ケイちゃん達が何をやってるのか知らないけど、相手が手を出すより先に根回ししとけばいいんじゃないかな」


 俺としては腑に落ちない解決策だったが、早坂は光明を見いだしたようでメガネの奥に感心を宿していた。

 マナーを教わりにきたのに、妙な着地をしたものだ。これが目的に沿った状況なのか、まだよくわかっていない。


「凜々花、面倒かけたな」

「ケイちゃんとひさしぶりに話せて楽しかった。また遊びにきてよ」


 どこまで本気かわからない愛想が、凜々花の口をついて出た。とりあえず、茶道部での情報収集を終えて、俺と早坂はおいとますることにした。顔には意地でも出さなかったが、内心ホッと胸をなでおろす。

 去り際になって、凜々花は早坂を呼び止めた。心なしか早坂の横顔に、緊張が灯ったように見えた。


「ケイちゃんのこと、よろしくね」

「はい」と、早坂は深々と頭を下げた。


 まるで子供扱いだ。納得しかねるものがある。

 釈然としないまま廊下に出たところで、一旦気持ちをリセットして、作戦会議に頭を切り替えた。


「さて、これからどうする?」

「今屋さんが言っていたように、偉い人に頼るのは悪くない案だと思います。どんなあくどい策略も、それで封じることができる」

「王宮の偉い人となると、やっぱり王様だよな。王様に気に入られる方法なんてわからないぞ。そもそも偉い人ってのが、普通の高校生にはピンとこない。学校だと校長とかになるのか?」


 形はどうであれ算段はついたので、そのまま陽介に丸投げしてもよかったのだが――どうせ、今度は偉い人に気に入られる方法を聞いてくる。

 先手を打って考えてみたが、偉い人に関するデータがなさすぎて、ここでも早々に行き詰ってしまった。


「偉い人と仲良くなったことある?」

「……ありません。あっ、でも、図書委員の委員長さんにはよくしてもらっていますよ」


 学校の委員長レベルでは、偉いとは言えないだろう。俺は身近に偉い人がいないか真剣に考える。

 そこに、思いもよらない声が飛んできた。


「倉本くん、ミチルちゃん、助けて!」


 突如あらわれたのは、三年の平沢羽織ひらさわ はおりだ。料理部部長である彼女には、以前陽介の豚汁が食べたいという無茶をかなえるために、協力してもらったことがある。

 豊満な胸を揺らして駆けてきた平沢先輩は、並んで立っていた俺と早坂の背中にサッと隠れた。

 間髪入れずに、ズシズシと迫力のある足取りで近づいてくる人影があった。


「平沢、今日こそは話を聞かせてもらうぞ!」


 ヒステリー一歩手前の甲高い声が廊下に響く。その女生徒を、俺は知っていた――おそらく全校生徒が知っているだろう。ある意味平沢先輩と双璧をなす学校の有名人だ。

 かすかに頬をひきつらせて、早坂が小声で言った。


「センパイ、偉い人いましたよ」

「偉い人って言うか……あれは偉そうな人だ」


 彼女の名前は、高千穂昴たかちほ すばる。我が校の生徒会長だ。

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